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運命に祝福を
深まる謎 ②
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体が痛い。蹴り上げられた腹が痛い。本当にこれは何なんだ、全く理不尽で仕方がない。今日は本当に酷い一日だ。思えば今日は朝から散々だった。
数時間前、俺は1人ぼんやり座り込んで庭を眺めていた。なんだか昨日から色々な事があり過ぎて、頭の中の整理が追い付かない。
昨晩突然我が家にやって来た男は、今朝も我が家にやって来て我が家の居候であるツキノや、そのツキノとつるんでいたノエルと共に何処かへ行ってしまった。一緒に来ていた少年も俺を振り回すだけ振り回して、やはり一緒に何処かへと行ってしまった。
気付いたら俺は1人ぼっちでぽつんと庭に残されていた。
「あの……すみません、この家の方ですか?」
声をかけられ顔を上げると、そこに立っていたのは1人の女性だった。
……いや、本当に女性か? 声は確かに女っぽい気もするが髪はずいぶん短髪で身体もすらりと少年体形、ツキノの例もある、もしかしたら男の可能性も否定できない。
「どちら様で?」
「私、ミヅキと申します。私の友人がこちらにいると言われて来てみたのですが、こちらに来てはいないでしょうか?」
「友人……誰の事だろう? 今日は人がたくさん訪ねて来たけど、名前は?」
「ユリウス・デルクマン、もしくはイグサル・トールマン。あともう1人少年も一緒だったと思いますが……」
もしかしてと思ったが、やはりあいつ等の友人か。だとすると、この人も男性の可能性は高い。もしかして母さんと同じ男性オメガか?
「来ましたけど、もういませんよ」
少し自分より年上であろうミヅキさんからふわりと微かに甘い薫りが匂う。あぁ、この人やっぱりオメガなのかも。
「どこに行ったか分かりますか?」
「聞いてないですね」
ミヅキさんは「困ったな……」と髪を掻き上げた。するとやはりまた、ふわりと甘い薫りが鼻を擽る。
「あの……もし、良かったら、一緒に探すの手伝いましょうか?」
「え……いいんですか?」
「この町の領主の息子として困っている人は放っておけないですからね」
「君は領主様の?」
「はい、ロディ・R・カルネと申します。ロディと呼んでください」
俺の言葉にミヅキさんは「ありがとう、ロディ君」と笑みを見せた。俺はその笑顔に少しどきっとしてしまう。
「ミヅキさんは行き先に心当たりは?」
「それが、昨晩この町に着いたばかりで、私はこの町がよく分からない。ここにいるか、宿にいるか、もしくはノエル君と一緒に出掛けてしまったのか……」
「ミヅキさんもノエルとはお知り合いなんですか?」
「少しだけ。あまり話した事はないけど、うちのユリウスがご執心だから」
うちのユリウス……? この人達一体どういう関係なのだろう? よく考えたらあの面子に女性が一人というのは変な感じだ、やはり男性? もしかして男性オメガで恋人だったりするのだろうか? いや、もしそうならノエルにご執心などとは言わないか……
「どうかしましたか?」
「いえ、宿はノエルの家ですよね? そちらにはもう行かれましたか?」
「はい、そちらでこちらに来ているのではないかと言われて来てみたのです」
「だったら広場の方か、それともツキノの書斎の方かな?」
「それは何処か教えていただいても?」
「そこまで広い町ではないですからね、観光に出るにしても行く場所は限られている、ついでに町もご案内しますよ」
完璧な営業スマイルで俺は領主のできた息子を演じきる。猫を被るのは得意なのだ。
道すがら話しを聞きつつ歩いて行くと、どうやらミヅキさんはれっきとした女性のようで、ついでにツキノに付き纏うように朝からやって来ていた男の幼馴染なのだという。
「そういえば昨晩は大変でしたね、ご家族の方にお怪我などはありませんでしたか?」
「え? あぁ、大丈夫ですよ。使用人が軽い怪我をしたくらいで、強盗は自警団が全員捕まえましたしね。うちの自警団は優秀なんですよ」
「大事がなかったのなら幸いでした。従姉妹も心配していたので、それを聞いて安心しました」
「従姉妹? ミヅキさんはこの町に親戚がいらっしゃるんですか?」
彼女はしまったという表情を見せたあと「えぇ、まぁ……」と言葉を濁す。
「あまり交流はないのですが、父が気にかけているので挨拶に寄っただけですけどね。けれど父が一番気にかけている叔父には結局会えませんでした」
「叔父さん、お名前は?」
俺のその問いに彼女はまた少し言い澱むのだが、しばらくすると小さく首を振って「クロード・マイラー、それこそ先ほど言っていた自警団をやっていると聞いています」と小さく答えた。
「え? ミヅキさんってクロードおじさんの姪なんですか!?」
「えぇ、まぁ……」
「おじさんにはいつもお世話になってます」
俺がぺこりと頭を下げると、彼女は「私に言われても困ります」と苦笑した。
けれど、これで納得した。マイラー家はバース性の家系だ、ローズを筆頭に子供達も軒並みバース性なのだ、先ほど彼女からは微かに甘い匂いが薫っていた、彼女もきっとオメガなのだろう。
その匂いは確かにローズの匂いによく似ている。けれど、ローズとは違い彼女からはそこまで強烈な匂いはしなかった。
「そうですか、では叔父さんにも会いに行かれますか?」
「でも、今お仕事中なのでは?」
「仕事には休憩も必要ですよ、自分も昨晩の強盗達の様子が気になるので行きましょう」
行き先は自警団の集会所、現在そこには昨晩捕らえた強盗と自称ツキノの護衛達も纏めて留め置かれている。ルーンの町には罪人の留置所はないので、取調べが終わったら彼等は大きな街の留置所へと送られる事になるだろう。
「ん? あれ? ダニエルさん……?」
自警団の集会所は町の外れにある、そんな町の外れに大きな巨体がうろついていた。その赤髪は紛れもなくツキノの護衛のダニエルさんだ。彼の髪は乱れ、服もどこか少し乱れている。態度もどこかそわそわしたもので、見るからに少し不審者っぽい。
気になって、彼に近付き声をかけると、彼の身体はびくりと跳ね上がった。
「ダニエルさん、釈放されたんですか?」
「え? あ……いや」
「まさか脱走して来たなんて事、ないですよね……?」
ダニエルさんはツキノの護衛の中でも一番王家に対する忠義が厚いと感じていた、まさかそんな事は……と思ったのだが、彼は困ったように言葉を濁した。
「本当に脱走して来たんですか?! だったら、早く戻ってください、それともやはり貴方も……」
「誤解です! 私どもは! ……いや、少なくとも私は王子に危害を加えるものでは決してございませんぞ!」
「口でだけなら何とでも言えます、それは全ての疑惑を払ってから言う事です」
「しかし、私は王子の護衛、こんな時に王子に何かあったらと思うと……」
ダニエルさんはもごもごと言い訳を並べ立てるが、そんな言葉は脱走の言い訳にはならない。
「ツキノには今、たくさん護衛が付いているから大丈夫です」
「それはルーク殿の事を言っているのか? 彼等は、戦闘は専門外だと言っていましたぞ」
「いえ、彼等だけではなくてですね……」
ふいにひゅん! と何かが頬を掠めて飛んだ。虫かと思って頬を撫でたら、手にぬるりと血が付いた。
「……え?」
それに気付いたダニエルさんが俺達を庇うように覆いかぶさってくる、俺も、俺とダニエルさんに挟まれるようにして抱え込まれてしまったミヅキさんも何が起こったのか分からず、ただ抱きこまれるままに地面に伏せた。
隙間から背後を見やれば地面に刺さる矢尻が見えて、先程自分の頬を掠めた物が弓矢であった事に気が付いた。
「なに……」
「動いてはなりません! っぐ……」
矢継ぎ早に飛んでくる矢、それは幾つか地面に刺さるのが見えるのだが、それ以外には何も見えない。しばらくすると攻撃は止んだのだが、ダニエルさんは動こうとしない。
「ダニエルさん……?」
「おっ、重い……」
ミヅキさんにはダニエルさんの体重が直接かかっている上に、俺とダニエルさんの2人に挟まれ苦しそうだ。2人分の体重がかかっている俺も勿論重いのだけど、そこはなんとか耐える。それにしてもダニエルさんの身体はぐったりしていていっそう重い、どうにかこうにかミヅキさんと共に彼の下から這い出したら、ダニエルさんの背中には何本かの弓矢が突き刺さっていた。
蒼白になるミヅキさん、けれど悲鳴は上げなかった彼女は気丈だと思う。
「これ、なんで……」
「お二人ともお怪我は……?」
「俺達の事より、自分の事だろ! 大丈夫?! いや、全然大丈夫じゃないですよねっ!」
どうしよう! どうすればいい? 落ち着け、慌てるな……
ダニエルさんは荒い息で起き上がり、腕に刺さった弓矢を一本抜きさり放り投げた。
「ちょ……駄目ですよ、抜いたら血が出る!」
「これは毒矢ですぞ、抜いて毒を抜かなければ、余計に……」
目でも霞むのか、ダニエルさんはひとつ頭を振る。
「ロディ君、人を呼んできて!」
ミヅキさんは、言うと即座にダニエルさんの背後へ回って弓矢を抜きさり、上着を剥ぐ。そして、その背中に口付けるとその血をぺっと吐き捨てた。
「ロディ君! 早くっ!!」
彼女の口の周りはまるで紅を刺したように赤く染まり、瞬間呆けたようにそれを眺めていたのだが、続いた叱責に俺は慌てて駆け出した。集会所はすぐそこだ、俺は集会所の扉をノックもなしに開け放ち「誰か来てくれ!」と大声を上げた。
そこから俺は人を連れて取って返し、そのまま彼を集会所に連れて行くよう指示を飛ばして、今度は町に医者を呼びに駆け出した。医者を連れて集会所に戻ると、ダニエルさんの背中は一応の応急処置を施されていたのだが、彼の意識は既になく、話を聞く事もできない。
「ロディ君、君も診察を受けなさい」
「え……?」
医者を連れて落ち着いた頃に、傍らに立ったミヅキさんは血塗れのままそう言った。
「その頬、たぶんそれにも毒が塗られていたはずだ」
言われて見ると、その頬は熱を持ったように熱くなっている。無我夢中で駆けずり回っていて気が付かなかった。
「私も少し身体が重い……多少身体に入ってしまったようね……」
そう言って彼女は俺の傍らに座り込んだ。
「え、ちょっと大丈夫なんですか?!」
「問題ない、毒には慣らされている。この程度ならば明日には元通り。それよりも、君の方だ、こういうのには慣れていないだろう? 走り回っていたせいか、ずいぶん血の巡りも良かっただろう。たぶん毒も血で洗い流されているだろうけど、念の為診てもらっておきなさい」
そう言って彼女は微かに笑みを零して俺の頬を優しく撫でた。
うっわ、なにこの人、めっちゃ格好いい! いや、女の人に格好いいとか失礼だけど、やばい、これ惚れる……
前を向いてしまった彼女の横顔を呆けたように見詰めていたら、彼女は難しい顔で「それにしても、さっきの襲撃は何だったのか……」と首を傾げた。
「ロディ君、何か襲われるような心当たりは?」
「え、ないですよ。ある訳ないじゃないですか」
「ふむ、私にも心当たりはない、とすると先程のダニエルとかいう男を狙ったものだったのか……?」
「何でダニエルさんが? ツキノが襲われるならともかく……」
彼女は「ふむ」と考え込んで「もしかして間違われたかな?」と小首を傾げた。
「間違われた? 誰に?」
「私がツキノに、よ。言ってはなんだが私もこんな姿だから、男女だとよく言われている、襲った相手がツキノの容姿をきっちり把握していない人間だったとしたら、そんな仮定もなくはない。ツキノの容姿を伝聞で聞くのならば、たぶん伝えられるのは『女の子のような少年』だろうからね。はは、もしかしたら君もカイトに間違われた可能性があるな。私と君、それにツキノの護衛のあの男、3人揃っていたから私をツキノと間違えた可能性は高い」
確かに自分はツキノにも『お前はカイトに似ている』と言われていた。実際、背格好も似ているし、髪の色までそっくり同じなのだ。
「だとすると、ツキノを狙っている人間がまだこの町にはいる、という可能性もある訳か、全く休みが休みにならないな」
苦笑するように彼女は笑った。
「女性の貴女が男達に混じってこんな仕事をしているのは辛くはないですか?」
「私は他に居場所もないからな。我が家は言っては何だが少しばかり上流階級で、そんな家の末っ子に生まれた私はとにかくどこにも居場所がない。居心地のいい場所を探して回っていたら、行き着いた場所がここで、まぁ、後悔はないよ」
「なんでそんなに居場所がないのです? ローズさんの親戚ならミヅキさんも貴族の一員という事ですよね?」
「私はいわゆる妾腹というやつでね、父親は責任を取って私を引き取りはしたけれど、立場的にはとても弱い。自立して家を出なければそのうち適当な家に嫁に出されてしまうだろう、私はその前にあの家を出ようと思っている。それにはこの仕事はうってつけ、給料もそこそこ良いし、ファルスの騎士団は実力主義、誰も私を家柄でなんて見やしない。それでも影で色々言われる事もあるから、あまり姓は名乗らない事にしているのだけど」
両手の指を絡めるようにして膝の上で組み、彼女は目を瞑る。
「いけない毒が回って少し弱気にでもなっているのか、お喋りが過ぎてしまった。今の話しは聞かなかった事にしておいてちょうだい」
「別に弱音くらい聞きますよ。なんのしがらみもない俺にならそんな話もしやすいですよね?」
「ふふふ、君は優しいな」
彼女がちらりとこちらを向いて、とても綺麗な笑顔を見せた。なんだよ、この人普通に美人じゃないか。全く化粧気もないし第一印象が少年のようだから気付きにくいけど、きっと髪を伸ばして女性らしい姿をすれば誰もが振り返るような美女になる。
「ミヅキさん、良かったら俺と付き合いませんか?」
「……は?」
伏せていた顔を驚いたように上げて、彼女はまじまじとこちらを見やった。
「冗談かな? 全く笑えない」
「冗談なんかじゃないですよ、俺は自分に素直なので、いいなと思ったらそう言います」
「本気なのか? そんな事を男に言われたのは初めてだ」
「女の子にはあるんですか?」
「このなりだからな、無くはない」
確かに中性的なその容姿は女受けしそうではあるけど、よくよく見れば綺麗な女性だというのはすぐに分かるのに勿体ない。
でも逆に考えれば彼女は原石、磨けば輝く宝石だ。
「俺、本気ですよ」
にっこり笑顔でそう言ったら、彼女はますます戸惑い顔で、そのうちに真っ赤になって俯いた。
「少し……考えさせて欲しい」
「色好い返事、待ってます」
ツキノにふられ続け、精神的ダメージを喰らい続けた俺にはきっと新しい恋が必要なのだ、そこに現れた彼女はまさに俺の女神、きっと彼女が俺の『運命』に違いない。
彼女はやはり困惑顔でこちらを窺うようにちらりと見やる、それに笑みを見せたら、また慌てたように視線を逸らすその姿は非常に初々しい。
綺麗なお姉さんは好きですか? 俺はもちろん大好きです! という事で優しく頼れる所を見せておこうと思っていた矢先、二人きりになった所で突如現れた仮面の男に俺は攫われ連れ去られた。
というか、なんで俺だ? 普通ここは悪い男が彼女を攫って、それを俺が格好良く助けるというのが、筋ってものだろう!? なのに彼女の目の前で俺が攫われるってホントどうなんだ! 今更格好もつきやしないだろ! こんちくしょうめ!!
「ロディ様、大丈夫ですか?」
腹を抱えて転がったままの俺にノエルが駆け寄ってくる。
「ミヅキさんは……?」
「少し脳震盪を起したみたいですけど、大丈夫だったそうですよ」
「そうか」と頷き、起き上がろうとするのだが、体のあちこちが痛い。抱えられ、放り投げられ暴行を受ける、こんな屈辱は初めてだ。
「怪我をしている、無理はいけませんよ」
そう言ってユリウスさんにふわりと抱き上げられた。って、待て! 俺はまたこれなのか?!
「降ろしてくれ、自分で歩ける!」
「顔色も悪いですよ?」
「大丈夫だから!」
「そうですか?」と地面におろされ、自力で立とうとしたら、何故か足に力が入らずまた腰からがくりと崩れ落ちた。
「大丈夫じゃないじゃないですか」
「いや、これは……」
「意識ははっきりしているようなので大した事はないと思いますが、一度きっちり診察してもらった方が良さそうですね」
再びユリウスさんに体を持ち上げられる。お前等軽々俺を持ち上げやがって! 俺のプライドはずたぼろだぞ!
「ロディ様、どこか痛いですか?」
心配そうにノエルに顔を覗き込まれた。俺の表情が険しいのは怪我のせいだけじゃないからな、そこの所、お前は絶対分かってない!
「落ちますよ、ちゃんと捕まっていてください」
そう言って男はすたすたと歩き始めた。後ろからノエルが追いかけてくるのだが『ちょっと羨ましいな』みたいな顔するな! 色々駄々漏れ過ぎだぞ、お前。
「そういえばロディ君、先程の男に心当たりはありますか?」
「そんなの、ある訳ないだろ!」
「そうですか」と頷いてユリウスはまた黙々と歩き出す。その場には自警団の人間も何人か集まってきていて、ユリウスさんは彼等に簡単な事の顛末と、次にするべき事の指示を次々に出していく。自警団も彼の言う事に従って動いていくので、一体こいつは何なんだ……と改めて思ってしまう。
「集会所の方が近いですけど、領主様の屋敷に帰りたいですか?」
「あ? 別にどっちでも……いや、このまま家まで連れて行かれるのは嫌だな、こんな姿で町中を歩くなんて、いい晒し者だ」
「では集会所の方に向かいましょう、まだこの事件に関しては分からない事だらけですからね」
本当にそうだ、俺には全く分からない事ばかり、あの仮面の男が言っていた『隠された王子』という言葉も俺には全く分からない。俺が王子? 一体どこの王子だって言うんだ? というか、隠された王子の息子って言われたか? という事は王子ってのは親父の事?
いやいや、それはないだろう? うちにはお爺様もお婆様も健在で生きている、だったら母さんの方か? 母さんは天涯孤独の身だと聞いているけど……?
埒もなく悶々と考え込んでいると、間もなく集会所に着き、俺はすぐに医師の診断を受けたのだが、歩けないのは何の事はない、少しばかり腰が抜けた状態だった事が分かった。
全くもって格好悪い。
しばらくすると、連絡を受けたのだろう両親が血相を変えて部屋に飛び込んできて、母さんは俺を苦しいくらいに抱き締めてくれた。
「無事で良かった」と母さんはぼろぼろと泣き崩れる。そんなに大泣きされると、こっちまで泣きそうになるだろ。本当は少し怖かったんだ……
「領主様、奥方様、少しお聞きしたい事があるのですが、宜しいですか?」
「あぁ、うちのを助けてくれたそうだな、ありがとう」
「いえ、それは当然の事をしただけなので。それよりも彼を襲った犯人が少し気になる事を言っていたので、もしかしてお2人は犯人に心当たりがあるのではないかと、そう思ったのですが……」
「犯人に心当たりなどないぞ。何故そう思う?」
「男は『王家の人間は根絶やしにしなければならない』とそう言ったのです。私は彼がカイトと間違われて攫われたのかと思ったので、彼は無関係なこの町の領主の息子だと告げたのですが、それに対して男は彼の事を『隠された王子の息子』と、そう言ったのです」
瞬間、母さんの顔色が蒼白になり血の色を失った。
「隠された王子、と犯人はそう言ったのですか?」
「はい、確かに。奥方様はランティス王国、エリオット王子の双子の弟ですよね、隠された王子というのならば、もしかしたらそういう事なのかと……」
は? 待て待て待て、聞いてない、聞いてないぞ! 誰が誰の弟だって? 母さんがランティス王家の王子? 嘘だろ、全然聞いてない!!
「ただひとつ不思議だったのは、その犯人の男、黒髪黒目だったのですよ。黒髪と言えばムソンの民、だとするとブラック国王陛下関連の人間だとも考えられる」
「まさか黒の騎士団の人間だと……?」
「いえ、そうは思わないのですが、身のこなしがあまりにも彼等に類似していたので、どうにも引っかかるのです」
ユリウスさんの言葉に親父は腕を組んで考え込んだ。
「隠れているつもりは全くないが、隠された王子……まさか俺の事を言っていたりする可能性もあるのか……?」
「そういう事もあると思いますか?」
「俺は親父の実子じゃないが、俺を親父の子供だと思っている人間はまだ大勢いるだろうからな」
んん? 親父の親父って一体誰だ? お爺様の事じゃないのか? そういえば親父には養い親がいるってのは聞いているけど……
「親父、俺、話が全く見えないんだけど……」
「ん? 何がだ? 俺がファルス国王の息子だと思われている可能性がある、ってそれだけの話だぞ」
「いや、待って。だからなんで親父がファルス国王の息子だと思われてるの?」
「昔育てられていたからな、それこそ最近お前達が通い詰めている黒の騎士団のアジト、あそこが俺達の家だった」
「ん~? そんな話おかしいだろ、なんで王様がそんな家に暮してたんだ? 別荘? いや、それにしては質素過ぎる……」
親父が不思議そうな顔でこちらを見やる。
「お前、何も聞いてないのか?」
「あ? 何をだよ?」
「あの家の由来をだよ、もうとっくにツキノか母さん、もしくは黒の騎士団の奴等が話したもんだと思っていたんだが、聞いてないのか?」
「俺は何も知らないよ。あの家、ツキノの爺さんが昔住んでたって聞いただけで、管理は我が家でしてるってそういう話じゃなかったのか?」
「その爺さんがファルス国王だぞ?」
「…………」
しれっと何でもない事のように親父は言うのだが、一体どういう事だってばよ?
「お前が小さい頃、よく黒髪の柄の悪い親父が手土産持って遊びに来てたの覚えてないか?」
言われて、記憶を反芻する。確かにそんな人いた。豪快に笑うちょっと怖い雰囲気の男で、その人が来ると何故か親父は苦虫を噛み潰したような顔をしているのだが、母さんやお爺様達はいつも笑顔で出迎えていた人だ。
「それが現在のファルス国王陛下」
「…………嘘だぁ」
そんな突拍子もない話、一体誰が信じるものか。だってアレが王様? どうみてもその辺によくいるただのおじさんだったじゃないか!
「嘘に聞こえるかもしれないが本当の話だ。アレが国王」
俄かに信じられずに母さんを見やると、母さんも無言で頷いた。え? 嘘だろ? 俺、あのおじさんには結構遊んでもらった記憶があるぞ?
「俺は赤子の頃に一度獣に攫われてな、それを助けて育てたのが国王陛下だ。だから俺はあの人の家でずっと長男として暮していた。実はあの人が王家の人間だったと聞いたのは俺が今のお前の歳よりもう少しくらい上になってからだったな、俺もお前と全く同じ反応をした事だけは覚えてる」
田舎領主の息子だと思っていた自分は実は王家のサラブレットだった? え? マジで? 俺、王子だったの?
「とはいえ、アジェは存在自体が公に認められていないし、俺にしても親父には育てられたというだけで王家には一切関わりはない、もしそんな事で王家の人間認定をされているのなら、こちらはいい迷惑だ」
え? え? 本気で言ってる? だって王子って立場凄くない? プリンスだよ、プリンス! お城で周りの人間に傅かれて贅沢三昧なイメージしか湧かないんだけど、俺のイメージ貧困ですか?
いや、ツキノの話聞いてるから楽しいばっかりじゃないの分かってるけど、メリアと違ってファルスは平和だし? なんだかお気楽王侯生活とかちょっと憧れる。田舎領主の息子より格好良くない?
「これは国王陛下にも一応の確認を取っておいた方がいいかもしれませんね……」
国王陛下に確認取れるんだ? 国王ってそんなに気軽に会える人だっけ? いや、幼い時に遊んでもらったあのおじさんが国王陛下だって言うなら、まぁそんな事もあり得るか? 王様って意外と庶民的?
「ロディ、ぼんやりして大丈夫? どこか痛い? 調子悪い?」
母さんが俺の顔を覗き込んでくる。母さんがランティス王家の人間……天涯孤独の身の上のはずの母さんに甥がいたのはそういう事か、確かカイトは俺の従兄弟って言っていたような? ……ん? だとしたら……
「ツキノがメリアの王子で、カイトはランティスの王子?」
「何今更そんな事言ってるの? 本当に大丈夫? 頭打ったのかな?」
心配そうに、母さんが俺の頭を撫でるのだが、いや、待って、俺の頭の心配されるの凄く心外なんだけど! 俺は聞いてないぞ、そんな話!!
「お前本当に何も聞いてないのか? 俺はアジェがとっくに話しているものだと思っていたんだが……」
「え? 僕? そういえば何も話してなかったっけ? でもツキノ君辺りから事情は聞いてるかと思ってたんだけど、知らなかった?」
知らない! 全く! ひとつも! 聞いてない!!
そもそもツキノと普通に会話できるようになったのまだ最近だから! 俺ずっと避けられてたから!
親父は「ふむ」とひとつ頷き「まぁ、そういう事なんだ」と締めくくる。説明端折るな! 適当過ぎんだろ!
「要するに、俺はファルスかランティスか、どちらかの王家の人間認定されていて、攫われて殺されそうになったって事か?」
「話を総括するとそんな感じだな」
「でも、なんで俺……?」
話を聞いていけば王家の人間がここにはごろごろしているのに、なんでピンポイントで俺なんだよ……納得いかない。
「ランティス側だとしたらカイト君はまだ顔を知られていないだろうしね、どこにいるかも王家は把握していないだろうから、それに付随する人達もカイト君の存在には気付いてない可能性がある。とすると、ファルス側の可能性は高いのかな……今までこんな事一度もなかったのに……」
母さんは表情を曇らせ言った。
「だとしたら親父に徹底抗議だな、実の孫であるツキノだけならともかく血の繋がりのないうちのまで狙われたとなると、相手は親父の事情に詳しい人間で、尚且つ親父を相当憎んでいる人間だという事だ。メリアだけではなく、そちら側からも狙われる可能性があるというのは本当に厄介なんだが、どうなってるんだ……一体この国で何が起こっているっていうんだ?」
険しい顔付きの親父と、やはり考え込むような表情の母さん。
「そういえば一年前の武闘会での事件も首謀者ははっきりしていないのですよ。ファルス至上主義の思想の人間、その集まり、そういった輩の犯した事件だったというのが分かっているだけで、その根底がどこにあるのかまだ分かってはいないのです。メリアとランティス、2国間の争いの延長線で起こった事件かと思っていたのですが、もしかするとそんなに簡単な問題ではないのかもしれませんね」
ついに俺の知らない事件まで出てきた、話が全然分からん! 誰か詳しく説明しろ!! と言いたい所だが、そんな事を言い出せる雰囲気ではなく、俺はむっつり黙り込む。皆難しい顔で考え込んでいるし、本当にどうなっているんだ……
「一年前の事件、それに関して僕、少しだけ小耳に挟んだ話があるんだけど……」
「何ですか?」
「あの事件、結局首謀者分かってないだろ? だけど、ファルス至上主義を謳う人達を先導していた人がいて、それを調べていったら山の民に行き着いたって話なんだけど、聞いてる?」
「山の民? 聞いてないです。そもそも山の民って……?」
「そのままの意味だよ、山で暮らす人。今はこの言葉もあまり使われなくなったけど、昔は『山の民』って言えば山賊の代名詞だったんだよ」
山の民、山賊。何とも物騒な話になってきた。
「山の民か……そういえばあいつ等も黒髪の人間が多いと聞くな」
「そうなのですか?」
「あぁ、ムソンの人間と関わりがあるのか無いのかよく分からないんだが、俺達が若い頃は山の民は相当に嫌われていた。だから黒髪の人間は本当に差別されていたし、警戒されていたものだ。今も多少の黒髪差別はあるが、昔ほどではないのは親父が黒髪だからだろう」
確かに自国の国王陛下が黒髪なのだったら、黒髪差別なんてしている場合ではないだろうな。
「山の民……ロディ君を襲った男も黒髪でした、もしかするとそういう可能性もあるのでしょうか……?」
「どうだろう……だが、可能性として無くはない。親父は山の民とも懇意にしていたと聞いている、もしかして、そいつ等の恨みを買うような事を親父はしたのかもしれないな」
国王陛下が山賊の代名詞と呼ばれていた山の民と懇意だった……? そもそも、こんな田舎町に国王が暮していた事自体がおかしな話だし、うちの国の国王って変な人だったんだな。
「俺、もう行っていい? 話全然分からないし、ミヅキさん心配だし、なんかもう疲れた」
「ロディ、お前は今日自分が襲われたという自覚はあるのか? もしかしたら今後こんな事が増える可能性もあるんだぞ」
「今日はちょっと油断しただけ、来るって分かってたら油断なんかしないし、そうそうやられてたまるかよ」
「心配だなぁ、そういう自信満々な所、若い頃のお父さんそっくりだけど、ロディは意外と打たれ弱いから……」
ちょっと母さん、それどういう意味!?
「そうだな、少し甘やかせ過ぎたせいか詰めも甘いし考えも甘い、心配だな」
はぁ!?
「ざけんなっ、俺だってもう立派に一人前だ! そんな心配いらない!」
「そういうのは、1人で町を出られるようになってから言おうね、ロディ」
「出られるようになってから、って……出る機会がなかっただけで、1人で出られない訳じゃない!」
「本当に? 1人で乗合馬車に乗れる? 1人でご飯ちゃんと食べられる?」
「俺は幼児か! そのくらいできるに決まってるだろっ!」
母さんは俺をなんだと思ってるんだ!? まだ5つ6つの幼い子供だとでも思っているのか!?
「そう……だったら、ロディ。ちょっとメルクードまでお使いに行ってきてもらってもいいかな?」
「……へ?」
何を言われたのか分からなくて、つい間抜けな声が出た。
「おい、アジェ、事情が変わっただろ。もし本当にロディ自身が狙われているんだったら、今ロディを外に出すのは危険だ」
「でも今日ロディを襲った人がまた襲って来るなら、場所を知られているルーンにいるより、逆にメルクードの方が安全な可能性もあるよね?」
「だが、もし今日の男がランティス王家絡みだったとしたら、メルクードに行くのは狼の眼前に餌を置くようなものだぞ。俺は反対だ」
なに? 何? 何の話? 俺の知らない所で何の話が進行してるんだ? 俺がメルクードに行く? メルクードってどこだっけ? ええと、確かランティスの首都だったか……?
「いい? ロディ、よく聞いて。メルクードには母さんの友達が暮しています、その人に母さんからの手紙を届けて欲しいんだ。これは本当に大事な手紙、誰にも見られちゃ駄目な物、だからお前に頼んでる。ロディ、お使い頼めるかな?」
「別にそれくらい構わないけど……」
「おい、アジェ!」
「エディ、きっとね、全部の事件はどこかで繋がっているんだよ、僕達は今、僕達ができる精一杯の事をやらなければいけない、僕達は傍観者ではいられないんだ。ユリウス君、叔父さんの話は聞いたよ、僕にはそれに関して少しだけ情報がある、それが今ロディに伝えた手紙の話だよ。その手紙の届け主が、きっと何かを知っている、だから、その手紙をロディと一緒に相手の人に渡して欲しい。そうすればきっと君も叔父さんに関する何かしらの情報を得られるはずだ」
ユリウスさんの叔父って誰だ? その叔父というのに何かあるのか? そんでもって、俺は一体誰に手紙を渡しに行くんだ?
「ロディ、お使いできそう?」
「それは、まぁ……」
「アジェ、お前は本当にこうと決めたら人の話を聞きやしない……息子を危険な場所に送り込もうとする親がどこにいる……」
「メルクードは別に危険な場所じゃない、カイト君と同じでロディにとっても逆に安全な場所な可能性もある。ここに居ても襲われた、だったらどこに居ても同じだよ」
「ルーンに居れば俺達が守ってやる事もできる」
両親が俄かに夫婦喧嘩の様相だ、普段は仲が良くて喧嘩などしない2人だが、一度拗れると仲直りするまでに時間がかかる事を経験上知っている俺は、どうしたものかと2人を見やった。
「領主様、心配はごもっともですが、そこに理由があるのなら、私がロディ君の護衛、しかと承ります」
「ただでさえお前はカイトの護衛で手一杯なんじゃないのか? 大丈夫なのか?」
「私は一人ではありません、私には私を裏切る事のない大勢の仲間がいます」
「しかしなぁ……」
「……親父はそんなに俺の事が信用ならないのか?」
いつまでもいい顔をしない親父に俺は不貞腐れる。別にお使いに行きたい訳ではないが、何より誰より俺を子供扱いしているのはこの親父で、それくらいの事もできない子扱いをされているのが、なんだかとても腹立たしい。
「信用していない訳じゃない、心配しているんだろうが」
「僕だってロディの歳には同じような状況でメルクードまで行けたんだ、大丈夫だよ」
「状況が違うだろ! しかもお前のは家出だったじゃないか! 俺があの時どれだけ心配したか、お前は全然分かってない!!」
「分かってないのはエディも同じ、子供はいつまでも子供のままじゃないんだよ」
親父は口で母さんに勝つ事はできない。言い負かされた様子の親父は仏頂面で黙り込み、しばらくすると大きな溜息と共に「本当に大丈夫なのか……?」と、ぼそりと呟いた。
「ロディは僕達の子供だよ、できるに決まってる。可愛い子には旅をさせろって言うだろ? ロディはきっとちゃんとやってくれるよ」
どういう状態を「ちゃんと」と言うのかよく分からないけど、どうやら俺のメルクード行きは決まったみたいだ。ルーンを1人で出る、ましてや遠出なんて初めてで、ちょっとワクワクするぞ。
しかも、もしかしてユリウスさんが一緒という事はミヅキさんも一緒なんじゃね? これって俺にとっては願ったり叶ったりの状況なんじゃね?
母さんは「大急ぎで手紙を書くから」と集会所を後にする、親父もそんな母さんの後を追いかけるようにして行ってしまった。
部屋に残されたユリウスさんは相変わらず難しい表情のままなのだが、降って湧いたようなこの展開に、俺は何故かワクワクしていた。その時の俺はまだ何も知らない子供だったから、単純に状況を楽しんでいたのだ。
その後、俺に降りかかる数々の事件の事なんて、俺はその時はまだ何も分かっていなかった。
数時間前、俺は1人ぼんやり座り込んで庭を眺めていた。なんだか昨日から色々な事があり過ぎて、頭の中の整理が追い付かない。
昨晩突然我が家にやって来た男は、今朝も我が家にやって来て我が家の居候であるツキノや、そのツキノとつるんでいたノエルと共に何処かへ行ってしまった。一緒に来ていた少年も俺を振り回すだけ振り回して、やはり一緒に何処かへと行ってしまった。
気付いたら俺は1人ぼっちでぽつんと庭に残されていた。
「あの……すみません、この家の方ですか?」
声をかけられ顔を上げると、そこに立っていたのは1人の女性だった。
……いや、本当に女性か? 声は確かに女っぽい気もするが髪はずいぶん短髪で身体もすらりと少年体形、ツキノの例もある、もしかしたら男の可能性も否定できない。
「どちら様で?」
「私、ミヅキと申します。私の友人がこちらにいると言われて来てみたのですが、こちらに来てはいないでしょうか?」
「友人……誰の事だろう? 今日は人がたくさん訪ねて来たけど、名前は?」
「ユリウス・デルクマン、もしくはイグサル・トールマン。あともう1人少年も一緒だったと思いますが……」
もしかしてと思ったが、やはりあいつ等の友人か。だとすると、この人も男性の可能性は高い。もしかして母さんと同じ男性オメガか?
「来ましたけど、もういませんよ」
少し自分より年上であろうミヅキさんからふわりと微かに甘い薫りが匂う。あぁ、この人やっぱりオメガなのかも。
「どこに行ったか分かりますか?」
「聞いてないですね」
ミヅキさんは「困ったな……」と髪を掻き上げた。するとやはりまた、ふわりと甘い薫りが鼻を擽る。
「あの……もし、良かったら、一緒に探すの手伝いましょうか?」
「え……いいんですか?」
「この町の領主の息子として困っている人は放っておけないですからね」
「君は領主様の?」
「はい、ロディ・R・カルネと申します。ロディと呼んでください」
俺の言葉にミヅキさんは「ありがとう、ロディ君」と笑みを見せた。俺はその笑顔に少しどきっとしてしまう。
「ミヅキさんは行き先に心当たりは?」
「それが、昨晩この町に着いたばかりで、私はこの町がよく分からない。ここにいるか、宿にいるか、もしくはノエル君と一緒に出掛けてしまったのか……」
「ミヅキさんもノエルとはお知り合いなんですか?」
「少しだけ。あまり話した事はないけど、うちのユリウスがご執心だから」
うちのユリウス……? この人達一体どういう関係なのだろう? よく考えたらあの面子に女性が一人というのは変な感じだ、やはり男性? もしかして男性オメガで恋人だったりするのだろうか? いや、もしそうならノエルにご執心などとは言わないか……
「どうかしましたか?」
「いえ、宿はノエルの家ですよね? そちらにはもう行かれましたか?」
「はい、そちらでこちらに来ているのではないかと言われて来てみたのです」
「だったら広場の方か、それともツキノの書斎の方かな?」
「それは何処か教えていただいても?」
「そこまで広い町ではないですからね、観光に出るにしても行く場所は限られている、ついでに町もご案内しますよ」
完璧な営業スマイルで俺は領主のできた息子を演じきる。猫を被るのは得意なのだ。
道すがら話しを聞きつつ歩いて行くと、どうやらミヅキさんはれっきとした女性のようで、ついでにツキノに付き纏うように朝からやって来ていた男の幼馴染なのだという。
「そういえば昨晩は大変でしたね、ご家族の方にお怪我などはありませんでしたか?」
「え? あぁ、大丈夫ですよ。使用人が軽い怪我をしたくらいで、強盗は自警団が全員捕まえましたしね。うちの自警団は優秀なんですよ」
「大事がなかったのなら幸いでした。従姉妹も心配していたので、それを聞いて安心しました」
「従姉妹? ミヅキさんはこの町に親戚がいらっしゃるんですか?」
彼女はしまったという表情を見せたあと「えぇ、まぁ……」と言葉を濁す。
「あまり交流はないのですが、父が気にかけているので挨拶に寄っただけですけどね。けれど父が一番気にかけている叔父には結局会えませんでした」
「叔父さん、お名前は?」
俺のその問いに彼女はまた少し言い澱むのだが、しばらくすると小さく首を振って「クロード・マイラー、それこそ先ほど言っていた自警団をやっていると聞いています」と小さく答えた。
「え? ミヅキさんってクロードおじさんの姪なんですか!?」
「えぇ、まぁ……」
「おじさんにはいつもお世話になってます」
俺がぺこりと頭を下げると、彼女は「私に言われても困ります」と苦笑した。
けれど、これで納得した。マイラー家はバース性の家系だ、ローズを筆頭に子供達も軒並みバース性なのだ、先ほど彼女からは微かに甘い匂いが薫っていた、彼女もきっとオメガなのだろう。
その匂いは確かにローズの匂いによく似ている。けれど、ローズとは違い彼女からはそこまで強烈な匂いはしなかった。
「そうですか、では叔父さんにも会いに行かれますか?」
「でも、今お仕事中なのでは?」
「仕事には休憩も必要ですよ、自分も昨晩の強盗達の様子が気になるので行きましょう」
行き先は自警団の集会所、現在そこには昨晩捕らえた強盗と自称ツキノの護衛達も纏めて留め置かれている。ルーンの町には罪人の留置所はないので、取調べが終わったら彼等は大きな街の留置所へと送られる事になるだろう。
「ん? あれ? ダニエルさん……?」
自警団の集会所は町の外れにある、そんな町の外れに大きな巨体がうろついていた。その赤髪は紛れもなくツキノの護衛のダニエルさんだ。彼の髪は乱れ、服もどこか少し乱れている。態度もどこかそわそわしたもので、見るからに少し不審者っぽい。
気になって、彼に近付き声をかけると、彼の身体はびくりと跳ね上がった。
「ダニエルさん、釈放されたんですか?」
「え? あ……いや」
「まさか脱走して来たなんて事、ないですよね……?」
ダニエルさんはツキノの護衛の中でも一番王家に対する忠義が厚いと感じていた、まさかそんな事は……と思ったのだが、彼は困ったように言葉を濁した。
「本当に脱走して来たんですか?! だったら、早く戻ってください、それともやはり貴方も……」
「誤解です! 私どもは! ……いや、少なくとも私は王子に危害を加えるものでは決してございませんぞ!」
「口でだけなら何とでも言えます、それは全ての疑惑を払ってから言う事です」
「しかし、私は王子の護衛、こんな時に王子に何かあったらと思うと……」
ダニエルさんはもごもごと言い訳を並べ立てるが、そんな言葉は脱走の言い訳にはならない。
「ツキノには今、たくさん護衛が付いているから大丈夫です」
「それはルーク殿の事を言っているのか? 彼等は、戦闘は専門外だと言っていましたぞ」
「いえ、彼等だけではなくてですね……」
ふいにひゅん! と何かが頬を掠めて飛んだ。虫かと思って頬を撫でたら、手にぬるりと血が付いた。
「……え?」
それに気付いたダニエルさんが俺達を庇うように覆いかぶさってくる、俺も、俺とダニエルさんに挟まれるようにして抱え込まれてしまったミヅキさんも何が起こったのか分からず、ただ抱きこまれるままに地面に伏せた。
隙間から背後を見やれば地面に刺さる矢尻が見えて、先程自分の頬を掠めた物が弓矢であった事に気が付いた。
「なに……」
「動いてはなりません! っぐ……」
矢継ぎ早に飛んでくる矢、それは幾つか地面に刺さるのが見えるのだが、それ以外には何も見えない。しばらくすると攻撃は止んだのだが、ダニエルさんは動こうとしない。
「ダニエルさん……?」
「おっ、重い……」
ミヅキさんにはダニエルさんの体重が直接かかっている上に、俺とダニエルさんの2人に挟まれ苦しそうだ。2人分の体重がかかっている俺も勿論重いのだけど、そこはなんとか耐える。それにしてもダニエルさんの身体はぐったりしていていっそう重い、どうにかこうにかミヅキさんと共に彼の下から這い出したら、ダニエルさんの背中には何本かの弓矢が突き刺さっていた。
蒼白になるミヅキさん、けれど悲鳴は上げなかった彼女は気丈だと思う。
「これ、なんで……」
「お二人ともお怪我は……?」
「俺達の事より、自分の事だろ! 大丈夫?! いや、全然大丈夫じゃないですよねっ!」
どうしよう! どうすればいい? 落ち着け、慌てるな……
ダニエルさんは荒い息で起き上がり、腕に刺さった弓矢を一本抜きさり放り投げた。
「ちょ……駄目ですよ、抜いたら血が出る!」
「これは毒矢ですぞ、抜いて毒を抜かなければ、余計に……」
目でも霞むのか、ダニエルさんはひとつ頭を振る。
「ロディ君、人を呼んできて!」
ミヅキさんは、言うと即座にダニエルさんの背後へ回って弓矢を抜きさり、上着を剥ぐ。そして、その背中に口付けるとその血をぺっと吐き捨てた。
「ロディ君! 早くっ!!」
彼女の口の周りはまるで紅を刺したように赤く染まり、瞬間呆けたようにそれを眺めていたのだが、続いた叱責に俺は慌てて駆け出した。集会所はすぐそこだ、俺は集会所の扉をノックもなしに開け放ち「誰か来てくれ!」と大声を上げた。
そこから俺は人を連れて取って返し、そのまま彼を集会所に連れて行くよう指示を飛ばして、今度は町に医者を呼びに駆け出した。医者を連れて集会所に戻ると、ダニエルさんの背中は一応の応急処置を施されていたのだが、彼の意識は既になく、話を聞く事もできない。
「ロディ君、君も診察を受けなさい」
「え……?」
医者を連れて落ち着いた頃に、傍らに立ったミヅキさんは血塗れのままそう言った。
「その頬、たぶんそれにも毒が塗られていたはずだ」
言われて見ると、その頬は熱を持ったように熱くなっている。無我夢中で駆けずり回っていて気が付かなかった。
「私も少し身体が重い……多少身体に入ってしまったようね……」
そう言って彼女は俺の傍らに座り込んだ。
「え、ちょっと大丈夫なんですか?!」
「問題ない、毒には慣らされている。この程度ならば明日には元通り。それよりも、君の方だ、こういうのには慣れていないだろう? 走り回っていたせいか、ずいぶん血の巡りも良かっただろう。たぶん毒も血で洗い流されているだろうけど、念の為診てもらっておきなさい」
そう言って彼女は微かに笑みを零して俺の頬を優しく撫でた。
うっわ、なにこの人、めっちゃ格好いい! いや、女の人に格好いいとか失礼だけど、やばい、これ惚れる……
前を向いてしまった彼女の横顔を呆けたように見詰めていたら、彼女は難しい顔で「それにしても、さっきの襲撃は何だったのか……」と首を傾げた。
「ロディ君、何か襲われるような心当たりは?」
「え、ないですよ。ある訳ないじゃないですか」
「ふむ、私にも心当たりはない、とすると先程のダニエルとかいう男を狙ったものだったのか……?」
「何でダニエルさんが? ツキノが襲われるならともかく……」
彼女は「ふむ」と考え込んで「もしかして間違われたかな?」と小首を傾げた。
「間違われた? 誰に?」
「私がツキノに、よ。言ってはなんだが私もこんな姿だから、男女だとよく言われている、襲った相手がツキノの容姿をきっちり把握していない人間だったとしたら、そんな仮定もなくはない。ツキノの容姿を伝聞で聞くのならば、たぶん伝えられるのは『女の子のような少年』だろうからね。はは、もしかしたら君もカイトに間違われた可能性があるな。私と君、それにツキノの護衛のあの男、3人揃っていたから私をツキノと間違えた可能性は高い」
確かに自分はツキノにも『お前はカイトに似ている』と言われていた。実際、背格好も似ているし、髪の色までそっくり同じなのだ。
「だとすると、ツキノを狙っている人間がまだこの町にはいる、という可能性もある訳か、全く休みが休みにならないな」
苦笑するように彼女は笑った。
「女性の貴女が男達に混じってこんな仕事をしているのは辛くはないですか?」
「私は他に居場所もないからな。我が家は言っては何だが少しばかり上流階級で、そんな家の末っ子に生まれた私はとにかくどこにも居場所がない。居心地のいい場所を探して回っていたら、行き着いた場所がここで、まぁ、後悔はないよ」
「なんでそんなに居場所がないのです? ローズさんの親戚ならミヅキさんも貴族の一員という事ですよね?」
「私はいわゆる妾腹というやつでね、父親は責任を取って私を引き取りはしたけれど、立場的にはとても弱い。自立して家を出なければそのうち適当な家に嫁に出されてしまうだろう、私はその前にあの家を出ようと思っている。それにはこの仕事はうってつけ、給料もそこそこ良いし、ファルスの騎士団は実力主義、誰も私を家柄でなんて見やしない。それでも影で色々言われる事もあるから、あまり姓は名乗らない事にしているのだけど」
両手の指を絡めるようにして膝の上で組み、彼女は目を瞑る。
「いけない毒が回って少し弱気にでもなっているのか、お喋りが過ぎてしまった。今の話しは聞かなかった事にしておいてちょうだい」
「別に弱音くらい聞きますよ。なんのしがらみもない俺にならそんな話もしやすいですよね?」
「ふふふ、君は優しいな」
彼女がちらりとこちらを向いて、とても綺麗な笑顔を見せた。なんだよ、この人普通に美人じゃないか。全く化粧気もないし第一印象が少年のようだから気付きにくいけど、きっと髪を伸ばして女性らしい姿をすれば誰もが振り返るような美女になる。
「ミヅキさん、良かったら俺と付き合いませんか?」
「……は?」
伏せていた顔を驚いたように上げて、彼女はまじまじとこちらを見やった。
「冗談かな? 全く笑えない」
「冗談なんかじゃないですよ、俺は自分に素直なので、いいなと思ったらそう言います」
「本気なのか? そんな事を男に言われたのは初めてだ」
「女の子にはあるんですか?」
「このなりだからな、無くはない」
確かに中性的なその容姿は女受けしそうではあるけど、よくよく見れば綺麗な女性だというのはすぐに分かるのに勿体ない。
でも逆に考えれば彼女は原石、磨けば輝く宝石だ。
「俺、本気ですよ」
にっこり笑顔でそう言ったら、彼女はますます戸惑い顔で、そのうちに真っ赤になって俯いた。
「少し……考えさせて欲しい」
「色好い返事、待ってます」
ツキノにふられ続け、精神的ダメージを喰らい続けた俺にはきっと新しい恋が必要なのだ、そこに現れた彼女はまさに俺の女神、きっと彼女が俺の『運命』に違いない。
彼女はやはり困惑顔でこちらを窺うようにちらりと見やる、それに笑みを見せたら、また慌てたように視線を逸らすその姿は非常に初々しい。
綺麗なお姉さんは好きですか? 俺はもちろん大好きです! という事で優しく頼れる所を見せておこうと思っていた矢先、二人きりになった所で突如現れた仮面の男に俺は攫われ連れ去られた。
というか、なんで俺だ? 普通ここは悪い男が彼女を攫って、それを俺が格好良く助けるというのが、筋ってものだろう!? なのに彼女の目の前で俺が攫われるってホントどうなんだ! 今更格好もつきやしないだろ! こんちくしょうめ!!
「ロディ様、大丈夫ですか?」
腹を抱えて転がったままの俺にノエルが駆け寄ってくる。
「ミヅキさんは……?」
「少し脳震盪を起したみたいですけど、大丈夫だったそうですよ」
「そうか」と頷き、起き上がろうとするのだが、体のあちこちが痛い。抱えられ、放り投げられ暴行を受ける、こんな屈辱は初めてだ。
「怪我をしている、無理はいけませんよ」
そう言ってユリウスさんにふわりと抱き上げられた。って、待て! 俺はまたこれなのか?!
「降ろしてくれ、自分で歩ける!」
「顔色も悪いですよ?」
「大丈夫だから!」
「そうですか?」と地面におろされ、自力で立とうとしたら、何故か足に力が入らずまた腰からがくりと崩れ落ちた。
「大丈夫じゃないじゃないですか」
「いや、これは……」
「意識ははっきりしているようなので大した事はないと思いますが、一度きっちり診察してもらった方が良さそうですね」
再びユリウスさんに体を持ち上げられる。お前等軽々俺を持ち上げやがって! 俺のプライドはずたぼろだぞ!
「ロディ様、どこか痛いですか?」
心配そうにノエルに顔を覗き込まれた。俺の表情が険しいのは怪我のせいだけじゃないからな、そこの所、お前は絶対分かってない!
「落ちますよ、ちゃんと捕まっていてください」
そう言って男はすたすたと歩き始めた。後ろからノエルが追いかけてくるのだが『ちょっと羨ましいな』みたいな顔するな! 色々駄々漏れ過ぎだぞ、お前。
「そういえばロディ君、先程の男に心当たりはありますか?」
「そんなの、ある訳ないだろ!」
「そうですか」と頷いてユリウスはまた黙々と歩き出す。その場には自警団の人間も何人か集まってきていて、ユリウスさんは彼等に簡単な事の顛末と、次にするべき事の指示を次々に出していく。自警団も彼の言う事に従って動いていくので、一体こいつは何なんだ……と改めて思ってしまう。
「集会所の方が近いですけど、領主様の屋敷に帰りたいですか?」
「あ? 別にどっちでも……いや、このまま家まで連れて行かれるのは嫌だな、こんな姿で町中を歩くなんて、いい晒し者だ」
「では集会所の方に向かいましょう、まだこの事件に関しては分からない事だらけですからね」
本当にそうだ、俺には全く分からない事ばかり、あの仮面の男が言っていた『隠された王子』という言葉も俺には全く分からない。俺が王子? 一体どこの王子だって言うんだ? というか、隠された王子の息子って言われたか? という事は王子ってのは親父の事?
いやいや、それはないだろう? うちにはお爺様もお婆様も健在で生きている、だったら母さんの方か? 母さんは天涯孤独の身だと聞いているけど……?
埒もなく悶々と考え込んでいると、間もなく集会所に着き、俺はすぐに医師の診断を受けたのだが、歩けないのは何の事はない、少しばかり腰が抜けた状態だった事が分かった。
全くもって格好悪い。
しばらくすると、連絡を受けたのだろう両親が血相を変えて部屋に飛び込んできて、母さんは俺を苦しいくらいに抱き締めてくれた。
「無事で良かった」と母さんはぼろぼろと泣き崩れる。そんなに大泣きされると、こっちまで泣きそうになるだろ。本当は少し怖かったんだ……
「領主様、奥方様、少しお聞きしたい事があるのですが、宜しいですか?」
「あぁ、うちのを助けてくれたそうだな、ありがとう」
「いえ、それは当然の事をしただけなので。それよりも彼を襲った犯人が少し気になる事を言っていたので、もしかしてお2人は犯人に心当たりがあるのではないかと、そう思ったのですが……」
「犯人に心当たりなどないぞ。何故そう思う?」
「男は『王家の人間は根絶やしにしなければならない』とそう言ったのです。私は彼がカイトと間違われて攫われたのかと思ったので、彼は無関係なこの町の領主の息子だと告げたのですが、それに対して男は彼の事を『隠された王子の息子』と、そう言ったのです」
瞬間、母さんの顔色が蒼白になり血の色を失った。
「隠された王子、と犯人はそう言ったのですか?」
「はい、確かに。奥方様はランティス王国、エリオット王子の双子の弟ですよね、隠された王子というのならば、もしかしたらそういう事なのかと……」
は? 待て待て待て、聞いてない、聞いてないぞ! 誰が誰の弟だって? 母さんがランティス王家の王子? 嘘だろ、全然聞いてない!!
「ただひとつ不思議だったのは、その犯人の男、黒髪黒目だったのですよ。黒髪と言えばムソンの民、だとするとブラック国王陛下関連の人間だとも考えられる」
「まさか黒の騎士団の人間だと……?」
「いえ、そうは思わないのですが、身のこなしがあまりにも彼等に類似していたので、どうにも引っかかるのです」
ユリウスさんの言葉に親父は腕を組んで考え込んだ。
「隠れているつもりは全くないが、隠された王子……まさか俺の事を言っていたりする可能性もあるのか……?」
「そういう事もあると思いますか?」
「俺は親父の実子じゃないが、俺を親父の子供だと思っている人間はまだ大勢いるだろうからな」
んん? 親父の親父って一体誰だ? お爺様の事じゃないのか? そういえば親父には養い親がいるってのは聞いているけど……
「親父、俺、話が全く見えないんだけど……」
「ん? 何がだ? 俺がファルス国王の息子だと思われている可能性がある、ってそれだけの話だぞ」
「いや、待って。だからなんで親父がファルス国王の息子だと思われてるの?」
「昔育てられていたからな、それこそ最近お前達が通い詰めている黒の騎士団のアジト、あそこが俺達の家だった」
「ん~? そんな話おかしいだろ、なんで王様がそんな家に暮してたんだ? 別荘? いや、それにしては質素過ぎる……」
親父が不思議そうな顔でこちらを見やる。
「お前、何も聞いてないのか?」
「あ? 何をだよ?」
「あの家の由来をだよ、もうとっくにツキノか母さん、もしくは黒の騎士団の奴等が話したもんだと思っていたんだが、聞いてないのか?」
「俺は何も知らないよ。あの家、ツキノの爺さんが昔住んでたって聞いただけで、管理は我が家でしてるってそういう話じゃなかったのか?」
「その爺さんがファルス国王だぞ?」
「…………」
しれっと何でもない事のように親父は言うのだが、一体どういう事だってばよ?
「お前が小さい頃、よく黒髪の柄の悪い親父が手土産持って遊びに来てたの覚えてないか?」
言われて、記憶を反芻する。確かにそんな人いた。豪快に笑うちょっと怖い雰囲気の男で、その人が来ると何故か親父は苦虫を噛み潰したような顔をしているのだが、母さんやお爺様達はいつも笑顔で出迎えていた人だ。
「それが現在のファルス国王陛下」
「…………嘘だぁ」
そんな突拍子もない話、一体誰が信じるものか。だってアレが王様? どうみてもその辺によくいるただのおじさんだったじゃないか!
「嘘に聞こえるかもしれないが本当の話だ。アレが国王」
俄かに信じられずに母さんを見やると、母さんも無言で頷いた。え? 嘘だろ? 俺、あのおじさんには結構遊んでもらった記憶があるぞ?
「俺は赤子の頃に一度獣に攫われてな、それを助けて育てたのが国王陛下だ。だから俺はあの人の家でずっと長男として暮していた。実はあの人が王家の人間だったと聞いたのは俺が今のお前の歳よりもう少しくらい上になってからだったな、俺もお前と全く同じ反応をした事だけは覚えてる」
田舎領主の息子だと思っていた自分は実は王家のサラブレットだった? え? マジで? 俺、王子だったの?
「とはいえ、アジェは存在自体が公に認められていないし、俺にしても親父には育てられたというだけで王家には一切関わりはない、もしそんな事で王家の人間認定をされているのなら、こちらはいい迷惑だ」
え? え? 本気で言ってる? だって王子って立場凄くない? プリンスだよ、プリンス! お城で周りの人間に傅かれて贅沢三昧なイメージしか湧かないんだけど、俺のイメージ貧困ですか?
いや、ツキノの話聞いてるから楽しいばっかりじゃないの分かってるけど、メリアと違ってファルスは平和だし? なんだかお気楽王侯生活とかちょっと憧れる。田舎領主の息子より格好良くない?
「これは国王陛下にも一応の確認を取っておいた方がいいかもしれませんね……」
国王陛下に確認取れるんだ? 国王ってそんなに気軽に会える人だっけ? いや、幼い時に遊んでもらったあのおじさんが国王陛下だって言うなら、まぁそんな事もあり得るか? 王様って意外と庶民的?
「ロディ、ぼんやりして大丈夫? どこか痛い? 調子悪い?」
母さんが俺の顔を覗き込んでくる。母さんがランティス王家の人間……天涯孤独の身の上のはずの母さんに甥がいたのはそういう事か、確かカイトは俺の従兄弟って言っていたような? ……ん? だとしたら……
「ツキノがメリアの王子で、カイトはランティスの王子?」
「何今更そんな事言ってるの? 本当に大丈夫? 頭打ったのかな?」
心配そうに、母さんが俺の頭を撫でるのだが、いや、待って、俺の頭の心配されるの凄く心外なんだけど! 俺は聞いてないぞ、そんな話!!
「お前本当に何も聞いてないのか? 俺はアジェがとっくに話しているものだと思っていたんだが……」
「え? 僕? そういえば何も話してなかったっけ? でもツキノ君辺りから事情は聞いてるかと思ってたんだけど、知らなかった?」
知らない! 全く! ひとつも! 聞いてない!!
そもそもツキノと普通に会話できるようになったのまだ最近だから! 俺ずっと避けられてたから!
親父は「ふむ」とひとつ頷き「まぁ、そういう事なんだ」と締めくくる。説明端折るな! 適当過ぎんだろ!
「要するに、俺はファルスかランティスか、どちらかの王家の人間認定されていて、攫われて殺されそうになったって事か?」
「話を総括するとそんな感じだな」
「でも、なんで俺……?」
話を聞いていけば王家の人間がここにはごろごろしているのに、なんでピンポイントで俺なんだよ……納得いかない。
「ランティス側だとしたらカイト君はまだ顔を知られていないだろうしね、どこにいるかも王家は把握していないだろうから、それに付随する人達もカイト君の存在には気付いてない可能性がある。とすると、ファルス側の可能性は高いのかな……今までこんな事一度もなかったのに……」
母さんは表情を曇らせ言った。
「だとしたら親父に徹底抗議だな、実の孫であるツキノだけならともかく血の繋がりのないうちのまで狙われたとなると、相手は親父の事情に詳しい人間で、尚且つ親父を相当憎んでいる人間だという事だ。メリアだけではなく、そちら側からも狙われる可能性があるというのは本当に厄介なんだが、どうなってるんだ……一体この国で何が起こっているっていうんだ?」
険しい顔付きの親父と、やはり考え込むような表情の母さん。
「そういえば一年前の武闘会での事件も首謀者ははっきりしていないのですよ。ファルス至上主義の思想の人間、その集まり、そういった輩の犯した事件だったというのが分かっているだけで、その根底がどこにあるのかまだ分かってはいないのです。メリアとランティス、2国間の争いの延長線で起こった事件かと思っていたのですが、もしかするとそんなに簡単な問題ではないのかもしれませんね」
ついに俺の知らない事件まで出てきた、話が全然分からん! 誰か詳しく説明しろ!! と言いたい所だが、そんな事を言い出せる雰囲気ではなく、俺はむっつり黙り込む。皆難しい顔で考え込んでいるし、本当にどうなっているんだ……
「一年前の事件、それに関して僕、少しだけ小耳に挟んだ話があるんだけど……」
「何ですか?」
「あの事件、結局首謀者分かってないだろ? だけど、ファルス至上主義を謳う人達を先導していた人がいて、それを調べていったら山の民に行き着いたって話なんだけど、聞いてる?」
「山の民? 聞いてないです。そもそも山の民って……?」
「そのままの意味だよ、山で暮らす人。今はこの言葉もあまり使われなくなったけど、昔は『山の民』って言えば山賊の代名詞だったんだよ」
山の民、山賊。何とも物騒な話になってきた。
「山の民か……そういえばあいつ等も黒髪の人間が多いと聞くな」
「そうなのですか?」
「あぁ、ムソンの人間と関わりがあるのか無いのかよく分からないんだが、俺達が若い頃は山の民は相当に嫌われていた。だから黒髪の人間は本当に差別されていたし、警戒されていたものだ。今も多少の黒髪差別はあるが、昔ほどではないのは親父が黒髪だからだろう」
確かに自国の国王陛下が黒髪なのだったら、黒髪差別なんてしている場合ではないだろうな。
「山の民……ロディ君を襲った男も黒髪でした、もしかするとそういう可能性もあるのでしょうか……?」
「どうだろう……だが、可能性として無くはない。親父は山の民とも懇意にしていたと聞いている、もしかして、そいつ等の恨みを買うような事を親父はしたのかもしれないな」
国王陛下が山賊の代名詞と呼ばれていた山の民と懇意だった……? そもそも、こんな田舎町に国王が暮していた事自体がおかしな話だし、うちの国の国王って変な人だったんだな。
「俺、もう行っていい? 話全然分からないし、ミヅキさん心配だし、なんかもう疲れた」
「ロディ、お前は今日自分が襲われたという自覚はあるのか? もしかしたら今後こんな事が増える可能性もあるんだぞ」
「今日はちょっと油断しただけ、来るって分かってたら油断なんかしないし、そうそうやられてたまるかよ」
「心配だなぁ、そういう自信満々な所、若い頃のお父さんそっくりだけど、ロディは意外と打たれ弱いから……」
ちょっと母さん、それどういう意味!?
「そうだな、少し甘やかせ過ぎたせいか詰めも甘いし考えも甘い、心配だな」
はぁ!?
「ざけんなっ、俺だってもう立派に一人前だ! そんな心配いらない!」
「そういうのは、1人で町を出られるようになってから言おうね、ロディ」
「出られるようになってから、って……出る機会がなかっただけで、1人で出られない訳じゃない!」
「本当に? 1人で乗合馬車に乗れる? 1人でご飯ちゃんと食べられる?」
「俺は幼児か! そのくらいできるに決まってるだろっ!」
母さんは俺をなんだと思ってるんだ!? まだ5つ6つの幼い子供だとでも思っているのか!?
「そう……だったら、ロディ。ちょっとメルクードまでお使いに行ってきてもらってもいいかな?」
「……へ?」
何を言われたのか分からなくて、つい間抜けな声が出た。
「おい、アジェ、事情が変わっただろ。もし本当にロディ自身が狙われているんだったら、今ロディを外に出すのは危険だ」
「でも今日ロディを襲った人がまた襲って来るなら、場所を知られているルーンにいるより、逆にメルクードの方が安全な可能性もあるよね?」
「だが、もし今日の男がランティス王家絡みだったとしたら、メルクードに行くのは狼の眼前に餌を置くようなものだぞ。俺は反対だ」
なに? 何? 何の話? 俺の知らない所で何の話が進行してるんだ? 俺がメルクードに行く? メルクードってどこだっけ? ええと、確かランティスの首都だったか……?
「いい? ロディ、よく聞いて。メルクードには母さんの友達が暮しています、その人に母さんからの手紙を届けて欲しいんだ。これは本当に大事な手紙、誰にも見られちゃ駄目な物、だからお前に頼んでる。ロディ、お使い頼めるかな?」
「別にそれくらい構わないけど……」
「おい、アジェ!」
「エディ、きっとね、全部の事件はどこかで繋がっているんだよ、僕達は今、僕達ができる精一杯の事をやらなければいけない、僕達は傍観者ではいられないんだ。ユリウス君、叔父さんの話は聞いたよ、僕にはそれに関して少しだけ情報がある、それが今ロディに伝えた手紙の話だよ。その手紙の届け主が、きっと何かを知っている、だから、その手紙をロディと一緒に相手の人に渡して欲しい。そうすればきっと君も叔父さんに関する何かしらの情報を得られるはずだ」
ユリウスさんの叔父って誰だ? その叔父というのに何かあるのか? そんでもって、俺は一体誰に手紙を渡しに行くんだ?
「ロディ、お使いできそう?」
「それは、まぁ……」
「アジェ、お前は本当にこうと決めたら人の話を聞きやしない……息子を危険な場所に送り込もうとする親がどこにいる……」
「メルクードは別に危険な場所じゃない、カイト君と同じでロディにとっても逆に安全な場所な可能性もある。ここに居ても襲われた、だったらどこに居ても同じだよ」
「ルーンに居れば俺達が守ってやる事もできる」
両親が俄かに夫婦喧嘩の様相だ、普段は仲が良くて喧嘩などしない2人だが、一度拗れると仲直りするまでに時間がかかる事を経験上知っている俺は、どうしたものかと2人を見やった。
「領主様、心配はごもっともですが、そこに理由があるのなら、私がロディ君の護衛、しかと承ります」
「ただでさえお前はカイトの護衛で手一杯なんじゃないのか? 大丈夫なのか?」
「私は一人ではありません、私には私を裏切る事のない大勢の仲間がいます」
「しかしなぁ……」
「……親父はそんなに俺の事が信用ならないのか?」
いつまでもいい顔をしない親父に俺は不貞腐れる。別にお使いに行きたい訳ではないが、何より誰より俺を子供扱いしているのはこの親父で、それくらいの事もできない子扱いをされているのが、なんだかとても腹立たしい。
「信用していない訳じゃない、心配しているんだろうが」
「僕だってロディの歳には同じような状況でメルクードまで行けたんだ、大丈夫だよ」
「状況が違うだろ! しかもお前のは家出だったじゃないか! 俺があの時どれだけ心配したか、お前は全然分かってない!!」
「分かってないのはエディも同じ、子供はいつまでも子供のままじゃないんだよ」
親父は口で母さんに勝つ事はできない。言い負かされた様子の親父は仏頂面で黙り込み、しばらくすると大きな溜息と共に「本当に大丈夫なのか……?」と、ぼそりと呟いた。
「ロディは僕達の子供だよ、できるに決まってる。可愛い子には旅をさせろって言うだろ? ロディはきっとちゃんとやってくれるよ」
どういう状態を「ちゃんと」と言うのかよく分からないけど、どうやら俺のメルクード行きは決まったみたいだ。ルーンを1人で出る、ましてや遠出なんて初めてで、ちょっとワクワクするぞ。
しかも、もしかしてユリウスさんが一緒という事はミヅキさんも一緒なんじゃね? これって俺にとっては願ったり叶ったりの状況なんじゃね?
母さんは「大急ぎで手紙を書くから」と集会所を後にする、親父もそんな母さんの後を追いかけるようにして行ってしまった。
部屋に残されたユリウスさんは相変わらず難しい表情のままなのだが、降って湧いたようなこの展開に、俺は何故かワクワクしていた。その時の俺はまだ何も知らない子供だったから、単純に状況を楽しんでいたのだ。
その後、俺に降りかかる数々の事件の事なんて、俺はその時はまだ何も分かっていなかった。
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