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39.悪魔の知恵
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「それで、わたくしにお聞きになりたいこととは?」
明るい光の中で見ても、美しい女というのは美しいのだなとアネットは思う。
今日もジェルヴェーズはぴたりとしたドレスを着ているのだが、どこか夜そのものを纏っているような雰囲気があった。彼女の周りだけ、ひどく蠱惑的に見えてしまう。
何せアネットはシャルルが言うところの『馬鹿で跳ねっ返りの野良猫』であるので、膝枕以上のことが分からない。誘惑は以前手痛く失敗している。正直手詰まりである。
なので、ここは専門の方に手ほどきして頂こうと思ったのである。ロイクに頼んだらすぐにジェルヴェーズを呼び寄せてくれた。彼は二人分の紅茶を淹れたあと、そっと下がっていった。
「あの、その、えっと」
会うのはどうしてだか、ものすごく癪ではあったのだけれど。
「はい、何でもお聞きくださいませ」
そんなふうに言われると、考えていたことが全部吹き飛んでしまった。
「旦那様とジェルヴェーズさんは、ど、どのようなご関係で」
そんなもの、聞かなくても分かっていただろうに。我ながらわざわざ傷口を抉るようなことを、どうして聞いてしまったのか。
「ご関係と言われましても……」
微笑みの形を崩さないまま、嘲りにも似た苦笑の色が宿る。これがシャルル相手なら、「馬鹿が」と一蹴されているところである。また、やってしまった。
「アネット様もご存知かと思いますが、わたくしは娼婦にございます」
ジェルヴェーズの言葉にアネットは頷いて、そのまま顔を伏せた。
「通常、この身でお客様を癒して差し上げるのがわたくしの仕事ではございますが、あの方にお売りしているのは他の方とは違うものです」
俯いていたら、やわらかな声が掛けられた。
「ちがう、もの?」
「はい」
目が合うと、にこりと艶然に彼女は微笑む。
「わたくしがお売りしているのは、“情報”です」
長い足を組み替えて、その上でジェルヴェーズは頬杖をつく。
「殿方というのは、体を許した女には思いの外口が軽いものです。お屋敷での愚痴やらお仕事のご不満やら、色々とお話になります。その大半は些末事ですが、時折重要なことを口になさることも、なくはございません」
その情報一つ一つが、シャルルの商売の糸口になるのだという。
「じゃあ、旦那様はそれをメモして聞いているだけなんですか?」
「紙に書いたことは、後から見つかれば事に成ります。それにカヴェニャック様は、一度聞いたことはお忘れにはならないのだそうです。ただ座って相槌を打たれるだけですわ」
物覚えのいい人なのだとは感じる。
王室の歴史も貴族としての知識も、いつも彼はすらすらと流れるように話す。
全ては彼の頭の中に仕舞い込まれて、ただ芽を出す日を待っている。まさしく悪魔の知恵だなとアネットは思わずにはいられなかった。
「ですから、そんな顔をなさらないで。カヴェニャック様はわたくしに指一本、触れたことはございませんわ」
わたしは一体、どんな顔をしていたのだろう。
「本当に、それだけなんですか?」
ジェルヴェーズはシャルルのことをよく知っているような口ぶりである。きっと昨日今日の付き合いではないのだろう。これほどの美女とそれだけの時間をともにして、本当に何も起こらないものなのだろうか。
「そうですね。強いて言えば、もう一つ」
「なん、ですか」
アネットは意を決して聞いた。
「ご交際を申し込まれた時の穏便な断り方をお聞きになられましたので、そちらを」
「はい?」
明るい光の中で見ても、美しい女というのは美しいのだなとアネットは思う。
今日もジェルヴェーズはぴたりとしたドレスを着ているのだが、どこか夜そのものを纏っているような雰囲気があった。彼女の周りだけ、ひどく蠱惑的に見えてしまう。
何せアネットはシャルルが言うところの『馬鹿で跳ねっ返りの野良猫』であるので、膝枕以上のことが分からない。誘惑は以前手痛く失敗している。正直手詰まりである。
なので、ここは専門の方に手ほどきして頂こうと思ったのである。ロイクに頼んだらすぐにジェルヴェーズを呼び寄せてくれた。彼は二人分の紅茶を淹れたあと、そっと下がっていった。
「あの、その、えっと」
会うのはどうしてだか、ものすごく癪ではあったのだけれど。
「はい、何でもお聞きくださいませ」
そんなふうに言われると、考えていたことが全部吹き飛んでしまった。
「旦那様とジェルヴェーズさんは、ど、どのようなご関係で」
そんなもの、聞かなくても分かっていただろうに。我ながらわざわざ傷口を抉るようなことを、どうして聞いてしまったのか。
「ご関係と言われましても……」
微笑みの形を崩さないまま、嘲りにも似た苦笑の色が宿る。これがシャルル相手なら、「馬鹿が」と一蹴されているところである。また、やってしまった。
「アネット様もご存知かと思いますが、わたくしは娼婦にございます」
ジェルヴェーズの言葉にアネットは頷いて、そのまま顔を伏せた。
「通常、この身でお客様を癒して差し上げるのがわたくしの仕事ではございますが、あの方にお売りしているのは他の方とは違うものです」
俯いていたら、やわらかな声が掛けられた。
「ちがう、もの?」
「はい」
目が合うと、にこりと艶然に彼女は微笑む。
「わたくしがお売りしているのは、“情報”です」
長い足を組み替えて、その上でジェルヴェーズは頬杖をつく。
「殿方というのは、体を許した女には思いの外口が軽いものです。お屋敷での愚痴やらお仕事のご不満やら、色々とお話になります。その大半は些末事ですが、時折重要なことを口になさることも、なくはございません」
その情報一つ一つが、シャルルの商売の糸口になるのだという。
「じゃあ、旦那様はそれをメモして聞いているだけなんですか?」
「紙に書いたことは、後から見つかれば事に成ります。それにカヴェニャック様は、一度聞いたことはお忘れにはならないのだそうです。ただ座って相槌を打たれるだけですわ」
物覚えのいい人なのだとは感じる。
王室の歴史も貴族としての知識も、いつも彼はすらすらと流れるように話す。
全ては彼の頭の中に仕舞い込まれて、ただ芽を出す日を待っている。まさしく悪魔の知恵だなとアネットは思わずにはいられなかった。
「ですから、そんな顔をなさらないで。カヴェニャック様はわたくしに指一本、触れたことはございませんわ」
わたしは一体、どんな顔をしていたのだろう。
「本当に、それだけなんですか?」
ジェルヴェーズはシャルルのことをよく知っているような口ぶりである。きっと昨日今日の付き合いではないのだろう。これほどの美女とそれだけの時間をともにして、本当に何も起こらないものなのだろうか。
「そうですね。強いて言えば、もう一つ」
「なん、ですか」
アネットは意を決して聞いた。
「ご交際を申し込まれた時の穏便な断り方をお聞きになられましたので、そちらを」
「はい?」
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