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59.手当て

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「こちらから話せることは以上だ。何か質問があれば答えよう」

「いえ……」
 浅慮な自分が尋ねられることなど、とてもあるようには思えなかった。

「お前は巻き込まれただけだ。だから、何も気にしなくていい」
 かけられる声はひどくやさしい。

「大変だっただろう。もう、休むといい」

 けれど同時に線を引かれたのだと思った。これ以上を立ち入ることを、シャルルはアネットに許してはくれない気がする。

「では、旦那様。怪我のお手当てを」
 ロイクが救急箱を持ってシャルルの傍に寄る。手早く包帯やら軟膏やらが用意されるのを見て、露骨に彼の顔が険しくなる。

「分かった。自分でやる」
「坊ちゃん」

 執事の声に心配そうな色が宿る。こんな時まで彼は、触れられたくないのか。

「あのっ! わたしに、やらせてもらえませんか?」

 シャルルはああ言ってくれたけれど、彼が怪我したのはやはり自分のせいだと思う。せめて手当ぐらいしたかった。

「必要ない。できると言っただろう」
「そっちの手、上がらないんですよね?」

 アネットはシャルルの右手を指した。さっきカップを持とうとして、彼は左手に変えた。おそらく何度かは杖が右肩にもあたったのだろう。きっと少し動かすだけで痛いのだ。

 そんな手で、満足な手当てなどできるものか。
 シャルルは不服そうな顔を崩さないが、何も反論はしてこなかった。図星なのだ。

「それでは、お嬢様。お願いしてもよろしいでしょうか」
「はい。包帯でぐるぐる巻きにしてでも手当てしてみせます」

「なんだそれは」
「頼もしい限りでございます。どうぞ、坊ちゃんをよろしくお願いいたします」

 やっとロイクがにこりと笑ってくれた。必要なものを全て置くと、彼はいつものように礼をして部屋を後にした。
 ただ、二人きりになる。ここでもう折れるつもりはなかった。紫水晶に真っ直ぐに対峙すると、やがて彼は一つ大きく溜息をついた。

「……お前は梃子でも動かなさそうだな」

「そのつもりです」
 ソファに座るシャルルのすぐ近くに立つ。

「触ってもいいですか」
 そのシャツに触れようとした時、シャルルは冷たい声で言った。

「あまり、見て気持ちがいいものじゃないぞ」
 諦めたように長い指はボタンを外していって、そして現れた背に残るものに、アネットは息を呑んだ。

「ひっ」
 漏れそうになった悲鳴を必死で手で口を抑えて堪えた。

 これは、昨日今日でできた傷ではない。いくつも、いくつも、瘡蓋かさぶたや引き攣ったような痕がある。

「昔からよく叩かれたからな。消えないんだ。別にもう痛くはない。気にするな」

 その中で一際赤い痣が、右肩から背にかけてある。
 動揺を見せてはいけない。努めて平静を装ってアネットは言った。

「まず、薬を塗りますね」

 指につけると軟膏はひやりとしていた。震える指先がその背に触れると、一瞬ぴくりと肩が動いた。できるだけそっとと思いながら、薬を塗り広げていく。

「その薬、すごい沁みるんだよな。もういっそ傷より痛いから塗らなくていい」
 この人がこんな冗談めいたことを言うのを、はじめて聞いた。
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