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運命に祝福を
グライズ公爵とレイシア姫 ①
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俺は苛立っている。何に苛立っているのか? と問われれば、何とも明言し難いのだが、どうにもこうにも苛立ちが隠しきれない。
「お前ら……どうでもいいけど、何故何でもかんでも俺達を巻き込もうとするっ! 俺達はあんた達に協力するとは言ったが、こんな話は聞いてない!」
「まぁまぁ、ツキノ怒らない、怒らない」
「あら、これはあなたが持ってきたお話ですもの、最後まで責任を持つのが筋ってモノではなくて?」
「全くだ、こんな面倒な事になったのは一体誰のせいだと思っている」
好き勝手な部屋の住人達、確かにメリア王家の姫レイシアとランティス王家の王子エリオットの結婚を後押ししたのは俺だけども、そこは打算渦巻く政略結婚で、あとの交渉はお互いでやってくれればいいものを、何故か姫と王子は俺とカイトを間に挟んでずっと対話を続けている。
もっと口を挟んでくるかと思っていた執事のアレクセイさんも何も言わずに彼等の対話を黙って聞いていて、それはそれで少し薄気味悪い。
今現在俺達がいるのはレイシア姫の宿の部屋。ずいぶん豪奢な部屋で、リビングなんてものまで常設されている訳だけど、そのリビングで姫と王子は対峙している。
ここにエリオット王子が訪ねてくるのは初めてではない、もう既に何度かお互い顔を合わせていて、あとはもう大人同士で話し合いでも何でもしてくれたらいいのに何故か2人は俺とカイトを傍に置きたがる、俺はたぶんそれに非常に苛立っているのだと思う。
「お前もお前だっ! 何呑気に茶なんてすすってるんだ!」
「えぇ……僕はツキノの傍にいられれば、とりあえず満足だからだよ」
「毎回毎回保護者付きの逢引で、落ち着いていられるお前の神経が分からん!」
「あの人はただの壁の絵だと思えばいいって何度も言ったよ?」
それもそれでどうなのかと俺が溜息を零すと、カイトの台詞を聞いた当の保護者も苦虫を噛み潰したような表情だ。まぁ、なんだ……心中はお察しする、と言ったところか。同情はしないけど。
それにしても、今日はやけにカイトの甘い匂いが鼻に付く、カイト自身も少しぼんやりしていて体調でも悪いのかと思ったのだが、そこでふと思い当たる。
「カイト、お前、もしかしてそろそろ発情期……?」
「え……あれ?」
少し驚いたような表情のカイト、指折り何かを数えて「もしかしたら、そうかも」と、ほにゃんと笑った。「そうかも」ってお前! 無防備にも程があるだろう! 番契約を結んだ相手が居るオメガの匂いは他のアルファには効きにくいとは言え、それでも発情期のオメガのフェロモンは別物で、無闇とアルファを惑わせる。こんな状態のカイトをこんな場所に置いてはおけない。
「カイト、来い」
カイトの腕を掴んで俺が言うと「え……何処行くの?」と、カイトはほんやり首を傾げた。
「そんな状態のお前を放っておけるか! 俺の部屋に決まってんだろっ」
「ちょっと待て、それは父親として容認出来ない」
すると脇からストップがかかり、俺はそんなエリオット王子を睨み付ける。
「俺とカイトは既に番だ、父親であっても口出しは無用」
「そんな訳あるか! 親には子を守る義務がある!」
「だったらあんたは親に言われて番相手を手離したのか! 諦めて他のオメガと番おうと思った事があるのか!? 他人の言いなりになって発情期の番相手を放っておく事ができるのか!」
「カイルには発情期がなかったから……」
「そんなの知った事か! 番相手を長年放りっぱなしにしてきた、あんたみたいな人間に、俺達2人の関係に口出しされるのなんて真っ平だ」
「なっ……」
言葉に詰まる王子、カイトは「ツキノ格好いい」と、ほにゃんと笑った。そのまま引き摺るようにカイトを部屋に連れ込み、額に手を当てると少し熱い。熱が出ている?
「お前実はあんまり体調も良くないんだろう?」
「ううん、どうかな? 少しふわふわはしてるかも、ツキノが帰って来て安心しちゃったのかもね~」
俺が誘拐されてからの1ヵ月近く、カイトはカイトで色々あったようで、もしかしたら疲れも相当溜まっていたのかもしれない。
俺はベッドにカイトを放り込み、布団を掛けて頭を撫でた。
「ツキノ、一緒に寝てくれないの?」
「発情期かと思ったけど、どうもそれだけでも無さそうだからな。お前、今『やりたい』より『寝たい』の方が前面に出てるんじゃないのか?」
「そんな事ないよ~?」
「嘘こけ、本気の発情期ならお前の事だ、とっくに俺の事押し倒してるだろ」
小突くように額を指で突くと、掛け布団を口元まで持ち上げたカイトは「んふふ~バレたぁ」と微笑した。けれど、たぶん彼の発情期が近いのも間違いではないのだろう、カイトからは色香が零れ出し、俺の本能が疼く。
「ちゃんと発情期までに体調戻せ、今度は俺の番だって言っておいたはずだろ、発情期は3ヶ月に一度、なのに体調不良で出来ませんでした、なんて言わせねぇからな」
「別に、こういうのは発情期中にやらないといけない訳じゃないんだよ? むしろ発情期にやる事やると、子供できちゃう可能性も高いのに」
「何か問題あるか?」
「問題……は、ないけど、不安は残るよね」
「不安?」
カイトは分からないの? と言いたそうな表情で苦笑する。
「僕は今、騎士団員として働いていてちゃんとお金を稼いでいるよ。もしツキノに子供が出来たら僕の給金と蓄えで養っていく気でいるけど、僕の方に子供が出来たら僕たち3人どうやって食べていくんだろう? 子育てはツキノに任せるとして、身重で働くのはキツイし、その間は収入ゼロなのはさすがに少し不安だろ?」
「…………」
「もしかして何も考えてなかった? ツキノはそういう所、本当に少し甘えてるよね」
番になる少し前、やはり同じような内容で喧嘩をした事がある。カイトは俺に『ツキノは口ばかりで計画性は何も無い』とそう言った。確かにその通りだ、俺はその頃から全く変わっていない。
「なんでもやってみればなんとかなるとツキノは思っているのかもしれないけど、僕はそういうのちょっと不安だし、考えちゃうんだよね」
「…………」
「ツキノ、もしかして怒った?」
「いや、自分で自分に呆れていただけだ。父さんと母さんはそんな生活臭みたいなものを感じさせなかったからな。確かに父さんは働いていたし、母さんも何かよく分からないカラクリ人形を作って売る事だってしていたのは、俺達を養い育てる為だ。あの2人はそれをとても楽しそうにやっていたから、当たり前すぎてあまり考えてもいなかったけど、子供を育てるってそういう事だよな……」
根無し草のように周りに守られ生きているだけの自分が、子を成し育てるだなんておこがましいにも程がある。
これはそんな簡単な話ではない、子供という人一人の命がかかっているのに、そんな簡単な事にも気付いていなかった自分もどうかと思う。
カイトはそんな事も全て考えた上で俺に子供が出来てもいいと思っていて、逆に俺は何も考えずにカイトも同じ考えなのだと勝手に思っていた、これは由々しき問題だ。
そんな事を思った矢先、部屋の扉が控え目にノックされる……いや、扉ではない、音の発生源が出入り口とは明らかに反対方向だ。
「え、なに……」
カイトが警戒するようにベッドから起き上がる、俺は音の発生源を見極め、それが天井の一角である事を突き止めると、護身用に身に付けていた短刀を無言でそこに投げつけた。
短刀は見事に天井の一角に命中、そのノック音は止んだのだが、天井板がゆっくり動き「危ないだろ……」と、一人の男が顔を覗かせた。
その顔には見覚えがある、ルーンで世話になった黒の騎士団員の一人、ルークさんだ。
「そうかな? とは思ったけど、敵だった場合躊躇なんてしていられないだろう?」
「まぁ、その警戒心は正解だけど、こっちはあんまり武術には通じていないんだから、まずは『誰だ!?』くらい言って欲しかったよ、そしたらこっちだって答えるんだから……」
そう言って、ルークさんは「そっち行っていい?」と、小首を傾げた。
「あんた達の方からこっちに繋ぎを取ってくるなんて珍しいな、何かあった?」
「まぁねぇ……」
そんな事を言いながら、ルークさんは天井裏から這い出てきた。ホントどこにでも忍び込むよな、この人達……
「君達と話せる機会を窺っていたんだ、最近君達はいつも誰かと一緒で声もかけられなかったから」
「ふぅん、そうなんだ。で、話って……?」
「グライズ公爵のことだよ」
グライズ公爵、レイシア姫をここメルクードへと呼び寄せた張本人、彼女を足がかりに王家に繋ぎを作り、権力を手に入れようとしている策略家。そして、この国ランティスを陥れようとしている悪者でもある。
「何か分かったのか?」
「ファルスであった事件、黒幕はグライズ公爵だった」
「あの武闘会の?」
「そう、グライズ公爵は公爵だけど商売も上手でね、商人との繋がりが強いんだ。あの事件ランティスの商人が至る所で暗躍していただろう? 裏で口を利いていたのがグライズ公爵だったんだよ」
ルークさんの言葉は腑に落ちる部分もあるのだが、同時に幾つも疑問が湧く。
「でも、なんでそれがファルスだったんだ? グライズ公爵はランティスの人間で、ファルスを攻める理由がない」
「まぁ、それをしいて言うのなら『実験』だったんじゃないかな?」
「実験?」
「迂闊に自国で事を起せば、それが発覚した時にそれだけで計画は失敗に終わり、自分も破滅する。どういう風に動いたら、相手はどういう風に動くのか、彼はそれを知りたかったんだと思う。国を相手にするには慎重さが大事だよ。いざ事が起こった時、国はどうやって動くのか、国は違えどもそれはどこの国だってそう大差はないはずさ、そして、そんな事を考えている時に公爵と繋ぎを取ってきたのがクロウ・ロイヤーだった」
クロウ・ロイヤー、武闘会の事件の時の黒幕のうちの一人。その計画性は杜撰そのもので計画そのものも穴だらけであったのだが、それでもそれは実験になったのだろうか?
けれど事件は起こり、ひとつ間違えば大惨事という所までは言ったのだからあながち大失敗だったとは言えないのかもしれないけれど。
「クロウ自身はそんな事は知らず、計画に出資してくれる人がいる、というそれだけの理由でその計画に喰いついた。元々クロウはファルス王家を憎んでいたから話を通すのは簡単だったみたいだよ。ついでに言えばグライズ公爵自身も黒髪の国王というのには思う所があったみたいでね、資金援助と根回しにはかなり力を注いでいたみたいだ。実はグライズ公爵自身にも何かファルス王家を恨む理由のような物があったのかもしれないね」
「理由……グライズ公爵は何故そんなに黒髪を憎む? 確かにあいつは俺のこの黒髪を見て、嫌悪の瞳を向けた、それには何か特別な理由でもあるのか?」
「あぁ、ツキノはあの人に会っているんだった……そうか、やっぱりあの人は黒髪を憎んでいるんだな」
ルークさんはひとつ息を吐く。
「たぶんオレはその理由を知っている」
「それって何か特別な理由なんですか?」
ベッドから起き上がったカイトが不思議そうに小首を傾げた。
「……本当に単なる私怨だよ。公爵の母親はもう10年も前に亡くなっているんだが、彼女には『運命の番』の相手がいたんだよ。それは先代のグライズ公爵ではなく、うちの村の村人だった」
「え……それって黒の騎士団の人って事ですか?」
「あぁ、そうだ。彼女はその男に出会った時には先代のグライズ公爵と結婚していたし、既に現在のグライズ公爵も生まれていた」
「もしかして、グライズ公爵が黒髪を憎んでいるのは母親の不倫相手が黒髪だったから……?」
「貴族の人間にとって不倫なんてたいした事じゃない、そんなのは大人の火遊びだ、それくらいの事で彼はそこまでオレ達を憎んだりはしなかったと思う」
それもそれでどうかと思うのだけど、金持ちの感覚ってよく分からない。
「けれどグライズ公爵はどこかでそんな2人の逢引を見ていたんだろうな、その頃まだ彼は子供でアルファとオメガの深い繋がりなんて知らなかったんだと思う。先代のグライズ公爵はベータで、彼女を番にする事は出来なかった、だからうちの村のその男は彼女にとって唯一の番相手だったんだよ。オレ達バース性の人間のまぐわいは君達も知っている通りとても本能的なものだ、そんな本能のままの母親を目にした彼はその時どこか狂ってしまったのかもしれないな……」
「狂う?」
「そう……彼はグライズ公爵家の跡取りで、何でも手に入れられる環境で育っていた、父親はベータだったが、彼は母親の性を強く引いてアルファとして生を受けた。そして思春期にかかる頃には周りにいたオメガを手当たり次第に喰い散らかしていたんだよ。公爵家の跡取りのする事だ、誰も文句なんて言えなくて娘達も泣き寝入り、そんな中で彼が唯一落とせなかったオメガがいる、それが誰だか分かるかい?」
そんな事を突然言われて分かる訳もない。今出てきた登場人物の中にその人物はいたのだろうか……?
「それ、誰だったんですか……?」
カイトの問いかけに、ルークさんは瞳を伏せるように苦笑して「彼の……母親だよ」と、そう言った。
「!? 母親って、そんなの当たり前じゃないかっ! そもそも母親なんてそんな対象にもならないだろ!?」
「そうだね、それが普通の人間の感覚だ、だけど彼は違った。彼には怖いものなんて何もなかった、勿論手に入らない物なんて何ひとつもない。この世界のオメガは全て自分の物で、そんな彼の手に入らない物などないと彼はそう思っていた。彼はね、自分の母親を犯して母との間に子供までもうけていたんだよ……」
!!? もう、驚きすぎて言葉も出ない。そんなのは人の所業ですらないと思うのに、ルークさんはそれを淡々とした口調で話し続ける。
「だけどね、彼の母親は決して彼の物にはならなかった、それは勿論彼女が彼の母親だったからというのもあるのだけど、どれだけ彼女を自分の物にしようとその項を齧っても、彼女は彼の物にはならなかった。何故なら彼女には既に番相手がいたからだ。『運命の番』って言うのは絶対的なものでね、どれだけアルファに都合よく出来たこのシステムでも、運命の番がいるオメガを自分の番になんて出来なかったんだよ」
バース性の番契約、それには俺達も振り回された口だ。アルファはオメガの項を噛む事でその相手のオメガを自分の番にする。俺はオメガに項を噛まされた、そして一度は番になったが改めてカイトの項を噛む事でその契約は破棄更新されたのだ。
けれど、オメガの側からはこの番契約は破棄できない。その契約はアルファの側が契約を破棄する事はできてもオメガの側からはできないのだ、けれど唯一例外があるとするならば、それは元々運命の相手以外と番契約を結んでいた場合。
『運命の番』である相手のアルファに項を噛まれる事で、その契約は更新される。逆に言えば『運命の番』と番になっているオメガはどれだけ他のアルファに項を噛まれても、その『運命』ではないアルファの番相手には決してなれない、とそういう事だ。
「公爵は気にいったオメガを片端から喰い散らかして、次々番相手を変えていった、一度番になって捨てられたオメガがどういう目に遭うのかも分かっていながら、それを楽しむように次々とオメガを食い物にしていったんだ」
「酷い……」
カイトが眉を顰めて呟いた。世の中にはそんなアルファがいるという話も警告も込めて噂程度に聞いた事はあったが、現実でそんな事をする人間がいるというのに本当に嫌悪しか感じない。
「だけど、唯一番に出来なかった母親に彼は酷く執着した。それは母との間に子まで成して、母親を苦しめた。そして、そんな彼女の姿を当の番相手も見ていられなかったんだよ……」
「あぁ、そうだよ! その番相手、一体何してたのさ! 自分の番相手がそんな事になっていたのに、それまで何もしなかったのか!?」
「彼女と出会った時に、その人だって一度は彼女を攫おうと思ったんだよ、だけどその時にはもう彼女には旦那と子供がいて、しかも旦那は身体の弱い彼女に何不自由を与える事もない完璧な相手だった、だから彼女の事を愛していても彼女の前から身を引いたんだ。彼女の方も彼に付いて行く程の勇気はなくて、結局2人はお互いを想いながらも長い事会わずに暮らしていたんだ、だから彼は彼女がそんな事になっているだなんて、本当に何も知らなかったんだよ」
「でも、そんな彼女の境遇に彼は気が付いたんだ?」
「もうその時には色々と手遅れだったけどね……」
ルークさんは溜息を零すようにそう言った。
「オレがもう少し早く気が付いていれば……」
「……? もしかして、その彼ってルークさん?」
「はは、違うよ。そもそもグライズ公爵はオレより年上だろ、その母親とオレが番とかあり得ないからね。だけど、その番相手がオレの近親者なのは間違いないし、オレがもう少し早くその色々な事実に気が付いていたら、ここまで拗れた事にはなっていなかったんじゃないかって、そんな風にも思うんだよ……」
それは後悔の念なのだろ、いつも笑顔の彼の表情は沈痛な面持ちで、見ているこちらが辛くなる。彼がそこにどのように関わっていたのかも分からないのだが、余程悩み苦悩したのだろうとそう思う。
「結局それで2人はどうなったんですか?」
「彼女が亡くなる直前だよ、彼は彼女を迎えに行って、彼女をその屋敷から攫ってきた。それこそグライズ公爵の目の前から彼女を攫って逃げたんだ。結局、唯一手に入れられなかった女を目の前で攫われた、それが黒髪の男だったら……」
「そんないかれた男なら、逆恨み的に憎んでいても不思議じゃないな」
それが、グライズ公爵が黒髪の人間を憎む理由なのか。
「彼女と公爵との間に生まれた子供はアルビノの男性オメガだった。彼女はその子の事をとても案じていて、その子はやはり攫うようにしてオレ達の村で引き取ったんだが、公爵はその子供も躍起になって探している。公爵がオメガの奴隷売買をしていたり、オメガ狩りをしたりするのはその子供を捜す為でもあるんだよ。唯一落ちなかった女の子供、そして自分自身の子供だ。彼はそれを探している」
「アルビノ?」
「先天性色素欠乏症、体中が白いんだ、肌はもちろん髪の毛まで真っ白だよ」
「そんな人、見た事ない」
「でも、世の中にはいるんだよ。オレ達黒髪と同じ、迫害される事も多くてね、しかも彼は男性オメガ、この世の中じゃ生きていくのも一苦労だ。だけど、彼はオレ達の村で呑気に元気に暮らしているよ。でも、そんな見た目だからね、世間に出たらすぐに見付かってしまう、彼はオレ達の村から出る事もできない」
アルビノ、先天性色素欠乏症……俺自身の両性具有も世の中ではあまり見られるものではない、その生き辛さは分かる気がする。
「公爵はその子供を探し出してどうしようと思っているんだろう?」
「対外的にはその子は行方不明になった彼の弟だ、弟を案じる良い兄を演じてはいるが、公爵は母親を一人のオメガとしてしか扱わなかった男だからな、自分の子供だとしてもオメガの息子をまともに探しているとは思えないな」
「ねぇ、ちょっと質問なんだけど、それだけオメガを食い散らしておきながら公爵には他に子供はいないの?」
「彼は色男で通っているからな、結婚すらしていない。相手を次々乗り換えるようなそんな男にそう易々と子は出来ないよ。元々アルファは生殖能力が低いからな」
そういえば、俺はあの男に自分の子供を産めと言われたのだった、思い出すだけでも腹立たしいが、あいつは自分の跡を継ぐ優秀な子供を欲しているのかもしれない。その為にもオメガを集め、子を成そうとしているのではないだろうか? そしてそのオメガの中には我が子ですらも入っているのかもしれない。
「知れば知るほど気持ちの悪い男だな、グライズ公爵」
「本当に、そうだよね。でも、今そんな男が政治の中心に立とうとしているんだよ」
「そんな人間を信頼しちゃう人の気が知れないよ」
「優秀さが売りのアルファは、人たらしでも優秀な事を君達も分かっているだろ?」
グライズ公爵がどれ程の人間なのか、たかだか数分の交流では推し量る事も出来なかったが、そういう意味では彼は相当なやり手だとそういう事なのだろう。
「でもさ、ちょっと不思議なんだけど、そのグライズ公爵って黒髪嫌いなんだろ? だったらなんで『山の民』と手を組んでるの? 薬をばら撒いているのは山の民で間違いなかったんだろ?」
俺のいなかった間にカイトはここメルクードで薬物中毒患者と思われる男に襲われたのだと聞いた。そいつは「薬は山の民から買った」と、供述しており、その薬物の裏には山の民がいるという事は黒の騎士団の調べてある程度はっきりしてきた。そして、その出所である山の民の集落を特定するのも時間の問題だと思われている。
「そこはもう商売と恨みは別問題だったのか、そもそもグライズ公爵はその薬の出所が山の民だと思っていなかった節もあるんだよね。商売になるから仕入をして売る、それがそこまで危険なものである事をグライズ公爵自身が気付いていない可能性もあるんだよ」
「……どういう事?」
「だからね、彼は何人もの商人を抱え込んで商売をしているけど、その末端部分の仕入れにまでは関与してないって事。商売になると判断すれば金は出す、だけどそれだけ。そんな彼の販売網を利用して薬をこの国にばら撒いている人間は他にいるのかもしれないって、今はそこまで……」
「まだ他にも悪巧みを働いている輩がいるって言うのか、そんでもってそれは山の民? ったく、どうなってんだよ」
俺は苛々と髪を掻き上げる、そしてなおもルークさんは浮かない顔だ。
「黒髪の山の民、オレ達とたぶん祖は同じ、だけどオレ達とは違って彼等は何処に行っても疎まれる。オレ達はボスに拾われて役割分担を与えられ、生活に不自由のない給金も与えられているけれど、山の民は違う。彼等は何処でも疎まれて食うに困るほどの差別を受ける。それは何処の国に行っても同じで、居場所がない。そんな山の民がこの世界を恨み憎む事を誰も否定なんて出来ない、そんな風にしてしまったこの世界の理が間違っているのだとオレは思う」
「そういう悪さをすれば余計に疎まれるのは仕方がないだろ」
「もう既に散々我慢はしてきたのさ、自分達が自由に暮らせる、それだけを考えて友好的にやっていこうと手を差し伸ばしても、何度もその手を振り払い続けられたらどんな馬鹿だって手を伸ばす事が怖くなる。そして、自分を受け入れないこの世界の方を憎むようになると思うよ。それはほんの少しのきっかけで仲違いなんてあっという間だ、それこそここランティスの歴史がそれを証明している」
ランティスとメリアが仲違いをした理由、それは仲の良かった双子の兄弟の確執からきている。それは些細な行き違いから、悪巧みを考える悪人の吹き込んだ間違った情報を鵜呑みにした結果の出来事で、そんな歴史は何度でも繰り返されている。
それが些細であればある程、譲れなくなる部分もあって、そうして争いは繰り返される。
「厄介な事だな」
俺の言葉に「本当にな」と、ルークさんは頷いて、また微かに瞳を伏せた。
「お前ら……どうでもいいけど、何故何でもかんでも俺達を巻き込もうとするっ! 俺達はあんた達に協力するとは言ったが、こんな話は聞いてない!」
「まぁまぁ、ツキノ怒らない、怒らない」
「あら、これはあなたが持ってきたお話ですもの、最後まで責任を持つのが筋ってモノではなくて?」
「全くだ、こんな面倒な事になったのは一体誰のせいだと思っている」
好き勝手な部屋の住人達、確かにメリア王家の姫レイシアとランティス王家の王子エリオットの結婚を後押ししたのは俺だけども、そこは打算渦巻く政略結婚で、あとの交渉はお互いでやってくれればいいものを、何故か姫と王子は俺とカイトを間に挟んでずっと対話を続けている。
もっと口を挟んでくるかと思っていた執事のアレクセイさんも何も言わずに彼等の対話を黙って聞いていて、それはそれで少し薄気味悪い。
今現在俺達がいるのはレイシア姫の宿の部屋。ずいぶん豪奢な部屋で、リビングなんてものまで常設されている訳だけど、そのリビングで姫と王子は対峙している。
ここにエリオット王子が訪ねてくるのは初めてではない、もう既に何度かお互い顔を合わせていて、あとはもう大人同士で話し合いでも何でもしてくれたらいいのに何故か2人は俺とカイトを傍に置きたがる、俺はたぶんそれに非常に苛立っているのだと思う。
「お前もお前だっ! 何呑気に茶なんてすすってるんだ!」
「えぇ……僕はツキノの傍にいられれば、とりあえず満足だからだよ」
「毎回毎回保護者付きの逢引で、落ち着いていられるお前の神経が分からん!」
「あの人はただの壁の絵だと思えばいいって何度も言ったよ?」
それもそれでどうなのかと俺が溜息を零すと、カイトの台詞を聞いた当の保護者も苦虫を噛み潰したような表情だ。まぁ、なんだ……心中はお察しする、と言ったところか。同情はしないけど。
それにしても、今日はやけにカイトの甘い匂いが鼻に付く、カイト自身も少しぼんやりしていて体調でも悪いのかと思ったのだが、そこでふと思い当たる。
「カイト、お前、もしかしてそろそろ発情期……?」
「え……あれ?」
少し驚いたような表情のカイト、指折り何かを数えて「もしかしたら、そうかも」と、ほにゃんと笑った。「そうかも」ってお前! 無防備にも程があるだろう! 番契約を結んだ相手が居るオメガの匂いは他のアルファには効きにくいとは言え、それでも発情期のオメガのフェロモンは別物で、無闇とアルファを惑わせる。こんな状態のカイトをこんな場所に置いてはおけない。
「カイト、来い」
カイトの腕を掴んで俺が言うと「え……何処行くの?」と、カイトはほんやり首を傾げた。
「そんな状態のお前を放っておけるか! 俺の部屋に決まってんだろっ」
「ちょっと待て、それは父親として容認出来ない」
すると脇からストップがかかり、俺はそんなエリオット王子を睨み付ける。
「俺とカイトは既に番だ、父親であっても口出しは無用」
「そんな訳あるか! 親には子を守る義務がある!」
「だったらあんたは親に言われて番相手を手離したのか! 諦めて他のオメガと番おうと思った事があるのか!? 他人の言いなりになって発情期の番相手を放っておく事ができるのか!」
「カイルには発情期がなかったから……」
「そんなの知った事か! 番相手を長年放りっぱなしにしてきた、あんたみたいな人間に、俺達2人の関係に口出しされるのなんて真っ平だ」
「なっ……」
言葉に詰まる王子、カイトは「ツキノ格好いい」と、ほにゃんと笑った。そのまま引き摺るようにカイトを部屋に連れ込み、額に手を当てると少し熱い。熱が出ている?
「お前実はあんまり体調も良くないんだろう?」
「ううん、どうかな? 少しふわふわはしてるかも、ツキノが帰って来て安心しちゃったのかもね~」
俺が誘拐されてからの1ヵ月近く、カイトはカイトで色々あったようで、もしかしたら疲れも相当溜まっていたのかもしれない。
俺はベッドにカイトを放り込み、布団を掛けて頭を撫でた。
「ツキノ、一緒に寝てくれないの?」
「発情期かと思ったけど、どうもそれだけでも無さそうだからな。お前、今『やりたい』より『寝たい』の方が前面に出てるんじゃないのか?」
「そんな事ないよ~?」
「嘘こけ、本気の発情期ならお前の事だ、とっくに俺の事押し倒してるだろ」
小突くように額を指で突くと、掛け布団を口元まで持ち上げたカイトは「んふふ~バレたぁ」と微笑した。けれど、たぶん彼の発情期が近いのも間違いではないのだろう、カイトからは色香が零れ出し、俺の本能が疼く。
「ちゃんと発情期までに体調戻せ、今度は俺の番だって言っておいたはずだろ、発情期は3ヶ月に一度、なのに体調不良で出来ませんでした、なんて言わせねぇからな」
「別に、こういうのは発情期中にやらないといけない訳じゃないんだよ? むしろ発情期にやる事やると、子供できちゃう可能性も高いのに」
「何か問題あるか?」
「問題……は、ないけど、不安は残るよね」
「不安?」
カイトは分からないの? と言いたそうな表情で苦笑する。
「僕は今、騎士団員として働いていてちゃんとお金を稼いでいるよ。もしツキノに子供が出来たら僕の給金と蓄えで養っていく気でいるけど、僕の方に子供が出来たら僕たち3人どうやって食べていくんだろう? 子育てはツキノに任せるとして、身重で働くのはキツイし、その間は収入ゼロなのはさすがに少し不安だろ?」
「…………」
「もしかして何も考えてなかった? ツキノはそういう所、本当に少し甘えてるよね」
番になる少し前、やはり同じような内容で喧嘩をした事がある。カイトは俺に『ツキノは口ばかりで計画性は何も無い』とそう言った。確かにその通りだ、俺はその頃から全く変わっていない。
「なんでもやってみればなんとかなるとツキノは思っているのかもしれないけど、僕はそういうのちょっと不安だし、考えちゃうんだよね」
「…………」
「ツキノ、もしかして怒った?」
「いや、自分で自分に呆れていただけだ。父さんと母さんはそんな生活臭みたいなものを感じさせなかったからな。確かに父さんは働いていたし、母さんも何かよく分からないカラクリ人形を作って売る事だってしていたのは、俺達を養い育てる為だ。あの2人はそれをとても楽しそうにやっていたから、当たり前すぎてあまり考えてもいなかったけど、子供を育てるってそういう事だよな……」
根無し草のように周りに守られ生きているだけの自分が、子を成し育てるだなんておこがましいにも程がある。
これはそんな簡単な話ではない、子供という人一人の命がかかっているのに、そんな簡単な事にも気付いていなかった自分もどうかと思う。
カイトはそんな事も全て考えた上で俺に子供が出来てもいいと思っていて、逆に俺は何も考えずにカイトも同じ考えなのだと勝手に思っていた、これは由々しき問題だ。
そんな事を思った矢先、部屋の扉が控え目にノックされる……いや、扉ではない、音の発生源が出入り口とは明らかに反対方向だ。
「え、なに……」
カイトが警戒するようにベッドから起き上がる、俺は音の発生源を見極め、それが天井の一角である事を突き止めると、護身用に身に付けていた短刀を無言でそこに投げつけた。
短刀は見事に天井の一角に命中、そのノック音は止んだのだが、天井板がゆっくり動き「危ないだろ……」と、一人の男が顔を覗かせた。
その顔には見覚えがある、ルーンで世話になった黒の騎士団員の一人、ルークさんだ。
「そうかな? とは思ったけど、敵だった場合躊躇なんてしていられないだろう?」
「まぁ、その警戒心は正解だけど、こっちはあんまり武術には通じていないんだから、まずは『誰だ!?』くらい言って欲しかったよ、そしたらこっちだって答えるんだから……」
そう言って、ルークさんは「そっち行っていい?」と、小首を傾げた。
「あんた達の方からこっちに繋ぎを取ってくるなんて珍しいな、何かあった?」
「まぁねぇ……」
そんな事を言いながら、ルークさんは天井裏から這い出てきた。ホントどこにでも忍び込むよな、この人達……
「君達と話せる機会を窺っていたんだ、最近君達はいつも誰かと一緒で声もかけられなかったから」
「ふぅん、そうなんだ。で、話って……?」
「グライズ公爵のことだよ」
グライズ公爵、レイシア姫をここメルクードへと呼び寄せた張本人、彼女を足がかりに王家に繋ぎを作り、権力を手に入れようとしている策略家。そして、この国ランティスを陥れようとしている悪者でもある。
「何か分かったのか?」
「ファルスであった事件、黒幕はグライズ公爵だった」
「あの武闘会の?」
「そう、グライズ公爵は公爵だけど商売も上手でね、商人との繋がりが強いんだ。あの事件ランティスの商人が至る所で暗躍していただろう? 裏で口を利いていたのがグライズ公爵だったんだよ」
ルークさんの言葉は腑に落ちる部分もあるのだが、同時に幾つも疑問が湧く。
「でも、なんでそれがファルスだったんだ? グライズ公爵はランティスの人間で、ファルスを攻める理由がない」
「まぁ、それをしいて言うのなら『実験』だったんじゃないかな?」
「実験?」
「迂闊に自国で事を起せば、それが発覚した時にそれだけで計画は失敗に終わり、自分も破滅する。どういう風に動いたら、相手はどういう風に動くのか、彼はそれを知りたかったんだと思う。国を相手にするには慎重さが大事だよ。いざ事が起こった時、国はどうやって動くのか、国は違えどもそれはどこの国だってそう大差はないはずさ、そして、そんな事を考えている時に公爵と繋ぎを取ってきたのがクロウ・ロイヤーだった」
クロウ・ロイヤー、武闘会の事件の時の黒幕のうちの一人。その計画性は杜撰そのもので計画そのものも穴だらけであったのだが、それでもそれは実験になったのだろうか?
けれど事件は起こり、ひとつ間違えば大惨事という所までは言ったのだからあながち大失敗だったとは言えないのかもしれないけれど。
「クロウ自身はそんな事は知らず、計画に出資してくれる人がいる、というそれだけの理由でその計画に喰いついた。元々クロウはファルス王家を憎んでいたから話を通すのは簡単だったみたいだよ。ついでに言えばグライズ公爵自身も黒髪の国王というのには思う所があったみたいでね、資金援助と根回しにはかなり力を注いでいたみたいだ。実はグライズ公爵自身にも何かファルス王家を恨む理由のような物があったのかもしれないね」
「理由……グライズ公爵は何故そんなに黒髪を憎む? 確かにあいつは俺のこの黒髪を見て、嫌悪の瞳を向けた、それには何か特別な理由でもあるのか?」
「あぁ、ツキノはあの人に会っているんだった……そうか、やっぱりあの人は黒髪を憎んでいるんだな」
ルークさんはひとつ息を吐く。
「たぶんオレはその理由を知っている」
「それって何か特別な理由なんですか?」
ベッドから起き上がったカイトが不思議そうに小首を傾げた。
「……本当に単なる私怨だよ。公爵の母親はもう10年も前に亡くなっているんだが、彼女には『運命の番』の相手がいたんだよ。それは先代のグライズ公爵ではなく、うちの村の村人だった」
「え……それって黒の騎士団の人って事ですか?」
「あぁ、そうだ。彼女はその男に出会った時には先代のグライズ公爵と結婚していたし、既に現在のグライズ公爵も生まれていた」
「もしかして、グライズ公爵が黒髪を憎んでいるのは母親の不倫相手が黒髪だったから……?」
「貴族の人間にとって不倫なんてたいした事じゃない、そんなのは大人の火遊びだ、それくらいの事で彼はそこまでオレ達を憎んだりはしなかったと思う」
それもそれでどうかと思うのだけど、金持ちの感覚ってよく分からない。
「けれどグライズ公爵はどこかでそんな2人の逢引を見ていたんだろうな、その頃まだ彼は子供でアルファとオメガの深い繋がりなんて知らなかったんだと思う。先代のグライズ公爵はベータで、彼女を番にする事は出来なかった、だからうちの村のその男は彼女にとって唯一の番相手だったんだよ。オレ達バース性の人間のまぐわいは君達も知っている通りとても本能的なものだ、そんな本能のままの母親を目にした彼はその時どこか狂ってしまったのかもしれないな……」
「狂う?」
「そう……彼はグライズ公爵家の跡取りで、何でも手に入れられる環境で育っていた、父親はベータだったが、彼は母親の性を強く引いてアルファとして生を受けた。そして思春期にかかる頃には周りにいたオメガを手当たり次第に喰い散らかしていたんだよ。公爵家の跡取りのする事だ、誰も文句なんて言えなくて娘達も泣き寝入り、そんな中で彼が唯一落とせなかったオメガがいる、それが誰だか分かるかい?」
そんな事を突然言われて分かる訳もない。今出てきた登場人物の中にその人物はいたのだろうか……?
「それ、誰だったんですか……?」
カイトの問いかけに、ルークさんは瞳を伏せるように苦笑して「彼の……母親だよ」と、そう言った。
「!? 母親って、そんなの当たり前じゃないかっ! そもそも母親なんてそんな対象にもならないだろ!?」
「そうだね、それが普通の人間の感覚だ、だけど彼は違った。彼には怖いものなんて何もなかった、勿論手に入らない物なんて何ひとつもない。この世界のオメガは全て自分の物で、そんな彼の手に入らない物などないと彼はそう思っていた。彼はね、自分の母親を犯して母との間に子供までもうけていたんだよ……」
!!? もう、驚きすぎて言葉も出ない。そんなのは人の所業ですらないと思うのに、ルークさんはそれを淡々とした口調で話し続ける。
「だけどね、彼の母親は決して彼の物にはならなかった、それは勿論彼女が彼の母親だったからというのもあるのだけど、どれだけ彼女を自分の物にしようとその項を齧っても、彼女は彼の物にはならなかった。何故なら彼女には既に番相手がいたからだ。『運命の番』って言うのは絶対的なものでね、どれだけアルファに都合よく出来たこのシステムでも、運命の番がいるオメガを自分の番になんて出来なかったんだよ」
バース性の番契約、それには俺達も振り回された口だ。アルファはオメガの項を噛む事でその相手のオメガを自分の番にする。俺はオメガに項を噛まされた、そして一度は番になったが改めてカイトの項を噛む事でその契約は破棄更新されたのだ。
けれど、オメガの側からはこの番契約は破棄できない。その契約はアルファの側が契約を破棄する事はできてもオメガの側からはできないのだ、けれど唯一例外があるとするならば、それは元々運命の相手以外と番契約を結んでいた場合。
『運命の番』である相手のアルファに項を噛まれる事で、その契約は更新される。逆に言えば『運命の番』と番になっているオメガはどれだけ他のアルファに項を噛まれても、その『運命』ではないアルファの番相手には決してなれない、とそういう事だ。
「公爵は気にいったオメガを片端から喰い散らかして、次々番相手を変えていった、一度番になって捨てられたオメガがどういう目に遭うのかも分かっていながら、それを楽しむように次々とオメガを食い物にしていったんだ」
「酷い……」
カイトが眉を顰めて呟いた。世の中にはそんなアルファがいるという話も警告も込めて噂程度に聞いた事はあったが、現実でそんな事をする人間がいるというのに本当に嫌悪しか感じない。
「だけど、唯一番に出来なかった母親に彼は酷く執着した。それは母との間に子まで成して、母親を苦しめた。そして、そんな彼女の姿を当の番相手も見ていられなかったんだよ……」
「あぁ、そうだよ! その番相手、一体何してたのさ! 自分の番相手がそんな事になっていたのに、それまで何もしなかったのか!?」
「彼女と出会った時に、その人だって一度は彼女を攫おうと思ったんだよ、だけどその時にはもう彼女には旦那と子供がいて、しかも旦那は身体の弱い彼女に何不自由を与える事もない完璧な相手だった、だから彼女の事を愛していても彼女の前から身を引いたんだ。彼女の方も彼に付いて行く程の勇気はなくて、結局2人はお互いを想いながらも長い事会わずに暮らしていたんだ、だから彼は彼女がそんな事になっているだなんて、本当に何も知らなかったんだよ」
「でも、そんな彼女の境遇に彼は気が付いたんだ?」
「もうその時には色々と手遅れだったけどね……」
ルークさんは溜息を零すようにそう言った。
「オレがもう少し早く気が付いていれば……」
「……? もしかして、その彼ってルークさん?」
「はは、違うよ。そもそもグライズ公爵はオレより年上だろ、その母親とオレが番とかあり得ないからね。だけど、その番相手がオレの近親者なのは間違いないし、オレがもう少し早くその色々な事実に気が付いていたら、ここまで拗れた事にはなっていなかったんじゃないかって、そんな風にも思うんだよ……」
それは後悔の念なのだろ、いつも笑顔の彼の表情は沈痛な面持ちで、見ているこちらが辛くなる。彼がそこにどのように関わっていたのかも分からないのだが、余程悩み苦悩したのだろうとそう思う。
「結局それで2人はどうなったんですか?」
「彼女が亡くなる直前だよ、彼は彼女を迎えに行って、彼女をその屋敷から攫ってきた。それこそグライズ公爵の目の前から彼女を攫って逃げたんだ。結局、唯一手に入れられなかった女を目の前で攫われた、それが黒髪の男だったら……」
「そんないかれた男なら、逆恨み的に憎んでいても不思議じゃないな」
それが、グライズ公爵が黒髪の人間を憎む理由なのか。
「彼女と公爵との間に生まれた子供はアルビノの男性オメガだった。彼女はその子の事をとても案じていて、その子はやはり攫うようにしてオレ達の村で引き取ったんだが、公爵はその子供も躍起になって探している。公爵がオメガの奴隷売買をしていたり、オメガ狩りをしたりするのはその子供を捜す為でもあるんだよ。唯一落ちなかった女の子供、そして自分自身の子供だ。彼はそれを探している」
「アルビノ?」
「先天性色素欠乏症、体中が白いんだ、肌はもちろん髪の毛まで真っ白だよ」
「そんな人、見た事ない」
「でも、世の中にはいるんだよ。オレ達黒髪と同じ、迫害される事も多くてね、しかも彼は男性オメガ、この世の中じゃ生きていくのも一苦労だ。だけど、彼はオレ達の村で呑気に元気に暮らしているよ。でも、そんな見た目だからね、世間に出たらすぐに見付かってしまう、彼はオレ達の村から出る事もできない」
アルビノ、先天性色素欠乏症……俺自身の両性具有も世の中ではあまり見られるものではない、その生き辛さは分かる気がする。
「公爵はその子供を探し出してどうしようと思っているんだろう?」
「対外的にはその子は行方不明になった彼の弟だ、弟を案じる良い兄を演じてはいるが、公爵は母親を一人のオメガとしてしか扱わなかった男だからな、自分の子供だとしてもオメガの息子をまともに探しているとは思えないな」
「ねぇ、ちょっと質問なんだけど、それだけオメガを食い散らしておきながら公爵には他に子供はいないの?」
「彼は色男で通っているからな、結婚すらしていない。相手を次々乗り換えるようなそんな男にそう易々と子は出来ないよ。元々アルファは生殖能力が低いからな」
そういえば、俺はあの男に自分の子供を産めと言われたのだった、思い出すだけでも腹立たしいが、あいつは自分の跡を継ぐ優秀な子供を欲しているのかもしれない。その為にもオメガを集め、子を成そうとしているのではないだろうか? そしてそのオメガの中には我が子ですらも入っているのかもしれない。
「知れば知るほど気持ちの悪い男だな、グライズ公爵」
「本当に、そうだよね。でも、今そんな男が政治の中心に立とうとしているんだよ」
「そんな人間を信頼しちゃう人の気が知れないよ」
「優秀さが売りのアルファは、人たらしでも優秀な事を君達も分かっているだろ?」
グライズ公爵がどれ程の人間なのか、たかだか数分の交流では推し量る事も出来なかったが、そういう意味では彼は相当なやり手だとそういう事なのだろう。
「でもさ、ちょっと不思議なんだけど、そのグライズ公爵って黒髪嫌いなんだろ? だったらなんで『山の民』と手を組んでるの? 薬をばら撒いているのは山の民で間違いなかったんだろ?」
俺のいなかった間にカイトはここメルクードで薬物中毒患者と思われる男に襲われたのだと聞いた。そいつは「薬は山の民から買った」と、供述しており、その薬物の裏には山の民がいるという事は黒の騎士団の調べてある程度はっきりしてきた。そして、その出所である山の民の集落を特定するのも時間の問題だと思われている。
「そこはもう商売と恨みは別問題だったのか、そもそもグライズ公爵はその薬の出所が山の民だと思っていなかった節もあるんだよね。商売になるから仕入をして売る、それがそこまで危険なものである事をグライズ公爵自身が気付いていない可能性もあるんだよ」
「……どういう事?」
「だからね、彼は何人もの商人を抱え込んで商売をしているけど、その末端部分の仕入れにまでは関与してないって事。商売になると判断すれば金は出す、だけどそれだけ。そんな彼の販売網を利用して薬をこの国にばら撒いている人間は他にいるのかもしれないって、今はそこまで……」
「まだ他にも悪巧みを働いている輩がいるって言うのか、そんでもってそれは山の民? ったく、どうなってんだよ」
俺は苛々と髪を掻き上げる、そしてなおもルークさんは浮かない顔だ。
「黒髪の山の民、オレ達とたぶん祖は同じ、だけどオレ達とは違って彼等は何処に行っても疎まれる。オレ達はボスに拾われて役割分担を与えられ、生活に不自由のない給金も与えられているけれど、山の民は違う。彼等は何処でも疎まれて食うに困るほどの差別を受ける。それは何処の国に行っても同じで、居場所がない。そんな山の民がこの世界を恨み憎む事を誰も否定なんて出来ない、そんな風にしてしまったこの世界の理が間違っているのだとオレは思う」
「そういう悪さをすれば余計に疎まれるのは仕方がないだろ」
「もう既に散々我慢はしてきたのさ、自分達が自由に暮らせる、それだけを考えて友好的にやっていこうと手を差し伸ばしても、何度もその手を振り払い続けられたらどんな馬鹿だって手を伸ばす事が怖くなる。そして、自分を受け入れないこの世界の方を憎むようになると思うよ。それはほんの少しのきっかけで仲違いなんてあっという間だ、それこそここランティスの歴史がそれを証明している」
ランティスとメリアが仲違いをした理由、それは仲の良かった双子の兄弟の確執からきている。それは些細な行き違いから、悪巧みを考える悪人の吹き込んだ間違った情報を鵜呑みにした結果の出来事で、そんな歴史は何度でも繰り返されている。
それが些細であればある程、譲れなくなる部分もあって、そうして争いは繰り返される。
「厄介な事だな」
俺の言葉に「本当にな」と、ルークさんは頷いて、また微かに瞳を伏せた。
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