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アオアイの町11 友の笑顔

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「久しぶりだな、サスラス」

俺は今、アオアイ国の地下牢にいる。
紗国王妃の部屋に無断で侵入という罪を犯し、アオアイ王によって書類だけで罪を償うことになったのだ。
しかし、我が国から賠償金の支払いが済むまではここに繋がれることになった……のだが。
ここは地下牢とはいえ『特別室』で他の罪人と一緒になったりしないし、人目にも触れない。
何から何まで特別扱いで、恐れ入る。
王族ってのは常にそうやって守られるのだ。
だからこそ人の見本であらねばならぬと、学園でも教えられるが……

俺は人の手本などになったことは一度もないのに。

それでもこうやって、王族として地下牢ですら敬意を払われる……おかしな事だ。

「波羽彦……」

俺は牢の前に立つ古い友人を見つめた。
その両手には、枷がはめられている。
子供のころから俺よりも数段小さかった男だが、今はもっと小さく見えた。

「どうしてここに……」
「お前に面会を求めたら、通った。それだけだ」
「波羽彦……教えてくれ……お前の最後ってなんなのだ」

波羽彦は衛兵に人払いを頼み、足枷も付けさせた。
そして俺と離れて沈滞石の椅子に座った。

「サスラス……お前は私を心配してここまで来てくれたそうだな」
「……っ……心配するだろう!昔お前が言った通り、お前は罪人となりここにいるんだ!」
「だが……どうやら私の異能は外れたようだ。おそらく私はこのまま阿羅国の再建に向けて王としてやっていくことになるだろう。まもなく罪人ではなくなる」
「でも……予知とは……外れないものなのでは……」
「ああ……だが今回……父が、運命を修正してあの世に旅立った……そう思える」
「お前の父って……」

俺の頭は軽く混乱する。
何千年も昔の伝説のはずだった……阿羅彦、その人が生きていて目の前の波羽彦がそいつの子だとか……夢物語にしか思えない。

「ああ、阿羅彦だ。前王は私の異母兄になる。歴代の王がみな……そうだ」
「……なんて、いったらいいか……」
「父が死んで、父の陰で私を操るやつらがいなくなり、私はようやく何もかも真実を話せる時が来た」
「真実って……」

俺は静かに、ただ自然に座るだけの波羽彦を不思議な思いで見つめた。
佇まいが以前と少し異なる。

少年のころは危なげで儚げで、いつも遠くの何かを見ていて現実に生きていないような男だった。
だが今は、きちんと地に足を付けたしっかりとした成人男性が目の前にいて、王たる風格すら漂わせている。

収監されていて、王族の装束すら身に着けていないのに、王冠が見えるようだ。

「時間もないので簡単に言う。私が見た予知は、紗国王の蘭紗が私の父阿羅彦を討ち、自らの嫁を救い出すという予知だった……そしてその際、私も余波で死ぬはずだった。しかしそれを、国の者に知られる訳にはいかなかったので、そなたにも話せなかったのだ。……友として……色々と聞いてくれて心配もしてくれたのに、すまなかった。あの時はどこにアイツらの耳があるかわからず、始終警戒していたのだ」
「……で、なぜ……」
「ああ、何故おまえはまだ生きている?ということなら……私もいろいろ思うところがあるのだがな……父は最期、約5000年前の記憶を思い出し、そして目の前にいるのがかつての親友だったことを理解し、そしてその親友を傷つけたくなくて、自分を殺したのだ。あれは蘭紗が倒したとなっているが……なんというか……おそらく自殺に近いだろう。逃げずに刃を受けたんだ。討たれたことにするために……」
「5000年前のかつての親友?? その予知は無かったのか?」
「無かった……父が記憶を思い出した瞬間に私の予知から運命が外れたということになる。父が自らの意思で世界の運命を変えたのだ……あの人にはそれだけの力があった。なにしろあの長い年月を行き抜いたのだからな」

波羽彦は少年のころのような寂しい笑顔を再び見せた。

「で、お前はなにやってんだ……サスラス」
「……って……俺は……」
「やめてくれ、私の恩人の蘭紗と、そして大事な薫様にこれ以上迷惑をかけないでくれ」
「どういうことだ」
「私の父は薫様と同じ時代同じ世界に生きた人間だった。父はどういう運命なのか5000年時を遡ったようで……というかそのあたりは私もよくわからないが……つまり父も紗国のお嫁様として異世界から渡っていたようだ」
「なんだって?」

深いため息をついた波羽彦は、俺の顔を困ったように見つめる。

「なあ、細かいことはいいんだ、私の家系のことについてはこれからまとめられ、王族のお前なら閲覧も可能だ、興味があれば読めばよいよ。だがな、お願いだから薫様に執着するのはやめてくれ」
「お前に言われる筋合いはない……俺は本当にあの方の奏でる音楽に魅せられ、引き寄せられ……」
「薫様は、俺の初恋の人なんだ、それからおそらく、父の初恋の人でもあるのだろう」

俺はあまりの衝撃に座っていられなくなって足枷の鎖をじゃらりと言わせて立ち上がった。

「どういう……」
「私は幼少のころ、初めて異能に目覚めた時に見たのが、薫様の予知だったのだ。その時から今でもずっとあの方のことを心に秘めている。決して報われないこともわかっている……そして父は異世界で暮らす頃におそらく薫様を好きだったのだろう。こちらに来ても自分が好きなサッカーを再現したり色々おやりになってるが……中でもバイオリンという楽器の再現に力を尽くされて、約1000年前にできた名工の作を保存魔法をかけ大事に保管してきた……お前が魅せられたという音色はその父が1000年前に用意した贈り物なのだよ」
「な……せ、1000年前だと?その……阿羅彦は予知を?」
「いや、予知して用意したのではなく、自分の気の済むようにしただけで、よもや本当に薫様に渡せる日が来ようとは思っていなかっただろう……これだけは言えるが、父に予知の異能はなかった。あらゆることが出来た人であったがな」

体の力が抜け、ポサリとベッドに腰掛けた。

「それに、薫様と蘭紗のつながりは魂だ。2人の魂は二つ合わせて一つになる特殊なもので、どちらかが欠けてもおそらく生きていけない。それは私の予知でわかっていたことだ」
「……なんだって」
「お前も好きだとか言うのなら、その好きな人が幸せに暮らすことを大事に思ってはやれないか?」
「……」
「薫様の幸せは蘭紗の隣にいることなんだよ、私や、ましてやお前でもなく……だ」

波羽彦はまたあの笑顔を見せた。
……俺はようやく理解した。
この悲しい笑顔は、恋い焦がれる人に思いが届かない悲しみや、願うことすらできない苦しみで出てくるものなのだと。

「波羽彦は、それで納得できているのか?」
「私は……少なくとも……誘拐されてきた薫様を守ることができたと思っている。父の毒素や父の陰にいる奴らからも。何の害もなかったとは言えないが、少なくともお命はお守りできた。……だから、もういいんだ。これで……」
「だが!好きになったのなら、手に入れたいだろう?俺はそうだ!」
「でも、薫様がそれを望んでいなかったら?悲しむ薫様をずっと見ていることになるのに、それでいいのか?そしてどんどん痩せて、やがて衰弱する愛する人を傍におくのか?」
「……何を大袈裟な!離れれば……俺が優しくしてやれば、きっと」
「どんなに優しくしても、お前や私は蘭紗にはなれない!」

厳しい声の波羽彦を俺は呆然と見つめた。
この男がこんなに声を荒げるのを初めて見たからだ。

「薫様の幸せを、大事にしてあげたいのだ。お前だって、薫様の代わりにどうぞと違う者をあてがわれ、そのひとを愛せるか?人は誰でも代わりなんていないし、なれやしない」

俺は足枷のはめられた己を足を見た。
単なる罪人になったのは、俺の方だ。
波羽彦はもう、己の将来を嘆いて悲しんで人を遠ざけている少年ではない。
まして、罪人でもない。
王として立派に国を立て直せるだろう。

「お前の予知は、外れて……良かったよ」
「え?」
「俺はお前が死ぬような予知、外れてよかったって心から思うよ、波羽彦」
「サスラス」
「俺は自分の衝動が抑えられない未熟な男だ。だが約束を守ってくれてありがとう。子供のころに……予知がなんだったのか話せる時が来たら話すと言ってくれて、そして今、本当に話してくれて、うれしいよ。こんな俺でもお前の友達の一人になれてるかな?」
「……なれてるよ」
「ならお前の為に、俺は自分を押さえる事を誓おう。俺はもう、好きな人を悲しませたり怖がらせたりしない。国に戻っておとなしく兄の元で働くよ」
「……」

波羽彦は静かに俺の目を見つめて、長い間何も言わなかった。

やがてドアがノックされて、衛兵が波羽彦の足枷を外し、手枷の鎖を持って外へ行こうとする。

「波羽彦!次に会う時は、酒でも!」
「ああ……」

振り向いた波羽彦の笑顔は俺が見た彼の笑顔の中で、一番輝いていた。


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