運命に花束を

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運命に祝福を

運命とは ①

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 人生には幸せな時もあれば苦しく辛い時もある、その割合は人生の中で半分ずつくらいだと自分では思っていたが、幸せな時がより幸せであった分だけ苦難はより深くなるのかもしれないと最近は思うようになった。それとも人の人生というのは幸運より苦難の方がより多く設定されているのだろうか? それはもう人には量れない領域で、私がこんな事をつらつらと考えているのも現実逃避でしかない訳で、己の不甲斐なさに溜息を零す。

「……ナダール、起きてる?」

 暗闇の中、傍らで私の胸に抱きつくようにして寝ていたはずの伴侶が私の溜息に気が付いたのか、むくりと顔を上げた。

「貴方の方こそ寝ていなかったのですね」

 規則的な吐息が聞こえていたので、てっきり寝ているものと思っていたのだが、そのはっきりとした声音が寝惚けたような声ではない事から、どうやら長い夜を彼は黙って時が過ぎるのを耐えていただけだったという事が分かる。
 そういえば、彼は元々心に不安があると寝られなくなる体質で、自分はそんな事もよく分かっていたはずなのだが、自分自身が最近は少し不眠気味でそこまで頭が働かなくなっていたようだ。
 今日は遅い時間に首都イリヤに辿り着いたので、城には向かわず一晩の宿を取った。明朝には城へと赴き国王から何かしらのお言葉を頂戴することになるはずで、私はその重い心を隠しきれない。

「大丈夫か?」

 不安気な表情の伴侶に顔を覗き込まれて苦笑する。それはいつもだったら自分の役割で、彼を安心させて眠らせてやるのが自分の存在意義だと思っていたのに、全く情けないことだ。

「貴方の方こそ、寝られませんか?」
「俺は、こういうの……慣れてるから」

 不安な夜を寝付けないまま1人で過す、彼は私と出会う前まではそんな風に生きていた。生きる事が辛くて、けれど死ぬ事もできず1人で耐えて生きる、彼はそういう暮らしをしていた過去がある。彼と出会い、私は彼をそんな生活から引っ張り上げて結婚し、子宝に恵まれ家族になった。
 もう二度とそんな生活には戻させないと心に決めていたはずなのに、今の自分がこの有様では本当に情けない事この上ない。

「それよりも、俺はお前の方が心配だよ。ここの所、あんまり寝られてないんだろう?」

 むくりと起き上がったグノーが優しく私の髪を撫でた。

「そんな事は、ないですよ……」
「嘘ばっかり。お前は俺に隠し事をするなって言うくせに、自分は何でも1人で抱え込もうとするんだ。俺はそれが心配なんだよ」
「私は自分がそこまで強い人間ではない事は分かっているので、人には頼りまくっていますよ、大丈夫です」
「本当にお前は嘘ばっかり……一番重要な所では他人を頼ろうとはしないくせに」
「グノー……?」
「俺はそんなに頼りないか……? いや、頼りないよな……何か事あるごとに混乱して記憶なくして迷惑ばっかりかけてるし、お前には甘えるばっかりで俺に頼れる所なんかひとつもないもんな……」

 瞳を伏せてグノーは呟く。そんな風に不安な顔をさせたい訳ではないのに、今の自分は不甲斐なく、彼に笑みを見せて安心させてやる事も出来ない。
 「そんな事はないですよ」と、口先だけで言ってみた所で、長年連れ添った伴侶には私の本心は駄々漏れなのだと思う。

「こんな時にスタールが傍にいたらお前の話を聞いてくれたのかな? コリーさんだったら解決に向けて知恵を絞ってくれたかな? 俺には何も出来ないのかな? ずっとお前の傍にいても頼るばっかりで俺は本当に役に立たない……今の俺はユリウスの事で頭が一杯で冷静な判断も出来ないんだ、親としても失格だし、騎士団長の伴侶としても失格だ……」
「グノー……」
「もっとあの子をちゃんと見ていたら良かった……俺は自分の事ばっかりで、あの子が寂しい想いをしていた事にも気付いてやれなかった」
「……もしかして、聞いていたのですか?」
「たまたまな……」

 ユリウスの凶行の直後、娘のルイが語ったのは、息子ユリウスの心の声だった。まだ彼は物心付くか付かないかの幼い時分、私達と離れて過した数ヶ月は彼の成育に大きな影響を及ぼしたのではないかとルイは語った。言われてしまえば、あの頃の私達は自分達の生活とお互いの事しか考えていなかったように思う。正直に自分はあの頃子供の事は二の次だった事を否定出来ない。
 出来る限りの事はしたつもりだったが、それでもあの数ヶ月は子供の心に影響を及ぼすには充分な時間だったのかもしれないと、今になって思うのだ。
 ルイは、ユリウスは「いい子」である事を自分に課していたのではないかとそう言った。確かに心当たりが全くない話ではない、私達にとってもユリウスは本当に手のかからない弟妹想いのいい兄で、自慢の息子だった。誰にでも優しく、周りに好かれ誰よりも愛されている子供だと思っていた、けれどその心の内が愛情に飢えていたのだとしたら? もしかしてその感情が『運命の番』との出会いで暴走したのだとしたら……
 考えても考えても考えは纏まる事がないのだが、考えれば考えるほどやはりそれは私達の責任であったのではないか? と思わずにはいられないのだ。
 グノーが何かを抱き締めるように腕を宙に伸ばした。

「俺はいつからあの子を抱き締めてあげてなかったのかなって思うんだよ。覚えているのはこのくらいの時……」

 その仕草はまだ幼い子供を抱き上げる仕草で、考えてみればヒナノが生まれた辺りから私も抱っこをせがむ彼をあまり抱き上げていない事を思い出す。あの頃はヒナノの他にツキノとカイトもいて、実際問題本当に抱き上げる腕が足りていなかったのだ。
 甘えん坊だったユリウス、それをねだらなくなったのは……

「もっと抱いてあげれば良かった……今じゃもうこの腕に収まらないのに、俺はそんなユリを抱き締めた記憶がないんだ……」
「私も……たぶん同じです……」

 そして、もう二度と抱き締める事ができなくなる可能性に心が凍る。
 娘のルイやヒナノは今回のルーンへの旅立ちの際にも抱き締めて送り出した。けれど、メルクードに向かったユリウスにはその記憶がないのだ。控え目に一歩下がって笑っている彼はいつでも弟妹優先で、そんな事に私達は気付いてもいなかった。
 ある程度育った息子が親に抱き締められるなんて恥ずかしいと、ユリウス自身そう思う気持もなくはなかったと思う、けれどそれにしてもその記憶が遥かに幼すぎて、どれだけ自分達が彼を大人扱いしていた事かと、ずいぶん幼い頃から子ども扱いをしてこなかった事にも気付かされる。
 それは彼が昔から大人びた子供であったから余計に、そのように扱ってしまっていたのだ。
 食欲だけは人一倍でそこだけは子供のような態度を見せていたが、それでもユリウスは私達に子供らしい反抗のひとつも今まで見せてはこなかったという事に私達は本当に気付きもしなかったのだ。

「なぁ、ナダール……俺な、例えユリが犯罪者だとしても、それでもやっぱりユリを信じてやりたいんだ」
「グノー……」
「別にお前と喧嘩しようって訳じゃない、ちゃんと分かってる。あいつは罪を犯した犯罪者だ、お前はそれを取り締まる側で、ユリを捕まえなきゃいけない事も分かってる。でも、だけどさ、せめて俺だけはあいつを信じてやらなけりゃ、あいつの帰る場所、なくなっちまうだろ?」
「それは……」
「お前がさ、俺達連れてメルクードに帰った時、お前のおふくろさんはお前に『おかえり』って言ったんだ。俺達を何ひとつ責める事もなく『おかえり』って言ってくれたんだ。俺はあの時罵られる事だって覚悟していた、だけど、お前のおふくろさんはお前を責めはしなかった。ただ息子の帰還を喜んでくれた。俺はそれに物凄く救われたんだ。だから俺も、お前のおふくろさんみたいな人になりたいと思う」
「私とユリウスでは状況が違います。私達のやった事は間違いではなかった、けれどユリウスは罪のない人を大勢……」

 「俺達だって殺したよ」とグノーは瞳を伏せ、己の掌を見つめた。

「俺達だって殺したんだよ、あの時城にいた兵士を何人もこの手にかけた。あの兵士の中には家族がいた人間だっていたはずだ。ただ国王に従っていただけの何の罪もない人間だっていたはずだ。ユリと俺達のした事に違いなんてありはしない、だから俺はユリを責められない」
「グノー……」
「ユリにどんな事情があるのか分からない、だけど俺は最後まであいつを信じるってそう決めたんだ。だってユリが俺達の大事な子供だっていうのは一生変わらない事実だからな」

 グノーの心はとても脆い、けれど時折、私よりも強い意志で私の迷いを吹き飛ばす。

「分かりました、貴方は貴方のままでいてください。私は私で己の職務を全うする事に全力を注ぎます。それはユリウスを糾弾する為だけではなく、真実を知る為に」

 グノーは微かな笑みで頷いた、罪を犯した子の親としてできる事、それは私と彼とでは違うから、私は自分のできる事をするしかない。それがどんな結論に辿り着いたとしても、それを受け止めるのが、ユリウスをこの世界へと生み出した私達親の責務なのだと改めてそう思うのだ。


 翌朝、私は城へとあがり、改めてここイリヤへの帰還を命じられた。そして、私の代わりに国境へと派遣される事になったのはスコット・ミラー騎士団長が率いている第4騎士団。第4騎士団は昨年の武闘会の折、数々の不祥事を引き起こした騎士団だ。一時はスコット騎士団長の騎士団除名の話が持ち上がりもしたのだが、その不祥事が末端の騎士団員によるもので、騎士団長はその団員達をことごとく静粛し、ファルス王国への忠誠を見せたので、騎士団長への処罰はくだされる事はなかった。
 けれど、不祥事を起した人間が第4騎士団に集中していた事は問題視され、第4騎士団は当分の間、今まで第5騎士団がやっていた一番下の仕事、要するに雑務を一手に引き受ける、ある意味降格のような扱いを受けていた。そしてどうやらその仕事を今度は第4騎士団に代わり第1騎士団が担う事になる、という事のようだ。
 第4騎士団は昇格……と言えば聞こえはいいが、国境警備は過酷な任務でもあり、更には現在あんな事件もあり治安の悪化も著しく、だが逆に言えばこの機会に治安を安定させる事ができれば失った国民の信頼も取り戻せる、そんな職務にスコット騎士団長は神妙な顔で頷いて見せた。

「おい、ナダール!」
「あぁ……スタール、お久しぶりです。武闘会以来ですね、そちらはお変わりありませんか?」
「お前はそんな呑気な事を言っている場合か! 話しは聞いたぞ、どうなってる!? ユリウスがジャック王子を襲ったってのは本当の話なのか!?」

 血相を変えて私に詰め寄るのは、私がここファルスに越して来た当初から世話になっている男スタール・ダントン。私が騎士団長になった当初は私の下で働いていた男なのだが、現在は彼も騎士団長だ。彼とは家族ぐるみの付き合いで、もちろんユリウスの事も彼は幼い頃から知っている。
 スタールに信じられないという面持ちでそんな事を言われたが、一番それを信じられないと思っているのは親である私自身なのだ、そんな事を言われても私は答える事もできない。

「話自体は本当の話です。私は直接目撃した訳ではありませんが、何人もの目撃証言があって、それにはルイやヒナノからの証言も入っています。ザガを襲ったのは、間違いなくユリウスです」
「なんで、そんな……」
「それが分かれば私だって解決に向けて動いています。けれど、現状では私は『何も分からない』と答えることしかできないのです。ユリウスの行動の意味も気持ちも、私には何ひとつ分からないのですよ、スタール」
「だが、ユリウスは今ランティスのメルクードにカイトと共に行っているはずだろう!? 他人のそら似とかそんな話じゃないのか!? もしくはお前達を陥れる為の何かしらの策略……」

 スタールが息子のユリウスを信じてくれようとしている気持ちはとても嬉しい、けれどそれでも、私は首を横に振る。

「ユリウスは『運命の番』を見付けたのだそうです。そして何かしらの事情で、その番相手に加担している。メルクードでの職務は全て放棄して番相手と失踪したという情報を本日国王陛下から頂戴しました、それはカイトや黒の騎士団の目の前で行われた事で、ユリウスがあの蛮行を行った犯人である事はたぶん恐らく間違いではないのです……」
「運命の番……そいつがザガを襲えとユリウスに命じた……?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。ですが、何かしらの形で関わっているのは間違いない。けれど、私達には何も分からないのです」
「ちっ、これだから本能だけで行動する奴らは面倒なんだ! どいつもこいつもその性に振り回されやがって、自分というモノがないのか!」
「何者も本能には逆らえないのですよ、スタール。それはあなた方ベータの人間だとて同じです。食べなければ腹は減るし、寝なければ思考は停滞します。生殖は種の保存という意味で私達にとってはその本能が一番強いと言えるのかもしれません、それは息をするより自然に番相手を求めるのです。それはもう抗う事もできない宿命と言ってもいい」

 私の言葉にスタールは大きく溜息を零す。スタールは人生の半分以上を男性器の機能不全と付き合って生きてきた男だ、生殖活動という行為自体が彼にとっては自分には関係のない話で、そんな話をされた所で理解ができないのだろう。

「言っておくが俺にだって、愛しい人間を抱きたいって気持ちは分かるんだよ、だがな、それに振り回される人間の気持ちは全く理解出来ない。そして、その為に人生を踏み外す人間の思考も俺には全く分からねぇよ」
「それは貴方がベータだからで……」
「うっせぇよ、確かにお前達は特別な人間なのかもしれないが、それは生殖に関してだけの話じゃねぇか! そんな話を抜きにしたらお前達だって同じ人間だ、化け物でも神様でもねぇ! そんな人間が運命を語るのはちゃんちゃらおかしいと俺は言ってるんだ! 運命なんてのは結局は良くも悪くも自分で引き寄せるもので、誰かに与えられるようなものじゃねぇんだよ! 分かったか!」

 指を突きつけられびしりと言われた、私は返す言葉もなくスタールを見やる。

「なに間抜け面晒してやがる! 行くぞ! 今はこんな所で無駄話してる時じゃねぇんだろ!」
「え……や……行くって、何処へ?!」
「ジミー・コーエン、あとはあいつだ、名前……あの馬鹿の弟……確か、クロウ・ロイヤー」

 ジミー・コーエン、そしてクレール・ロイヤーの弟クロウ、それは武闘会でイリヤの街に爆薬を持ち込み、街を壊滅させようとした犯人の一味。
 クロウはともかく、ジミーの方は私や国王陛下にも並々ならぬ憎しみを抱いており、第4騎士団にファルス至上主義の思想を広めたのもジミーの仕業だったという事は既に調査で明らかになっている。
 だが、当の本人は事件については何も語らず黙秘を貫いているとも聞いている。彼には元々仲間がいたはずだ、そうでなければこれほどまで大きなテロを引き起こす準備を彼1人で出来るはずがないからだ。そしてそこには必ず資金の調達や下準備をした黒幕がいるはずなのだが、彼は黙したまま何も語らない。

「何故ですか? ユリウスの事件と、彼等の事件には何の関係性もありは……」

 いや、でも本当にないと言い切れるのか? イリヤであった事件もザガであった事件も、どちらも王家を憎む者の仕業で間違いない。だとしたら、その背後には同じ黒幕がいたとしても不思議ではないのではないか……?

「関係性があるかないかは分からねぇが、事件には酷似する所が幾つもあるだろうが! 関係ないならそれでいい、だが、あるかもしれない可能性があるなら調べてみるのが俺達の仕事だろうが!」

 スタールの言葉には迷いがない。そして言葉は行動と直結して真っ直ぐだ。

「スタール……」
「おら、ぐずぐずするな! 行くぞ」

 騎士団長が自らやる仕事ではない、本来なら部下に命じて調べさせるのが筋なのかもしれない、けれど、こんなスタールとのやりとりは久しぶりで、そしてそんなスタールの真っ直ぐさが私の迷いをいつでも吹き飛ばしてくれるのだ。

「……ありがとうございます」
「あ? 何か言ったか?」
「いえ、まずは何処から?」

肩を並べて歩ける人物は何も伴侶ばかりではない、私には頼りになる仲間がいるのだと、改めて、そう気付かされた。


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