徳川慶勝、黒船を討つ

克全

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第1章

47話

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 一八五一年、長崎出島の蘭国商館長が、別段風説書でアメリカが幕府に開国を要求して来ると伝えてきた。
 これは徳川慶恕が蘭国に強く情報を要求していたからだ。
 徳川慶恕はこれまでも蘭国商館長を厳しく叱責していた。
 尾張家が清国内の張り巡らせ集めた情報の方が、蘭国商館長のもたらす情報よりも早い事が度々あったからだ。

 徳川慶恕が、出島の出入りを蘭国から英国か仏国に変えると脅した事で、蘭国商館長は情報の収集と報告に力を入れていた。
 一八四六年に、米国が浦賀に七四門戦列艦コロンバス号と一八門スループ艦ビンセンス号を派遣したことは、幕府と徳川慶恕に衝撃を与えていた。
 一八四九年には、米国はプレブル号を派遣して、蝦夷地沖で難破したアメリカ捕鯨船の船員十八人を解放する強引な交渉を行っていた。

 最初弱気だった長崎奉行だったが、プレブル号の艦長ジェームス・グリンの強引な交渉に怒りを覚えた徳川慶恕が、急ぎ将軍に願い出て有望と見込んでいた旗本を大目付に抜擢してもらい、自分の側近の一人を英語通詞に任命してつける事で、プレブル号の艦長ジェームス・グリンの無礼と、アメリカ捕鯨船の船員十八人の犯罪行為を痛烈に批判した。

 同時にアメリカ捕鯨船の船員十八人が、自分達に有利になるようの、ジェームス・グリン艦長に嘘の報告をしている事を証明するために、幕府側の記録書を提出したが、ジェームス艦長側に日本に記録書を読める者がいない不手際だった。

 それをまた痛烈に批判した上で、米国東アジア艦隊司令官と大統領に対して、侵略戦争を仕掛けるのなら、正々堂々と開戦の親書を持参しろと届けさせた。
 ジェームス艦長が不手際を隠蔽しないように、同じ内容の親書を蘭国国王からも届けてもらうと脅迫していた。

 それもしかたがない事だった。
 正式な艦長はフリゲート艦以上で、スループ艦は海尉艦長と呼ばれていたのだ。
 そしてジェームス・グリンの正式な階級は、中佐でしかなく、大佐ではないのだ。
 中佐でしかないジェームス艦長では、与えられている権限も配下も限られている。
 日本語を読み書きできるような配下はおらず、徳川慶恕が英語通詞を派遣しなければ、日本語と蘭語と英語の三語で間接会話しなければいけなかった。

 その後、ジェームス艦長は長崎での交渉を参考に、本国政府に日本を外交交渉によって開国させるためには、最初に武力で強く交渉する事で、初めて日本は本気で交渉してくれると建白書を提出していた。

 その情報を得ていた蘭国は、アメリカ議会と大統領に情報網を張り巡らせ、大統領フィルモアが日本を開国させて通商関係を結ぼうとしていると察し、出島の商館長を通じて幕府に知らせてきたのだ。
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