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第一章

第33話:石鎚山法起坊

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「これは、石鎚山法起坊様、どうなされたのですか?」

 優子は本気で驚いていた。
 それもそうだろう、四国の石鎚山にいるはずの法起坊が来たのだ。
 何事かと驚くのは当然だ。

「なあに、優子の世話になっている前鬼の事が気になってな。
 大人しく優子の言う事を聞いているか?」

 なぜ石鎚山法起坊が優子の最強式神の一角、前鬼の事を気にするのか?
 それは前鬼が石鎚山法起坊の式神だったからだ。
 石鎚山法起坊こそが、有名な役小角なのだ。

「はい、よく仕えてくれています」

 役小角の式神だった夫婦鬼、前鬼と後鬼は、役小角に命じられた事もあり、前鬼が大天狗大峰山前鬼坊となって修験道の聖地を護っていた。

 天狗族の中でも飛び抜けて強力な神通力を持つ者を大天狗と呼ぶ。
 その四十八の大天狗の中でも別格の神通力を持つのが八天狗だ。
 前鬼こと大峰山前鬼坊はその八天狗に数えられているのだ。

「よく仕えてくれているか、それならよいのじゃが、やり過ぎてはいないか?」

 石鎚山法起坊こと役小角の言葉は意味深長だった。
 やり過ぎというのが大峰山前鬼坊の事を言っているのか?
 それとも優子の事を言っているのか?

「いえ、前鬼はよく仕えてくれています。
 やり過ぎがあったとしたのなら、それは私の責任です。
 罰を与えるのなら私にお与えください」

 優子は素直に謝った。
 実際全ての責任は優子のあるのだ。

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。
 そんなに思いつめる事はない。
 やり過ぎが全くなかったとは言わぬが、それも体の不自由な者のためだ。
 これ以上世を騒がせなければよい」

 役小角にそう言われれば、もうこれ以上陰陽術を使うわけにはいかなかった。
 役小角の天狗名、石鎚山法起坊は人の世ではそれほど評価されていない。
 天狗最強の八天狗には入れられていない。

 だが実際には、八天狗最強と言われている愛宕山太郎坊よりも強いのだ。
 何と言っても、夫だけで八天狗に数えられる前鬼を、妻の後鬼と纏めて捕縛した実績があるのだ。
 
 殺してしまうよりも生きて捕らえる方がどれほど難しい事か!
 まして夫婦で連携する鬼を生きて捕縛するなど、よほど力に差が無ければ不可能な事なのだ!

 そんな強大な役小角に釘を刺されて逆らえるわけがない。
 逆らえるわけがないのだが、優子は激しく考えていた。
 あいの神託は止めるとして、どこまで許されるのかと。

「御神託は、もう止めた方がいいでしょうか?」

 優子は単刀直入に聞いてみた。

「やり過ぎて、人が神託に頼り過ぎるのがよくない。
 適当に外して、信じない者が現れるくらいがよい。
 神々の寵愛を得ていた者が、齢を経て寵愛を失う事はよくある」

「あいの名声を落とせと言われるのですか?」

「式神の力で手に入れた名声だからな。
 もう優子の目的は達せられたのではないか?
 式神の助けを全てなくせと言っているわけではない。
 人々の成長を損なうような式神の使い方を止めて欲しいだけだよ」

「体の不自由を補うような使い方ならいいのですね?」

「ああ、その程度なら構わないよ」

「ですが、未だに体の不自由な者を蔑み傷つける者がいます。
 そのような者を野放しにして、好き勝手させろと申されるのですか」

 役小角の言う事は聞かなければならない。
 優子もそれは分かっているのだが、馬鹿殿の放った刺客があいを襲おうとしている今、つい言い返してしまったのだ。

「そうだな、あのような者を放置しておくわけにはいかないな。
 力がないのなら兎も角、力があるのに黙ってやられろとは言えぬ。
 だが、神託を使わぬやり方はできるであろう?」

 役小角は全てお見通しだった。
 全て理解したうえで、もっと世の中に配慮して上手くやれと言うのだ。

「神託を使わずに、どのように後始末をしろと言われるのですか?」

「人々がお伊勢様を頼るのではなく、恐れるやり方が好いだろうな。
 神託だと、人は自分で考えるのを止めて頼ってしまう。
 だが神隠しなら、何が悪かったのかを考え、自ら行いを正すだろう」

「神隠し、天狗隠しをしてくださるのですか?」

「そこにいる酒吞童子に喰わせたり、山中に埋めたりするよりは余程いい」

 やはり役小角は優子の危険な考えを見抜いていたのだ。
 優子が酒吞童子に命じて人を直接害する事のないように、わざわざ四国からやってきてくれたのだ。

「では、石鎚山法起坊様があいつらを常世に連れて行ってくださるのですか?」

「そうしてやってもよいが、優子には前鬼と後鬼がいる。
 どちらも人を常世に連れて行くくらいは簡単にできる」

「分かりました。
 今直ぐ前鬼に連中を常世に連れて行ってもらいます」

 優子はそう言って前鬼に役目を与えた。
 前鬼は今の主人と昔の主人のやり取りを、やきもきしながら聞いていた。
 
 前鬼は、力差からも恩義からも役小角の言う事を聞かなければいけない。
 だが役小角に教わった三綱五常に照らせば、優子が間違っている訳でもない。
 気持ち的には優子の肩を持ちたかったのだ。

 前鬼は何とか2人の間で話が纏まった事を心から安堵していた。
 新たな問題が起こる前に急いで目の前の問題を片づけることにした。

 急いで古市遊郭に向かった前鬼は、馬鹿殿が放った刺客を全員捕らえた。
 誰が見ていようと関係なかった。
 そもそも見鬼の才能がない者に前鬼を見る事などできない。

 剣を抜いて周囲を脅かしながら、急いで外宮に向かっていた連中が忽然と消える。
 そんな現場を見た人々は腰を抜かすくらい驚いた。

 刺客達が古市遊郭から外宮の方に向かっていた事もあり、見ていた人々は例外なく天罰が下ったのだと話しだした。

 古市遊郭で働く者はもちろん、精進落としに来ていた客も、外宮にはお伊勢様の寵愛を受けた者がいて、何かあれば恐ろしい神罰が下る事を見聞きしていたのだ。

 だがこれで全てが終わったわけではない。
 元凶である馬鹿殿と悪臣が残っている。
 まあ、2人を前鬼が見逃すはずがない。

 前鬼は後で役小角と優子が争う事のないように、ここで禍根を断つ気だった。
 その思い通り、きれいさっぱり問題の元凶を取り去った。

 馬鹿殿と悪臣だけでなく、某藩の藩士全員を消し去った。
 上意討ちにいかせられた下級藩士だけでなく、古市遊郭の備前屋に残る上級藩士もきれいさっぱり現世から消し去った。

 役小角に叱られないように、殺したわけではない。
 常世に放り捨ててきただけだ。

 優子と役小角を煩わせるような者が、向こうでどのような目に会おうと、前鬼の知った事ではなかった。
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