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13.ディープシーブルーセダン②(怖さレベル:★☆☆)
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が。
「ええと、そちらの車はすでに売約済みですね」
「そ、そんな……」
私は、へなへなと崩れるようにして
店頭にしゃがみこんでしまいました。
店内を見回しても、
いっこうにあの青い車がないので、
どうしたのかと店員に聞いたら、これです。
なんでも、土曜日に店先に出した直後、
買いたいというお客が現れ、
その時点で売買契約が完了したのだとか。
私はなんというタイミングの悪さだと、
急遽土日に入った仕事を恨みつつ、
抜け殻のようにフラフラと自宅へ帰っていきました。
そしてその日は結局一日中、
ベッドの友だち状態で臥せっていました。
手に入ると思っていたものが、
寸前で手のうちをすり抜けてしまい、
まるきり無気力となっていたのです。
どうしてここまで凹むのか、
当時は疑問にすら思わぬほど、
こころが奪われていたんですね。
それからさらに半月が経過して、
例の車のショックがようやくやわらぎはじめ、
本格的に車を探さなければと考えていた矢先です。
うちの職場で驚くべきことがあったのは。
それは、
未だ借りている代車にのって、
会社の駐車場へ入った時でした。
灰色のくすんだアスファルトの駐車場に鎮座した、
ひときわ目を引くディープシーブルー。
「……え?」
驚きました。
あのあきらめざるを得なかった青のセダンが、
会社の駐車場に堂々と停まっているじゃありませんか。
キチっとナンバープレートも装着され、
キレイに洗車されたそれは、
社内の誰かのもの、なのでしょう。
「……誰だ」
土曜日そうそうに売買されたとはいっていたものの、
その買い手がまさか同じ会社にいたなんて。
私は腹の底からフツフツと怒りが湧き上がってきて、
ズカズカと足音荒くその車に近づいていきました。
その、
底の見えぬほどにきらめく色彩。
ここまで心を奪われたものなど、
未だかつてないほどの。
私が、さきに見つけていたのに。
私の、モノになるはずだったのに。
私の――。
「アレ? 長尾くん?」
背後から聞きなれた声が聞こえ、
私はハッと正気に戻りました。
「あ、か、課長」
後ろに現れたのは、
隣の部署の女課長です。
私はあわてて取り繕おうと両手を振りつつ、
「す、すみません。め、珍しい色だなぁって思って、その」
「んー、たしかにキレイな色だけど……ちょっとシュミが悪いよねぇ」
うーんと呟きながら腕を組む課長の様子は、
自分の車について話す口ぶりではありません。
「あ、あの、これ課長の車じゃ」
「ちがうちがう。これはうちの新人クンの車」
ひらひらと片手を振る課長は忘れ物をしただとかで、
隣に駐車されたシンプルな茶色の軽自動車のドアを開けながら、
「ねえ、長尾クン。……もしかして、君もこの車に惹かれた?」
「えっ……」
まっすぐにこちらを見つめる課長のまなざしに、
オロオロと動揺のそぶりを返すしかできません。
「え……ええと、その」
「あー、そっか。んー……参ったねぇ」
「え、ええ……?」
課長は困ったように首を左右に揺らしつつ。
「うちの部署で、昨日もその車のコトでちょっとひと悶着あってね。
そん時の子たちの目が……今の長尾クンの目と一緒でさ」
驚きました。
偶然昨日休みをもらっていた自分は、
そんな騒動が起こっていたことなどまるきり初耳です。
「むりやり持ち主を殴って奪おう、なんて考えてないよね?」
「えっ……そ、そんな、ことは」
にこやかにけん制され、
私は冷や汗をかきました。
先ほど、課長に声をかけられるまで、
本当に、何をしてでも手に入れてやる、
という強迫概念じみた思考に支配されていたのは確かです。
それが、いかにも異質なことであるか。
ようやく理解ができて、
私はゾワっと肝が冷えました。
サッサと社内に戻っていく女課長を見送って、
私も会社へ足を踏み出そうとしたのです、が。
どうにも捨てきれない執着が、
もう一目見るだけ、と、
あの車の方へ視線を向けさせたのです。
朝日を浴びて、キラキラとまばゆい光を放つ車体。
金色の光を浴びてなお深い、海の底の色。
「ッ……ぐ」
グルグルと腹の底から、
途方もない渇望感が湧き上がってきます。
無意識に近寄ろうとする足を必死で方向転換して、
なかば逃げるように社内に駆け込みました。
危険だ、と。
わかっているのに、
それでもその理性を上回るかのように
恐ろしい欲望が覆いかぶさってくるのです。
私はなるべく心を無にして、
そそくさと自分の部署へ飛び込みました。
仕事に取りかかり始めれば、
否応なく昨日の騒動、とやらが耳に入ってきました。
なにせ起きたのが隣の部署、
罵り合う声が扉を隔ててこちらまで聞こえてきたのだとか。
最終的に殴り合いまで発展し、
持ち主の青年は軽い怪我ですんだものの、
加害者となった方は自主退職になるだろう、と。
今朝、課長にクギを刺されなければ、
私も勢い余って同じことをしていたかもしれません。
その後、
私は別の中古車ショップでまぁまぁの車を購入し、
それを使って通勤しています。
あの車は、極力視界に入れないように気を付けつつ、
どうにかあの欲求を押さえつけているのです。
それでも、
例の車に魅入られる者は後を絶たないようで、
時折、車に狂った社員が問題を起こす、
というのが年に何度かは起きています。
聞いた話では、あれは別に事故車両というわけでもなく、
さらに言えば、持ち主は時折車に魅入られた人に絡まれはするものの、
いたって健康だし、交通事故の一つも起こしていないそうです。
あまりにも彼の車に惹かれるものが次々湧いてくるので、
見かねた管理職が車の駐車場を変えることを決めたらしく、
一時よりはそれも減るようになりましたが。
私も、今でもうっかりあの車を目にしてしまうと、
猛烈に衝動が湧き上がるときがあります。
たいがい、途中でハッと正気に戻るのですが、
あの深い色に魅了されている時、
その瞬間は、
とてつもなく幸福な気持ちに包まれるのです。
その車を手に入れられるのならば、
何を捨て去ってしまってもいいくらいに。
そう、あれを自分のものにできるならば、
それこそ、人だって殺してしまえるくらいに。
いったい、
どうしてそこまで引き寄せられるんでしょう。
前の持ち主の怨念?
幽霊がとりついている?
車のボディになにか細工がされている?
理由はさっぱりわかりませんが――
ただ一つ、言えることがあります。
あの車は危険です。
いつかぜったい、
あの車を巡って死人が出る。
それに関わるのが、
私自身でなければいい。
それを、心より願っています。
「ええと、そちらの車はすでに売約済みですね」
「そ、そんな……」
私は、へなへなと崩れるようにして
店頭にしゃがみこんでしまいました。
店内を見回しても、
いっこうにあの青い車がないので、
どうしたのかと店員に聞いたら、これです。
なんでも、土曜日に店先に出した直後、
買いたいというお客が現れ、
その時点で売買契約が完了したのだとか。
私はなんというタイミングの悪さだと、
急遽土日に入った仕事を恨みつつ、
抜け殻のようにフラフラと自宅へ帰っていきました。
そしてその日は結局一日中、
ベッドの友だち状態で臥せっていました。
手に入ると思っていたものが、
寸前で手のうちをすり抜けてしまい、
まるきり無気力となっていたのです。
どうしてここまで凹むのか、
当時は疑問にすら思わぬほど、
こころが奪われていたんですね。
それからさらに半月が経過して、
例の車のショックがようやくやわらぎはじめ、
本格的に車を探さなければと考えていた矢先です。
うちの職場で驚くべきことがあったのは。
それは、
未だ借りている代車にのって、
会社の駐車場へ入った時でした。
灰色のくすんだアスファルトの駐車場に鎮座した、
ひときわ目を引くディープシーブルー。
「……え?」
驚きました。
あのあきらめざるを得なかった青のセダンが、
会社の駐車場に堂々と停まっているじゃありませんか。
キチっとナンバープレートも装着され、
キレイに洗車されたそれは、
社内の誰かのもの、なのでしょう。
「……誰だ」
土曜日そうそうに売買されたとはいっていたものの、
その買い手がまさか同じ会社にいたなんて。
私は腹の底からフツフツと怒りが湧き上がってきて、
ズカズカと足音荒くその車に近づいていきました。
その、
底の見えぬほどにきらめく色彩。
ここまで心を奪われたものなど、
未だかつてないほどの。
私が、さきに見つけていたのに。
私の、モノになるはずだったのに。
私の――。
「アレ? 長尾くん?」
背後から聞きなれた声が聞こえ、
私はハッと正気に戻りました。
「あ、か、課長」
後ろに現れたのは、
隣の部署の女課長です。
私はあわてて取り繕おうと両手を振りつつ、
「す、すみません。め、珍しい色だなぁって思って、その」
「んー、たしかにキレイな色だけど……ちょっとシュミが悪いよねぇ」
うーんと呟きながら腕を組む課長の様子は、
自分の車について話す口ぶりではありません。
「あ、あの、これ課長の車じゃ」
「ちがうちがう。これはうちの新人クンの車」
ひらひらと片手を振る課長は忘れ物をしただとかで、
隣に駐車されたシンプルな茶色の軽自動車のドアを開けながら、
「ねえ、長尾クン。……もしかして、君もこの車に惹かれた?」
「えっ……」
まっすぐにこちらを見つめる課長のまなざしに、
オロオロと動揺のそぶりを返すしかできません。
「え……ええと、その」
「あー、そっか。んー……参ったねぇ」
「え、ええ……?」
課長は困ったように首を左右に揺らしつつ。
「うちの部署で、昨日もその車のコトでちょっとひと悶着あってね。
そん時の子たちの目が……今の長尾クンの目と一緒でさ」
驚きました。
偶然昨日休みをもらっていた自分は、
そんな騒動が起こっていたことなどまるきり初耳です。
「むりやり持ち主を殴って奪おう、なんて考えてないよね?」
「えっ……そ、そんな、ことは」
にこやかにけん制され、
私は冷や汗をかきました。
先ほど、課長に声をかけられるまで、
本当に、何をしてでも手に入れてやる、
という強迫概念じみた思考に支配されていたのは確かです。
それが、いかにも異質なことであるか。
ようやく理解ができて、
私はゾワっと肝が冷えました。
サッサと社内に戻っていく女課長を見送って、
私も会社へ足を踏み出そうとしたのです、が。
どうにも捨てきれない執着が、
もう一目見るだけ、と、
あの車の方へ視線を向けさせたのです。
朝日を浴びて、キラキラとまばゆい光を放つ車体。
金色の光を浴びてなお深い、海の底の色。
「ッ……ぐ」
グルグルと腹の底から、
途方もない渇望感が湧き上がってきます。
無意識に近寄ろうとする足を必死で方向転換して、
なかば逃げるように社内に駆け込みました。
危険だ、と。
わかっているのに、
それでもその理性を上回るかのように
恐ろしい欲望が覆いかぶさってくるのです。
私はなるべく心を無にして、
そそくさと自分の部署へ飛び込みました。
仕事に取りかかり始めれば、
否応なく昨日の騒動、とやらが耳に入ってきました。
なにせ起きたのが隣の部署、
罵り合う声が扉を隔ててこちらまで聞こえてきたのだとか。
最終的に殴り合いまで発展し、
持ち主の青年は軽い怪我ですんだものの、
加害者となった方は自主退職になるだろう、と。
今朝、課長にクギを刺されなければ、
私も勢い余って同じことをしていたかもしれません。
その後、
私は別の中古車ショップでまぁまぁの車を購入し、
それを使って通勤しています。
あの車は、極力視界に入れないように気を付けつつ、
どうにかあの欲求を押さえつけているのです。
それでも、
例の車に魅入られる者は後を絶たないようで、
時折、車に狂った社員が問題を起こす、
というのが年に何度かは起きています。
聞いた話では、あれは別に事故車両というわけでもなく、
さらに言えば、持ち主は時折車に魅入られた人に絡まれはするものの、
いたって健康だし、交通事故の一つも起こしていないそうです。
あまりにも彼の車に惹かれるものが次々湧いてくるので、
見かねた管理職が車の駐車場を変えることを決めたらしく、
一時よりはそれも減るようになりましたが。
私も、今でもうっかりあの車を目にしてしまうと、
猛烈に衝動が湧き上がるときがあります。
たいがい、途中でハッと正気に戻るのですが、
あの深い色に魅了されている時、
その瞬間は、
とてつもなく幸福な気持ちに包まれるのです。
その車を手に入れられるのならば、
何を捨て去ってしまってもいいくらいに。
そう、あれを自分のものにできるならば、
それこそ、人だって殺してしまえるくらいに。
いったい、
どうしてそこまで引き寄せられるんでしょう。
前の持ち主の怨念?
幽霊がとりついている?
車のボディになにか細工がされている?
理由はさっぱりわかりませんが――
ただ一つ、言えることがあります。
あの車は危険です。
いつかぜったい、
あの車を巡って死人が出る。
それに関わるのが、
私自身でなければいい。
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