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第三章:出産編
一方で……
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ライザックは戸惑っていた。実母であるハロルドの傲慢に嫌気がさして家を飛び出して数か月、伴侶となったカズは何も言わず自分に寄り添ってくれていた。
オーランドルフという家名が付随しない自分に価値などないと思い生きてきた、それほどまでにライザックにはその家名は重くのしかかり自分を縛っていたのだと改めて実感する。そして、そんな家名の呪縛から解き放ってくれたカズにライザックは改めて感謝と愛情を持ち、平穏にこの先も二人で――否、腹の子も含めて三人で生活できると信じて疑ってもいなかったのだ。
カズはそれまで何も言わなかった。屋敷を飛び出しそれぞれ身ひとつで生活する事を強いられても愚痴のひとつも零さないカズ、愛おしそうに日々大きくなる腹を撫でライザックの横で笑っていた、なのにある日突然カズは子供を産むのが怖いと泣き出した。
よくよく話を聞いてみれば誰かに何かを言われたようで、その暴言に心当たりがあり過ぎるライザックはカズを抱き締めた。家を出てからもライザックはたびたびオーランドルフの家に顔を出し母ハロルドの説得には努めていた、名門オーランドルフというその名前を完全に捨ててしまえと言っている訳ではない、ただ少し身の丈に合った生活をしようと言っているだけなのだが母は決して首を縦にはふらない。
「必要ありません、私達に庶民の生活など出来ようはずもない。オーランドルフ家は貴族なのですよ? ライザック、貴方の方こそ考えを改めるべきです」そう言って譲る気のない母にこの人は全く現実が見えていないのだと溜息しか出てこない。
自分が家を飛び出した現在いよいよもってオーランドルフ家の家計は火の車、使用人に払う給金などありもしないのにカズの代わりにまた一人、人を雇ったと聞いた時には頭を抱えた。自分の給金は決して少なくはない、この年齢の割には稼いでいる方であると分かっている。それもまたオーランドルフという名のもとに周りが自分を引き立ててくれたお陰だという事も分かっている、だからこそ余計に自分はそのオーランドルフの名に恥じない人間でいなければならないと身を引き締め生活してきたし、それは現在も変わりはしないが、それでもあの大きなお屋敷を維持する費用には足りないのだ。
「ハロルド様の事はこちらで何とか致します」
従兄弟であるミレニアはそう言って自分達を家から送り出してくれたが、そんなミレニア自身も言ってはなんだが箱入りで、そんな事を言われても不安しかない。実際問題ミレニアが自分の貯金を切り崩している事もなんとなく察している自分はミレニアに金を押し付ける。母に渡そうものならあっという間に消えてなくなる端金だろうがミレニアならばなんとかやりくりしてくれると信じている。
本来ならば実子である自分が何とかしなければならない事は分かっている、けれど今の自分には母よりも妻であるカズが大事で、間もなく生まれる我が子の方が母より余程大事だったのでひとまず面倒ごとは全て脇によけた。だが、ここに来て我が子を妊娠しているカズが「子を産むのが怖い」などと弱音を吐くようになるとは思わなかった。この世界、子を産むのは本人の自由意志だ。好いた相手の子を産みたいのか産んで欲しいのか、そこは本人達の自由意思で決定され、そこの折り合いがつかないとお互い好意を持っていても婚姻にまで結びつかない場合もある。
カズは最初から私を抱きたいとは言わなかったし、自身の妊娠もわりとすんなりと受け入れて妊夫生活をのんびりと過ごしているように見えた、なのに今になって何故突然「怖い」などと言い出したのか私には分からない。誰に何を言われたのか、カズは多くを語らずにただ泣き続ける。私はそれにどうしていいのかと途方に暮れていた。
「それ、完全にマタニティ・ブルーだな」
「マタニティ・ブルー……」
同僚に相談したらそんな返答をされて動揺する。これはそんなに唐突に現れる症状なのだろうかと首を傾げたら同僚はけらけらと笑った。
「子供はやればできるもんだ、最初は嬉しくてそわそわして早く生まれてこいと思っても腹が膨れて自分の身体が変化していくと急に不安になる事もある。自分もそうだった」
と、そう言って同僚は笑う。そんな同僚のパートナーは現在産休を取っている、第一子は彼が産み、第二子はお前が産めとそういう約束をして彼等は結婚したのだと聞いている。
「色々な兼ね合いで不安定になる時期なんじゃないか? うちも今は少し神経質になっている。自分が経験している事だから、何がどう辛いかは分かるつもりでいるけれど、それでも体調の変化までは変わってやる事もできないし、今の時期は寄り添ってやる事しかできないんじゃないか?」
確かに同僚の言う通り、今自分にできる事と言ったら傍に居てカズの心を軽くしてやることくらい。
「ライザック、お前今までずっと馬車馬みたいに働いて、ろくろく休暇も取った事ないんだろう? 少し仕事は休んで相手に付いていてやったらどうだ? まぁ、うちの場合それをやったら遊んでないで働いて来い! って家を蹴りだされるだろうけどな」
屈託なく笑う同僚、傍にいてやる事でカズが安心できるのであればそれに越したことはない。確かに金を稼がねば生活もままならないが、多少の蓄えはまだ残っている。同僚の伴侶のように蹴りだされるのならそれでもいい、それだけ元気ならその方がむしろ安心だ。
時はもう臨月、腹の子はいつ生まれても不思議ではない。ライザックは意を決してしばらくの間カズと共に過ごす事を決めた。なにせ出会ってすぐに恋仲になったものの、ろくろく交流を深める間もなく子供が出来てしまい、しかも我が家の事情でごたごたとしていたせいもあって自分はまだカズの事を完全に理解はしきれていない。カズが何処の誰かも未だ自分は把握していないのだ、自分達にはまだお互いへの理解が足りていないのだと思う。だからこそカズは今まで不安を胸に抱えていても自分に打ち明ける事が出来なかったのだとライザックは後悔しきりで、今は彼に寄り添おうと心に決めた。
自分が仕事を休んで傍に居るとカズは少し不思議そうな表情をして見せたが、服の端をきゅっと掴んで「ありがとう」と呟くその姿がいじらしく、とても可愛いらしくて、自分は間違った事はしていないと改めてカズを抱き締めた。
「大丈夫、私はカズの傍に居る、安心していいからな」
そんな私の言葉に「うん」と、はにかむ様に頷くカズは今まで相当心細かったのだろう。その心細さに気付いてやれていなかった自分はパートナーとして失格だ。自分の事だけで手一杯だなんて、これから家族を背負って立とうというのにそれでは駄目だと猛烈に反省した。
オーランドルフという家名が付随しない自分に価値などないと思い生きてきた、それほどまでにライザックにはその家名は重くのしかかり自分を縛っていたのだと改めて実感する。そして、そんな家名の呪縛から解き放ってくれたカズにライザックは改めて感謝と愛情を持ち、平穏にこの先も二人で――否、腹の子も含めて三人で生活できると信じて疑ってもいなかったのだ。
カズはそれまで何も言わなかった。屋敷を飛び出しそれぞれ身ひとつで生活する事を強いられても愚痴のひとつも零さないカズ、愛おしそうに日々大きくなる腹を撫でライザックの横で笑っていた、なのにある日突然カズは子供を産むのが怖いと泣き出した。
よくよく話を聞いてみれば誰かに何かを言われたようで、その暴言に心当たりがあり過ぎるライザックはカズを抱き締めた。家を出てからもライザックはたびたびオーランドルフの家に顔を出し母ハロルドの説得には努めていた、名門オーランドルフというその名前を完全に捨ててしまえと言っている訳ではない、ただ少し身の丈に合った生活をしようと言っているだけなのだが母は決して首を縦にはふらない。
「必要ありません、私達に庶民の生活など出来ようはずもない。オーランドルフ家は貴族なのですよ? ライザック、貴方の方こそ考えを改めるべきです」そう言って譲る気のない母にこの人は全く現実が見えていないのだと溜息しか出てこない。
自分が家を飛び出した現在いよいよもってオーランドルフ家の家計は火の車、使用人に払う給金などありもしないのにカズの代わりにまた一人、人を雇ったと聞いた時には頭を抱えた。自分の給金は決して少なくはない、この年齢の割には稼いでいる方であると分かっている。それもまたオーランドルフという名のもとに周りが自分を引き立ててくれたお陰だという事も分かっている、だからこそ余計に自分はそのオーランドルフの名に恥じない人間でいなければならないと身を引き締め生活してきたし、それは現在も変わりはしないが、それでもあの大きなお屋敷を維持する費用には足りないのだ。
「ハロルド様の事はこちらで何とか致します」
従兄弟であるミレニアはそう言って自分達を家から送り出してくれたが、そんなミレニア自身も言ってはなんだが箱入りで、そんな事を言われても不安しかない。実際問題ミレニアが自分の貯金を切り崩している事もなんとなく察している自分はミレニアに金を押し付ける。母に渡そうものならあっという間に消えてなくなる端金だろうがミレニアならばなんとかやりくりしてくれると信じている。
本来ならば実子である自分が何とかしなければならない事は分かっている、けれど今の自分には母よりも妻であるカズが大事で、間もなく生まれる我が子の方が母より余程大事だったのでひとまず面倒ごとは全て脇によけた。だが、ここに来て我が子を妊娠しているカズが「子を産むのが怖い」などと弱音を吐くようになるとは思わなかった。この世界、子を産むのは本人の自由意志だ。好いた相手の子を産みたいのか産んで欲しいのか、そこは本人達の自由意思で決定され、そこの折り合いがつかないとお互い好意を持っていても婚姻にまで結びつかない場合もある。
カズは最初から私を抱きたいとは言わなかったし、自身の妊娠もわりとすんなりと受け入れて妊夫生活をのんびりと過ごしているように見えた、なのに今になって何故突然「怖い」などと言い出したのか私には分からない。誰に何を言われたのか、カズは多くを語らずにただ泣き続ける。私はそれにどうしていいのかと途方に暮れていた。
「それ、完全にマタニティ・ブルーだな」
「マタニティ・ブルー……」
同僚に相談したらそんな返答をされて動揺する。これはそんなに唐突に現れる症状なのだろうかと首を傾げたら同僚はけらけらと笑った。
「子供はやればできるもんだ、最初は嬉しくてそわそわして早く生まれてこいと思っても腹が膨れて自分の身体が変化していくと急に不安になる事もある。自分もそうだった」
と、そう言って同僚は笑う。そんな同僚のパートナーは現在産休を取っている、第一子は彼が産み、第二子はお前が産めとそういう約束をして彼等は結婚したのだと聞いている。
「色々な兼ね合いで不安定になる時期なんじゃないか? うちも今は少し神経質になっている。自分が経験している事だから、何がどう辛いかは分かるつもりでいるけれど、それでも体調の変化までは変わってやる事もできないし、今の時期は寄り添ってやる事しかできないんじゃないか?」
確かに同僚の言う通り、今自分にできる事と言ったら傍に居てカズの心を軽くしてやることくらい。
「ライザック、お前今までずっと馬車馬みたいに働いて、ろくろく休暇も取った事ないんだろう? 少し仕事は休んで相手に付いていてやったらどうだ? まぁ、うちの場合それをやったら遊んでないで働いて来い! って家を蹴りだされるだろうけどな」
屈託なく笑う同僚、傍にいてやる事でカズが安心できるのであればそれに越したことはない。確かに金を稼がねば生活もままならないが、多少の蓄えはまだ残っている。同僚の伴侶のように蹴りだされるのならそれでもいい、それだけ元気ならその方がむしろ安心だ。
時はもう臨月、腹の子はいつ生まれても不思議ではない。ライザックは意を決してしばらくの間カズと共に過ごす事を決めた。なにせ出会ってすぐに恋仲になったものの、ろくろく交流を深める間もなく子供が出来てしまい、しかも我が家の事情でごたごたとしていたせいもあって自分はまだカズの事を完全に理解はしきれていない。カズが何処の誰かも未だ自分は把握していないのだ、自分達にはまだお互いへの理解が足りていないのだと思う。だからこそカズは今まで不安を胸に抱えていても自分に打ち明ける事が出来なかったのだとライザックは後悔しきりで、今は彼に寄り添おうと心に決めた。
自分が仕事を休んで傍に居るとカズは少し不思議そうな表情をして見せたが、服の端をきゅっと掴んで「ありがとう」と呟くその姿がいじらしく、とても可愛いらしくて、自分は間違った事はしていないと改めてカズを抱き締めた。
「大丈夫、私はカズの傍に居る、安心していいからな」
そんな私の言葉に「うん」と、はにかむ様に頷くカズは今まで相当心細かったのだろう。その心細さに気付いてやれていなかった自分はパートナーとして失格だ。自分の事だけで手一杯だなんて、これから家族を背負って立とうというのにそれでは駄目だと猛烈に反省した。
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