運命に花束を

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二人の王子

招かれざる客 ②

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「僕ね、ちょっとランティスに行ってこようと思ってる」

 朝食を囲んで2人、他愛もない話をしていたら気軽な調子でカイトにそう告げられて、俺は持っていたスプーンを取り落とした。

「あれ? 何? そんなに驚いた?」

 俺が驚いた事に逆に驚いた様子のカイトが「なんで?」と不思議そうな顔をこちらに向けてくるが、それを言いたいのは俺の方だ!

「なんではこっちの台詞だろ!? 何がどうしてそうなった!?」
「だって皆がこのままじゃ駄目だって言うんだ。僕はツキノをこのままこの家に閉じ込めておきたいと思ってるけど、やっぱりそれは駄目なんだって。だから、僕は少し外の世界を見てこようと思ってね、叔父さんもそうした方が良いって言ったし」
「だからって何でランティス!? わざわざ隣の国まで行くのなんでだよ!」
「ん~? ちょっと色々事情があってね、ルイ姉さんかユリウス兄さんも一緒に来てくれるって」
「そんな話聞いてない!」

 俺は机をどん! と拳で叩いた。
 一体何がどうしてそんな事になっているのか俺にはさっぱり分からない。俺が昨日臥せっている間に一体どんな話し合いがされていたのか、カイトのこの発言だけではさっぱり意味が分からない。

「ツキノは何をそんなに怒ってるの? ちょっと落ち着いて」
「怒ってるわけじゃない、俺は説明を求めてるんだ!」

 俺の言葉にカイトは昨日の話し合いの結果を一通り説明してくれたが、説明を受けても俺には納得がいかない事ばかりだ。

「なんでそれでカイトがランティスに行かなきゃいけないんだ! それって要はカイトを人質に弟を助けたいっていうおじさんの身勝手な言い分だろ!」
「でも、僕が行く事で助かる人がいるなら助けたいじゃん? 助かれば別に何が起こる訳でもないし、僕、ちょっとランティスに興味も湧いてるんだよね。だってあの父さんがあそこは魔窟だって言うんだよ? 魔窟って何だよって話だろ? その魔窟ぶりを見に行くの楽しそうだと思わない?」
「思わない! お前はいつもそうやってどんどん突っ込まなくていい所に首を突っ込む! 好奇心は猫を殺すって言うだろ! お前は危険に無闇に首を突っ込もうとしている猫だ、そんな事ばかりしてると命を縮める、俺は反対だ! いや、お前が行くって言うなら俺も一緒に行く!」

 カイトは少し困ったような顔をして「それじゃあ駄目なんだよ」とそう言った。

「これは僕がツキノと離れる練習でもあるんだから、ツキノが一緒に来たら意味がないだろ?」
「離れる? 何で!? 俺とお前はいつでも一緒に……」
「だからだよ。ツキノも昨日言ってただろ、こんな状態で人の上には立てないって。僕もその通りだと思うよ。僕はツキノが好きでずっと一緒にいたいけど、僕達2人が2人共1人になった時に何もできない大人になるようじゃ駄目だと思うんだ、だからね、ツキノは叔父さん達と留守番してて、大丈夫だよ、僕はすぐに帰ってくる」

 「ね?」と、カイトはにっこり笑顔を見せるが、俺はそれに納得がいかない。

「お前は……お前はまた、俺を置いていくのか!」

 また泣いてしまいそうだった、最近はこんな事ばかりだ……情けない自分を何度も何度も目の前に突き付けられる。分かっている、自分達の関係が傍目に危うく見えているのも何となくだが分かっている、だけど俺は叫ばずにはいられない。

「勝手にどんどん大きくなって! 逞しくなって! 俺はずっと置いてきぼりで! なのに、またお前は俺を置いて行く!」
「ツキノ……?」
「行けばいいじゃないか! 勝手にしろよ! 俺は……俺は……」

 込み上げそうな涙をぐっと堪えて踵を返した。カイトの顔を見ていたら、俺はきっとまた泣いてしまう。

「ツキノ!?」

 逃げ込める先は寝室しかなくて、俺はそこに逃げ込み鍵をかけた。
 情けない、情けなさ過ぎる、だけど零れる涙を止められない。カイトは俺を置いて行く、俺はもうカイトと一緒にはいられない。
 2人で肩を並べて歩いてきたのに、カイトの背中は大きくて俺にはもう追い付けない。
 部屋に逃げ込んだ俺に扉の外から何度も声がかかるが、俺が無視し続けていると「ツキノ、ごめん、今日僕仕事だからもう出なきゃいけないんだけど、ちゃんと帰ってきてからもう一度話そう?」と、カイトは家を出て行き、家の中には静寂が訪れる。
 俺は部屋の隅で膝を抱えて、その静寂の中、埒もない事をずっと考え続けた。
 カイトは何も間違った事はしていない、人助けがしたい、俺との関係を正常な物に戻したい、両親の生まれ故郷を見てみたい、どれもこれも理由は正当で間違った所はひとつもない、なのに俺は膝を抱えて「それは嫌だ」と泣き叫ぶ。
 俺だけのカイト、俺だけのΩ、この家にカイトは俺を閉じ込めたいと言っていたが、逆に彼をこの家に縛り続けていたのは俺自身だ。
 カイトの執着、それは俺の執着より多いのか? 少ないのか? 俺達のこの関係は間違っている? 俺にはもう分からないよ……
 悶々と考え続けていると、家のベルが鳴った。誰か来訪者が来たのだろうが、俺は居留守を決め込む事にする。所詮自分はこの家の家主ではないのだ、出て行くいわれもない。
 だが、家のベルは俺が家の中にいるのを知っているかのように執拗に鳴らされ続け、俺は仕方がなく重い腰を上げ、家の扉を開ける。そして、そこに立っていたのはなんとなく予想が付いていたアジェおじさんと、エドワード伯父さんだった。



「ツキノ君、目が真っ赤だよ、どうしたの?」

 玄関を開けて俺が2人の顔を見ると、おもむろにアジェさんに顔をがっと掴まれ、そう言われた。

「別に、なんでもないです……」

 俺は瞳を伏せて言うのだが「何でもないって顔じゃないだろ」と彼に顔を覗きこまれた。
 けれど俺はそれが全く嬉しくない。だって俺がこんな顔になっている原因の一端は彼にあるのだ、俺は邪険にその腕を振り解いた。

「何の用ですか? 俺、今日もあまり体調は良くないんで、お付き合いはできないですよ」

 ぶっきら棒にそう言うと、アジェさんは少し困ったような笑みを零して「それは分かっているよ」とそう言った。
 昨日散々着せ替え人形にされた恨みもまだ残っている、正直今日は伯父さん達に付き合う気にはまるでなれなかった俺は不機嫌丸出しの顔で、おじさん達を睨み付ける。

「そんな顔しないで……今日はカイト君いないの?」
「カイトは仕事」

 「そっか」とおじさんは頷くのだが、帰る気はないようで、俺は2人をリビングへ招き入れたのだが、正直本当に体もだるくて、お茶を入れる気にもならず、俺はだらりとソファーに座り込んだ。そんな俺を気にする風でもなく、2人はリビングでそれぞれに座り込み、こちらを見ている。

「なに?」
「ううん、調子悪いのは分かってるからそのままでいいよ。だけど少しだけツキノ君にも聞いておいて欲しい事があってね、あのね……」

 アジェおじさんが話し出そうとした所で、何故かまた玄関のベルがけたたましく鳴った。いつもはなんとも思わないそのベルの音が今日はなんだか耳障りで仕方がない。
 またしても不機嫌全開の顔で俺が立ち上がろうとすると「お前は休んでいろ」と俺を制してエドワード伯父さんが腰を上げたので、俺は言われるがままにもう一度ソファーに身を沈めた。

「ツキノ君、あのね……」

 アジェさんが再び口を開こうとしたその時、玄関先で人の争うような声が聞こえた。一軒家とはいえさして大きくもない家だ、その会話は筒抜けでリビングにまで響いてくる。

「なに……?」

 俺が眉を顰めると、アジェさんも不安そうに玄関へと続く扉を見やる。声は複数聞こえてくる、伯父の声と来訪者は複数人?

『私達は王子に用がある。王子は在宅なのだろう? 王子に会わせてください』
『不躾に何を? いや、まずはお前達は何者だ?』

 伯父が不機嫌そうな声を上げて来訪者を止めている声が聞こえる。
 今、王子に会わせろとかいう台詞が聞こえたが、それは一体誰の事を言っている?

「もしかしてランティスの人達かな? カイト君の居場所ばれちゃったし、でもエリィがこんな事をするのは考えにくい気もするんだけど……」

 アジェさんが不安気な顔で俺に寄って来た。
 ランティスの? カイトを連れて行こうって輩か? そう思ったら俺の怒りは一気に上がる、どいつもこいつも俺とカイトを引き離そうとする奴等ばかりで腹が立って仕方がない。

『こんな所では話せません、我等を中へ入れてください』
『あぁ?』
『私達は王子に害を成す者ではない、王子に会わせてください』
『王子、王子とお前達は何を言っている? まずは誰の事を言っているのかはっきりしろ!』

 伯父の言う事はもっともだ。ここには現在、ランティスの王子であるカイト、メリアの王子である俺がいる。ついでに言うならアジェおじさんだってランティスの王子には違いないし、更に付け加えるならばファルス国王陛下に育てられたという伯父自身だとて大きな括りで王子と称されても不思議ではない立場なのだ。

『我等が探しているのはツキノ・ファースト・メリア王子です、ご在宅のはずですよね?』

 来訪者の言葉にアジェさんの顔が強張った。

「ツキノ君よく聞いて、今からツキノ君はヒナノちゃんだよ、ツキノと呼ばれても絶対に返事をしないで!」
「……? ヒナノ?」

 その名は養父母の三番目の子、俺の義理の妹に当たる娘の名前だ。何故そんな事を言われるのか分からない俺は首を傾げるのだが、アジェさんはリビングに放置されていた昨日も被せられた黒い長髪のカツラをおもむろに俺に被せて、その髪を撫で整えた。

「理由はちゃんと説明する、だけど今は黙って言う事聞いて、いいね」

 真剣なその顔に俺は頷く事しかできず、圧倒されるように俺はこくこくと首を縦に振る。
 玄関の声はまだ言い争いを続けているのだが、そのうち伯父が『ツキノ、ヒナノ、奥の部屋に引っ込んでいろ!』という声が聞こえ、その言葉を聞いたアジェさんは「分かった」と返事を返し、俺の腕を引いて家の奥へと俺を連れ込んだ。
 エドワード伯父さんまで何故か『ヒナノ』という名前を使っているのだけど、何か既に打ち合わせでも済ませているかのようなそのやり取りに、俺は首を傾げるばかりだ。

「ヒナちゃん、何処か鍵のかかる部屋はある?」
「え? えっと、寝室……?」
「だったら、そこ。僕はこういう時本当に役には立たないからヒナちゃんと一緒にいるよ、大丈夫、全部エディが何とかしてくれる」

 そんな事を言いながらも俺の腕を掴むアジェさんの手には力が入っていて、少し痛かったのだけど、今はたぶんそんな事を言っている時ではないのだろう。

「ねぇ、あいつ等誰? 何が起こってんの?」

 寝室に飛び込み鍵をかけ、俺はアジェさんにそう問いかけるのだが、彼もまた「詳しい状況は分からない」と首を振った。

「だけどひとつだけ分かっている事は、ツキノ君をあの名前で呼ぶ人間は、僕達の仲間じゃないって事だけ」

 先程呼ばれた名前『ツキノ・ファースト・メリア』それは、俺の正式名称ではないのだろうか?
 俺の名前は『ツキノ・デルクマン』けれど、それは養父母から借りている仮の名前で、王子としての正式名称はたぶんそれで合っていると思うのだ。それでもおじさんはその名で俺を呼ぶ彼等を仲間ではないとそう言った。
 どかどかと部屋の中に複数人の入り込む足音が聞こえた。

『外で王子、王子と叫ばれてはこちらも迷惑だから家に上げたが、勝手はしないでもらおうか』

 伯父の声は静かだが、その声には怒気を孕んで静かに響いた。


  ※  ※  ※


「我等は王子に害を成す者ではないと言ったはずです。王子に会わせてください」

 部屋の中に上がりこんだ男達は口々にそう喚きたて、エドワードはそれを胡乱な瞳で眺めやる。先程まで話していたリビングにはアジェもツキノももういなかった、彼等がいるのは恐らく家の奥、エドワードはさりげなくその家の奥に続く扉の前に陣取って男達を睨み付けた。

「それは話を聞いてからだ。俺が話しに納得すれば会わせてやらない事もないが、今現在の情報だけではお前達を王子達に会わせる訳にはいかない」
「な……そもそも貴方王子の何なのですか! 私達はレオン王からの正式な使いなのですよ!」
「ほう? 俺は聞いていないがな?」
「一般人の知る所ではない!」
「ふむ、まぁ確かに俺は一般人だが、ツキノとヒナノの伯父には違いない。俺は妹からそんな話しは聞いていないぞ?」

 エドワードの言葉に乗り込んできた男達は動揺を見せたが、そんな動揺を見せること自体が既にこいつ等は自分達の仲間ではないとエドワードに確信させた。
 エドワードとツキノの母ルネーシャには血縁関係はない、だが10年以上兄妹として育ってきた自分達の間には確かに兄妹としての絆がある。にも関わらず「王妃に兄などいたか?」「いや、俺は聞いてない……」とこそこそと言い合っている彼等はそもそも妹夫婦の側近ですらないという事だ。
 妹夫婦は息子の居場所を隠している、この場所を妹夫婦が教えたと言うのならよほど近しい側近でなければありえないはずで、そんな人間がエドワードの存在を知らないという事がもうそもそもおかしな話なのだ。
 彼等はツキノを『ツキノ・ファースト・メリア』と呼んだ。その呼称も彼等は決して使わない。ツキノはレオン王の子だが、王はツキノをメリア王家の人間として育てようとはしなかった、ツキノの正式名称は『ツキノ・スフラウト』それはツキノの父、レオンの本当の父親の姓なのだ。
 もし彼等がレオンの正式な使者なのだとしたらツキノの呼び名は『ツキノ・スフラウト』もしくは『ツキノ・デルクマン』でなければおかしいのだが、彼等はそんな事も分かっていないように思われた。

「俺はお前達が信用できない。もしお前達が正式なレオン王の使者だと言うのならば、何か証明をするような物を見せてくれ」
「証明……」
「何かないのか? 書状でもなんでもいい、ここを訪ねて来たからにはツキノ達に何かしらの用件があって来たはずだ、だったらその用件も話せ。彼等に会わせるのは俺がその話に納得できてからだ」

 男達は顔を見合わせる。恐らくそんな物は何もないのだろう。だとしたら、ツキノに会わせる事など決してできない。

「答えられないのなら帰ってくれ、ツキノはお前達には会わない」
「そういう訳にはいきません、私共もそんなにすごすごとメリアに帰る訳にはいかないのです」
「だったら簡潔に用件を言え。もしツキノの命を狙っていると言うのなら、そのお前達の命、今この場で俺が叩き斬る」

 男達が眉間に皺を寄せ、すっと腰に差した剣に手を伸ばすのが見えた。やはり、こいつ等ツキノの命を狙ってきたような輩か、とエドワードも剣に手を伸ばしかけたのだが、それを制するように一人の男がずいっと前に歩み出た。

「申し訳ございません、確かに私共はレオン国王陛下の正式な使者ではございません。ですが、決してツキノ王子に害を成す者ではないと重ねて申し上げたいのです。私共はツキノ王子の祖父であられる先々代の王、引いてはツキノ王子の従姉妹であられるレイシア姫からの使いなのです」

 エドワードはその言葉に、片眉を上げる。

「レオンと敵対している老いぼれ王と姫からの使い? ますますもってツキノには会わせられないな、一体ツキノに何の用がある?」
「王も姫も王子達のこのような生活には心を痛めているのです。両親は子を顧みもせず、こんな市井の生活を送らせて、レオン国王陛下は子にすらその権力を渡す事を考えもしない強欲な王であると、王子達に手を差し伸べられた。王子はこのような場所で、このような庶民の生活をしていていいような立場ではない。王子は王家の御子として立派な……」
「御託はいい、あいつ等の両親は子供にそんな事は望んでいない。豪奢な生活も帝王学もあいつ等には必要ない。あいつ等はメリアの一般市民として生活する事を望んでいる、お前達の価値観をあいつ等に押し付けるのは止めろ」
「それは王子と姫が望んでいる事なのですか? こんな狭い家で、慎ましやかに暮らす生活、彼等がそれを望んでいると?」
「少なくともあいつ等はそんな大人達にちやほやされるような生活は望んでいない。それにアレだな、お前、老いぼれ王と姫の使いって言うのも嘘だな? 老いぼれ王と子供達の間に血縁など存在しない、王は血縁もないような子供達を哀れむような、そんな男ではなかったはずだ」

 男達の間にまた動揺が走った。

「貴方は一体どこまでの事を知って……」
「大概の事は知っている。俺はルネーシャの兄だと言っているだろう? 老いぼれ王にはもう既に人を雇う金すらない、レイシア姫も持ち上げられてはいるが、それもいつまで続くか分からない状態だ。こんな時にその名を語ってやってくる輩がツキノ達の味方である訳がない」

 男達は険しい顔でエドワードを睨む。

「本性が現われたか? 王子と姫を攫って一体どうする? それともこの場で処分するつもりでやってきたか? 老いぼれ王と姫の名を語ってそれをやる、それをして得をする奴は誰だろうな? 反王国の革命派か? いや、革命派は王子達を殺すなんて事はしないはずだな、あいつ等は王子達がこうして市井に混じって暮らしている限り何も言わないはずだ。だとしたら、ここまでやって来た機動力を鑑みるに、最近力を付けてきてると噂になってた反王国派そして反革命派でもある第三勢力、お前達、豪族や貴族で構成された体制派だろ?」

 メリアという国は身内の中にたくさんの敵を囲い込んでいる、一見利害の一致を見せている相手でも、状況が変わればいつでも牙をむく、メリアという国はそういう国なのだ。
 男達は悔しそうにこちらを睨み付けてきたので、エドワードの言ったことは恐らく間違っていなかったのだろう。

「で? お前達は一体何がしたい? 子供達はお前等の邪魔などしやしない、無闇な悪意をぶつけるのは止めてくれないか」
「いらない遺恨は残したくない、何をどうする事がなくても邪魔者は消す」
「勝手な言い分だな。そうやってお前達は争いの種を撒いていく、それすら誰かの手の内だとも知らずにな……」

 もう、隠す気もなくなったのであろう殺気を帯びて男達はエドワードを睨み付けた。

「ツキノもヒナノも渡さない。子供達をお前達の好きに利用されるのは許せない」
「ふん、そこまで分かっているのなら、お前を生かしておくわけにはいかなくなった。俺達も顔が割れると困る立場なんでな、悪いが死んでもらおう」

 すらりと抜かれた剣の切っ先がこちらを向く。エドワードはそれを鼻で笑って「できるものならやってみろ」と凄んでみせる。
 その時、どこかでぱんっ! と何かが爆ぜる音に「そういえばあいつ等もいたんだった……」とエドワードはちらりと窓の外を見やった。

「何だ? これは何の音だ?」
「生憎とな、メリア国王陛下の子息を護衛も付けずに暮らさせるほど俺達だって馬鹿じゃない。これは合図だ、そのうちこの合図を聞きつけて駆けつけてくる者が何人もいるはずだ。その僅かな時間で俺を殺し、ツキノとヒナノを殺せるものならやってみるがいい、言っておくが俺は弱くはないぞ」

 エドワードも剣を抜き去り、その剣先を男達へと向ける。男達は逡巡するように顔を見合わせ、3人いた内の2人が踵を返し玄関へと向かう。

「おやおや、仲間が2人逃げ出した。あんたは逃げなくていいのか?」

 先程前に出てきた男、物腰柔らかで悪者にも見えない男なのだが、男は悔しそうにエドワードを睨み付けた。

「私は、私の任務をこんな所で終わらせる訳にはいかんのだ、悪い事は言わない、私を見逃せ」
「は? 意味が分からんな? 命乞いをするにしてももう少し言い方というものがあるだろう?」
「私は……!」

 言いかけた所で、先に逃げ出した男2人の声と思われる叫び声が聞こえた。玄関を出た先で誰かにとっ捕まったか? 黒の騎士団の機動力は半端ない。昔は諜報に特化した部隊だったが、ここ最近の次世代の若者は戦う事にも長けている、言ってしまえばファルス王国一の無敵部隊だ。敵に回した相手が悪かったとしか言いようがない。

「大将! こっち2人確保だよ」
「おう、こっちももう終わる」

 言って、エドワードは向けられた剣を薙ぎ払い、男を壁に押さえつけた。

「言いたい事があるのなら、話しは檻の中で聞いてやる。大人しく言う事を聞くことだ」

 男はぐっと言葉を詰まらせ、悔しそうにエドワードを睨み付けた。


  ※  ※  ※


「どうやら、終わったみたい……?」

 扉に耳を押し付けるようにして聞き耳を立てていたアジェおじさんはそう言って息を吐いた。

「おじさん、あの人達って結局誰なの? 体制派って何?」
「うん、そういう諸々の話もしたくて今日は来たんだけど、なんだか色々先を越されちゃった感じだね。行こう、もうきっと大丈夫」

 寝室を出て、リビングに顔を覗かせるとエドワード伯父さんは壁に1人の男を押し付けていた。別段これといった特徴もない男だ。メリア人の特徴である赤髪ですらない。

「ヒナ、どこかに縄はないか?」
「え……? あぁ……」

 そういえば、今の俺はヒナノだったか? 何故そう呼ばれるのかも分からないまま、俺は梱包用の縄を探し出し伯父に手渡すと、伯父は手早くその男を縛り上げた。
 家の中には他にも何人かの人がいた、あと2人縛り上げられ転がされる男、そして黒髪の黒装束の何人かの男達。
 俺はその黒装束達には見覚えがある、養父であるナダールの友人カズイの息子達だ。特に一番下の弟シキは姉ルイにご執心で度々デルクマン家に顔を出しているので、完全なる顔見知りである。

「なんで皆ここに居るの?」
「……仕事」

 問いかける俺の言葉への返答は短い。元々そんなに話す相手でもなかったが、いつも以上に素っ気ない気がするのは気のせいか?

「ご苦労様、怪我とかない?」

 アジェおじさんがそう尋ねると「問題ない」と彼等は頷いた。
 その傍らで捕まっていた男の1人がアジェおじさんの顔を認識して「王子……?」と思わずと言った風に声を上げた。だがすぐに、しまったという顔で瞳を伏せたのだが、その言葉を俺もおじさんも聞き逃しはしなかった。

「生憎とツキノ王子は外出中でね、最初からここにはいなかったんだよ。ここにいるのはヒナノ姫、だけど貴方は今、王子と呼んだね。どういう事かな? もしかして貴方は僕のこの顔を知っているの?」

 けれど男は黙したまま何も語らない。

「ふむ、こいつは何かを知っていそうな気配だな」

 エドワード伯父さんはそう言ってその男を睨み付けたのだが、やはり男は顔を背けたままうんともすんとも言わず、そんな事をしている間に合図を聞きつけてやって来たのであろう騎士団員が数人、その男達を引き立てるようにして連れて行ってしまった。
 エドワード伯父さんは腕を組んだまま何事か考え込み「俺も同行して取り調べに付き合ってくる。少し気になる事を確認してくるから、お前達はどこか安全な場所に身を隠せ。おい、お前等護衛任せたぞ」そう言ってエドワード伯父さんは騎士団員を追いかけて行ってしまった。
 黒の騎士団と共に取り残された俺とアジェさんはどうしようか? と途方に暮れる。

「安全な場所ってどこかな? ここにはもういない方がいいよね? もし、あいつ等に仲間がいたら大変だし、いっそお城にでも行く?」

 アジェさんの言葉に俺はどう返していいか分からない。誰に狙われているのかもよく分かっていない俺に安全な場所を求められても俺には答える事もできなかったからだ。

「ここからならナダール騎士団長の家が一番近い、あそこには最近騎士団員も詰めている、そこが一番安全だと思う」
「え、でも……」

 俺は躊躇う、養母グノーは俺の顔を見ると錯乱してしまうのだ。自分の身の安全の為に彼に負担をかけるのは嫌だった。

「大丈夫、今のお前の姿なら彼もお前をツキノだとは思わない」
「え?」
「俺達も、最初誰か分からなかったくらいだから問題ない」

 黒装束の三兄弟が口々にそう言うのだが、俺はどうにも複雑な気持ちだ。

「念の為、着替えもしていこうか。完全にヒナちゃんって体でいけば、たぶん大丈夫な気がする」

 アジェおじさんはそんな事を言うのだけど、そういえば俺はまだ聞いていない、なんで俺が養母の娘「ヒナノ」の名前で呼ばれなければならないのか。
 俺がそれを問うと、アジェさんは「ちょっと色々事情があってね」と言葉を濁しつつ「歩きながら話そうか」とそう言った。
 ついでのように着替えをさせられ、俺は嫌だと言ったのだが昨日おじさんが持ち込んだ服を着せられてしまう。それは昨夜カイトが示したそのままの服装だ、俺には寝巻きにしか見えなかったそれは一応外着でもいいらしい。傍目には完全に女の子にしか見えなくなった俺は、鏡の前で溜息を吐く。
 もう、なんなんだよ、これ……
 「うん、似合う」とアジェさんはご満悦顔だけど、今日みたいな事情がなければこんな服、絶対着ないからな!と俺は心の中で悪態を吐いた。



 道行く人がちらちらとこちらを見ている気がしてならない。アジェおじさんは「気のせいだよ」と笑うけれど、俺は俯いた顔を上げられずにいる。
 黒の騎士団の三兄弟は人目に付かない所から俺達を護衛しているようで、家を出ると同時に姿を消した。

「ほら、そんな下ばっかり向いてたら転ぶよ?」
「こんな姿、知り合いに見られたら、もうこの街歩けなくなる……」
「大丈夫だって、凄く似合ってる。さっきセイ君達も言ってただろ? 誰もそんな姿の君を君だとは思わないよ」

 そんな事を言われても、もしバレたらと思うと俺は気が気じゃない。そんな事になったらもうこの街では恥ずかしくて暮らせる気がしない。

「そういえば、さっきの話! なんで俺が『ヒナノ』なんですか?! しかもヒナノ姫って呼ばれてた、どういう事?」
「うん、昨日も話した通り、君の両親は君が自分で性別を決められるまで君の事はどちらとも公表できずに双子として公表したって言っただろ? その男名が『ツキノ』で女名が『ヒナノ』なんだよ。実の兄妹でもないのに名前が似てるの不思議に思った事はない? この名前はね、ナダールさん達が君の為を思って娘さんに付けた名前なんだよ」
「どういう事?」
「もし君が自分の性別を女として選んだ場合、その存在の痕跡が一切なかったら、やっぱり不審に思われるだろ? だからグノーとナダールさんは君を引き取った時にまだお腹の中にいた自分の娘に『ヒナノ』って名前を付けたんだよ。自分達の子供がメリア王の子と疑われて襲われる可能性もあったのに、それでも君が自分で自分の事を決めた時に恙なく生活を送れるように、そう名付けるって決めたんだって。でもまだその時ヒナちゃんは生まれてなかったから、もしヒナちゃんが男の子だったらツキノ君がヒナノちゃんで、ヒナノちゃんがツキノ君だった可能性もあったんだけどね」

 俺は言葉を失う。もし万が一ヒナノが男の子だったら俺は女として育てられていた可能性もあったと言うことか……?! なんて事だ!
 ヒナノが女で良かったと俺は心底思わずにはいられない。

「君達年子だし、というかツキノ君とヒナノちゃんの歳の差って実質半年くらいのものだろう? だから双子と偽っても別に違和感なかったんだよね」

 確かにヒナノと俺は従兄妹同士で顔立ちは昔から似ていると言われてきている。まさか、知らぬ所でそんな彼女と双子扱いされているとは思わなかった。
 けれど言われてみれば、実父レオンは赤髪の美丈夫、実母のルネーシャは黒髪だ、赤髪と黒髪の男女の双子というのはあり得ない話ではない。

「それで、今の俺は『ヒナノ』って事なのか……」
「そう、やっぱり姫と王子なら狙われるのは跡継ぎの王子だよね。危険度的には大差はないかもしれないけど、まだマシって所かな。そんな格好をしていた方が相手も油断するしね」
「相手……そういえば相手って……?」
「あぁ、そうだね、その話もしないとだよね」

 俺達は声を潜めて話してはいるのだが、それでもそこは室内ではない、あまり大きな声で話していていい内容ではない事は分かっているのだが、それでも俺は聞かずにはいられない。

「なんだかここにきて急に動き出したから僕達も情報が追い付いていない状態なんだけど、さっきのエディとあの人達のやりとりを聞いている限りでは、あの人達は体制派、現王家を支持している人達だね」

 俺は意味が分からず首を傾げる。現王家を支持しているという事は俺の父親であるレオン国王陛下を支持しているという事で、だったらその息子である俺を襲うというのは何かおかしい気がするのだ。

「ただ、現王家を支持していると一口で言っても、その中身は様々なんだ。元の王様やレイシア姫に付いてる王国派、民主主義を謳う革命派、君のお父さんはどちらかといえば革命派なんだよね、王政を廃止しようとしているくらいだし。体制派は君のお父さんを立てたまま現王家を存続、いずれは乗っ取りたい人達って感じかな」
「はぁ!?」
「味方の中にも敵がいる状態、今のメリア王家を取り巻いてるのはそういう人達なんだよ。君は病気療養でファルスに出されたまま、子供は君しかいないし、レオン君に妾なりなんなり宛がって子供を作らせて王家を乗っ取ろう、ってそういう人もいるって事。そういう人には実は君の存在ってちょっと邪魔なんだよね。体制派の人は少し間違えばすぐに反体制派に鞍替えするよ、ホント面倒くさいよね」

 アジェさんは昨日、メリアは狐や狸ばかりだと言っていたが、その話を聞いていると、確かにそんな裏の裏を読んで付き合っていかなければならないような相手を目の前にして俺自身捌ける気が全くしない。

「胃が痛くなってきた……」
「うん、だから君は僕達と一緒に来ればいいよ。僕達の町は平和で安全な町だからね」

 おじさんはさらりと笑顔でそう言ったが、俺は瞳を伏せる。

「俺は……カイトと一緒にいたい。カイトと一緒に行きたい」

 メリアに帰る事ができないのなら、俺がカイトと離れる意味などない。カイトは俺の番相手だ、俺の唯一のΩなのだ、そんなカイトを守るのは俺の役目で、その役割を他のαに譲るのは嫌だ。例えそれが兄弟同然に育ってきたルイやユリウスだとしても、それだけは絶対に嫌だった。

「ランティスは人の差別の酷い国だよ。君のその黒髪はきっと至る所で差別を受ける、メリア人だとバレたら尚更にね」
「そんなの関係ない、俺はカイトさえいればそれで……」
「君は本当に彼が好きなんだね」

 アジェおじさんが俺の顔を覗き込んで微笑んだ。

「カイト君を見てると君の事、凄く大事にしてるの分かるよ。君も同じ、大好きなんだね。だけど、だからこそ君達は少し離れてみる経験も必要なんじゃないかな?」

 俺には分からない、何故そんな事をする必要があるのか、全く理解できない。

「それにね、これは言うべきじゃないのかもしれないけれど、君達はいずれ番になって結婚するつもりだよね? その前に少しだけ考えて欲しいんだよ。君達は君達だけが良ければそれでいいかもしれないけれど、君とカイト君との結婚は言ってしまえば国同士の結婚なんだ。ランティス王国という国とメリア王国という国の結婚だよ。それにはどうしても政治的な話が絡んでくる、それだけは知っておいて欲しいんだ」

 おじさんが何を言っているのか俺にはさっぱり分からない。国同士の結婚? カイトはランティスの王子なんかではないと自分で言っていたし、俺だってもう王子ではなくメリアの一市民で生きていけとそう言ったのはアジェおじさんなのに、なんで、それなのにそんな事を言われなければならないのか、俺にはさっぱり分からない!

「見付けた!」

 そんな時に聞こえた声、顔を上げると道の向こうから全速力で駆けてくるカイトの姿が見えた。

「もう! めっちゃ探した! なんか緊急信号? 信号弾? 上がってるし、家に戻ったら誰もいないし! またツキノに何かあったんじゃって、ホント心配したんだからっ!」

 カイトはそう言って俺の体を抱き締める。

「でも、何その格好? 滅茶苦茶可愛いんだけど、叔父さんとどっか行くの? 可愛い格好でどこ行く気? 浮気は許さないよ!」
「お前……」

 なんだかカイトの能天気な物言いに一気に体から力が抜けた。

「カイト君、申し訳ないんだけど、今ツキノ君はヒナノちゃんだから、そう呼んでもらえる?」
「へ? ヒナノ? 何で? んん……でもそう言われるとこの格好、髪の色違うけどヒナに似てるね」

 そう言ってカイトはへらりと笑った。

「もう離せ! 恥ずかしい!」

 俺の体に抱きついていたカイトを振り払って威嚇すると、アジェおじさんに「もう少し女の子らしくしようね」と言われてしまったのだが、俺は男だと何度も言ってる!

「それで、何があったの?」
「ツキノ君を狙ってメリアから来た人がいてね、もうその人達は捕まえてエディと騎士団の人達が今取り調べしてるんだけど、他にも仲間がいるといけないから、僕達はナダールさんの家に避難する所」
「そうなんだ、大丈夫? 怪我はない? おじさんの家に行くんだったら僕も付いてくよ」
「お前、仕事は?」

 俺の問いにカイトはつい、と瞳を逸らした。

「目ぇ逸らすな、いつも仕事は大事って言ってるのお前だろ?」
「優先順位の問題だろ? 仕事をしてお金を稼ぐのは大事だけど、その為に好きな人を蔑ろにするのは間違ってる。僕の優先順位はあくまで仕事よりツキノだから!」
「今はヒナちゃんだよ」

 おじさんがさりげなく訂正していくけど、もうどうでもいいよそんな事。

「俺はそう簡単にやられない」
「いつ何時何が起こるかなんて分からないだろ。僕はもう嫌なんだよ、僕の知らない所でツキ……っと、ヒナが傷付くのはもう見たくない」
「俺はそんなに弱くない」

 「嘘ばっかり」とカイトは笑う。あぁ、確かにそれは嘘だな。カイトには俺の情けない所ばかりを見せている、今更強がってそんな事を言った所で信じてもらえるはずもない。

「さぁ、立ち話もなんだから行こうか」とおじさんに促されて俺達は歩き出した。


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