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32 疑惑の領主館

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 朝一で届けられた謁見の申し込みは、領主館からの迎えの馬車が到着するという、怒濤のいきおいで成立した。リオは隊員の館へ置いて行く予定だったが、本人が「一緒に行く」と、俺のマントの端を掴んで離さない。
 可愛いおねだりに、逆らえるわけはなく――ガラナミア伯爵との謁見に同席できなかった場合を考えて、現隊長も護衛として同行してくれることになった。

「はぁ~、俺たちの元隊長が、リオにこんなに骨抜きにされているとは……」

 元部下の、冷たい視線に文句を言う。

「気安くリオの名前を呼ぶな!」
「ああ、やだ、やだ! 三十路越してる男の嫉妬なんて、見苦しいですよ」
「ふん、リオが俺に甘えるのが、うらやましいんだろ」

 図星だったのだろう、元部下は黙りこんだ。リオは可愛いものな、しかたがないことだ。無表情になった彼を見ながら、おまえの気持ちはわかるぞ!……と、うなずいてやる。彼の目が、可哀想な子を見る目に変わる――解せぬ。
 リオは馬車の窓から見える街並に夢中で、男ふたりの口論には、気づいていないようだった。

 領主館に到着すると、門前にガラナミア伯爵と伯爵夫人まで、出迎えに出てきていた。

「まぁ、リオ様! ロズベルト様、リオ様になんて格好させているのですか!」

 馬車から、抱き降ろしたリオを見たとたん、夫人が悲鳴をあげた。リオは、王都から着てきた外出用のワンピースドレスが埃まみれになっていたため、俺の麻の長袖シャツを着て、皮のコルセットでだぼつきを押さえている。少し胸が強調されすぎていることが不満だが、シャツの裾がコルセットの下からスカートみたいに広がり、可愛らしい。さらにズボンの裾を切って履いていた。――うん。凶悪なまでに、可愛い。

「ああ! 本当にもぅ~! これだから殿方は! リオ様に着替えを、なにか軽食も用意させますわね。こんなにお痩せになってしまって」

 俺から強引に離されそうになったリオは、俺の背中にぎゅっと、抱きつき、夫人からかくれる。

「リオ様?」
「伯爵夫人、無礼をお許しください。リオは、神殿で過酷な体験をし、心が幼子に戻っています。どうか、ご容赦を」
「――なんて、こと……」

 伯爵夫人は、リオの目線にあわせて膝を折る。

「リオ様、わたくしと一緒に、おいしいお菓子を選んでいただけませんか? あとでロズベルト様たちにもお出しする予定のものですから、とびきり美味しいものを選びたいのです」

 俺の後ろから顔を出したリオは、夫人をじっと見つめ、コクンとうなずいた。そのままさしだされた夫人の手を取り、にっこり微笑む。

「先生、一緒に選びましょ」

 リオにとって伯爵夫人は、行儀作法を教えてくれた先生なのだろう――リオが夫人に連れられて伯爵邸に入っていく。俺たちはガラナミア伯爵について同じ敷地内にある領主館へ向かった。

「それでセフィロース卿からの書簡の内容は? 『順応の義』は?」

 ガラナミア伯爵の執務室に通されるなり、質問の嵐だ。その顔色は悪く、心労の色が濃い。セフィロース卿からの書簡はラキアを素通りして、王都へ運ばれた。使者はラキアで馬を乗りかえ、そのまま国王陛下のもとへ走ったため、内容のわからないガラナミア伯爵は、さぞかし気を揉んでいたことだろう。

 セフィロース卿からの書簡――『聖者の手記』から導きだされた結論は、怪我の治療のため『順応の義』の前に治癒魔法にふれたことが、結果として『順応の義』の失敗につながる原因になったらしいこと。
 リオがファリアーナ神の信仰を受けいれれば『順応の義』の成功に繋がるだろうこと。しかし、その希望は、神殿内部の一部の者が、「聖女になれなかった役立たずの異邦者」と呼びリオを虐待し、リオの心を壊してしまっていたため難しいこと。
 神の代弁者である神殿関係者からの暴行は、リオにファリアーナ神への不信感をつのらせ、ファリアーナ神を拒絶するにいたったこと。
 聖女は失われたと判断した、国王陛下の決断を報告する。

 ガラナミア伯爵の顔色は、青をとおりこして、白くなっている。俺が爵位を返上し、リオだけの護衛騎士になり、一緒に市井にくだること陛下に許可していただいた件を話すと、悲鳴をあげた。

「ダメだ! ダメだ! シャルナの軍神が、ラキアからいなくなってしまうのはダメだ!」
「陛下の許可はおりています。それに、このラキアの守りは、私が心血注いで鍛えあげた西翼城壁部隊がいます。彼が新しい隊長です。どうぞ新生、西翼城壁部隊と正式な契約を交わしてください」
「ああ、そうだ! 西翼城壁部隊は、ロズベルトと一緒にでていかないのか? これからもラキアを守ってくれるのか?」

 伯爵が大慌ててで、執務室の書類棚のなかから『約定の証書』を引っぱりだし、ザッと目をとおすと署名した。

「約束していた『約定の証書』だ。正式な西翼城壁部隊の雇用条件を記載してある。これで部隊は、部隊だけでもラキアを出ていかないでほしい」

 西翼城壁部隊の騎士たちは、全員このラキア出身の平民だ。彼らがラキアを守ることは、市井に住む自分の家族を守るのと同義。俺だけが王都から派遣されてきた隊長で、部下のひとりもいなかったため、街の自警団をまとめあげ、西翼城壁部隊としたというのに……領主までも、俺つきの部隊と勘違いしていたのか? または平民の部隊に興味がなかったか……いずれにせよ、これでラキアに残る憂いのひとつは解決した。

 あとは、薬師ばぁの件。

「部隊所属の薬師を呼ばれたと聞きましたが?」
「あ、あの薬師は……その、薬師には聞きたいことがあって……」
「聖女様の治療の件ですか?」
「そう! そうなんだ! ただ、なにも知らないというから帰した……城内防衛部隊に送らせたんだ。問題などない」

 城内防衛部隊か……貴族の子弟中心の城内の警備隊。彼らは、平民出身の西翼城壁部隊を目の敵にしている。西翼城壁部隊つきの薬師に乱暴なことをしていないとよいが……

「リオ様が会いたがっておられるのです。送らせたという城内防衛部隊の騎士に話を聞いても?」
「か、かまわない。ただ、当時の騎士は休暇中だから、直接はなにも聞けないと思うぞ」

 怪しいな……でも、これ以上聞きだすのは無理か。ちらりと、現隊長に視線を投げる。彼はすくっと立ちあがり、ガラナミア伯爵に礼をとった。

「領主様、『約定の証書』感謝します。西翼城壁部隊はラキアのため、これからも誠心誠意つくす所存です」
「ああ、よろしく頼むよ」
「では、自分はこれで失礼いたします」

 彼は『約定の証書』を持ち、執務室をあとにした。さて、俺は伯爵の気をそらしとくか。

「報告も終わりましたので、リオ様と合流したいのですが?」
「ああ……そうだな。昼食を用意させるから、一緒にどうだ?」
「ありがたく、いただきます」

 了承した俺を嬉しそうに見つめ、ガラナミア伯爵は伯爵邸へ俺を誘う。その頭のなかは、シノアの魔獣がでたときに、俺の協力をどう得られるか? その打算でいっぱいだろう……

 このあと、伯爵夫人の手によって、若草色のドレスをまとい、薄化粧をほどこされたリオと合流した。その可憐な姿を褒めるよりも先に、リオの手から、甘い焼き菓子を次々口にほおりこまれることになる。

 「アランのために選んだの。食べて」と、微笑まれて、拒絶できる男はいないだろう――正直、味はさっぱり記憶に残っていない。ときどきリオの指を、ちゅるりっと舐めた、その甘美な感覚が舌に残っているだけだった。

 リオと合流したことで、昼食の席でガラナミア伯爵が願いでた『シノアの魔獣討伐への協力』は、うやむやに立ち消えた。

 ――その夜、薬師ばぁは、西翼城壁部隊の騎士の手によって助けだされ、隊員の館へ戻ってきた……
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