運命に花束を

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運命に祝福を

彼を探して ①

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 俺は歩き続ける。ファルスからランティスへ、そしてランティスからメリアへと。
 風の噂でランティスの王子とメリアの姫が結婚するという噂話を聞いた。最初はメリアの姫はもしかしてツキノの事か? と耳を疑ったが、よくよく話を聞けば王子と結婚すると噂になっている姫は先代のメリア国王陛下の一人娘なのだと聞いた。
 ツキノの従姉であるその姫の名前には確かに聞き覚えがあって、確か、それはツキノを幼い頃に殺そうとした相手ではなかっただろうか……? と、そんな話も頭を過ぎったのだが、今の自分にはそんな話は他人事で自分自身の事で手一杯だ。
 ランティスという国は本当に赤髪差別の激しさがファルスとは比べ物にならない。最初のうちこそ、なにくそ! と赤髪を晒して歩いていたが、いつしか俺は自身のその赤髪を隠し歩み始めた。
 自分に負けた、と言ってしまえば聞こえは悪いが、その方が何事も事がスムーズに進むと思えば、それは旅をする上でのただの処世術であると己を無理矢理に納得させる事ができた。
 ランティスから国境を越えてメリアに入ると、当たり前だが赤髪の差別はなくなって、旅は非常に快適になった。人を人として扱う、そんな当たり前の事が嬉しいだなんて変な感じだ。
 そこにあるのは地図の上での境界線、その見えない線を越えるだけで人の扱いが変わるのだ。そんな馬鹿らしい話、自分で体験してみなければ分かりもしない事だった。

「坊主、一人旅かい? 何処へ行くんだい?」
「何処、というか、この辺に山の民の集落はありませんか?」

 声をかけてきた露天商に自分の行き先を素直に告げると、とても怪訝そうな顔をされた。

「あんた、山の民の仲間かい?」
「別にそういう訳ではないのですけど、人を探しているんです。彼はたぶん山の民の集落のどこかにいるはずで……」
「悪い事は言わない、やめておけ。奴らには関わらない方がいい」
「それは、何故?」
「知らないのかい? 山の民と言ったら山賊の代名詞で、悪さばかり働く悪党の集まりなんだぞ」

 それは、ランティスの赤髪差別にも似て、露天商は「やめておけ」と言い募る。

「それでも俺は行かないと……大事な人なんです。彼を連れ戻さないと……」
「なんだ、山の民に誰か友達でも攫われたのかい?」
「…………」

 俺が言葉少なに俯くと、それだけで察したように露天商はこの辺りの山の民の集落を幾つか俺に教えてくれた。

「だが坊主、行くのはいいがくれぐれも気を付けろ、奴等は俺達とは根本的に生き方が違う、悪い奴ばかりではないのは分かっているが相容れない。山の民の集落は治外法権で、メリアの役人も手が出せない事が多いんだ、何かあっても泣き寝入りになる可能性が高い」
「俺、山賊に襲われて渡せる物とか何も持ってないので、大丈夫です」
「馬鹿言え、お前にはお前の命があるだろう? あと、お前という存在自体を奪われる事だってある。自分自身を乗っ取られないように気をつけろ」

 『命』は分かる、だが露天商の言う『存在自体を奪われる』という言葉の意味が理解できずに俺は首を傾げた。

「それはどういう意味ですか?」
「ん? そのままの意味だ。持っている身分証を奪われて、自分という人間自体を乗っ取られる事もあれば、怪しい薬物で精神崩壊寸前まで追い詰められる事もあるらしい。なにせ恐ろしい者達だよ『山の民』という奴等はな」

 ルーンで聞いた幾つかの話、そしてメルクードで聞いた薬物汚染の話。戸籍を奪われるメリア人の話しはユリ兄から聞いた、薬物の話しはウィルとロディ様から。その全ては山の民に繋がっているのか? と、俺は少し背筋に寒気が走る。
 そんな所にユリ兄は今、暮らしている。運命の番と共に彼は山の民となってしまったのだろうか? そんな恐ろしい人達と同じ所まで彼は堕ちてしまったのだろうか?
 俺は露天商に礼を言って教えられた集落を目指す。危険な事は分かっている、それでも俺は行かなければならないのだ。


 俺は山脈沿いに幾つかの山の民の集落を回った。気の良い人達もいれば、いかにも悪党暮らしという荒んだ瞳をした者達ばかりが暮らす集落もあった。けれど、そのどれもに彼等の生活があり、家族がいた。
 露天商に言われたような危険な目にはほとんど遭わなかったが、そんな彼等は俺を不審者を見るような瞳で、もしくは怯えたような瞳で見やった。

「こんな所までやって来るだなんて物好きな坊主だね。あんたは私達の事が怖くないのかい?」
「怖い噂はいくらも聞きました。だけど皆が皆悪い人ばかりではなかった。俺は自分の目で見たものだけしか信じない。俺はあなた達山の民が、そんなに悪い人間ばかりだとは思えないのです」

 「そんなあんたみたいな奇特な人間ばかりだったら、私達ももう少し生きやすい世の中だったろうにね」と、幾つか目の集落に暮らす村人は苦笑った。

「だが、残念だね、ここにはあんたの探しているような男は来ていないよ」

 その集落唯一の食堂の女将の言葉に俺は肩を落とす。

「その男は本当に山の民と一緒にいるのかい?」
「たぶん恐らく……」
「そうか……おおい、ユマ! あんた、どっか旅先でこの子の探し人を見かけたりはしてないかい?」

 女将が店の奥に声をかけると「は? なに?」と、一人の女が店の中にひょいと顔を覗かせた。背中の中ほどまで伸びた黒髪を整える事もなく無造作に括っただけのその女性は、化粧気もなく、あまり女を感じさせない。
けれど、よく見れば顔立ちはそこそこ整っていて、勿体ないなと俺は思う。

「なに? 何か言った?」
「この子、人を探しているんだって。金髪で大きな男なんだってよ。この辺りじゃ金髪なんて珍しいし、あんたどっかで見かけなかったかい?」
「金髪の大男ねぇ……」

 そう言って、ユマと呼ばれたその女性は首を傾げたのだが、しばらくすると「うん、知らない」と、からからと笑った。

「そうかい、あんたが知らないとなると、この辺の集落にはいないかもしれないねぇ」
「なに? その大男何かあるの?」

 彼女は少し興味のありそうなわくわく顔で俺達の方に寄って来る。

「探しているんです。会って確かめたい事があって……」
「へぇ、なんか訳ありかい? なんならお姉さんが話を聞くよ?」

 あまり女を感じさせないその女性は、興味を引かれたのだろう、俺の座る椅子の横にどかっと腰掛け「女将、ジョッキ一杯」と、まるで女らしくもない態度で酒を注文する。

「あんた、こんな真っ昼間から……」
「こんな真っ昼間から飲む酒だから美味いんでしょ」
「それ昨晩も言っていたよ。仕事終わりに飲む酒は最高だ、とか言っていたのは何処の誰だい?」
「酒はいつ飲んでも美味い!」
「あんた早死にするタイプだねぇ……」
「酒は飲んでも呑まれるなってね、ちゃんと節度を守って飲んでますぅ」
「本当かしら」

 女将は呆れたようにそう言って、彼女の前になみなみと酒の注がれたジョッキを一杯差し出した。彼女はそんなジョッキを片手に持ち、半分ほどを一気に煽る。
 なんかすごいな……自分も食堂の息子なので、こんな飲み方をする男性は何人も見てきたが、女性でこういう飲み方をする人は初めて見た。

「ぷはぁ、生き返る!」
「ろくすっぽ働いてもいないくせによく言うわね」

 呆れ顔の女将はやれやれと肩を竦める。

「んで、少年、その大男どこの誰で君は何故その人を探しているのかな?」
「え……えっと、その人はファルスの騎士団員です。ランティスのメルクードに留学に来ていたんですけど、行方不明になっちゃって……」
「へぇ、何か事件? って言うか、ファルスにランティス、そんでもってここはメリアよ、あなたは一体何処から来たの?」
「ファルスの田舎町です。カルネ領ルーンって知ってますか?」
「ルーン? アジェ様のとこの子?」
「奥方さまの事、知ってるんですか?」
「まぁね。でも君、メリア人じゃないのね」
「父が元メリア人で、今はファルスに暮らしています」

 彼女は「ふうん」と、瞳を細めた。

「で? 探し人もルーンの子?」
「いえ、彼はお父さんの仕事の都合であちこちを転々としていて、昔はルーンに住んでいた事もあったみたいですけど、ルーンの人間ではないです」
「へぇ、そんな人と君との接点が分からないんだけど、仕事関係? 君ももしかして騎士団員?」
「いえ、俺はまだ。目指してはいるんですけど、まだ年齢が足りないので……」
「え? 待って、君幾つ?」
「もうじき14です」

 「嘘でしょ」と、彼女は絶句する。そんなに驚かれるほどの事だったかな? まぁ、年齢言って驚かれるのはいつもの事だけど。

「そんな子供が1人で何やってるの!? この村は安全だけど、この近辺は安全な場所ばっかりじゃないんだよ!」
「そんな事は分かっています、それでも俺は行かなけりゃ……」
「その探し人が君のなんなのか分からないけど、子供のする事じゃない。家に帰った方がいいよ」
「それは、嫌です」
「行方不明って言うなら正規の役人だって動いているでしょう? 人探しなんて本職に任せて……」
「見付かったらきっと、捕まる! その前に俺が見つけ出さなきゃ駄目なんだ!」

 俺の叫びに店の女将もユマと呼ばれたその女性も驚いたような表情を見せる。

「やっぱり何か訳ありかい?」
「……少し前、ファルスの国境の町ザガで戦闘があったのはご存知ですか?」
「あぁ、そんな話聞いたねぇ。メリア人も何人か亡くなっていて、ファルスに渡ったメリア人もメリアに戻って来てるって聞いているよ。ファルスはランティスに比べてメリア人に優しい国だと思っていたのにねぇ。あれはメリア人を狙ったモノだったのか、それともファルス人を狙ったモノだったのかってちょっと話題になっていたね。で、それとあんたの探し人とは何か関係があるのかい?」
「犯人として、追われています……」
「へぇ?」

 ユマさんが瞳を細め、身を乗り出してきた。俄然興味が湧いたという表情だ。たくさんの人が亡くなっているのだ、その顔は不謹慎だとは思うのだけれど、俺には情報が必要で、俺は話し続ける。

「彼はファルスの騎士団員です。そして、その町の警護にあたっていたのが彼の父親。そんな彼がそんな故郷のような町を襲うだなんてあり得ないんです。そもそも彼はその時メルクードに留学していて、そんな話あり得ないはずで……でも、彼はその事件前後から行方知れずで、何処にいるか分からないんです」

 俺の言葉に身を乗り出していたユマさんが微かに驚いたような表情を見せた。

「その男の名前、ユリウス・デルクマン……?」
「なんでそれを……?」
「私の出身はファルスでね、国境の町を警護していたその父親って言うのを知っているのさ。そんでもって彼の息子で騎士団員って言ったら、もう一人しかいない。でも、なんでユリウスがそんな事を……?」
「それが分からないから、俺は彼を探しています」

 ユマさんはカウンター席に頬杖を付くようにしてしばし考え込み、しばらくすると「分かった」とひとつ頷いた。

「私もユリウスの捜索を手伝うよ。で、なんで君はここへ辿り着いたの? 何か目撃情報でもあったのかな?」
「彼はメルクードで『運命の番』に出会ったらしいんです。そして、その相手が山の民の娘だった、と」

 店の女将は俺の言った『運命の番』という言葉の意味が分からなかったのだろう「一体そりゃなんだい?」と小首を傾げたのだが。ユマさんの方は「へぇ、運命ねぇ……」と、興味も無さそうに呟いた。

「その相手の人、薬物中毒の人だったらしくて、そんな人達を保護していた施設から彼は彼女を攫って……」
「薬物!? またあいつ等かっ!」

 俺の言葉を遮るように、ユマさんが机を拳で叩く。

「何か知ってるんですか?」
「その薬物の出所だよ。確かにその薬物は一部の山の民がばら撒いているのさ、こっちはえらい迷惑しているんだ!」
「それ、どこですか!? 手がかりはその薬物中毒の山の民の女性だけなんです! 場所を教えてください!」
「止めときな、あいつ等は危険だ、関わらない方がいい」
「でも、だけど! もしそこにユリ兄がいるなら俺は……!」
「ユリ兄? 君達の関係って一体何なの? 確かにあそこの家は養子をたくさん引き取っていたけれど、もしかして君、彼の弟?」
「いえ、弟ではないです。でも、俺は彼の事を……兄のように慕っています」

 恋人だとは言えなかった。言う資格があるのかすら今の俺には分からなかったから。
 「そう」と、ユマさんは頷いて、息を零した。

「どうしても行くの?」
「行きます。あなたが教えてくれなくても、その集落がこの近くにある事が確認できた、だったら俺はそこに行く」
「止めても無駄か……」
「はい」

 またしても彼女は大きな大きな溜息を吐く。

「分かった、私も一緒に行こう」
「本当ですか?!」
「あぁ、でも居るかどうか確認するだけだよ、居なかったらすぐに撤退、あそこは本当は近付かない方がいい場所なんだ」
「何故ですか?」
「村人全員が薬物に侵されている。まともな人間がいないんだ。普通に見えている人間も全員、何かしらどこかが壊れている、そういう場所だよ」

 ユマさんは眉間に皺を刻んで、そう言った。もうそこには先程までの笑みは見えない。

「でも、もし彼がそこに居るとしたら、彼ももう……」
「それでも俺は……」

 瞳を伏せて呟いた俺に、彼女は「分かっているよ」と、そう言ってくれた。


 
その集落スランの場所は、俺が辿り着いた集落より更にファルス寄りの山の中にあった。
 遠目に見えたその集落は今まで巡ってきた集落と然程変わらない、とても普通の村のように見えた。

「あそこが、スラン?」
「そう。裏に回るよ、出来ればあまり村人達に気付かれたくない」

 そう言ってユマさんは村を大回りに迂回して渓谷側へと向かっていく。渓谷は村より高い位置にあり、そんな小高い丘の上から彼女は村の様子を窺った。

「おかしいね、村人の姿がずいぶんと少ない……」
「そうなんですか?」
「あぁ、いつもなら薬物を燻す煙ももっと立ち上っているのに、それもずいぶん少ないみたい」

 怪訝な表情のユマさんは、瞳を細めて目を凝らす。

「見えるのが女ばかりだね、男どもは出稼ぎにでも行ったか? それともまた……」

 ランティスで蔓延している薬物の正体がこの村で作られている薬物なのだとしたら、男達はもしかしたらその薬を売りに行った……? けれど、そんな薬を売りに行くのに大人数を連れて行く必要は無い、男性がほとんど村の中に居ないというのは、それだけでもう不自然だ。

「行ってみよう」

 そう言って裏からこそりと集落へ忍び込もうとするユマさんの身のこなしは軽く、俺は軽い既視感を覚える。

「あの、もしかしてユマさんって、黒の騎士団の人ですか?」
「え? なんで君、黒の騎士団の事知ってるの? ユリウスに聞いた?」
「はい。ちょっと色々あって、知り合いが何人かいるので」
「そう、でも生憎と私は黒の騎士団のメンバーではないわ。入りたかったけど、父に駄目だしをくらってね、腹が立ったから家出したの」
「家出……じゃあ、俺と同じですね」
「あら? あなたも家出なの? 駄目よ、親に心配かけちゃ……って、人のこと言えないんだったわ、私」

 ユマさんは少し困ったような表情で苦笑した。その笑みはどこかで見た事があるような、ないような感じで、俺はまた首を傾げる。

「俺なんか男なんで全然大丈夫ですよ。でもユマさんは女の人だし、家族の人心配していませんか?」
「うちは家族全員自由人だから大丈夫よ」

 そんな事を言って彼女は笑う。その笑顔はやはりとても綺麗で、男勝りなのはとても残念な気がしてならない。

「おっと、誰か来るわ……」

 集落の裏手、建物の影に隠れるようにしてユマさんは声を潜める。

「女の子ね、物凄く顔色が悪い。あの子、大丈夫かしら……」

 そう言ったユマさんの視線の先を追うと、確かにそこにはひどく痩せた女性がふらりとこちらへ向かって歩いて来る。そんな彼女に、ユマさんは心配そうな表情で、彼女が建物の影まで近付くとユマさんはその女性を俺達の方へと引きずり込んだ。

「っつ……!」
「ごめん、大声は出さないで。私達あなたに危害を加えるつもりはないの、少しだけ話を聞かせてちょうだい」

 その顔色の悪い少女の口元を覆って、ユマさんが彼女にそう告げると、最初は少し抵抗の様子を見せていた彼女だったのだが、如何せんその娘は酷く痩せていて、ユマさんの力ですら腕は振り解けなったようで、諦めたようにこくりと頷いた。

「村の男達がほとんど居ないようだけど、何処へ行ったの?」
「ランティス、メルクードに……長が連れて行ったわ」
「メルクード? 何故? 一体何をしに?」
「それは……」

 彼女は口籠るように瞳を伏せる。

「いや、そんな事より今日は別件だったわ。ねぇ、ここにユリウス・デルクマンって名前の男性はいないかしら?」

 彼女は驚いたように俺達2人を見やり、そして俺を凝視すると「ノエル……」と、一言呟いた。

「なんで俺の名前……」
「……見た事が、あるからよ」

 そんな事を言われても俺の方は彼女に会った記憶は欠片もなく、怪訝な表情を浮かべてしまったのだが、彼女はまた俯き「ユリウスなら居ないわ」と、そう言った。

「居ないって……それは元々ここに居たって事? それともそんな人はここには居ないって事?」
「今はいない、長が男達を全員連れて行ってしまったもの」

 彼女のその言葉は、ユリ兄はこの集落に居たとそういう事だ。そして、この村の長が彼をメルクードへと連れて行った……完全に行き違いだ。まさかこんな事態は予想外だ。
 でも何故? 何故長は彼等男達を連れてメルクードへと向かった? 俺が彼女を見やると彼女は気まずげに瞳を逸らした。

「長は一体何をするつもり……?」
「……この世界全ての王族を始末するの、彼がこの世界に平等をもたらすのよ」

 王族の始末……ザガではファルス国王陛下の次男ジャック王子が襲われた、そして今、ファルスの世継ぎであるジャン王子がメルクードに居る事を俺は知っている。そしてもちろんランティスの王子エリオット王子、2番目のマリオ王子、そしてカイトもロディ様もメリアのツキノも全員全員メルクードにいる……
 俺は自分の血の気が引いたのを感じた。各国の世継ぎがメルクードに集まっている、長はそれにユリ兄を連れて行ったと彼女は言ったのだ。
 ザガでユリ兄はたくさんの人を傷付けた、もしその力をメルクードで使うのならば、その被害はザガの比ではない。

「戻らなきゃ……」
「え? おい、ノエル!!」

 俺は踵を返す。止めなければいけない、今、彼を止めなければ取り返しのつかない事になる。

「もう、誰にも止められないわ……」

 女性が静かにそう言った言葉が胸に刺さり、俺は彼女と対峙する。

「それでも俺は行かなけりゃ、きっと大変な事になる」
「貴方には何も出来ないわ」

 射るような眼差しだ。先程までのおどおどとした態度が嘘のように彼女ははっきり俺にそう告げる。確信の籠ったような彼女のその言葉が悔しくて、俺はまた拳を握った。

「ねぇ、あなた、ずいぶん顔色が悪いみたい。もしこの村を出たいという気があるのなら、私が安全な場所まで連れて行くわよ?」
「私はこの村を離れられない。それに私はここで彼を待つって約束しているの、この子と一緒に……」

 そう言って、彼女は愛おしそうに自身の腹を撫でた。

「子供が、いるの……?」
「えぇ、大事な大事な子供なの。だから私はここで彼を待つわ」

 「そう」と、ユマさんは諦めたように大きな溜息を零した。
 まるで生気を感じられない枯れ木のような女性、それでもそこには命が宿り、そうやって命が繋がれているのかと思うと俺は言わずにはいられない。

「元気な赤ちゃん、産んでくださいね……」



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