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第一章

第11話:新生活

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帝国歴222年6月7日:帝国シルベストリ伯爵領の港町ポートサイド

「シモーネ卿、お茶でございます」

 並みの侍女としてなら何の問題もない作法で、ミアがお茶の準備をする。
 シモーネは、うれしそうに微笑みながら準備が整うのを待っている。

 シモーネがジョルダーノ商会のベニートに約束した伯爵領の領民籍。
 それはシルベストリ伯爵領の事だった。

 グレリア帝国でも1・2を争う天然の良港ポートサイド。
 ここがシルベストリ伯爵領の領都であり、居城がある場所でもある。

 朝日が当たって光り輝く姿が余りにも美しいので、デウアウ・ウベン城と呼ばれている。

 シルベストリ伯爵の嫡男であるヴァルフレードが、皇太子シモーネの側近の中でも特に信頼されている有力者だから、ベニートに領民籍を与える事になった。

 シモーネがその気になれば、ミアをグレリア帝国の居城で働かせる事はできる。
 だが、そんな事をすれば、まず間違いなく些細な事を突かれて、ミアは厳罰に処される事になる。

 皇城の中には皇太子の足を引っ張るためなら何でもやる連中がウヨウヨいるのだ。
 そんな魔窟の中にミアを放り込むわけにはいかなかった。

 だからシモーネは、ガチガチの皇太子派で皇室派でもあるシルベストリ伯爵を頼り、しかもデウアウ・ウベン城ではなく別邸にミアを匿った。

 デウアウ・ウベン城は政治を行う場であり外交を行う場でもある。
 そのため、どうしても信頼できない者も出入りしてしまう。
 敵が正使を送ってきたら、どれほど危険でも受け入れるしかないのだ。

 だが別邸は私的な場所だ。
 公的な使者はもちろん私的な人間も立ち入りを拒む事ができる。

 家臣や使用人も個人の好悪で選ぶことが許される。
 だからこそミアを侍女見習いとして雇えるし、忠義の腕利きだけで固められる。
 別邸で皇城の侍女として働ける程度の行儀作法を教えるのだ。

 ミアは公爵令嬢ではなく某男爵家の庶子という設定にしてあった。
 その男爵家の嫡男もシモーネの側近だから問題はない。

 男爵が平民に子供を産ませたのに気づかず、18歳に成ってから急いで行儀を学ばせているという、某男爵にはとても不名誉な設定になっている。

 だがこの設定を知っているのは別邸に務めている者だけだし、男爵の家名も伏せられていて、使用人達は某男爵としかしらない。

 男爵令嬢にされたミアを教育するのは、シルベストリ伯爵の傍流でも末端に位置する陪臣騎士家の令嬢だった。

 その士族令嬢は側室から生まれた四女で、普通は同じ騎士家に嫁ぐのは難しい。
 同じ士族でも騎乗を許されない徒士家か、下手をすれは平民に降嫁させられる。

 それを嫌った四女は、父親に頼み込んで宗家の侍女として働かせてもらった。
 そこで騎士家の子息に見初められる幸運を期待したのだ。
 いや、骨身を惜しまない仕事をして自分を宗家に売り込もうとしたのだ。

 日々の努力が認められて信用を得た四女は、見事別邸で働けるようになった。
 それも、庶子とは言え男爵家の令嬢の教育係を勝ち取った。
 四女が張り切って、ミアに自分が身に付けた全てを教えるのは当然だった。

 ミアは乾いた大地が水を吸い込むように教えられた事全て覚えた。
 いや、教えられていない事も、教育係や他の侍女や侍従の言動を見て覚えた。

 元々地頭が良かったのだろう。
 これまで教えてもらえなかった事を教えてもらえる喜びもあっただろう。

 だがこれまでと1番違うのは、十分な睡眠と栄養満点の食事だった。
 これまでは仕事量が多過ぎてろくに眠れない状態だった。
 栄養失調で意識が朦朧としている状態で仕事を覚えなければいけなかった。

 それが今は、よい仕事をするには十分な睡眠と食事が必要だと知っている主人の下で働いている。

 厳格な作法を守った状態で多くの仕事をしなければいけないが、その程度の事はこれまでの環境と比べれば些細な事だった。

「うん、よく覚えたね。
 ただお茶を出すだけなら合格だよ」

「ありがとうございます、シモーネ卿」

 ミアが満面の笑みを浮かべている。
 その笑顔は周りまで幸せにするとても素敵なものだった。

 笑顔であろうと、感情を浮かべるのは侍女としては問題があった。
 だがそれは余所行きの場合だ。

 今回のシモーネは、ミアをシルベストリ伯爵に紹介した者としてきているので、ギリギリセーフと後ろに控えている教育係は思った。

「君もよく困難な仕事をしてくれたね。
 このまま引き続きミアの教育を任せるよ」

「お褒めに預かり恐縮ではございます、シモーネ卿」

 教育係は内心の歓喜を必死で抑えていた。
 シモーネ卿の正確な出自は教えてもらえていないが、恐らく子爵家以上の子息に直接褒められているのだ。

 努力家で向上心があり、できれば同格以上の家に嫁ぎたいと思っている教育係には、とてもうれしい事だった。

 これまでの努力が認められたからこそ、伯爵家の別邸に務められている。
 上手くすれば主君から結婚相手を紹介してもらえるかもしれない。

 それに加えて、シモーネ卿からも結婚相手紹介してもらえるかもしれないのだ。
 いや、シモーネ卿の一夜の相手を命じられるかもしれないのだ。
 貴族の愛妾になる事ができれば、陪臣騎士家の四女なら大出世だ。

「君はこのままシルベストリ伯爵に仕えても侍女として出世できるだろう。
 結婚を望むのなら、シルベストリ伯爵がそれなりの相手を紹介してくれるだろう。
 ただ、君が侍女としての出世を望むのなら、僕とヴァルフレードが皇城で働けるように紹介状を書いてあげよう」

「……ありがたき幸せでございます。
 ただ、急な話しで心が乱れて何も考えられません。
 よく考えさせていただきたいのです」

「ああ、当然だね。
 騎士家の娘の多くは、普通の結婚で幸せになる事を望む。
 侍女としての出世を望むのは、普通の結婚が望めない不幸な立場の娘だ。
 正直に言えば、ミアも色々と事情がある男爵令嬢なのだ。
 そこで侍女として皇城に送ろうと思うのだが、そのためには男爵令嬢としてのマナーも教えなければいけない」

「それと私が皇城で侍女になる事がどう関係するのでしょうか?」

「ミア1人を魑魅魍魎が渦巻く皇城にやるのは心配だから、心利いた者も一緒に行かせたいのだが、君がその候補になったという話だ。
 困難な仕事を押し付けるだけでは、上に立つ者として問題がある。
 見返りとして、君にも男爵令嬢のマナーを教えてあげようと思ってね。
 男爵家の養女として皇城に上がれば、君も皇城の侍女に成れるからね」

 教育係はシモーネ卿の言った言葉に天にも昇る思いだった。
 皇城で働く女性には、大別して3つの階級がある。

 大昔は上級侍女、中級侍女、下級侍女と呼ばれていた者達だ。
 上級侍女は男爵家以上、中級侍女は士族、下級侍女は平民だった。

 それが階級の区別が厳しくなり、平民落ちしなければいけない士族や下級貴族の娘が増えた事で、救済策として侍女の平民枠が士族に割り当てられたのだ。

 だから皇城で働く士族籍の娘は下級侍女、下女となる。
 下女として皇城で働けるだけでも士族令嬢には大出世なのに、男爵家の養女になって中級侍女として働けるなら、下級貴族家への嫁入りもありえるのだ。

「ありがたくお受けさせていただきます」
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