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光と闇

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 夜中になんとなく目が覚めて、何気なく横を見る。
美しい蘭紗様の寝顔がそこにはあった。
白に近い水色の月がやわらかな光を届けてくれていて、この愛しい人の輪郭がボウと浮かんでいる。

手を伸ばせば届くのに、なぜかとっても遠く感じてしまって不安になった。

僕は上掛けからそっと手を出して、蘭紗様の頬を触った。
氷の彫像のように見えた蘭紗様はスッと目を開けて、輝く銀色の瞳で僕をじっと見つめた。

「どうした?」
「……いえ」

蘭紗様は伸ばした僕の手を引いて、胸の中に抱きしめてくれた。

「不安なのか?」
「そんなことないです」

僕は蘭紗様の腕の中の温かさにほっとした。
花のような匂いがしてくる、蘭紗様から漂ってくるこの匂いが大好き。

紗国に帰ってきて約2週間が経った。
僕たちは葛貫さんとカジャルさんがまとめてくれた報告書を何度も読んで、現在まざりの子は紗国にはいないと確信できた。

この調査によって、それ以外にも発見はあった。
思った以上にこの国の大人たちは孤児の面倒をよく見るということだ。
地方によっては、我が子同然に家に引き取り育てるところさえもある、そういう家庭には補助金をという考えを伝えると「お金はいらない」と拒否されたという。
ただし、今まで通り孤児院の予算だけはほしいということだった、その子らが将来に使う為に、つまり学費や結婚の際に使用するのだという。
そういうことの一切の管理をその町の長が担っていて、とても感心した。

勘定方の佐佐さんがそれを聞いて本来の使い方でないと言い出すのでは?とカジャルさんは心配したようだったけど、逆に佐佐さんはその話に感動し、そのまま予算を維持することに賛成してくれたという。

そしてあの港町……その後どうなったかは、僕は聞けずにいる。

蘭紗様や涼鱗さんがあのままあれを放っておくわけがない。
何しろ違法の薬が出回っていることが発覚したのだ。

この世界でも残念ながら元いた世界のように、麻薬や覚醒剤のようなものから、あやしげな違法スレスレなものが快楽のために出回っているようだ。
それは、ハリル様が木の根の下にある隠し家から見つかった時に教えてもらった。

だけど、港町で発覚したクスリはそういうものではない……堕胎薬だ。

毒を飲み、子をおろす……そんな恐ろしいことをして母体に影響がないわけがない。
だけど、正規の療養所で堕胎手術を受け付けるところは紗国にはない。
娼婦たちが望まぬ妊娠をすれば、それを求めるのは仕方ないのかもしれない。
だけど、それが理由で母が死に、幼い子が残されているという現状を見ると、どうにもやりきれない。

繁栄の裏にこういう闇がある。
これはどんな世界でも同じなのかもしれないけれど……僕の心は悲鳴をあげそうだった。

そして、昨日蘭紗様は一言だけ僕に伝えたんだ。

『薫、港町のことだが、賭場を仕切っていたならず者らはもういない、賭場は正式に国として運営することとなって、今改めて査察が入っている。孤児らのことはおいおい保護できるよう、なんらかの働きかけをしてゆく』

あの言葉から汲み取れるのは、『ならず者がもういない』ということと、『孤児らはおいおい保護する』という2点だ。

賭場を仕切っていた人らは……いなくなった?
処罰を受けたのでも捕縛されたでもなく。

「薫……気になっているのだろう?港町のこと」
「……はい……」
「そうか……」

蘭紗様は僕の髪の毛をゆるやかに撫でながらゆっくりと話しだした。

「薫は……跳光家がなぜあるのか考えたことはあるか?」

僕は蘭紗様の腕の中で身を固くした。

「やっぱりそういうことですよね」
「捕まえ罪を償わせることだけでは、根絶やしにできないこともある。そのやり方を悪だと批判するのは簡単だ、しかし、私は跳光があるから紗国は成り立っていると思っている」
「……賭場で働いていたという子どもたちは?」
「その跡地に合法カジノを建設する予定なので、そこで雇うことになるだろう。どうしても、森の中の孤児院には行きたくないと言い張るようだからな、その代わり、学び舎にきちんと通うことなどが条件となる」
「ではその子らは、まだ幼いのに働きながら勉強を?」
「国の経営になったら、働くというよりも自分らの身の回りやフロアの掃除程度の手伝いをさせるつもりだ、それぐらいなら市井では普通だ。そして将来はそこで働けるよう斡旋もする」
「子どもたちは、納得したんでしょうか?」
「あの町から出ずに待てと言われているようだが、それさえ守れれば、後は何でも良いのだろう。おとなしく部屋で読み書きを役人から習っているようだ。名さえ書けないようでは学び舎にはいけないからな」

僕は船に乗り込む際に見たあの兄弟を思い出した。
幼い弟の手をしっかりと握りしめ、僕の顔を見て嬉しそうに顔を歪めた。
あれは、笑顔になろうとして……でも、笑い方を忘れたような、そんな表情だった。
あの子達がどうか、幸せになれますように。
心の底から笑える日が来ますように……

「ありがとうございます、蘭紗様」
「……すまないな……優しいそなたを傷つけるようなことばかり起こる」
「違います、この世界は十分に優しいです、僕は……感謝しています」
「そうか」

優しい手のひらが僕の両頬にそっと添えられた。
見上げると、銀色に輝く美しい瞳が僕をとらえた。

「愛しているよ、薫」
「はい、僕もです蘭紗様」


僕は襲ってきた睡魔にまどろみつつ、背中を撫でてくれる心地よい感覚に酔いしれた。


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