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第一章
第1話
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そういえば、たしかあれは初雪の降る日だった。
俺の記憶はあいまいだが、白いきれいなものが、恐ろしい色をした雲間から降ってくる神秘さを覚えている。
あんなに美しいものが、気分が沈むような色をした雲間から降りてくるのが不思議だ。
小さい時から、雪が降るといつもそれをじっと見つめてしまう癖がある。寒いのは嫌いなのに、雪が降っているのを見るのは嫌いじゃなかった。
あの時の雪空の残骸は、現在の空のどこにも見当たらない。
まっすぐに晴れた青と、暖かい陽射し。
有り余るような時間の余韻を感じる。
俺は、机に突っ伏したまま身動き一つしない茅野の髪に触れた。雪の日よりも少し伸びただろうか。
記憶があいまいだけど、雪を積もらせた彼女の髪の感触を、なんとなく指先が覚えているような気がする。
茅野の髪は少し硬い。
机に突っ伏してもなお背中にかかる長さの髪を、俺は一房手にとって光に透かす。細い毛先が光を透かして金色に光った。
空中で茅野の毛を指から離すと、音も立てずにはらりと背中に戻る。俺はさっきからこれを何回も繰り返していた。
特に意味はない。
茅野の髪の毛が好きなわけでもない。ただ単に暇を持て余しているだけだ。
教室の窓から吹き込む風は、緑を含んで蒼く薫る。
それを鼻先で感じ取りながら、俺はまた茅野の髪の毛をいじり始めた。飽きたから、三つ編みでもしてやろうか。
多少悪意のこもった指先で毛の束を三つに分け、それを交互に編みこんでいくが、上手くできない。
やはり、器用なことは向いていないらしい。
どうにかこうにか毛の先まで編みこんでみたものの、それはとうてい三つ編みと呼べる代物ではなかった。
残念ながら、ラクダの尻尾が砂嵐で吹き飛ばされて絡まりあったような、不思議なものが出来上がっていた。
茅野はちっとも起きない。なので俺はずっと茅野の横にいた。
何回揺り動かそうとしたことか……。しかし、彼女の寝顔を見ると、どうしても寸前で手が止まってしまう。
六月のまだまだ春めいた風に、優しすぎるオレンジの光が窓から差し込んでいる。それを身体いっぱいに受けて、茅野はぐっすりと眠っていた。
時刻は午後。
空気はまだ暖かいが、風が少しだけ冷気を帯びてきた。
「起きろよ、茅野」
俺は熟睡している彼女の顔を覗き込んだ。
白い肌に、長いまつげの影がくっきりと浮かび上がっている。
彼女の寝姿は、どうやっても高校生に見えない。がんばっても中学生、小学校高学年がやっと。小さくてくりくりしていて、なんだかリスみたいだ。
見ているとつい意地悪したい気持ちになる。眠そうな目をこする姿は、頭をぐしゃぐしゃになるまで撫で回したくなる。
そんなことをしたら、茅野はきっと俺のことを嫌うだろう。
俺は茅野のほっぺたをむにっと摘んだ。よく伸びた。
「それにしても、寝すぎじゃない?」
雪の日以来、俺と茅野は急激に仲良くなった。
「茅野も人のこと言えないよな」
俺は大きなため息を吐いた。
部活がない日のホームルームのあと、俺はついつい机に突っ伏して寝てしまうことがある。睡眠はいっぱいとっているはずなんだけど、おそらく成長期のせいだ。
俺の寝覚めが悪いのはみんな承知しているし、教師にも知れ渡っているので誰も注意してこない。
寝るなと言っても無駄だと、見捨てられているのかもしれないが。
ところが雪の日に一緒に下校して以来、生物研究部とかいう部活を終えた茅野が教室にかばんを取りに来る際、起こしてくれるようになった。
彼女が律儀に起こしに来てくれたら、一緒に帰るのが習慣化している。だから、たいがい寝ているのは俺のほうだ。
それなのに今日は茅野がこの状態だった。
「さて、どうしようか」
茅野が寝ているという、逆のシチュエーションは初めてだ。
俺はそっと茅野の顔を覗き込んだ。小さな寝息がかすかに聞こえる。思わず、ちいさな鼻をつまんでみた。
「う……っ」
茅野は苦しそうに眉根を寄せ、しばらく鼻をどもどもさせる。
その姿にニヤニヤしていると、俺の手をめがけて茅野の手がすっ飛んできた。
「痛っ!」
茅野はがばっと起き上がる。痛みに目を白黒させている俺には気づかず、寝ぼけて目をこすっていた。
「あれ? 成神くん、なにしてるの?」
「あのなぁ……」
俺はがくりと力が抜けた。
「……もういいや。とりあえず帰ろう」
茅野は「?」という顔をしたが、俺は先に教室を出た。廊下で待っていると、あわてたような足音が近づいてきて、茅野が俺の背中にタックルしてくる。
「うわっ!」
「すきあり!」
よろめいたがどうにか俺は踏ん張った。
茅野は満足そうに一人でうなずきながら、俺の少し前を歩き始める。体勢を整えるなり、俺は茅野の頭に手を置いた。
「茅野……このやろう。縮め!」
俺の記憶はあいまいだが、白いきれいなものが、恐ろしい色をした雲間から降ってくる神秘さを覚えている。
あんなに美しいものが、気分が沈むような色をした雲間から降りてくるのが不思議だ。
小さい時から、雪が降るといつもそれをじっと見つめてしまう癖がある。寒いのは嫌いなのに、雪が降っているのを見るのは嫌いじゃなかった。
あの時の雪空の残骸は、現在の空のどこにも見当たらない。
まっすぐに晴れた青と、暖かい陽射し。
有り余るような時間の余韻を感じる。
俺は、机に突っ伏したまま身動き一つしない茅野の髪に触れた。雪の日よりも少し伸びただろうか。
記憶があいまいだけど、雪を積もらせた彼女の髪の感触を、なんとなく指先が覚えているような気がする。
茅野の髪は少し硬い。
机に突っ伏してもなお背中にかかる長さの髪を、俺は一房手にとって光に透かす。細い毛先が光を透かして金色に光った。
空中で茅野の毛を指から離すと、音も立てずにはらりと背中に戻る。俺はさっきからこれを何回も繰り返していた。
特に意味はない。
茅野の髪の毛が好きなわけでもない。ただ単に暇を持て余しているだけだ。
教室の窓から吹き込む風は、緑を含んで蒼く薫る。
それを鼻先で感じ取りながら、俺はまた茅野の髪の毛をいじり始めた。飽きたから、三つ編みでもしてやろうか。
多少悪意のこもった指先で毛の束を三つに分け、それを交互に編みこんでいくが、上手くできない。
やはり、器用なことは向いていないらしい。
どうにかこうにか毛の先まで編みこんでみたものの、それはとうてい三つ編みと呼べる代物ではなかった。
残念ながら、ラクダの尻尾が砂嵐で吹き飛ばされて絡まりあったような、不思議なものが出来上がっていた。
茅野はちっとも起きない。なので俺はずっと茅野の横にいた。
何回揺り動かそうとしたことか……。しかし、彼女の寝顔を見ると、どうしても寸前で手が止まってしまう。
六月のまだまだ春めいた風に、優しすぎるオレンジの光が窓から差し込んでいる。それを身体いっぱいに受けて、茅野はぐっすりと眠っていた。
時刻は午後。
空気はまだ暖かいが、風が少しだけ冷気を帯びてきた。
「起きろよ、茅野」
俺は熟睡している彼女の顔を覗き込んだ。
白い肌に、長いまつげの影がくっきりと浮かび上がっている。
彼女の寝姿は、どうやっても高校生に見えない。がんばっても中学生、小学校高学年がやっと。小さくてくりくりしていて、なんだかリスみたいだ。
見ているとつい意地悪したい気持ちになる。眠そうな目をこする姿は、頭をぐしゃぐしゃになるまで撫で回したくなる。
そんなことをしたら、茅野はきっと俺のことを嫌うだろう。
俺は茅野のほっぺたをむにっと摘んだ。よく伸びた。
「それにしても、寝すぎじゃない?」
雪の日以来、俺と茅野は急激に仲良くなった。
「茅野も人のこと言えないよな」
俺は大きなため息を吐いた。
部活がない日のホームルームのあと、俺はついつい机に突っ伏して寝てしまうことがある。睡眠はいっぱいとっているはずなんだけど、おそらく成長期のせいだ。
俺の寝覚めが悪いのはみんな承知しているし、教師にも知れ渡っているので誰も注意してこない。
寝るなと言っても無駄だと、見捨てられているのかもしれないが。
ところが雪の日に一緒に下校して以来、生物研究部とかいう部活を終えた茅野が教室にかばんを取りに来る際、起こしてくれるようになった。
彼女が律儀に起こしに来てくれたら、一緒に帰るのが習慣化している。だから、たいがい寝ているのは俺のほうだ。
それなのに今日は茅野がこの状態だった。
「さて、どうしようか」
茅野が寝ているという、逆のシチュエーションは初めてだ。
俺はそっと茅野の顔を覗き込んだ。小さな寝息がかすかに聞こえる。思わず、ちいさな鼻をつまんでみた。
「う……っ」
茅野は苦しそうに眉根を寄せ、しばらく鼻をどもどもさせる。
その姿にニヤニヤしていると、俺の手をめがけて茅野の手がすっ飛んできた。
「痛っ!」
茅野はがばっと起き上がる。痛みに目を白黒させている俺には気づかず、寝ぼけて目をこすっていた。
「あれ? 成神くん、なにしてるの?」
「あのなぁ……」
俺はがくりと力が抜けた。
「……もういいや。とりあえず帰ろう」
茅野は「?」という顔をしたが、俺は先に教室を出た。廊下で待っていると、あわてたような足音が近づいてきて、茅野が俺の背中にタックルしてくる。
「うわっ!」
「すきあり!」
よろめいたがどうにか俺は踏ん張った。
茅野は満足そうに一人でうなずきながら、俺の少し前を歩き始める。体勢を整えるなり、俺は茅野の頭に手を置いた。
「茅野……このやろう。縮め!」
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