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シロさんの旅立ち②

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 東の大陸イグシード、大賢者クロームがかつて守っていた土地。現在では魔物が溢れかえっており通常ではなかなか渡航の許可のおりない魔大陸だ。
 それでもその大陸に居を構えている者はまだいくらもいるし、住めない訳ではないのだろうが、私の住まうガレリア大陸よりイグシードはとても治安が悪い。魔物討伐の依頼が入る事の多いイグシードにはシリウスと何度か訪れた事もあるのだが、私はあまりイグシードに詳しくはなかった。
 父はそんな場所で魔物が湧き出してくる場所を特定する為、ガレリア調査団の一員として調査に赴いている。現在はイグシードでも端に位置する世界の果てに近い遺跡を調査中だと聞いているのだが……

「お前は本当にどこまで付いてくる気だ?」

 私の少し後ろを歩いて来るグレイ。行動は控え目だが、体躯が私の二倍近くあるグレイの存在感は控え目とは言いがたい。私は一度ノースラッドに戻り、ガレリア調査団の一員でもあるヨム老師に詳しい遺跡の場所を聞きだしてからイグシードに向かうつもりでいたのだが、田舎者丸出しのグレイはノースラッドでは目立ってしまって仕方がない。
 ただでさえノースラッドは小型の獣人が多く暮らす街なので、そのグレイの体躯は珍しいのだろう、道行く者達が皆グレイを見上げる。そんな事に気付いているのか、いないのかグレイは平然としたものだが、こちらの方がどうにも落ち着かないのだ。

「街というのはどんなものかと思っていたが、小さくてせせこましいもんだな」
「街が小さいんじゃない、お前がでかいんだ。この街は元々大型の獣人の少ない街だ、用がないならさっさと失せろ」
「シロウ、ずいぶんな言葉だな。昔はもう少し可愛げもあったのに、すっかりシリウスに毒されたな」
「別に毒されてなど……」

 「いない」と続けようと思った言葉に被せるように声をかけられた。

「おおぃ、シロウ。ここ数日見かけなかったが、何処かに出掛けていたのか?」

 それは顔馴染みの獣人で私達と同じに街周辺の魔物を狩るハンター仲間だ。

「あぁ、少し実家に戻っていた」
「シロウだけでか? 珍しいな、いつもシリウスと一緒だろうに、お前達が別行動をしているのも珍しい」
「それは……」
「ところで、シリウスは何処に行ったんだ? 数日前にコタと街を出たと聞いているが?」
「え……?」

 コタというのはこの街に暮らすトラの獣人だ。年齢的にまだ若く、シリウスとさほど歳の変わらないコタはシリウスに気があるようで散々に私たちに付き纏っていた。だが、そんなコタとシリウスが街を出た? 数日前に? 一体それはどういう事だ!?

「それは一体いつの話だ!?」
「え? あぁ、っと……俺が聞いたのは昨日だが、街を出たのは二・三日前だと思うぞ」

 二・三日前……狼の集落からノースラッドまでは徒歩で三日かかる、だとすると私が集落を出た頃にシリウスはこの街を出たという事だ。いや、でもどういう事だ? シリウスがこちらの世界に戻って来ている? スバルと入れ替わりに戻ってきたとでも言うのか……? しかも自分に付き纏っていたコタと一緒に街を出たというのはどういう事だ?
 私は居ても立ってもいられずに踵を返した。分からない事だらけだ。あの父の部屋にあった魔道具、あれはこちらの世界とスバルが本来住んでいたのであろう向こうの世界を繋ぐ物であったと思う、私はあれでスバルと話もしたが、シリウスとも話をしている。あの時点では少なくともシリウスは向こうの世界にいたはずなのだ、なのに何故こちらへ戻って来ている?

「おい! シロウ、何処へ行く! コタとは誰だ! おい、シロウ!」
「うるさい、付いてくるな!」

 訳が分からないという顔のグレイ、だが私も混乱している。グレイに構っている暇などない。

「ビット! ヨム老師はご在宅か!?」
「わっ、驚いた……シロウじゃん、帰って来てたの? スバル君は?」
「そんな事より、ヨム老師は!?」
「いるよ。ん? そちらは?」

 小柄なビットが私の背後に立つグレイを見上げる。グレイもグレイでぺこりと頭を下げたのだが、挨拶をしている時間も惜しい私はずかずかと店の奥へと向かった。

「ヨム老師! ヨム老師!!」
「なんじゃ、うるさいの? 誰だ?」
「私です、シロウです! お聞きしたい事があるのです!」

 店舗の奥、一番奥まった部屋にいつものように老師は佇んでいた。大きな羽を広げて手入れでもしていたのか、その姿はいつもより大きく見える。

「シロウか……何用じゃ?」
「父の居場所を、ガレリア調査団の現在の詳しい調査地を教えてください!」
「ん?」
「あと、人探しもお願いしたい!」
「待て待て、用件はひとつずつじゃぞ。まずはガレリア調査団の調査地か。ふむ、現在はイグシードの東の端、ここシルス遺跡の調査中じゃぞ。なかなか強敵の魔物揃いで調査は難航しているらしい」

 何もない空間にぱっと地図が浮かび出て、まるで案内でもしてくれているかのように、地図の上に矢印が浮かび上がりシルス遺跡の場所が浮かび上がる。とても世界の果てに近い遺跡だ。ただでさえ世界の果ての近郊は魔物も多いというのに、そこが魔大陸イグシードだと思えば、さすがのガレリア調査団でも調査が難航しているという言葉も理解ができる。

「それで、次はなんじゃったか? 人探し? 調査依頼ならば料金が発生するが、構わぬか?」
「構いません、探してください! スバルとシリウスを探しています、何処にいるか分かりますか!?」
「ふむ? あの小僧っ子、どうかしたのか?」
「魔物に攫われ、現在行方不明です」
「ほぅ、それは難儀な……どれ――」

 またしてもヨム老師は翼を広げて白く濁った瞳を宙へと向ける。ふわりと風が吹きぬける感覚、ヨム老師はぐるりぐるりと辺りを見回し、しばらくすると首を振った。

「おかしいのぅ、この世界の何処にも二人の存在が感じられない。よもや二人共魔物に喰われて既に絶命……」
「それはありえません! スバルの生存は確認済みですし、シリウスは数日前にここノースラッドを旅立ったという話を先程聞いたばかりです。数日前にはシリウスはこの街にいたはずなのです!」
「ふむぅ……」

 ヨム老師が唸るように「何か目くらましでもかけられているのか……?」と小首を傾げる。

「少なくともわしの分かる範囲で二人の魔力の感知はできなんだ。あの子等の魔力は分かりやすく目立つでな、何かがわしの探知を妨害していると考えるのが妥当かのう……」
「それは、誰かがそうしているという事ですか?」
「そうやも知れぬし、違うやも知れぬ。見定められぬ事は何も分からん」

 どこか達観したような老師の言葉に私は「ぐぬぬ」と言葉を詰まらせる。ヨム老師の瞳から二人を隠す、もしかしたら大賢者クロームにならそんな事も出来てしまう可能性がある。

「…………! そうだ、コタ! コタが今何処に向かっているか分かりますか!?」
「コタ? トラのとこの坊か? ふむ……」

 また、ヨム老師が翼を広げ、しばらくすると「北じゃな……」と、そう言った。

「北……具体的に何処へ向かっているか分かりますか?」
「さすがにそこまで分かりはせんよ、調べようと思えば調べられるが、それも依頼となると法外な料金が加算されるがそれでも良いか?」

 現在シリウスがコタと一緒に街を出たという情報を得ているが、それが真実の情報かどうかは分からない。そもそもヨム老師はシリウスの存在は感知できないとそう言ったのだ。
 イグシードに渡るにも金は必要で、どうでもいいコタの情報に無駄金を払う余裕はない。

「いえ、分かりました。ありがとうございます」
「用件はそれだけかの?」
「あ……」

 ヨム老師の言葉に語っていいのか逡巡するのは大賢者クロームの事。ヨム老師は知っているだろうか? 大賢者と言えば魔術師の中でも最上位に位置する人物だ。知らぬ訳はないだろうが、それがどんな人物であるかまで知っているかは分からない。

「……あと、ひとつ、お聞きしてもいいですか?」
「ふぅむ? なんじゃ?」
「ヨム老師は大賢者クロームをご存知ですか?」

 瞬間、その場の空気がぴりっと張り詰めたのが分かり、私は身を引き締める。

「何故、お主がわしにそれを問う? この世界にその名を知らぬ者などおりはせん、なのに何故あえてそれを問う?」
「いえ、あまり他意はないのですが、もし詳しい人物像を知っているのであればお聞きしたくて……」
「それを知ってどうする?」

 ヨム老師の言葉がまるで氷のように凍てついている。ヨム老師と大賢者クロームとの間には何かいわくでもあるのだろうか……?

「スバルが魔物に攫われました。その件に関して、もしかしたら、その大賢者クロームが事件に絡んでいる可能性があるのです」
「ふむ? どういう事だ?」
「ヨム老師は大賢者クロームに子供がいた事をご存知ですか?」
「子? うむ……囚われた当時、クロームには守る存在があったというのは聞いておる。クロームは色恋には全く興味のない者であったので驚きはしたが、不思議な話ではないな」
「その子供がスバルだと言ったら……」

 見えているのか分からない瞳を見開き、ヨム老師がこちらを見やる。

「あの小僧がクロームの子だと? いや、だが確かにあの子は精霊に好かれておった、それはクロームと同じように――そうか、そうであったか……それであの子のあの力か――確かにあの子のあの力は幼い頃のクロームのそれと、よう似ていた……」

 何かに納得したような様子のヨム老師、やはり老師は大賢者クロームと面識があったのだ。

「老師は大賢者クロームの幼い頃を知っているのですか?」
「……魔王の手下クローム――かつて大賢者と呼ばれたクロームは、大昔、わしの弟子であったのだよ……」
「!?」
「とても才のある子供で、それ故に疎んじられた哀れな子供。クロームが魔術師の免状を得たのはわずか三歳、破格の魔力量に期待もあったが、幼い子供に道理は通じず、癇癪を起すたびに無秩序な魔術を発動させては周りを困らせていた。子のそんな所業に対応しきれなかった両親はわしに子を託した、それが後の『大賢者クローム』だ。言ってしまえばクロームは齢三歳にして親に捨てられたのだよ」

 そう言ってヨム老師は何かを思い出しているのだろう、その瞳を閉じた。

「クロームは物の分からない子ではなかったが、その才は誰よりも飛び抜けていて、彼を制御できる者はとても少なかった。それでもわしにはよく懐いて、父のように慕ってくれていたのだがな……それ故にわしもあの当時はいらぬ嫌疑をかけられて難儀したのだよ。だがわしには何故あやつがあんな事をしでかしたのかも分からぬし、その真意も未だ分からぬ。クロームは世間で言われているほど極悪者ではなかったでな」
「スバルも同じ事を言っていました。大賢者クロームが悪党であるのは全て誤解だと、スバルはそう言っていたのです」
「ふむ……」と、ヨム老師は一声呟き、瞳を瞬かせる。
「お主は小僧っ子の事を知る為にクロームの事を知りたいのだな?」
「はい、私は世間に流布されている以上の大賢者クロームの人となりを知りません。私はそれを知りたいのです」
「年寄りの昔話は長くなるぞ?」
「構いません。教えてください」

 私の言葉にヨム老師は、遠くを見つめるようにしてぽつりぽつりと話し始めた。

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