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二人の王子
旅立ちの時 ①
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今晩の夕食はデルクマン家にお呼ばれだと告げられたのは、その日の当日の昼過ぎの事だった。
「もうじき僕達もルーンに帰るし、グノー達もザガに帰るだろ? だから、その前に一度皆で集まろうって話になったんだって」
アジェさんにそう告げられて、俺は留守番のつもりでいたら「行くに決まってるでしょ?」とワンピースを手渡された。現在養母グノーの中では俺は『ヒナノ』なのだからそれは当然の事なのかもしれないが、またしてもの女装に俺は戸惑うばかりだ。
しかも今日の女装はいつもより完全な女装だ。ズボンじゃないスカートだというので既に心が折れそうなのに、突然現れた黒の騎士団の女性の人に髪を結われ、化粧まで施されてしまった。アジェさんとその女の人、滅茶苦茶楽しそうだったんだけど、もしかして俺、完全に遊ばれてる……?
カイトには『可愛いの自重して』と言われたのだが、一体俺にどうしろと……しかも、ユリウス兄さんの友人のイグサルにこんな姿を見られただけでも恥ずかしいのに、更に一目惚れされるとか何なんだ! カイトとアジェさんはずっと笑ってるし、エドワード伯父さんも「まぁ、そんな時もあるさ」と肩をぽんと叩くだけ。
俺は! 男だって! 何度も言ってるのにっっ!!
訪れたデルクマン家はとても賑わっていた。晩御飯に誘われたのは俺達だけではなかったのだろう、そこまで広くはないデルクマン家には人が溢れ、庭にまで溢れかえっている。
もう、晩御飯というよりこれは晩餐パーティだな。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたユリウス兄さんが「朝、出勤する時にはこんな催しの話聞いてなかったのに、家に帰ったらこれですよ、本当にうちの両親は思い付きで動くからこっちは大変だよ」と苦笑した。
「母さんは……?」
「姉さんと台所で料理中。それにしてもツキノ可愛いね、その服よく似合ってる」
「ユリまでそういう事言う!」
「だって、本当の事だ」
養父によく似た兄ユリウスはそう言ってにこにこと笑みを零した。しかもたぶんこれ絶対本心だから困る。本気でそう思って褒めているだけで他意はないのが分かるから、反応にも困る。
「おぉ、カイトお前も来てたのか」
ユリウス兄さんの次に俺達に寄って来たのはスタール第五騎士団長だ。彼は昔から何故か我が家に入り浸りの生活をしている、さすがに騎士団長になってから来訪は減っていたが、どうやら彼は養母グノーの料理が大好物な様子で、こういう催しには大体来ている。
俺はまた慌ててカイトの背に隠れた。
「ん? カイト、1人か? いつもツキノと2人ワンセットのお前が珍しいな、ツキノは? それにそっちの娘は誰だ?」
「えっと……話は聞いてないです?」
「話? あぁ! すまん、そうだった! お前、今『ツキノ』だったな」
「悪い悪い」とスタールは悪びれもせず言って「で? 本物のツキノは?」ともう一度首を傾げた。ここは顔を出すべきなのか? けれどもどうにも恥ずかしすぎる……
「ヒナ~? どうする?」
カイトは俺に向かってそう言うのだが、俺は無言で首を振る。無理、やっぱり無理。
「ヒナ? そっちはヒナノか? いや、そんな訳ないよな……あぁ! もしかして、お前がツキノか!」
バレた!
「なんだ、よく化けたな。はは、こりゃいい、少し縮んだか?」
「縮んでない!」
カイトがある意味すくすく成長中なので多少小さく見えるかもしれないが、断じて縮んでなどいない! はず!
「はは、つい最近までカイトとどんぐりの背比べだったのになぁ。しかもお前、性別女に決めたのか?」
「そんな訳あるか!」
スタール団長の遠慮のない言い方に思わず顔を出して叫ぶと、またしても「こりゃおかしい」と笑われた。こっちは笑い事じゃないんだよ!
「スタール団長、もしかして団長はツキノが両性具有だって事、知ってたんですか?」
「ん? まぁ、それはな。ツキノがこの家に引き取られてきた頃には、俺はまだナダールの下で働いていたし、一通りの事情は聞いている。俺はてっきりお前はこのまま男でいくのかと思っていたが、これはこれでよく似合ってるな」
スタールはやはり可笑しそうに笑うので「それ、全然嬉しくないから!」と俺がむくれると「ヒナ~?」と、またおじさん達から声がかかって、俺は口を噤んだ。
女らしくとかホント無理。そもそも俺は男なのに女らしくしなきゃいけない意味が分からない。
その後、その場にいた何人かに俺の正体がバレたのだが、今夜ここに集まったメンツは事情を知っている者ばかりだったようで、俺の女装に驚かれるより「よく似合う」と褒められる率の方が高く、それはそれで納得がいかない。
「ヒナ、膨れっ面可愛くないよ」
「可愛いの自重しろって言ったのお前だよ」
「僕の前では自重しなくていいから」
カイトはへらりと笑みを見せる。今日のカイトは『ツキノのふりでヒナノのエスコート役』というその役目をきっちりこなしている。実際女の子のエスコートなんてした事のない俺がそこまで上手くエスコートができる気は全くしないのだが、カイトのエスコートは割と様になっていて少々悔しい。
「こんなの自分がして欲しい事すればいいだけだし」と、カイトは笑うが元々女と接点が少ない上にそんな事をしてもらいたいとも思わない俺にはその感覚が全く分からない。
「お前実は女にもてるだろ」
「突然、何? 僕なんか女の子に囲まれてても、同類だって思われてるだけだってツキノだって分かってるだろ?」
それはそうなのだが、どうにももやっとした物が俺の中に残る。だって、今日のカイトはちょっと格好いい、それがなんだかとても悔しいのだ。
宴が進み、出された食事を俺達は摘む。養母グノーの作る手料理を口にするのも、またしばらくお預けかと思ったら少し切なくなった。
「なぁ、カイト……」
「カイト……?」
ふいに声を掛けられ驚いて、飛び上がるように振り向くとそこには大きな皿を掲げ持った母さんがきょとんと首を傾げてこちらを見ていた。
「これ、次の料理」
そう言って手渡された大皿をカイトが受け取るのだけど、母さんはまたしても首を傾げ「カイトって誰だっけ?」と問うてくる。
「何か聞き覚えがある気がするんだよなぁ……カイト、カイト……」
「友達! 友達の名前だよ、母さん!」
手渡された料理皿を広げた机の上に置いて、カイトは慌てたように言うのだが、母さんはその説明では納得がいかないようで「友達、そうか……う~ん、でもなぁ……」と、頭をとんとんと軽く叩くようにしてやはり首を傾げ「なんか忘れてるの分かるのに、どうも上手く出てこない」とぼやいた。
「カイトってどこの子だっけ?」
俺達は2人揃って言葉に詰まる。それを言ってしまっていいのか、俺達には分からないからだ。カイトは言っていた、ランティスの王子の子である自分の事をグノーさんは怖がっている、と彼はそう言っていたのだ。
「グノー、カイトはカイルの子供ですよ」
「あぁ、ナダール、おかえり」
母さんがぱあっと華のような笑みを浮かべて父さんに寄って行く。
「準備大変だったでしょう、無理はしていませんか?」
「全然、楽しいよ。ルイと2人じゃ料理大変だからお前も手伝って」
「それは勿論。それに、もう一人強力な助っ人を連れて来ましたよ」
「助っ人……?」
またしても首を傾げる母さんに笑みを見せながら、父さんはちらりと背後を見やる。俺達の位置からはよく見えないのだけど、彼の背後に誰かがいるのだろう。母さんも目の前にいる大きな体躯の父さんに遮られてその人物が見えていない様子で「ナダール、助っ人って、誰?」とまた首を傾げた。
「グノー、あなたにはまず、それを思い出してもらおうと思いますよ」
「俺の忘れちゃってる人なんだ? 誰だろう?」
「貴方にとっては大事な宝物のような人ですよ」
「う~ん? 誰? ヒントは?」
「ちょうど良いので、まずは2人の事から思い出してみましょうかね……」
そう言って父さんは優しく母さんの頭を撫でると、彼をくるりとこちらへと向けた。
「さて、問題です。カイトはカイルの子だと先程言いましたが、カイルの事は分かりますね?」
「分かってる、ランティスの医者先生」
「じゃあ、その番相手が誰だか思い出せますか?」
「え……えっと、誰だっけ? カイル先生がランティスの人だから、ランティスの人かな?」
「そう、正解。貴方は彼にも会った事がある、誰だか分かりますか?」
「彼? そうか……男なんだ、えっと……ヒントは?」
「アジェ君、ですかね」
母さんの肩に手を置いたまま、父さんは優しく優しく話しかける。それに応えるように母さんは、一生懸命に考え込んでいるのだが、またいつ叫び出すかとこちらはそれに緊張しっぱなしだ。
「アジェ、アジェ……あぁ……エリオット王子だ……」
「正解です」
彼は叫び出しもせずに、するりとその名を口にした。それに頷いて、父さんは母さんの頭を撫でる。いつしか周りも固唾を飲んでその光景を見守っていた。
「では次に、カイトの容姿を思い出してみましょうか」
「カイトの? 俺、知ってるんだ?」
「知っていますよ、何せしばらく一緒に暮らしてもいましたからね」
「そうなんだ、えっと……どんなだろう? 髪の色は?」
「カイルと同じですよ、瞳は父親似ですかね」
ふと、母さんが顔を上げてこちらをまじまじと見やり首を傾げた。
「おかしいな、イメージがツキノとダブるんだけど……?」
「それは何故ですかね?」
「あ! もしかして双子?」
「残念、ハズレです」
う~ん、と呻くようにして、考え込んでいた母さんが、またふと顔を上げた。何故かばちりと視線が合う。
「なんか変なんだけど、もしかしてツキノがカイト……?」
「正解です、よくできました」
父さんは笑顔を浮かべてまた母さんの頭を撫でた。
「え~? でもだったらツキノって誰? ツキノはいるはずだろ? しかも何でカイトがツキノのふりしてたんだ?」
「カイトがツキノのふりをしていたのは貴方を守る為であり、ツキノ自身を守る為です。ツキノはツキノでちゃんとここにいますよ、どこにいるか分かりますか?」
母さんは困ったように周りを見回し「よく分からない」と困惑顔だ。
「ではヒント、ツキノは誰の子だか分かりますか?」
「え? あれ……? お前の甥っ子だっけ?」
「ハズレです。ツキノは貴方の甥ですよ」
「俺の……? 俺のって事はレオンの子?」
「正解、奥さん誰だか分かりますか?」
「奥さん……? えっと、ブラックの娘ルネーシャ……」
そこで、はっとしたように母さんはまたこちらを見やった。俺は思わずカイトの服の裾を掴む。また、叫ばれたら、悲鳴を上げて倒れられたらと思うと怖くて怖くて仕方がない。
「分かりましたか?」
「分かったような、分からないような……だってツキノは俺の甥だろう?」
「そうですね」
「ヒナノはどう見ても女の子だ」
「そう、ヒナノは女の子、それがどういう意味を持つのかそろそろ分かる頃だと思うのですが……」
眉間に皺を寄せて母さんは考え込む。叫ばれはしなかった、けれど母さんはとても難しい顔をしている。
「これ、今思い出さないといけない事か……?」
「そうですね、今夜は全員が揃う事ができる最後の機会だと思うので、できれば今、貴方には思い出して欲しいです。もういいよ、出ておいで」
そう言って、父さんが背後に向かって声を掛けると、その背後からおずおずと顔を覗かせたのは、彼等の本当の娘である本物のヒナノだった。
今にも泣き出しそうな顔をしたその娘の顔を見て、母さんは酷く驚いた様子でがたがたと震えだした。
「グノー、彼女は貴方じゃない、それはツキノも同じです。怖がる必要は何も無いし、ここには貴方を理解してくれている人しかいません。誰も貴方を傷付けない、誰も貴方を責めたりしない」
「でも、ナダール。怖い、なんだこれ!? この娘、誰!? 違う……何でヒナノが2人いる!?」
「貴方の中にはもうその答えは出てきているはずですよ」
父さんはパニックに陥って震える母さんの身体を抱き締め、穏やかに穏やかに囁き続ける。
「貴方の中にある答えを私に聞かせてもらえますか?」
「ヒナノは……誰だ? ツキノ? ツキノは……誰だ? 怖い、嫌だ、なんだこれ! ナダール、嫌だっ! もうっ! 思い出したくないっっ!」
「駄目ですよ、貴方は思い出さなければいけません。私は貴方に思い出して欲しいのです」
「ママ……」
不安気なヒナノの表情は今にも泣き出してしまいそうに歪んでいる、彼女にこんな顔をさせているのは俺だ、すべて俺が悪い、彼女を悲しませているのも、母さんを苦しめているのも全部全部俺のせいだ!
「もう止めて!」
俺は叫んで首を振る。
「いいよ、思い出す必要なんかない。カイトが分かった、ヒナノが分かった、だったら後は俺が消えればそれでいい! 母さんをもうこれ以上苦しませたくない、もう、止めて……」
「ツキノ……」
カイトが俺の身体を抱き締めた。俺の身体も母さん同様に小刻みに震えている。なんだかこの感覚には覚えがあるたぶん貧血、血の気が失せて倒れそうだ。
「もう止めて……」
それでも俺は叫ばずにはいられない、もう誰も傷付けたくないんだ、俺がいなくなる事ですべて丸く収まる世界なら俺なんか綺麗に消え失せてしまえばいい。
「お前が、ツキノか……」
「そうだよ、グノー。この子がツキノ君。グノーは怖かったんだよね、グノーは誰よりも優しいから、大事な人が傷付けられてるの許せなかったんだよね。だけどさ、もうそろそろ思い出してあげて」
「アジェ……」
アジェおじさんが母さんの手を取って、優しくその手を撫でた。
「もうね、怖い事は何もないから大丈夫だよ」
俺は黙って首を振る。もういいのに、思い出さなくていいのに……
「ツキノ……?」
俺の方を向いた母さんは確認するようにこちらに問うので、俺は黙って頷いた。今度は彼は娘の方を向いて「ヒナノ……?」と同じように問いかけると、ヒナノは瞳からぼろぼろ大粒の涙を零して、やはり言葉も出せない様子で頷いた。
「ツキノとヒナノ、2人の関係は分かりますか?」
「従兄妹同士……ううん、2人とも大事な俺の、子供だ……」
堪えていた涙がついに堰を切ったように零れてしまう。母さんを散々傷付けた、それ以前から反抗期の俺は彼に逆らっては怒らせて、家を飛び出した頃には罵倒の言葉も投げていた、それなのに母さんはそれでもこんな俺を、ただの養い子の俺を、大事な子供だと言ってくれた……
「ごめん、母さん、ごめんなさい。言う事聞かない息子でごめん、可愛げなくて我が儘で、ずっと甘え倒してた事にも気付かずにたくさんたくさん酷い事言った、本当にごめん。助けてくれたの凄く嬉しかった、俺が母さん達の言う事ちゃんと聞く子供だったらこんな事にはならなかったのに!!」
「はは、素直なツキノ……おっかしいなぁ……」
父さんの腕の中で母さんが泣き笑いの表情でそんな事を言う。
「ツキノは天邪鬼なのが売りだろ? そんなしおらしいのは似合わねぇよ」
思わず涙を引っ込めて母さんの顔とカイトの顔を見比べてしまった。
「あはは、グノーさんと僕の共通認識だからね、間違ってないだろう?」
「2人共、ひどい……」
もう泣いていいのか、笑っていいのか分からないよ。
母さんは父さんの腕を抜け出して、わんわんと泣き続ける娘に駆け寄って抱き締め、その頭を撫でる。ヒナノの事もちゃんと思い出せたんだ。良かった、本当に良かった。
「今回はもう駄目かと思いましたが、間に合って良かったです」
そう言って父さんは笑みを見せる。父さんにもたくさん迷惑かけたな。本当に、申し訳ない。
「ナダールさん、今日のこの晩餐会はこの為だったの?」
「まぁ、言ってしまえばそうですね。このメンツで揃う事ができるのはもうこれが最後だと思いましたからね。ツキノ・カイト・ヒナノ、それにアジェ君、君もグノーにとっては心の支えです。他にも昔馴染みの仲間が大勢集まってくれました、彼等の中でならグノーも安心して思い出せるという私の勝手な希望だったのですが、上手くいって良かったです。ぶっちゃけ悪化する可能性もあったので、ほっとしました」
娘と泣きながら抱きあっている伴侶を見やって、父さんは穏やかな笑みを零した。本当にこれは一か八かの賭けだったのかと思うと少しぞっとするが、結果はこの通りだったのだから父さんの選択は間違っていなかったのだろう。
「それにしてもツキノ、あなた本当にその格好似合っていますね。もしかしてヒナノとして生きる事に決めたのですか?」
「父さんまでそういう事言う! 俺は男だ! 今日は母さんの手前もあって、こんな格好だけど、本当はこんな格好したくない! もう二度と女装なんてしないから!」
「勿体ない、似合っているのに……」
本当にこの親子……ユリウス兄さんと同じ事言いやがる……
「まぁ、それはさておき、これで私達も心置きなくザガに帰る事ができます。グノーちょっといいですか?」
「ん? なに?」
涙を拭ってやって来た母さんの目元は擦りすぎたように赤くなっていて、父さんはその目元を優しく撫でる。
「記憶が戻ったばかりで申し訳ないのですが、カイトのチョーカー、外してやってくれませんか?」
「ん? 何で? 鍵、持ってるだろ?」
「それが現在鍵は行方不明なのですよ。万が一悪い人間の手に渡っていると事なので一度外してしまいたいのですが、これを外せるのは貴方しかいないので困っていた所ですよ」
「そうなんだ? いいよ、ちょっと待ってて」
そう言って彼はぱたぱたと何処かへ駆けて行き、幾つかの工具を持って戻って来た。
椅子にカイトを座らせて、そのチョーカーの鍵穴を覗き込み、幾つかの工具を差し入れる。かちかちと何度か動かしていると、そのうちかちゃりと鍵が外れた。
「取れた。けど、取っても危険な事に変わりはないだろ? どうすんの? 新しいのあるの?」
「まぁ、必要ならば早急に準備しますけど、どうします?」
何故か父さんがにこりとこちらを見やる。母さんは何かを思い出したように首を傾げ「え? あれ……?」と父さんを見やって「あぁ!」と叫び声を上げた。
「そうだった! お前達、あっは、そうかそうか!」
「その何かを察したみたいな顔、止めてくれる!?」
「はは、だってそのままその通りだろ? そっかそっか、お前達が番になるなら問題ないな。ちぃっと早い気もしなくはないが、これはこれでめでたい話じゃないか」
「結婚式の準備もしたい所ですよね」
「はは、そうだな。ルイより先にツキノが嫁に行くかぁ……ん? 嫁でいいのか?」
「そこ、まだ保留中だから!」
「その格好でそれを言われても説得力ないけどな」
またしても母さんは笑う。笑ってくれるの嬉しいけど、こういう笑われ方、全然嬉しくない!
「それで、どうしますか? 新しいチョーカーは必要ですか?」
俺はカイトと顔を見合わせて、カイトの手を握り「必要ない」と養父母に告げた。俺の返答に養父母は静かに頷き、カイトは擽ったそうにはにかんだ。
俺達はこれで番になれる、もうカイトの項を隠す首輪は必要ない。
「そうと決まれば膳は急げと思うのですが、その前に幾つか君達には話しておかなければいけない事があります」
「話? なに?」
「ツキノ、お前を襲った犯人の身元が分かりました。彼等はメリア王国の体制派に紛れ込む豪族に雇われた者達でした。彼等には位がありませんが、金と力だけは持っている成り上がり者達です」
「そんな人達が何で? 金も力もあるなら自分達の地位に揺るぎなんてないはずだろ? 俺を殺して何の得が? それとも何かあるの?」
「それがあるのですよ……彼等は元々商人です、金を稼いで力を付けて国政に潜り込んできた豪族達、そして、その金の出所は戦争です」
「え……?」
「いわゆる闇商人という奴ですね、表立ってやっている訳ではないのですが言ってしまえば彼等は戦争屋、争いがなければお金を稼げない人達です」
その話には大いに聞き覚えがある、武闘会であった一連の事件、関わっていたのはランティスの闇商人、そういう人間がメリアにもいるという事だ。
「革命が成功してしまえば、今後メリア国内での争いは減っていくでしょう、それでは困る人間がどうやら暗躍している様子ですね」
「でも待って、タイミングが良すぎない? この間はランティスの商人で今度はメリア? そんな事ってある?」
「そういう輩は表立ってはそ知らぬ顔をしていますが、裏では結託しているのですよ。お互い利害は一致している、火種を撒けば勝手に火の手は上がる、その火種を彼等は撒いているのです。金で動かせる人間というのは悲しい事に幾らでもいるのです、彼等は言うでしょう、メリア国王に雇われた、ランティス王家に雇われた、レイシア姫に雇われた、貴族達に雇われた……そんな話しはキリがない、その全てを操っていたのがそういう戦争屋と呼ばれる人達なのです。今回はようやく尻尾を掴みましたが、これが本体なのかどうなのかも私達にはまだ分からない」
「まるで雲を掴むような話だ……」
俺の言葉に父さんは「その通り」と頷いた。
「実体がはっきりしない者達を探しているのです、これはすぐに解決できる問題ではない、そしてきっとこれはファルス一国で解決できる問題でもないのです。実体がはっきりしない以上、これからもツキノ、お前は狙われ続けるし、カイト、お前も人事ではなくなるだろう。メリアの王子とランティスの王子、そういう立場で貴方達は今後も事件に巻き込まれ続けるでしょう。ですが、幸いな事に敵方はツキノの事もカイトの事も情報はほとんど持っていない様子です。それもそうでしょう、まさか2人の王子が同じ屋根の下、仲良く庶民の生活を送っているなど想像もできないはずです。しかも、君達が『運命の番』だなんて知る由もない。君達の存在はこの世界を平和へと導く鍵となるはずです」
「まるで僕達が産まれた事自体が『運命』だったみたいな言い方だね」
「それを肯定も否定もできませんが、『運命の番』にはそういう大きな運命の流れを操る何かが存在しているのではないかと感じる時はあります」
「俺達の関係はそんなよく分からない運命なんかに縛られたものじゃない」
「えぇ、それは分かっています。ですが、それでも私はそこに運命の大きな流れを感じずにはいられないのですよ……」
父さんは静かに微笑んだ。
「彼等は未だに君達のどちらがツキノか分かっていない。そしてまだカイトの存在にも気付いていないはずなのです。一時、ツキノがカイトと同じように髪を金色に染めていた時期がありましたよね、私はその時のツキノには会ってはいませんが君達はとてもそっくりでまるで双子のようだったと聞いています。彼等がツキノを見付けたのはちょうどそんな時でした、彼等も混乱したそうですよ『王子は双子』と聞いてはいても男女の双子で、男2人だとは思っていなかった、君達は揃いも揃って男の子にも女の子にも見えましたから、余計にですね。しかも、レオンさんの赤髪、ルネーシャ姫の黒髪、どちらでもない金髪です、混乱して情報が錯綜している間に今度はその2人の男の子のうちの1人が消えたのですから、余計に混乱します。思い余って部屋に突撃したら出てきたのはエディ君で、しかも彼はメリアの内情にずいぶん精通していた、そして同時に現れたのがランティスの王子にそっくりなアジェ君です。彼等はもう大混乱ですよ、まぁ、いい気味ですけどね」
「でも、そいつ等全員捕まえただろ?」
父さんはまたひとつ頷き「ですが、1人逃がしました」とそう言った。
「他にも仲間がいる事は分かっていました、カイルの自宅が荒らされていたのがいい証拠です。そして、私達が捕まえたうちの1人を逃がしたのは、彼が言う事を信じれば彼はランティスから送られたスパイだったからです」
「ランティスから? スパイってどういう事?」
「まだ彼の言う事を100%信じる訳にはいきませんが、彼が言うには、彼はメリアに巣食うそう言った癌を根絶やしにする為に内々にランティスから送られた間者だったというのです。彼は言いました、自分の仲間は革命派にも王国派の中にも潜んでいる、とね」
「それを送り込んだのは……?」
「ランティス王家です」
ざわりと周りの空気が揺れた。皆が聞き耳を立てるようにして父さんの話を聞いている。
「ここにいる人間は皆事情を知っている者達だけなので言ってしまいますが、私達はそんな話しは聞いていません。そうですよね、アジェ君?」
「うん、そうだね。僕はそんな話しは聞いてない。ただ僕の情報は限られた物だから、ランティスの全てを知っている訳じゃない、その人がランティス王家から出されたというのが、ランティス王家のどこから出されているのかによって、僕の把握できていない情報も勿論あると思ってる」
「そういう訳で私達は一か八かの賭けで、彼を囮に出したのです。彼には二重スパイとして情報提供もお願いしています、それがどの程度こちらに渡ってくるか、もしくは全くの大ぼらでこちらの情報だけが持っていかれるのか、それはまだ分かっていません。彼には勿論うちの諜報部員が張り付いていますので、事の真偽は近々分かるとは思いますが、私達にはそれを呑気に待っている時間はないのです」
「時間? 何で?」
「呑気に時間をかけていては、ランティス王国が崩壊する可能性があるからです」
また、ざわりとその場の空気が揺れた。
「おい、ナダール、それは一体どういう事だ?」
声を荒げるようにスタール団長が前に出てきた。けれどその話しは誰もが聞きたい事なのだろう、誰もそれを制止するような者はいない。
「これも囮に出した彼からの情報なので真偽の程は定かではありませんが、ランティスの病巣は根深く王家の中にすら蔓延っている、彼は言いましたよ『アジェ王子はファルスと結託して我が国を滅ぼそうとでもしているのか!?』とね」
「え……? 何で? 僕がそんな事する訳ないじゃないか!」
アジェおじさんが俄かにうろたえる。
「それは私達皆分かっています、だが彼はそうは思わなかった。メリアの王子であるツキノと一緒にいたアジェ王子はランティスに復讐をしようとしているのではないのか? 彼はそう考えたようですね」
「もう、何でだよ! 馬鹿じゃないの!?」
「情報が足りていないのですよ、それくらい混乱も起きているのです。誰もが手探りで諸悪の根源を探している、だから私達は疑いながらも彼を逃がしたのです。少なくとも彼のランティスに対する愛国心は本物だと信じたのです」
まるで暗闇の中を手探りで進んでいくような作業だ、そんな事を父さんはずっと続けていたのかと思うと頭が下がる。
「グノー、ようやく記憶が戻った所ですが、貴方には伝えておかなければいけない事があります」
「何? 何か嫌な事?」
「貴方にとってはあまり嬉しくはない事、かもしれませんね。間もなく私達はザガに帰るという話しを今朝もしていたので覚えていてくれているとは思うのですが、私達は来週にはヒナノを連れてザガへと帰ります」
「うん、それは知ってる、覚えてる……そうか、ヒナノの事忘れたままじゃ帰るに帰れなかったよな……」
「ヒナノの事はいざとなったらブラックさんに預ける事も考えていましたが、無事に思い出していただけたので本当に良かった。そして、ツキノはルーンへ、カイトとユリウスはランティスへと渡る事が決定しています」
瞬間母さんの顔が驚きの表情に変わり、続けて泣きそうに歪み「なんで……」と小さく呟いた。
「ツキノは命を狙われている、カイトは顔が割れている、ここイリヤにいるのは危険なのですよ」
「だったら皆纏めてザガに連れて行けばいい! 全員俺が守るよ! だって俺の大事な子供達だ!!」
「貴方1人で全員は無理です。今後はヒナノもヒナノ姫と間違われ、襲われる可能性があるのですよ、それを1人で全員は無理です。ザガはメリアとも近い、わざわざ敵の眼前に2人を連れて行く必要はない」
「でも、だからって……」
「ルーンはここイリヤと違って人の出入りが少ない、もし入ってきたとしても必ずエディ君、アジェ君の目を通す事になる、とても安全な場所です」
「だったらカイトも一緒にルーンに行けばいい、なんでカイトはランティスなんだ!? しかもユリウスまで一緒にって、どうしてだよ!」
父さんに詰め寄る母さんは今にも泣き出しそうな顔で、父さんの胸を叩く。
「ランティスの病巣を叩き潰す為ですよ。グノー、これは考え抜かれた選択なのです、エリオット王子の子供であるカイトには危険が付き纏う可能性もありますが、それ以上に安全でもあるのです。もし何かがあった場合、ランティス王家は必ず彼を保護するはずです。勿論、王子の子である事を前面に出していく訳ではありません、けれどいざという時、彼のその肩書きは絶大な効果を発揮するはずです」
「するはず、するはずって、そんなのただの願望だろ!」
「けれど、彼には行ってもらわなければならないのです……」
「俺は反対だ」
「これはもう決定事項です」
「なんで!」とまた母さんは父さんの胸を叩く。
「ごめん、グノー、僕がカイト君に頼んだんだ。僕の弟、マリオ王子が命を狙われている、僕は彼を助けたい、その為に僕がカイト君に我が儘を言ったんだ、本当にごめん」
「アジェ、なんで……」
「大丈夫、カイトは私が守りますよ」
ユリウス兄さんの言葉に母さんは瞳に涙を浮かべて首を振る。
「お前だってあの国じゃ、カイトよりお前の方が……」
「私はこの見た目ですからあの国で差別される事はありませんよ」
「そうじゃない! お前は、それでも俺の子なんだよ! お前は、メリア王家の血を引く子供なんだよ!」
「それは分かっています、でも大丈夫ですよ。どんな場所に行っても、どんな危険が迫っても、対処できるように私達を育てたのは母さんだろ?」
「そうだけど……そうだけどっ!」
「当初はルイも一緒に行く予定だったのですがそれはさすがに止めました。あの国でのメリア人差別は悪化の一途ですからね。ルイのあの赤髪ではランティスでは目立ちすぎる」
母さんの肩がまたしてもびくりと震えた。
「いくらファルス人だと言っても差別は消せない、ルイは私達と一緒にザガへと向かう予定です」
あからさまに母さんがほっとした様子が窺える、それでもまだ神経はぴりぴりと尖ったままなのだけど……
「とは言ってもザガだとて、そこまで安全な訳ではない、私達がザガを離れていた数ヶ月でまた治安は著しく悪化していると聞いています、問題は山積みです。グノー、確かに私達の周りには常に危険が取り巻いています、貴方が貴方の好きな人達を守りたいという気持ちは分かりますが、どう頑張ってもそれは1人では無理なのです。これは私達が平穏な生活を送るための布石なのです、皆の行動ひとつひとつが平和な未来に繋がっているのです。ですからどうか、今は聞き分けてください」
父さんの言葉に母さんはいやいやと首を振っていたのだが、真っ直ぐに見詰め続ける父さんの瞳に、もうこれは覆せない話しなのだと悟ったのだろう、うな垂れるようにして頷いた。父さんはそんな母さんの肩を抱いて、またその頭を撫でる。
「ツキノ、カイト、君達にも苦労をかけるし、たぶんこれからも大変な事はたくさんあると思う。けれど何があっても私達は君達の味方だし、君達が決めた事を尊重していくつもりです。私はね、君達が末永く幸せである事がこの世界の未来の幸せに繋がると、そう信じているのですよ」
「俺達はそんな大それた存在なんかじゃない」
「それでも私は君達の幸せを祈っているのですよ、だって君達は私の大事な子供達なのですからね」
父さんは俺の本当の父親ではない、勿論カイトの父親でもない、それでも彼は誰よりも俺達の父親だった。
「さぁ、堅苦しい話しはここまでです。今日はお別れの晩餐会、名残惜しくはありますが、最後まで楽しく飲み明かしましょう」
父さんのその掛け声に周りの空気が一気に和らいだ。なんだか凄いな。父さんの凄さはとても見え難い、いつもにこにこしているだけで頼りないと言われるのもしょっちゅうだけれど、それでも何故か人を惹きつける。
人の上に立つというのはきっとこういう事なのだろう。
「カイト、アジェ君、あとはユリウス、ちょっといいかな? 話しておきたい事があります」
宴に戻った皆の様子を伺いながら、父さんは3人に声をかける。何だろう? 皆には話せない事? 俺や母さんにも? この3人の共通点ってなんだ?
俺の傍らでカイトは首を傾げながらも頷いてアジェおじさん、ユリウス兄さんと共に行ってしまう、残された俺はどうにも居心地が悪く周りを見回した。
母さんは少し憔悴した顔でとぼとぼと台所へと向かうので、俺はその後を追いかけた。
「母さん!」
「ん? ツキノか……いや、この場合ヒナノって呼ぶべきか?」
「俺は俺だよ、ヒナはヒナなんだからちゃんとそう呼んであげて」
「あぁ、そうだな……ヒナノ、料理手伝って」
名前を呼ばれた妹ヒナノは嬉しそうに駆けてくる。父さんも強力な助っ人と言っていたくらいだ、元々こういったパーティの催しではこうやって子供は全員手伝わせられるのが常なのだ、今までの俺はそれを嫌がり全てを他の兄弟に丸投げていたが「俺も手伝う」と彼に付いて行ったら、目を見開いて驚かれてしまった。
「ツキノ、どうした? 熱でもあるのか……?」
「なんでだよ! 元気だよっ」
「お前が自発的にお手伝いなんて、雨でも降るんじゃないか?」
怪訝な顔の母さんにヒナノはくすくす笑みを零す。
「ツキ君はきっとヒナと同じなのですよ。ママに甘えたいのでしょう?」
そう言ってヒナノは母さんの腕に自分の腕を絡めた。
「ヒナは甘えたいですよ。忘れられてしまって悲しかった分、思い出してもらったらたくさん甘えるって決めていたのです」
妹ヒナノの言葉に母さんは顔を歪め「ヒナ、本当にごめんな」とまた謝る。
「ヒナは大丈夫なのですよ、ヒナはママがヒナの好きな物を作ってくれたら、それでもう全部忘れるですよ。だからママは早く他の子達の事も思い出してあげてくださいです」
「他の子達……?」
「ヒナの弟と妹達ですよ。ずっとヒナと一緒にいてくれたです。ヒナだけ思い出してもらってなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいなのですよ」
「うぁ……まだ俺誰か忘れてるんだ、ってかヒナより下って、俺、そんなに産んだっけ?」
「うふふ、そこはママが自分で思い出すですよ」
そう言ってヒナノは楽しげに母さんに擦り寄った。いいな、さすがに俺はそこまで母さんに甘える事はできやしない。
けれど、俺のそんな視線に気付いたのか母さんは「ほい」とヒナノが擦り寄っている方の手とは反対の手を俺に差し出した。
「えっ……と?」
「おいで、ツキノ」
「いや、でも……」
「遠慮すんなって、んふふ、久しぶりだな、ツキノの匂いだ……行かせたくねぇなぁ」
母さんは片手で俺を抱き寄せ、俺の髪に顔を埋めるようにしてそう言った。もう、それだけで俺はどうにも泣いてしまいそうだった。
「もうじき僕達もルーンに帰るし、グノー達もザガに帰るだろ? だから、その前に一度皆で集まろうって話になったんだって」
アジェさんにそう告げられて、俺は留守番のつもりでいたら「行くに決まってるでしょ?」とワンピースを手渡された。現在養母グノーの中では俺は『ヒナノ』なのだからそれは当然の事なのかもしれないが、またしてもの女装に俺は戸惑うばかりだ。
しかも今日の女装はいつもより完全な女装だ。ズボンじゃないスカートだというので既に心が折れそうなのに、突然現れた黒の騎士団の女性の人に髪を結われ、化粧まで施されてしまった。アジェさんとその女の人、滅茶苦茶楽しそうだったんだけど、もしかして俺、完全に遊ばれてる……?
カイトには『可愛いの自重して』と言われたのだが、一体俺にどうしろと……しかも、ユリウス兄さんの友人のイグサルにこんな姿を見られただけでも恥ずかしいのに、更に一目惚れされるとか何なんだ! カイトとアジェさんはずっと笑ってるし、エドワード伯父さんも「まぁ、そんな時もあるさ」と肩をぽんと叩くだけ。
俺は! 男だって! 何度も言ってるのにっっ!!
訪れたデルクマン家はとても賑わっていた。晩御飯に誘われたのは俺達だけではなかったのだろう、そこまで広くはないデルクマン家には人が溢れ、庭にまで溢れかえっている。
もう、晩御飯というよりこれは晩餐パーティだな。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたユリウス兄さんが「朝、出勤する時にはこんな催しの話聞いてなかったのに、家に帰ったらこれですよ、本当にうちの両親は思い付きで動くからこっちは大変だよ」と苦笑した。
「母さんは……?」
「姉さんと台所で料理中。それにしてもツキノ可愛いね、その服よく似合ってる」
「ユリまでそういう事言う!」
「だって、本当の事だ」
養父によく似た兄ユリウスはそう言ってにこにこと笑みを零した。しかもたぶんこれ絶対本心だから困る。本気でそう思って褒めているだけで他意はないのが分かるから、反応にも困る。
「おぉ、カイトお前も来てたのか」
ユリウス兄さんの次に俺達に寄って来たのはスタール第五騎士団長だ。彼は昔から何故か我が家に入り浸りの生活をしている、さすがに騎士団長になってから来訪は減っていたが、どうやら彼は養母グノーの料理が大好物な様子で、こういう催しには大体来ている。
俺はまた慌ててカイトの背に隠れた。
「ん? カイト、1人か? いつもツキノと2人ワンセットのお前が珍しいな、ツキノは? それにそっちの娘は誰だ?」
「えっと……話は聞いてないです?」
「話? あぁ! すまん、そうだった! お前、今『ツキノ』だったな」
「悪い悪い」とスタールは悪びれもせず言って「で? 本物のツキノは?」ともう一度首を傾げた。ここは顔を出すべきなのか? けれどもどうにも恥ずかしすぎる……
「ヒナ~? どうする?」
カイトは俺に向かってそう言うのだが、俺は無言で首を振る。無理、やっぱり無理。
「ヒナ? そっちはヒナノか? いや、そんな訳ないよな……あぁ! もしかして、お前がツキノか!」
バレた!
「なんだ、よく化けたな。はは、こりゃいい、少し縮んだか?」
「縮んでない!」
カイトがある意味すくすく成長中なので多少小さく見えるかもしれないが、断じて縮んでなどいない! はず!
「はは、つい最近までカイトとどんぐりの背比べだったのになぁ。しかもお前、性別女に決めたのか?」
「そんな訳あるか!」
スタール団長の遠慮のない言い方に思わず顔を出して叫ぶと、またしても「こりゃおかしい」と笑われた。こっちは笑い事じゃないんだよ!
「スタール団長、もしかして団長はツキノが両性具有だって事、知ってたんですか?」
「ん? まぁ、それはな。ツキノがこの家に引き取られてきた頃には、俺はまだナダールの下で働いていたし、一通りの事情は聞いている。俺はてっきりお前はこのまま男でいくのかと思っていたが、これはこれでよく似合ってるな」
スタールはやはり可笑しそうに笑うので「それ、全然嬉しくないから!」と俺がむくれると「ヒナ~?」と、またおじさん達から声がかかって、俺は口を噤んだ。
女らしくとかホント無理。そもそも俺は男なのに女らしくしなきゃいけない意味が分からない。
その後、その場にいた何人かに俺の正体がバレたのだが、今夜ここに集まったメンツは事情を知っている者ばかりだったようで、俺の女装に驚かれるより「よく似合う」と褒められる率の方が高く、それはそれで納得がいかない。
「ヒナ、膨れっ面可愛くないよ」
「可愛いの自重しろって言ったのお前だよ」
「僕の前では自重しなくていいから」
カイトはへらりと笑みを見せる。今日のカイトは『ツキノのふりでヒナノのエスコート役』というその役目をきっちりこなしている。実際女の子のエスコートなんてした事のない俺がそこまで上手くエスコートができる気は全くしないのだが、カイトのエスコートは割と様になっていて少々悔しい。
「こんなの自分がして欲しい事すればいいだけだし」と、カイトは笑うが元々女と接点が少ない上にそんな事をしてもらいたいとも思わない俺にはその感覚が全く分からない。
「お前実は女にもてるだろ」
「突然、何? 僕なんか女の子に囲まれてても、同類だって思われてるだけだってツキノだって分かってるだろ?」
それはそうなのだが、どうにももやっとした物が俺の中に残る。だって、今日のカイトはちょっと格好いい、それがなんだかとても悔しいのだ。
宴が進み、出された食事を俺達は摘む。養母グノーの作る手料理を口にするのも、またしばらくお預けかと思ったら少し切なくなった。
「なぁ、カイト……」
「カイト……?」
ふいに声を掛けられ驚いて、飛び上がるように振り向くとそこには大きな皿を掲げ持った母さんがきょとんと首を傾げてこちらを見ていた。
「これ、次の料理」
そう言って手渡された大皿をカイトが受け取るのだけど、母さんはまたしても首を傾げ「カイトって誰だっけ?」と問うてくる。
「何か聞き覚えがある気がするんだよなぁ……カイト、カイト……」
「友達! 友達の名前だよ、母さん!」
手渡された料理皿を広げた机の上に置いて、カイトは慌てたように言うのだが、母さんはその説明では納得がいかないようで「友達、そうか……う~ん、でもなぁ……」と、頭をとんとんと軽く叩くようにしてやはり首を傾げ「なんか忘れてるの分かるのに、どうも上手く出てこない」とぼやいた。
「カイトってどこの子だっけ?」
俺達は2人揃って言葉に詰まる。それを言ってしまっていいのか、俺達には分からないからだ。カイトは言っていた、ランティスの王子の子である自分の事をグノーさんは怖がっている、と彼はそう言っていたのだ。
「グノー、カイトはカイルの子供ですよ」
「あぁ、ナダール、おかえり」
母さんがぱあっと華のような笑みを浮かべて父さんに寄って行く。
「準備大変だったでしょう、無理はしていませんか?」
「全然、楽しいよ。ルイと2人じゃ料理大変だからお前も手伝って」
「それは勿論。それに、もう一人強力な助っ人を連れて来ましたよ」
「助っ人……?」
またしても首を傾げる母さんに笑みを見せながら、父さんはちらりと背後を見やる。俺達の位置からはよく見えないのだけど、彼の背後に誰かがいるのだろう。母さんも目の前にいる大きな体躯の父さんに遮られてその人物が見えていない様子で「ナダール、助っ人って、誰?」とまた首を傾げた。
「グノー、あなたにはまず、それを思い出してもらおうと思いますよ」
「俺の忘れちゃってる人なんだ? 誰だろう?」
「貴方にとっては大事な宝物のような人ですよ」
「う~ん? 誰? ヒントは?」
「ちょうど良いので、まずは2人の事から思い出してみましょうかね……」
そう言って父さんは優しく母さんの頭を撫でると、彼をくるりとこちらへと向けた。
「さて、問題です。カイトはカイルの子だと先程言いましたが、カイルの事は分かりますね?」
「分かってる、ランティスの医者先生」
「じゃあ、その番相手が誰だか思い出せますか?」
「え……えっと、誰だっけ? カイル先生がランティスの人だから、ランティスの人かな?」
「そう、正解。貴方は彼にも会った事がある、誰だか分かりますか?」
「彼? そうか……男なんだ、えっと……ヒントは?」
「アジェ君、ですかね」
母さんの肩に手を置いたまま、父さんは優しく優しく話しかける。それに応えるように母さんは、一生懸命に考え込んでいるのだが、またいつ叫び出すかとこちらはそれに緊張しっぱなしだ。
「アジェ、アジェ……あぁ……エリオット王子だ……」
「正解です」
彼は叫び出しもせずに、するりとその名を口にした。それに頷いて、父さんは母さんの頭を撫でる。いつしか周りも固唾を飲んでその光景を見守っていた。
「では次に、カイトの容姿を思い出してみましょうか」
「カイトの? 俺、知ってるんだ?」
「知っていますよ、何せしばらく一緒に暮らしてもいましたからね」
「そうなんだ、えっと……どんなだろう? 髪の色は?」
「カイルと同じですよ、瞳は父親似ですかね」
ふと、母さんが顔を上げてこちらをまじまじと見やり首を傾げた。
「おかしいな、イメージがツキノとダブるんだけど……?」
「それは何故ですかね?」
「あ! もしかして双子?」
「残念、ハズレです」
う~ん、と呻くようにして、考え込んでいた母さんが、またふと顔を上げた。何故かばちりと視線が合う。
「なんか変なんだけど、もしかしてツキノがカイト……?」
「正解です、よくできました」
父さんは笑顔を浮かべてまた母さんの頭を撫でた。
「え~? でもだったらツキノって誰? ツキノはいるはずだろ? しかも何でカイトがツキノのふりしてたんだ?」
「カイトがツキノのふりをしていたのは貴方を守る為であり、ツキノ自身を守る為です。ツキノはツキノでちゃんとここにいますよ、どこにいるか分かりますか?」
母さんは困ったように周りを見回し「よく分からない」と困惑顔だ。
「ではヒント、ツキノは誰の子だか分かりますか?」
「え? あれ……? お前の甥っ子だっけ?」
「ハズレです。ツキノは貴方の甥ですよ」
「俺の……? 俺のって事はレオンの子?」
「正解、奥さん誰だか分かりますか?」
「奥さん……? えっと、ブラックの娘ルネーシャ……」
そこで、はっとしたように母さんはまたこちらを見やった。俺は思わずカイトの服の裾を掴む。また、叫ばれたら、悲鳴を上げて倒れられたらと思うと怖くて怖くて仕方がない。
「分かりましたか?」
「分かったような、分からないような……だってツキノは俺の甥だろう?」
「そうですね」
「ヒナノはどう見ても女の子だ」
「そう、ヒナノは女の子、それがどういう意味を持つのかそろそろ分かる頃だと思うのですが……」
眉間に皺を寄せて母さんは考え込む。叫ばれはしなかった、けれど母さんはとても難しい顔をしている。
「これ、今思い出さないといけない事か……?」
「そうですね、今夜は全員が揃う事ができる最後の機会だと思うので、できれば今、貴方には思い出して欲しいです。もういいよ、出ておいで」
そう言って、父さんが背後に向かって声を掛けると、その背後からおずおずと顔を覗かせたのは、彼等の本当の娘である本物のヒナノだった。
今にも泣き出しそうな顔をしたその娘の顔を見て、母さんは酷く驚いた様子でがたがたと震えだした。
「グノー、彼女は貴方じゃない、それはツキノも同じです。怖がる必要は何も無いし、ここには貴方を理解してくれている人しかいません。誰も貴方を傷付けない、誰も貴方を責めたりしない」
「でも、ナダール。怖い、なんだこれ!? この娘、誰!? 違う……何でヒナノが2人いる!?」
「貴方の中にはもうその答えは出てきているはずですよ」
父さんはパニックに陥って震える母さんの身体を抱き締め、穏やかに穏やかに囁き続ける。
「貴方の中にある答えを私に聞かせてもらえますか?」
「ヒナノは……誰だ? ツキノ? ツキノは……誰だ? 怖い、嫌だ、なんだこれ! ナダール、嫌だっ! もうっ! 思い出したくないっっ!」
「駄目ですよ、貴方は思い出さなければいけません。私は貴方に思い出して欲しいのです」
「ママ……」
不安気なヒナノの表情は今にも泣き出してしまいそうに歪んでいる、彼女にこんな顔をさせているのは俺だ、すべて俺が悪い、彼女を悲しませているのも、母さんを苦しめているのも全部全部俺のせいだ!
「もう止めて!」
俺は叫んで首を振る。
「いいよ、思い出す必要なんかない。カイトが分かった、ヒナノが分かった、だったら後は俺が消えればそれでいい! 母さんをもうこれ以上苦しませたくない、もう、止めて……」
「ツキノ……」
カイトが俺の身体を抱き締めた。俺の身体も母さん同様に小刻みに震えている。なんだかこの感覚には覚えがあるたぶん貧血、血の気が失せて倒れそうだ。
「もう止めて……」
それでも俺は叫ばずにはいられない、もう誰も傷付けたくないんだ、俺がいなくなる事ですべて丸く収まる世界なら俺なんか綺麗に消え失せてしまえばいい。
「お前が、ツキノか……」
「そうだよ、グノー。この子がツキノ君。グノーは怖かったんだよね、グノーは誰よりも優しいから、大事な人が傷付けられてるの許せなかったんだよね。だけどさ、もうそろそろ思い出してあげて」
「アジェ……」
アジェおじさんが母さんの手を取って、優しくその手を撫でた。
「もうね、怖い事は何もないから大丈夫だよ」
俺は黙って首を振る。もういいのに、思い出さなくていいのに……
「ツキノ……?」
俺の方を向いた母さんは確認するようにこちらに問うので、俺は黙って頷いた。今度は彼は娘の方を向いて「ヒナノ……?」と同じように問いかけると、ヒナノは瞳からぼろぼろ大粒の涙を零して、やはり言葉も出せない様子で頷いた。
「ツキノとヒナノ、2人の関係は分かりますか?」
「従兄妹同士……ううん、2人とも大事な俺の、子供だ……」
堪えていた涙がついに堰を切ったように零れてしまう。母さんを散々傷付けた、それ以前から反抗期の俺は彼に逆らっては怒らせて、家を飛び出した頃には罵倒の言葉も投げていた、それなのに母さんはそれでもこんな俺を、ただの養い子の俺を、大事な子供だと言ってくれた……
「ごめん、母さん、ごめんなさい。言う事聞かない息子でごめん、可愛げなくて我が儘で、ずっと甘え倒してた事にも気付かずにたくさんたくさん酷い事言った、本当にごめん。助けてくれたの凄く嬉しかった、俺が母さん達の言う事ちゃんと聞く子供だったらこんな事にはならなかったのに!!」
「はは、素直なツキノ……おっかしいなぁ……」
父さんの腕の中で母さんが泣き笑いの表情でそんな事を言う。
「ツキノは天邪鬼なのが売りだろ? そんなしおらしいのは似合わねぇよ」
思わず涙を引っ込めて母さんの顔とカイトの顔を見比べてしまった。
「あはは、グノーさんと僕の共通認識だからね、間違ってないだろう?」
「2人共、ひどい……」
もう泣いていいのか、笑っていいのか分からないよ。
母さんは父さんの腕を抜け出して、わんわんと泣き続ける娘に駆け寄って抱き締め、その頭を撫でる。ヒナノの事もちゃんと思い出せたんだ。良かった、本当に良かった。
「今回はもう駄目かと思いましたが、間に合って良かったです」
そう言って父さんは笑みを見せる。父さんにもたくさん迷惑かけたな。本当に、申し訳ない。
「ナダールさん、今日のこの晩餐会はこの為だったの?」
「まぁ、言ってしまえばそうですね。このメンツで揃う事ができるのはもうこれが最後だと思いましたからね。ツキノ・カイト・ヒナノ、それにアジェ君、君もグノーにとっては心の支えです。他にも昔馴染みの仲間が大勢集まってくれました、彼等の中でならグノーも安心して思い出せるという私の勝手な希望だったのですが、上手くいって良かったです。ぶっちゃけ悪化する可能性もあったので、ほっとしました」
娘と泣きながら抱きあっている伴侶を見やって、父さんは穏やかな笑みを零した。本当にこれは一か八かの賭けだったのかと思うと少しぞっとするが、結果はこの通りだったのだから父さんの選択は間違っていなかったのだろう。
「それにしてもツキノ、あなた本当にその格好似合っていますね。もしかしてヒナノとして生きる事に決めたのですか?」
「父さんまでそういう事言う! 俺は男だ! 今日は母さんの手前もあって、こんな格好だけど、本当はこんな格好したくない! もう二度と女装なんてしないから!」
「勿体ない、似合っているのに……」
本当にこの親子……ユリウス兄さんと同じ事言いやがる……
「まぁ、それはさておき、これで私達も心置きなくザガに帰る事ができます。グノーちょっといいですか?」
「ん? なに?」
涙を拭ってやって来た母さんの目元は擦りすぎたように赤くなっていて、父さんはその目元を優しく撫でる。
「記憶が戻ったばかりで申し訳ないのですが、カイトのチョーカー、外してやってくれませんか?」
「ん? 何で? 鍵、持ってるだろ?」
「それが現在鍵は行方不明なのですよ。万が一悪い人間の手に渡っていると事なので一度外してしまいたいのですが、これを外せるのは貴方しかいないので困っていた所ですよ」
「そうなんだ? いいよ、ちょっと待ってて」
そう言って彼はぱたぱたと何処かへ駆けて行き、幾つかの工具を持って戻って来た。
椅子にカイトを座らせて、そのチョーカーの鍵穴を覗き込み、幾つかの工具を差し入れる。かちかちと何度か動かしていると、そのうちかちゃりと鍵が外れた。
「取れた。けど、取っても危険な事に変わりはないだろ? どうすんの? 新しいのあるの?」
「まぁ、必要ならば早急に準備しますけど、どうします?」
何故か父さんがにこりとこちらを見やる。母さんは何かを思い出したように首を傾げ「え? あれ……?」と父さんを見やって「あぁ!」と叫び声を上げた。
「そうだった! お前達、あっは、そうかそうか!」
「その何かを察したみたいな顔、止めてくれる!?」
「はは、だってそのままその通りだろ? そっかそっか、お前達が番になるなら問題ないな。ちぃっと早い気もしなくはないが、これはこれでめでたい話じゃないか」
「結婚式の準備もしたい所ですよね」
「はは、そうだな。ルイより先にツキノが嫁に行くかぁ……ん? 嫁でいいのか?」
「そこ、まだ保留中だから!」
「その格好でそれを言われても説得力ないけどな」
またしても母さんは笑う。笑ってくれるの嬉しいけど、こういう笑われ方、全然嬉しくない!
「それで、どうしますか? 新しいチョーカーは必要ですか?」
俺はカイトと顔を見合わせて、カイトの手を握り「必要ない」と養父母に告げた。俺の返答に養父母は静かに頷き、カイトは擽ったそうにはにかんだ。
俺達はこれで番になれる、もうカイトの項を隠す首輪は必要ない。
「そうと決まれば膳は急げと思うのですが、その前に幾つか君達には話しておかなければいけない事があります」
「話? なに?」
「ツキノ、お前を襲った犯人の身元が分かりました。彼等はメリア王国の体制派に紛れ込む豪族に雇われた者達でした。彼等には位がありませんが、金と力だけは持っている成り上がり者達です」
「そんな人達が何で? 金も力もあるなら自分達の地位に揺るぎなんてないはずだろ? 俺を殺して何の得が? それとも何かあるの?」
「それがあるのですよ……彼等は元々商人です、金を稼いで力を付けて国政に潜り込んできた豪族達、そして、その金の出所は戦争です」
「え……?」
「いわゆる闇商人という奴ですね、表立ってやっている訳ではないのですが言ってしまえば彼等は戦争屋、争いがなければお金を稼げない人達です」
その話には大いに聞き覚えがある、武闘会であった一連の事件、関わっていたのはランティスの闇商人、そういう人間がメリアにもいるという事だ。
「革命が成功してしまえば、今後メリア国内での争いは減っていくでしょう、それでは困る人間がどうやら暗躍している様子ですね」
「でも待って、タイミングが良すぎない? この間はランティスの商人で今度はメリア? そんな事ってある?」
「そういう輩は表立ってはそ知らぬ顔をしていますが、裏では結託しているのですよ。お互い利害は一致している、火種を撒けば勝手に火の手は上がる、その火種を彼等は撒いているのです。金で動かせる人間というのは悲しい事に幾らでもいるのです、彼等は言うでしょう、メリア国王に雇われた、ランティス王家に雇われた、レイシア姫に雇われた、貴族達に雇われた……そんな話しはキリがない、その全てを操っていたのがそういう戦争屋と呼ばれる人達なのです。今回はようやく尻尾を掴みましたが、これが本体なのかどうなのかも私達にはまだ分からない」
「まるで雲を掴むような話だ……」
俺の言葉に父さんは「その通り」と頷いた。
「実体がはっきりしない者達を探しているのです、これはすぐに解決できる問題ではない、そしてきっとこれはファルス一国で解決できる問題でもないのです。実体がはっきりしない以上、これからもツキノ、お前は狙われ続けるし、カイト、お前も人事ではなくなるだろう。メリアの王子とランティスの王子、そういう立場で貴方達は今後も事件に巻き込まれ続けるでしょう。ですが、幸いな事に敵方はツキノの事もカイトの事も情報はほとんど持っていない様子です。それもそうでしょう、まさか2人の王子が同じ屋根の下、仲良く庶民の生活を送っているなど想像もできないはずです。しかも、君達が『運命の番』だなんて知る由もない。君達の存在はこの世界を平和へと導く鍵となるはずです」
「まるで僕達が産まれた事自体が『運命』だったみたいな言い方だね」
「それを肯定も否定もできませんが、『運命の番』にはそういう大きな運命の流れを操る何かが存在しているのではないかと感じる時はあります」
「俺達の関係はそんなよく分からない運命なんかに縛られたものじゃない」
「えぇ、それは分かっています。ですが、それでも私はそこに運命の大きな流れを感じずにはいられないのですよ……」
父さんは静かに微笑んだ。
「彼等は未だに君達のどちらがツキノか分かっていない。そしてまだカイトの存在にも気付いていないはずなのです。一時、ツキノがカイトと同じように髪を金色に染めていた時期がありましたよね、私はその時のツキノには会ってはいませんが君達はとてもそっくりでまるで双子のようだったと聞いています。彼等がツキノを見付けたのはちょうどそんな時でした、彼等も混乱したそうですよ『王子は双子』と聞いてはいても男女の双子で、男2人だとは思っていなかった、君達は揃いも揃って男の子にも女の子にも見えましたから、余計にですね。しかも、レオンさんの赤髪、ルネーシャ姫の黒髪、どちらでもない金髪です、混乱して情報が錯綜している間に今度はその2人の男の子のうちの1人が消えたのですから、余計に混乱します。思い余って部屋に突撃したら出てきたのはエディ君で、しかも彼はメリアの内情にずいぶん精通していた、そして同時に現れたのがランティスの王子にそっくりなアジェ君です。彼等はもう大混乱ですよ、まぁ、いい気味ですけどね」
「でも、そいつ等全員捕まえただろ?」
父さんはまたひとつ頷き「ですが、1人逃がしました」とそう言った。
「他にも仲間がいる事は分かっていました、カイルの自宅が荒らされていたのがいい証拠です。そして、私達が捕まえたうちの1人を逃がしたのは、彼が言う事を信じれば彼はランティスから送られたスパイだったからです」
「ランティスから? スパイってどういう事?」
「まだ彼の言う事を100%信じる訳にはいきませんが、彼が言うには、彼はメリアに巣食うそう言った癌を根絶やしにする為に内々にランティスから送られた間者だったというのです。彼は言いました、自分の仲間は革命派にも王国派の中にも潜んでいる、とね」
「それを送り込んだのは……?」
「ランティス王家です」
ざわりと周りの空気が揺れた。皆が聞き耳を立てるようにして父さんの話を聞いている。
「ここにいる人間は皆事情を知っている者達だけなので言ってしまいますが、私達はそんな話しは聞いていません。そうですよね、アジェ君?」
「うん、そうだね。僕はそんな話しは聞いてない。ただ僕の情報は限られた物だから、ランティスの全てを知っている訳じゃない、その人がランティス王家から出されたというのが、ランティス王家のどこから出されているのかによって、僕の把握できていない情報も勿論あると思ってる」
「そういう訳で私達は一か八かの賭けで、彼を囮に出したのです。彼には二重スパイとして情報提供もお願いしています、それがどの程度こちらに渡ってくるか、もしくは全くの大ぼらでこちらの情報だけが持っていかれるのか、それはまだ分かっていません。彼には勿論うちの諜報部員が張り付いていますので、事の真偽は近々分かるとは思いますが、私達にはそれを呑気に待っている時間はないのです」
「時間? 何で?」
「呑気に時間をかけていては、ランティス王国が崩壊する可能性があるからです」
また、ざわりとその場の空気が揺れた。
「おい、ナダール、それは一体どういう事だ?」
声を荒げるようにスタール団長が前に出てきた。けれどその話しは誰もが聞きたい事なのだろう、誰もそれを制止するような者はいない。
「これも囮に出した彼からの情報なので真偽の程は定かではありませんが、ランティスの病巣は根深く王家の中にすら蔓延っている、彼は言いましたよ『アジェ王子はファルスと結託して我が国を滅ぼそうとでもしているのか!?』とね」
「え……? 何で? 僕がそんな事する訳ないじゃないか!」
アジェおじさんが俄かにうろたえる。
「それは私達皆分かっています、だが彼はそうは思わなかった。メリアの王子であるツキノと一緒にいたアジェ王子はランティスに復讐をしようとしているのではないのか? 彼はそう考えたようですね」
「もう、何でだよ! 馬鹿じゃないの!?」
「情報が足りていないのですよ、それくらい混乱も起きているのです。誰もが手探りで諸悪の根源を探している、だから私達は疑いながらも彼を逃がしたのです。少なくとも彼のランティスに対する愛国心は本物だと信じたのです」
まるで暗闇の中を手探りで進んでいくような作業だ、そんな事を父さんはずっと続けていたのかと思うと頭が下がる。
「グノー、ようやく記憶が戻った所ですが、貴方には伝えておかなければいけない事があります」
「何? 何か嫌な事?」
「貴方にとってはあまり嬉しくはない事、かもしれませんね。間もなく私達はザガに帰るという話しを今朝もしていたので覚えていてくれているとは思うのですが、私達は来週にはヒナノを連れてザガへと帰ります」
「うん、それは知ってる、覚えてる……そうか、ヒナノの事忘れたままじゃ帰るに帰れなかったよな……」
「ヒナノの事はいざとなったらブラックさんに預ける事も考えていましたが、無事に思い出していただけたので本当に良かった。そして、ツキノはルーンへ、カイトとユリウスはランティスへと渡る事が決定しています」
瞬間母さんの顔が驚きの表情に変わり、続けて泣きそうに歪み「なんで……」と小さく呟いた。
「ツキノは命を狙われている、カイトは顔が割れている、ここイリヤにいるのは危険なのですよ」
「だったら皆纏めてザガに連れて行けばいい! 全員俺が守るよ! だって俺の大事な子供達だ!!」
「貴方1人で全員は無理です。今後はヒナノもヒナノ姫と間違われ、襲われる可能性があるのですよ、それを1人で全員は無理です。ザガはメリアとも近い、わざわざ敵の眼前に2人を連れて行く必要はない」
「でも、だからって……」
「ルーンはここイリヤと違って人の出入りが少ない、もし入ってきたとしても必ずエディ君、アジェ君の目を通す事になる、とても安全な場所です」
「だったらカイトも一緒にルーンに行けばいい、なんでカイトはランティスなんだ!? しかもユリウスまで一緒にって、どうしてだよ!」
父さんに詰め寄る母さんは今にも泣き出しそうな顔で、父さんの胸を叩く。
「ランティスの病巣を叩き潰す為ですよ。グノー、これは考え抜かれた選択なのです、エリオット王子の子供であるカイトには危険が付き纏う可能性もありますが、それ以上に安全でもあるのです。もし何かがあった場合、ランティス王家は必ず彼を保護するはずです。勿論、王子の子である事を前面に出していく訳ではありません、けれどいざという時、彼のその肩書きは絶大な効果を発揮するはずです」
「するはず、するはずって、そんなのただの願望だろ!」
「けれど、彼には行ってもらわなければならないのです……」
「俺は反対だ」
「これはもう決定事項です」
「なんで!」とまた母さんは父さんの胸を叩く。
「ごめん、グノー、僕がカイト君に頼んだんだ。僕の弟、マリオ王子が命を狙われている、僕は彼を助けたい、その為に僕がカイト君に我が儘を言ったんだ、本当にごめん」
「アジェ、なんで……」
「大丈夫、カイトは私が守りますよ」
ユリウス兄さんの言葉に母さんは瞳に涙を浮かべて首を振る。
「お前だってあの国じゃ、カイトよりお前の方が……」
「私はこの見た目ですからあの国で差別される事はありませんよ」
「そうじゃない! お前は、それでも俺の子なんだよ! お前は、メリア王家の血を引く子供なんだよ!」
「それは分かっています、でも大丈夫ですよ。どんな場所に行っても、どんな危険が迫っても、対処できるように私達を育てたのは母さんだろ?」
「そうだけど……そうだけどっ!」
「当初はルイも一緒に行く予定だったのですがそれはさすがに止めました。あの国でのメリア人差別は悪化の一途ですからね。ルイのあの赤髪ではランティスでは目立ちすぎる」
母さんの肩がまたしてもびくりと震えた。
「いくらファルス人だと言っても差別は消せない、ルイは私達と一緒にザガへと向かう予定です」
あからさまに母さんがほっとした様子が窺える、それでもまだ神経はぴりぴりと尖ったままなのだけど……
「とは言ってもザガだとて、そこまで安全な訳ではない、私達がザガを離れていた数ヶ月でまた治安は著しく悪化していると聞いています、問題は山積みです。グノー、確かに私達の周りには常に危険が取り巻いています、貴方が貴方の好きな人達を守りたいという気持ちは分かりますが、どう頑張ってもそれは1人では無理なのです。これは私達が平穏な生活を送るための布石なのです、皆の行動ひとつひとつが平和な未来に繋がっているのです。ですからどうか、今は聞き分けてください」
父さんの言葉に母さんはいやいやと首を振っていたのだが、真っ直ぐに見詰め続ける父さんの瞳に、もうこれは覆せない話しなのだと悟ったのだろう、うな垂れるようにして頷いた。父さんはそんな母さんの肩を抱いて、またその頭を撫でる。
「ツキノ、カイト、君達にも苦労をかけるし、たぶんこれからも大変な事はたくさんあると思う。けれど何があっても私達は君達の味方だし、君達が決めた事を尊重していくつもりです。私はね、君達が末永く幸せである事がこの世界の未来の幸せに繋がると、そう信じているのですよ」
「俺達はそんな大それた存在なんかじゃない」
「それでも私は君達の幸せを祈っているのですよ、だって君達は私の大事な子供達なのですからね」
父さんは俺の本当の父親ではない、勿論カイトの父親でもない、それでも彼は誰よりも俺達の父親だった。
「さぁ、堅苦しい話しはここまでです。今日はお別れの晩餐会、名残惜しくはありますが、最後まで楽しく飲み明かしましょう」
父さんのその掛け声に周りの空気が一気に和らいだ。なんだか凄いな。父さんの凄さはとても見え難い、いつもにこにこしているだけで頼りないと言われるのもしょっちゅうだけれど、それでも何故か人を惹きつける。
人の上に立つというのはきっとこういう事なのだろう。
「カイト、アジェ君、あとはユリウス、ちょっといいかな? 話しておきたい事があります」
宴に戻った皆の様子を伺いながら、父さんは3人に声をかける。何だろう? 皆には話せない事? 俺や母さんにも? この3人の共通点ってなんだ?
俺の傍らでカイトは首を傾げながらも頷いてアジェおじさん、ユリウス兄さんと共に行ってしまう、残された俺はどうにも居心地が悪く周りを見回した。
母さんは少し憔悴した顔でとぼとぼと台所へと向かうので、俺はその後を追いかけた。
「母さん!」
「ん? ツキノか……いや、この場合ヒナノって呼ぶべきか?」
「俺は俺だよ、ヒナはヒナなんだからちゃんとそう呼んであげて」
「あぁ、そうだな……ヒナノ、料理手伝って」
名前を呼ばれた妹ヒナノは嬉しそうに駆けてくる。父さんも強力な助っ人と言っていたくらいだ、元々こういったパーティの催しではこうやって子供は全員手伝わせられるのが常なのだ、今までの俺はそれを嫌がり全てを他の兄弟に丸投げていたが「俺も手伝う」と彼に付いて行ったら、目を見開いて驚かれてしまった。
「ツキノ、どうした? 熱でもあるのか……?」
「なんでだよ! 元気だよっ」
「お前が自発的にお手伝いなんて、雨でも降るんじゃないか?」
怪訝な顔の母さんにヒナノはくすくす笑みを零す。
「ツキ君はきっとヒナと同じなのですよ。ママに甘えたいのでしょう?」
そう言ってヒナノは母さんの腕に自分の腕を絡めた。
「ヒナは甘えたいですよ。忘れられてしまって悲しかった分、思い出してもらったらたくさん甘えるって決めていたのです」
妹ヒナノの言葉に母さんは顔を歪め「ヒナ、本当にごめんな」とまた謝る。
「ヒナは大丈夫なのですよ、ヒナはママがヒナの好きな物を作ってくれたら、それでもう全部忘れるですよ。だからママは早く他の子達の事も思い出してあげてくださいです」
「他の子達……?」
「ヒナの弟と妹達ですよ。ずっとヒナと一緒にいてくれたです。ヒナだけ思い出してもらってなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいなのですよ」
「うぁ……まだ俺誰か忘れてるんだ、ってかヒナより下って、俺、そんなに産んだっけ?」
「うふふ、そこはママが自分で思い出すですよ」
そう言ってヒナノは楽しげに母さんに擦り寄った。いいな、さすがに俺はそこまで母さんに甘える事はできやしない。
けれど、俺のそんな視線に気付いたのか母さんは「ほい」とヒナノが擦り寄っている方の手とは反対の手を俺に差し出した。
「えっ……と?」
「おいで、ツキノ」
「いや、でも……」
「遠慮すんなって、んふふ、久しぶりだな、ツキノの匂いだ……行かせたくねぇなぁ」
母さんは片手で俺を抱き寄せ、俺の髪に顔を埋めるようにしてそう言った。もう、それだけで俺はどうにも泣いてしまいそうだった。
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