上 下
173 / 371

73.マンションでの失踪事件③(怖さレベル:★☆☆)

しおりを挟む
「柳おばあちゃん」

私の背後。焦がれていたなつかしい少女の声。

(み……ミエちゃん!?)

大声を上げてすぐにでも振り返りたいのに、
麻痺して動けない身体は固まったまま動けません。

「柳おばあちゃん」

背中、すぐ真後ろ。

ひたりと立つ小柄な存在を、息
遣いとともに確かに感じます。

振り向いて抱きしめたい。
お父さん、お母さんが心配していたんだよって、頭を撫でてあげたい――。

「……おばあ、ちゃ」

声が。聞こえる声が、突如異様にゆがみました。

まるで、録音音声を古い機械でスロー再生したかのような、くぐもった音。

「おばぁ……ちゃぁん……」

気配。背後のそれが、ザワザワと冷たく蠢いています。

おおよそ、慣れ親しんだ子どもとは異なる、その歪な感覚。

そう、それは彼女ではないナニカが、
無理やりミエちゃんに擬態しているかのような、不気味でおぞましい――。

「……っ!?」

ピキン、と痺れではない硬直で、全身が固まりました。
周囲の空気が、じわじわと変質しているのを感じます。

夕方の、まだ明るく人の声の響くマンションの通り道。
よく見知ったそこであるはずなのに、今のここはまるで違います。

耳鳴りがしそうなほどに静まった、音のない、
透明なビニールで覆われているかのように圧迫された、閉じた世界。

ここだけがまさに異次元であるかのような。

強烈に怖気の走る、まぶたの引きつるほどの恐ろしいモノが。

あの可愛らしいミエちゃんの、
でも決して当人ではありえぬ悪質な気配をまとったものが――後ろに、いる。

「ぅ……っ、……っ」

声が出せません。
足も、指の一本、髪の毛すらも動かせない。

この圧縮された空間で、
夕焼けの不吉な赤に照らされて――連れて、行かれる。

冷たい汗がひとつ、つぅ、と首筋をなぞった、その刹那。

「――ミエッ!!」

バツン! と風船のはじけるような音と共に、周囲に光が戻りました。

「……う、えっ?」

いきなり変わった空気に戸惑う私をよそに、

「ミエ――ミエッ!!」

背後から、彼女の母の叫び声が聞こえています。

私が慌てて振り返ると、地面に転がったミエちゃんと、
それにすがる彼女の母の姿がありました。

「み、ミエちゃん……!?」

まさか死んで、と氷を差し込まれたような予感にわたわたと近づくと、

「ん……」

小さく声を上げて、彼女はゆっくりと目を開きました。

「……おかあ、さん?」
「ミエ……良かった……良かったっ!!」

彼女の母は見る間に泣き崩れ、そのまま嗚咽を漏らし始めました。
それをボウっと見つめるミエちゃんは、未だ状況がよくわかっていないようです。

「そ……そうだ、警察に……!」

私は彼女と再会できた喜びに浸る前にと、
急いで110番をしたのでした。



彼女――ミエちゃんは行方不明の間のことを、
何一つ覚えていませんでした。

というのも、彼女の言葉をそのまま借りれば、
『あの公園でただ遊んでただけ』で、
『急に眠気に襲われて、目が覚めたらお母さんが泣いてた』
というのです。

つまり、彼女の中で不明期間の一年という時間は、
一瞬のうちに過ぎなかったということのようでした。

ミエちゃんは記憶こそ混乱が見られたものの、
他は全身、どこにも異常は見られなかったようです。

――あの日。
私の背後に立ったなにかの気配。

ミエちゃんの気配をまとった、歪な暗闇の気配。

あれは彼女をさらい、取り込んで、
なり替わろうとした妖怪かなにかだったのでしょうか。

あの日のあの空気。
極限まで張りつめ、緊迫を孕んでいたあの瞬間。

彼女の母がミエちゃんの名を呼ばなければ、
あのまま何かが起きていても
おかしくなかったほどの不穏な予感があの場面にはありました。

あの事件以後、なんとなく彼女とは疎遠になってしまって、
まもなくミエちゃん一家自体が引っ越して行ってしまいましたが、
このマンションは未だ変わることなくこの団地に存在しています。

失踪事件はあれ以来、一度も起こっていません。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サクッと読める♪短めの意味がわかると怖い話

レオン
ホラー
サクッとお手軽に読めちゃう意味がわかると怖い話集です! 前作オリジナル!(な、はず!) 思い付いたらどんどん更新します!

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
よくよく考えると ん? となるようなお話を書いてゆくつもりです 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

オサキ怪異相談所

てくす
ホラー
ある街の、ある処に、其処は存在する。 怪異…… そんな不可思議な世界に迷い込んだ人を助ける者がいた。 不可思議な世界に迷い込んだ者が今日もまた、助けを求めにやってきたようだ。 【オサキ怪異相談所】 憑物筋の家系により、幼少から霊と関わりがある尾先と、ある一件をきっかけに、尾先と関わることになった茜を中心とした物語。 【オサキ外伝】 物語の進行上、あまり関わりがない物語。基本的には尾先以外が中心。メインキャラクター以外の掘り下げだったりが多めかも? 【怪異蒐集譚】 外伝。本編登場人物の骸に焦点を当てた物語。本編オサキの方にも関わりがあったりするので本編に近い外伝。 【夕刻跳梁跋扈】 鳳とその友人(?)の夕凪に焦点を当てた物語。 【怪異戯曲】 天満と共に生きる喜邏。そして、ある一件から関わることになった叶芽が、ある怪異を探す話。 ※非商用時は連絡不要ですが、投げ銭機能のある配信媒体等で記録が残る場合はご一報と、概要欄等にクレジット表記をお願いします。 過度なアドリブ、改変、無許可での男女表記のあるキャラの性別変更は御遠慮ください。

【本当にあった怖い話】

ねこぽて
ホラー
※実話怪談や本当にあった怖い話など、 取材や実体験を元に構成されております。 【ご朗読について】 申請などは特に必要ありませんが、 引用元への記載をお願い致します。

処理中です...