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第十四章 山菜天ぷらに希(こいねが)う
第72話
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「ちょっと待って、編集長」
「はい」
「待って、待って……」
押し寄せてきた動揺と感情に、絃は押しつぶされそうになって狼狽える。
心臓の血流の音が、耳の内側から響いてくる。
「編集長が、私を?」
自分ばかりが恋していたのではないのか。
まさか、両想いだったのか。
過去最大規模の緊張が、絃を襲って身体をこわばらせる。すると編集長は大丈夫とでもいうように、絃の手をぎゅっぎゅと軽く握った。
「そうですよ。伝わらなかったら何度でも言います。僕は、絃さんが好きなんです」
「わ、つ、伝わりました……!」
握っていないほうの手で絃は顔を隠した。頬に触れると恐ろしいくらいに熱くなっている。きっと真っ赤に違いない。
編集長は困ったように息を吐いた。
「その反応だと……僕にも、春が訪れたみたいですね。そう思ってもいいでしょうか?」
編集長は意地悪なことに、顔を隠していた絃の手を握って引きはがすと覗き込んでくる。
このままでは心臓が破裂するのではないだろうか。
身を引いてみたのだが、編集長はそれを許さなかった。
「ねぇ、絃さん。これは僕の身勝手な思い込みですか?」
「…………いいえ」
「山菜の天ぷらよりも先に、僕にも春が訪れました。嬉しいな」
絃さん、と呼ばれて、絃は熱燗みたいになった顔を上げる。
「僕と、恋人になっていただけます?」
絃はうなずく。
編集長は絃の両手をぎゅっと握って包み込んだ。
覗き込んでくる編集長の安堵した顔を見て、自分ばっかりが片思いしていたわけではなかったのだとわかる。
知って、感情が溢れかえってくる。
言葉を言わないと。
そう思っても、気の利いた言葉が出てこない。それどころか、緊張しすぎて思考も呂律も回らなかった。
「酔っぱらいみたいになっていますよ、絃さん」
編集長に酔ったのかもしれない。
絃はムッとして言い返そうとしたのだが、あまりにも嬉しそうにしている笑顔に負けた。
「不束者ですが……」
そのあとはなんていうんだっけ。
訳がわからなくなっていると、ぷっと編集長がこらえきれずに笑いだした。
そのあと強く絃を抱きしめたが、それでもまだ笑いはおさまらずにいる。
「明治時代の花嫁みたいな言いかたをしなくても」
「悪うございました」
拗ねて口を尖らせていると、絃の額に唇が優しく触れた。そのままコツン、と額がくっつく。
「……僕も、不束者の類です。家もなく夜な夜なほっつき歩いています。なによりも酒とつまみが好きで、それがなければ一瞬で野垂れ死にします」
「同じようなもんです、私も」
「不束者同士、仲良くしましょう」
「それは、こちらの言葉です」
絃は初めて自分からぎゅっと編集長に抱きついた。
「私も好きです、編集長」
抱きしめられた心地が、まるで綿菓子のように軽やかだった。
「そうと決まれば、山菜の天ぷら、山盛り食べることにしましょう」
編集長の甘い声には、喜びが混じっている。
「今から一杯行きませんか? ちょっとだけおでんをつまみたいです」
「それは、さらに山菜たちが恋しくなるような提案ですね。断るはずもありません。僕は、お酒と肴が大好きですから」
時計を見ると、すでに夕刻近くになっている。早くしないと地酒のお店が閉まってしまうので、早歩きで町のほうへ戻った。
しっかりと手を繋いで、前を向いて歩いた。
冬の寒さは、もうすでに下火になっており、あちこちから春の予感がする。
桜が満開になったら、お花見に来よう。おにぎりと唐揚げを作って、気分が華やぐお酒でも飲みながら。
そんなことを話しながら、二人の影は町中へ消えていく。
春を纏った風が一陣、恋人の背中を押してふわりと吹き抜けた。
―おわり―
「はい」
「待って、待って……」
押し寄せてきた動揺と感情に、絃は押しつぶされそうになって狼狽える。
心臓の血流の音が、耳の内側から響いてくる。
「編集長が、私を?」
自分ばかりが恋していたのではないのか。
まさか、両想いだったのか。
過去最大規模の緊張が、絃を襲って身体をこわばらせる。すると編集長は大丈夫とでもいうように、絃の手をぎゅっぎゅと軽く握った。
「そうですよ。伝わらなかったら何度でも言います。僕は、絃さんが好きなんです」
「わ、つ、伝わりました……!」
握っていないほうの手で絃は顔を隠した。頬に触れると恐ろしいくらいに熱くなっている。きっと真っ赤に違いない。
編集長は困ったように息を吐いた。
「その反応だと……僕にも、春が訪れたみたいですね。そう思ってもいいでしょうか?」
編集長は意地悪なことに、顔を隠していた絃の手を握って引きはがすと覗き込んでくる。
このままでは心臓が破裂するのではないだろうか。
身を引いてみたのだが、編集長はそれを許さなかった。
「ねぇ、絃さん。これは僕の身勝手な思い込みですか?」
「…………いいえ」
「山菜の天ぷらよりも先に、僕にも春が訪れました。嬉しいな」
絃さん、と呼ばれて、絃は熱燗みたいになった顔を上げる。
「僕と、恋人になっていただけます?」
絃はうなずく。
編集長は絃の両手をぎゅっと握って包み込んだ。
覗き込んでくる編集長の安堵した顔を見て、自分ばっかりが片思いしていたわけではなかったのだとわかる。
知って、感情が溢れかえってくる。
言葉を言わないと。
そう思っても、気の利いた言葉が出てこない。それどころか、緊張しすぎて思考も呂律も回らなかった。
「酔っぱらいみたいになっていますよ、絃さん」
編集長に酔ったのかもしれない。
絃はムッとして言い返そうとしたのだが、あまりにも嬉しそうにしている笑顔に負けた。
「不束者ですが……」
そのあとはなんていうんだっけ。
訳がわからなくなっていると、ぷっと編集長がこらえきれずに笑いだした。
そのあと強く絃を抱きしめたが、それでもまだ笑いはおさまらずにいる。
「明治時代の花嫁みたいな言いかたをしなくても」
「悪うございました」
拗ねて口を尖らせていると、絃の額に唇が優しく触れた。そのままコツン、と額がくっつく。
「……僕も、不束者の類です。家もなく夜な夜なほっつき歩いています。なによりも酒とつまみが好きで、それがなければ一瞬で野垂れ死にします」
「同じようなもんです、私も」
「不束者同士、仲良くしましょう」
「それは、こちらの言葉です」
絃は初めて自分からぎゅっと編集長に抱きついた。
「私も好きです、編集長」
抱きしめられた心地が、まるで綿菓子のように軽やかだった。
「そうと決まれば、山菜の天ぷら、山盛り食べることにしましょう」
編集長の甘い声には、喜びが混じっている。
「今から一杯行きませんか? ちょっとだけおでんをつまみたいです」
「それは、さらに山菜たちが恋しくなるような提案ですね。断るはずもありません。僕は、お酒と肴が大好きですから」
時計を見ると、すでに夕刻近くになっている。早くしないと地酒のお店が閉まってしまうので、早歩きで町のほうへ戻った。
しっかりと手を繋いで、前を向いて歩いた。
冬の寒さは、もうすでに下火になっており、あちこちから春の予感がする。
桜が満開になったら、お花見に来よう。おにぎりと唐揚げを作って、気分が華やぐお酒でも飲みながら。
そんなことを話しながら、二人の影は町中へ消えていく。
春を纏った風が一陣、恋人の背中を押してふわりと吹き抜けた。
―おわり―
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