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1.愛の告白
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「さあ、まずは五十万クレールからです」
歌い上げるがごとく高らかに、司会は宣言する。眩いばかりの照明が肌に落ちて、じりじりと焼かれるようだった。そのくせ、こちらを見つめる目はどれもこれも侮蔑に満ちていて、冷や汗が背中を伝っていくのが分かる。これから先に起きることを想像すれば致し方なかった。
顔を伏せれば、手足に付けられた手錠がいやでも目に入る。身じろぎすると、それらはじゃらりと重い音を立てた。
これは、この国最大の闇競売。表の社会では到底取り扱うことを許されていないものが、平然と売買される。
盗品、麻薬、武器。
「なかなか出回らない若い女の奴隷ですよ。いかがですか?」
そして最後に出されるのが、人だ。
そう、わたしは商品で、売りに出されている。
「五百万クレール」
落ち着いた低い声に喧騒が静まっていく。
すり鉢に似た形のこの会場の階段を、一人の男が悠然と降りてくる。なんてことないただの階段が、まるで天から伸びた梯子のように見える。かつんかつんと、質のいい靴の立てる音がして、それさえも祝福の鐘の音のように響いた。
再び、場がざわめき始める。たかが奴隷一人に五百万クレール。己の価値を測る手段など知り得ないが、どう考えても高すぎるということは理解できた。
「聞こえなかったのか?」
男の声に、司会ははっとする。
「五百万クレール! 五百万クレールが出ました!! 他の方はいらっしゃいませんか!?」
辺りを見回しても、もう、他に入札するものはない。
「決まりだな」
座り込む女の前に立つと、男はその紫水晶のような瞳をそっと細めた。
見定めるように、見極めるように。
すらりとした長身を包むのは、豪奢な刺繍の施された貴族の盛装。帽子の下は赤みがかった金色で、照明の光を受けてきらきらと輝いた。
「名前は?」
長い睫毛が、陶器がごとくするりとした頬に優美な影を落とす。こんなきれいな男の人がこの世にいるのかと、彼女はただただ見惚れていた。
「おい、舌を抜いてあるのか? 何も返事をしないんだが」
「そ、そんなことはないです! 体はどこも傷つけておりません! 本当です」
「ならいいが」
黒い手袋をはめた手が、顎に伸びてくる。強制的に彼と見つめ合わされた。
「言葉が分からないのか?」
「へっ」
そこでやっと、我に返った。
男の問いに、女奴隷はぶんぶんと首を横に振る。傷んだ赤色の髪がふわふわと、視界の片隅で揺れた。
「ほう」
にやりと、口角を上げて満足気に彼は笑う。立っているだけでも美しいその顔は、微笑むと眩しすぎるほどだ。顎を掴むこの手がなかったら、きっと俯いていたと思う。
「もう一度聞く。お前の名前は?」
自信に満ちた声は、無言を貫くことを許さない。ただ、望んだ返答のみを引き出す。
「アネット」
弾かれたように、彼女は答えていた。
「アネットですっ」
「そう、ではアネット」
長身を屈めて、男は顔を近づけてくる。
途端に全ての音が消えた。
他の多くの競売の参加者も司会の男も、見えなくなる。まるでこの今、世界中に彼しかいないようだった。
時が止まったかのように、見つめ合った。
「お前の全て、この私がもらい受ける」
心臓が、どくん、と一つ大きく高鳴った。
ただ、奴隷として買われただけなのに。
その言葉はまるで愛の告白のように、アネットには聞こえたのだった。
歌い上げるがごとく高らかに、司会は宣言する。眩いばかりの照明が肌に落ちて、じりじりと焼かれるようだった。そのくせ、こちらを見つめる目はどれもこれも侮蔑に満ちていて、冷や汗が背中を伝っていくのが分かる。これから先に起きることを想像すれば致し方なかった。
顔を伏せれば、手足に付けられた手錠がいやでも目に入る。身じろぎすると、それらはじゃらりと重い音を立てた。
これは、この国最大の闇競売。表の社会では到底取り扱うことを許されていないものが、平然と売買される。
盗品、麻薬、武器。
「なかなか出回らない若い女の奴隷ですよ。いかがですか?」
そして最後に出されるのが、人だ。
そう、わたしは商品で、売りに出されている。
「五百万クレール」
落ち着いた低い声に喧騒が静まっていく。
すり鉢に似た形のこの会場の階段を、一人の男が悠然と降りてくる。なんてことないただの階段が、まるで天から伸びた梯子のように見える。かつんかつんと、質のいい靴の立てる音がして、それさえも祝福の鐘の音のように響いた。
再び、場がざわめき始める。たかが奴隷一人に五百万クレール。己の価値を測る手段など知り得ないが、どう考えても高すぎるということは理解できた。
「聞こえなかったのか?」
男の声に、司会ははっとする。
「五百万クレール! 五百万クレールが出ました!! 他の方はいらっしゃいませんか!?」
辺りを見回しても、もう、他に入札するものはない。
「決まりだな」
座り込む女の前に立つと、男はその紫水晶のような瞳をそっと細めた。
見定めるように、見極めるように。
すらりとした長身を包むのは、豪奢な刺繍の施された貴族の盛装。帽子の下は赤みがかった金色で、照明の光を受けてきらきらと輝いた。
「名前は?」
長い睫毛が、陶器がごとくするりとした頬に優美な影を落とす。こんなきれいな男の人がこの世にいるのかと、彼女はただただ見惚れていた。
「おい、舌を抜いてあるのか? 何も返事をしないんだが」
「そ、そんなことはないです! 体はどこも傷つけておりません! 本当です」
「ならいいが」
黒い手袋をはめた手が、顎に伸びてくる。強制的に彼と見つめ合わされた。
「言葉が分からないのか?」
「へっ」
そこでやっと、我に返った。
男の問いに、女奴隷はぶんぶんと首を横に振る。傷んだ赤色の髪がふわふわと、視界の片隅で揺れた。
「ほう」
にやりと、口角を上げて満足気に彼は笑う。立っているだけでも美しいその顔は、微笑むと眩しすぎるほどだ。顎を掴むこの手がなかったら、きっと俯いていたと思う。
「もう一度聞く。お前の名前は?」
自信に満ちた声は、無言を貫くことを許さない。ただ、望んだ返答のみを引き出す。
「アネット」
弾かれたように、彼女は答えていた。
「アネットですっ」
「そう、ではアネット」
長身を屈めて、男は顔を近づけてくる。
途端に全ての音が消えた。
他の多くの競売の参加者も司会の男も、見えなくなる。まるでこの今、世界中に彼しかいないようだった。
時が止まったかのように、見つめ合った。
「お前の全て、この私がもらい受ける」
心臓が、どくん、と一つ大きく高鳴った。
ただ、奴隷として買われただけなのに。
その言葉はまるで愛の告白のように、アネットには聞こえたのだった。
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