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第四章  戦いの始まり

第42話

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 楊梅の部屋の一つに運び込まれた燕青は、身体を清められ温かい食事を口にした瞬間、みるみる復活した。
 死人のような顔をしていたのに、しばらくすると思い出したように起き上がって食事をがつがつ食べ始めたのだ。

「……ちっ、まさか莉美に助けられるとはな」

 開口一番の莉美に対する言葉がそれなのだから、莉美はあきれかえったと同時にこの様子ならもう心配ないとほっとしたのだ。

「口が悪いぞ燕青。助けてもらっておいて」

 凱泉がやってきて眉をひそめた。どうやら凱泉と燕青は、以前からそりが合わないらしい。

「ふん。貴様に身体を清められたのも最悪だ」

 燕青は凱泉を睨みつけながら悪口を連ね、なおかつ貪るように食事をしているのだから器用だ。

「金輪際、二度と貴様なんか助けないぞ。道端で倒れていても馬で蹴り飛ばしてやる」
「やれるものならやってみろ。その前に馬を逃がして貴様だけ徒歩にしてやる」
「いい加減、やめてくださいってばっ!」

 舌戦を繰り広げ始めた二人を止めたのは莉美だ。楊梅は珍しいものを見た顔のまま椅子に座って、そんな三人を傍観していた。

「ところで燕青様」

 葉物を口に詰め込んでいた燕青は、じろりと莉美を睨んだ。

「楊梅様に状況説明をしてください」
「ふん。それよりも先に言うことがある」

 燕青は椀を置くと姿勢を正した。そして、深々とお辞儀をする。

「――助けていただきありがとうございました」

 燕青のそんな態度を見たのが初めてで莉美は固まったのだが、凱泉でさえも珍しく驚いた顔をしていた。

「俺が頭を下げるなんて、これから先二度とないからな。貴重な姿だから瞼に焼き付けておけよ」

 最後は照れ隠しなのかなんなのか、やっぱり一言多かった。

「燕青、食べながらでかまわないから、話を聞かせてくれ」

 燕青は促してきた楊梅をちらっと見てから、ごくんと物を飲み込んだ。

「内通者に痛めつけられた挙句、閉じ込められた。皇太后軍はもうすぐそこだ」

 汁物を口にしてから、燕青は口元をぬぐい、皇太后とやり取りしていた内通者の名前と彼らの手紙の内容を口にする。一言一句たがわずに言っているのか、あまりにも正確に覚えているようだ。

「もしかして、燕青様って、仙星……?」
「ああ、莉美は知らないか。俺は、一度読んだ書物の内容を、すべて覚えられる」

 素直に驚いていると、燕青は続きを話し始めた。

「ずっと動きを探って泳がせていたが、気づかれた。棒でぼこぼこにするなんて、あいつら次会ったらただじゃおかない。でも俺が仙星だとは気づいていなかっただろう」

 そうして今から一週間も前に、燕青はあの場所に封じられてしまったのだ。

「……言っていることは理解した」
「放り込まれた場所が龍穴りゅうけつでなければ、俺は死んでいた」

 地下深くから黄龍国を見守ると言われる黄龍だが、龍の氣が流れてくる場所がある。そこは龍穴と呼ばれ、特別に霊氣が満ちているのだ。

「おかげで俺は龍の氣を十分に浴びることができた。飲まず食わずで生き永らえたんだから、これで俺にも仙の血が色濃く流れていると証明されたようなものだ」

 燕青は、普通の人であればすでに命はなかっただろう過酷な状況に耐えた。それは彼が仙の気質をもって生まれたからに間違いない。
 それに、食べ物を食べ終える頃には、すっかり肌艶も良くなり、紺色の髪と目も生き生きしてきていた。

「それで、皇太后が楽芙を襲撃する理由はなんだ?」
「青龍国との内通だそうだ」

 莫迦な、と呟いたのは凱泉だ。

「あり得ない。黄龍国で唯一、青龍国と友好関係を結んでいるのが楽芙だぞ」
「だから、そこを突いてきたんだろ。友好の下になにかやましい物事を隠しているんだ、と」

 凱泉は納得いかない様子だ。

「そんなことをしたら、青龍国側にも迷惑がかかる。下手すれば、戦火が飛び火しかねんだろう」
「そこまで頭が回っているかわかんねーけど、青龍国も莫迦じゃねぇよ。嫌疑を吹っ掛けられたとしても、冷静に対処くらいできるさ」

 ただ、そうなると皇太后軍が逆上する可能性もある、と燕青は肩をすくめた。

「莫迦は話が通じねぇからな。怒れば力が誇示できると思ってんだから、とんだ迷惑だ」

 今まで黙っていた楊梅が口を開く。

「……楽芙ここを攻め落とし、そして蛮族退治に向かわせていた鄧将軍も、中央に帰ってきたところを捕縛する流れか」

 楊梅はそこまで言ってからため息を吐く。

「愚策極まりないな。それでよく、軍が動いたものだ」
「こちらに向かってきているのは朝廷の軍じゃねぇよ。皇太后の私兵だ。さすがに軍は動かせなかったらしい。だが、今後の流れ次第では……それこそ、鄧将軍を捕らえてしまうようなことがあれば、あの狐婆きつねばばあも朝廷内の軍を動かしてくるだろうな」

 一瞬の沈黙ののち、楽芙のこれからについての話題に戻った。

「本当に攻めてくるとは思っていなかったけどな。莫迦はどこまでいっても莫迦を極めたいらしい。楽芙内の市民は十万六千を超える。今からなら、避難は間に合うはずだ。

 燕青の言に、楊梅が口を開いた。

「城郭内に残しておくことは?」
「良くない。そうなったら全員、強制労働だ。皇太后は現在、自分専用の豪華な社殿と自身の陵墓を建設中で労働者を絶賛大募集中。つまり労役を増やしている」

 楊梅はさすがに眉を寄せた。民を逃がすか、ともに戦ってもらうかならば、城郭から出てもらうのが一番彼らの命が助かる。

「だから念のために早く準備しておけって言ったのに、このぼんくらめ」

 燕青は楊梅に悪態をつくと、紙と筆を取り出して市民の退却にかかる時間を計算し始める。どの門を開けて、どの方角に逃がすのか、どの道順が効率がいいかを演算していた。

「市民には一切手出しはさせない。逃げる準備をさせよう」
「では、兵たちと我らは降伏しますか? 白旗の用意などありませんよ」

 凱泉は思い切り不服そうな顔をする。

「わたしが降伏すれば城郭まちも市民も無傷で済む。ただ、鄧将軍の『楽芙を守れ』という約束は破ることになる。どちらにしても養父ちちもわたしも捕縛されるか」

 そうなると、楊梅が皇太子だったというのが露見するのも時間の問題だ。そして楊梅の正体がわかれば、次こそ皇太后は楊梅の命を必ず刈り取るだろう。

「参った。わたしがひとり街に残って降伏する以外に案が思い浮かばない」
「まさか楊梅様、それを狙っていたわけじゃ……?」

 凱泉に言われて、ちらりと楊梅の視線が動く。

「いけませんよ、単身で宮廷に乗り込もうなどと!」
「おいおい、まさかそんな愚策を考えていて、のろのろしてたって言うんじゃないだろうな、楊梅!」

 凱泉と燕青にそれぞれ怒鳴られて、楊梅は目をつぶった。

「言われると思った。ひとまず、一度考えさせてくれ」

 皇太后軍は北から攻めてくる。南に民を流すよりも、西の申州しんしゅう方面に行かせるのが良いと燕青は判断した。

 しかし、今から西の門を開けると、逃げ行く民たちを敵に見られる。南門を開け、そしてから西に大回りさせる方法がよさそうだと燕青はぶつぶつ呟いている。西に行けば州境に近く、関所を通過して北上すれば大きな城郭まちがある。
 しばらくしてから楽芙内の最善の避難経路を導きだした。

「兵は動かせるようにしておけ、凱泉。衛兵でも、民を誘導するくらいはできるだろ」
「貴様に言われずとも、いつでも動けるし戦える。おまけに精鋭部隊だ」
「ならばその中でも使えない輩を総動員させて、この順路で退避だ。使える奴らはお前が指揮しろ」
「楊梅様……準備に取り掛かっても?」

 凱泉に訊ねられた楊梅は、腕組みしたまま考え込んでいたが口を開けた。

「おそらく皇太后軍は数を多く見せかけてくる。二万と言っていたが、私兵とあらば実質的には多くが太鼓や旗持ちだろう。動ける兵は十分の一以下……つまり、二千人」
「城内の兵は総勢八百です」
「十分だ。騎馬兵に準備をさせておけ」

 楊梅は燕青を見た。

「それで、皇太后軍の総大将は?」
亜吾あごという男だ。普段は皇太后の私兵の統率をとっているだけの無能。ほかにも副将三名、小隊長以下は十人ばかしいる」
「わたしがぼんくらで良かったと思える。わざわざ無能を寄越してきてくれて好都合だ」

 楊梅はにっこり笑った。しかし目が笑っておらず、莉美の背筋が冷える。

「楽芙の者たちの血は、一滴も流させない」

 言うなり、楊梅は全員を部屋から追い出した。
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