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噂
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その日のカレーは味がわからなかった。
炒められたタマネギが口の中に入るたびに妹がこれを万引きしていたときの光景がよみがえってくる。
思わず吐き出してしまいそうになり、急いで飲み込む。
「どう? おいしいでしょう? 隠し味はチョコレートなんだよ」
妹は自信満々に聞いてくる。
「う、うん。おいしいよ。料理上手になったね」
リナはぎこちなく笑って答える。
母親はまだ帰ってきていないから、今リナは母親代わりだ。
もっとも、本当の母親なら自分の娘が万引きしているのを目撃したときに注意しているかもしれない。
そんな勇気は今のリナにはまだなかった。
「ごちそうさま」
リナは丁寧に手をあわせて席を立った。
食べた後の片付けはリナの仕事だ。
シンクに向かって立っていると、妹と弟がキレイに平らげた空のお皿を持ってきた。
その後、妹が弟にテレビを見る前にお風呂に入るように促している。
弟は1度テレビを見始めたらずっと張り付いて離れないからだ。
弟はぶーぶー文句を言いながらも妹の言うことをちゃんと聞いている。
本当に、この家に妹がいなかったらもっとてんてこ舞いになっていたはずだ。
それがわかっているからこそ、リナは今日見てしまったことを妹に問いただすことができなかった。
考え事をしていたら手元が狂った。
泡だったグラスが音を立てて床に落ちる。
ハッとして視線を向けると幸い割れてはいない。
「お姉ちゃん大丈夫?」
グラスに手を伸ばしているとすぐに妹がかけつけてきて、リナは一瞬動きを止めた。
「うん。大丈夫」
笑顔を向けて返事をする。
本当は家では素のままでいたいのに、リナのその笑顔は作られたものになってしまったのだった。
☆☆☆
翌日も妹の様子はいつもどおりだった。
母親へ向けている笑顔も見慣れたもので変わりがない。
だからこそリナは恐ろしさを感じていた。
家族の前で普段どおり振舞うことができるくらいに、妹はもう何度も万引きを繰り返してきたに違いない。
重たい気持ちを引きずりながらリナは家を出た。
今日はいつものように姿身で念入りに自分の姿を確認することもなかった。
頭の中は妹のことで一杯で他のことが考えられない。
こんなことではダメだと思うが、ではどうすればいいのだろう?
このまま何も見なかったことにして忘れる?
そんなことをすれば妹はまた万引きをするだろう。
そして捕まったりしたらどうなる?
毎日懸命に働いている母親を傷つけることになってしまう。
いくら考えてもリナには解決策を見出すことできなかった。
ぼーっとしている間にまた学校に到着してしまった。
リナは慌てて手鏡を取り出して自分の顔を確認する。
少なくてもみんなを心配させるような顔はしちゃいけないと自分に言い聞かせて、教室へと向かう。
2年B組の教室へ入るといつものように数人の友人たちに取り囲まれた。
「リナちゃん仮面の噂って知ってる?」
席へ向かう途中、1人がそんな質問をしてきた。
「仮面?」
リナは首をかしげて聞き返す。
「そう! この学校の七不思議でね、放課後1人で屋上へ向かうと仮面が落ちているんだって! その仮面をつけると自分が一番なりたい犯罪のプロになれるっていう噂!」
クラスメートはオーバーな身振り手振りでリナに仮面の噂話を伝える。
リナはそれに耳を傾けながら自分の席に座った。
子供だましの噂話だ。
内心そう思ったが、目を輝かせて興味のあるフリをしてみせる。
「なにそれ。犯罪のプロ?」
「そうだよ。だけど仮面は本当に必要な人の前にしか現れないんだって!」
リナが興味を示したと思い、そのクラスメートの声は更に大きくなっていく。
「そんな仮面があったら怖いね。どんな人でも犯罪者になっちゃうってことでしょう?」
「だよねぇ! 実は私何度か放課後の屋上に行ったことがあるんだよね」
途端に声のトーンを落とす。
その表情はやけに真剣だ。
リナは内心冷めた気持ちでクラスメートを見つめた。
そんな噂を信じて放課後の屋上まで行ってしまうなんてどうかしているとしか思えない。
「でもダメだった」
「仮面はなかったの?」
「そうじゃなくて、そもそも屋上へ出る鍵は閉められているから、出られなかったんだよね」
心底落ち込んでいる様子で肩を落とす。
リナはそんなクラスメートを見て呆れたため息が出そうになってしまった。
屋上への鍵がかけられているなんてわかりきったことだ。
「そっか、残念だったね」
「ね、本当だよぉ」
自分はそこまでしてどんな犯罪者になりたかったの?
リナはその質問をグッと喉の奥に押し込めたのだった。
☆☆☆
「リナちゃん! 今日一緒にカラオケ行かない?」
放課後になり友人数人から誘いを受けたリナは今日が金曜日だと思い出した。
金曜日の放課後はみんな遊びたいようでよくリナに誘いをかけてくる。
リナも土曜日がイベントなどでなければ誘いに乗ることが多かった。
カラオケなら歌の練習にもなる。
そう思って誘いを受けようとしたとき、不意に今朝聞いた仮面の噂について思い出していた。
1人で放課後の屋上に向かうと、必要な人の前に仮面が落ちている。
その仮面をつけると犯罪のプロになれるという。
もしも自分が犯罪者になるとすると、なにになるだろう?
考えて、すぐに思い当たったのは妹の万引きの姿だった。
自分が万引きのプロになることができれば、もう妹にあんなことをさせなくても済む。
お金だって必要なくなる。
そう思うと途端に万引きという犯罪がとても魅力的なものに感じられてきた。
もちろん、悪いことだという認識もあるが、それ以上に家族の支えになるのではないかと思ってしまった。
「ごめん。今日はちょっと用事があるの。また今度誘ってくれる?」
リナは顔の前で両手をパンッと合わせて謝罪した。
「そっかぁ、それなら仕方ないね。また今度遊ぼうね!」
友人たちはリナに手を振り、教室を出て行く。
リナも友人たちに手を振り替えし、教室に誰もいなくなるのを待った。
そしてカバンを片手に持ち階段を上がり始める。
もうほとんどの生徒が帰宅したり部活動へ向かったようで、廊下や階段に生徒の姿は見られなかった。
自分の足音だけが聞こえてくる階段を登りきると屋上へと続く灰色のドアが見える。
どうせ鍵がかかっているはずだ。
そうわかっていながたも、どこかで期待しながらドアノブに手をかけた。
そしてそれをまわして見ると、ドアは予想に反してすんなりと開いてしまった。
リナは目を見開き、ドアノブを握り締めたままその場に立ち尽くしてしまった。
「開いちゃった……」
まさかドアが開くとは思っていなかったので混乱し、つい後方を確認したりする。
しかしそこには誰の姿もない。
リナはゴクリと唾を飲み込んで視線を戻し、屋上へと一歩踏み出した。
空は晴れ渡っていて、心地よい風が吹いている。
灰色のコンクリートとはげてきた白いフェンスに囲まれた屋上に人影はなかった。
先生や事務員さんがいるのかと思ったが、どうやらそれも違ったみたいだ。
不安を感じながら屋上を見回したとき、太陽光を跳ね返しているものがあることに気がついた。
それは眩しく輝いていて、リナを目を細めながら近づいていく。
「これ……仮面?」
近づくとそれが真っ白な仮面であることがわかった。
なんの絵も描かれていない、ただ真っ暗な穴が3つ空いているだけのものだ。
まさかこれが噂の仮面?
リナは眉間にシワを寄せ、仮面を手にとってまじまじと見つめた。
なんの変哲のない仮面だ。
これをつけて犯罪者になれるなんてきっと誰も信じないくらいにシンプルだ。
噂の仮面というのだからもっとおどろおどろしいものを想像していたリナは拍子抜けしてしまいそうだった。
とはいっても、これが本当に噂の仮面なのかどうかはわからない。
まずは使ってみないと。
そう考えたリナはなんの躊躇もなくその仮面を自分の顔に押し当てた。
仮面の表面はツルリとしていて心地よく、肌触りがいい。
肌に直接吸い付いてくるような感覚があり、リナは両手をそっと仮面から離した。
仮面は下に落下することなく、リナの顔に張り付いている。
一瞬恐怖心を感じたが、リナが仮面を外すより先に足が動いていた。
「え、なに!?」
突然動き出した自分の足に混乱する声が漏れる。
しかし、その声はリナの心の中だけで発せられたもので、実際には少しも声を出してはいなかった。
リナの足はリナの意思に関係なく2年B組の教室へと向かう。
誰もいなくなった教室へ足を踏み入れると、クルミの机の前で立ち止まった。
すると今度は素早く右手が動いていた。
クルミの椅子をどかせると机の中に手を差し入れる。
そして一本の万年筆を掴んで出てきた。
万年筆を持った右手はそれをリナのカバンの中に滑り込ませる。
そしてリナは何事もなかったかのように教室を出て行ったのだった。
すべての動作に無駄がなかった。
リナはなにひとつ自分で考えることもなく、最初の盗みが終わっていたのだった。
☆☆☆
帰宅してからリナは呆然と万年筆を見つめていた。
黒い万年筆の横にはブランドのロゴが書かれていて、それは誰でも知っているような有名なものだった。
もちろんリナがそのブランド品を持ったことなど1度もない。
この万年筆ひとつで数万円はすることだろう。
「お姉ちゃんなにしてるの?」
ふいに後ろから声をかけられて、リナは慌てて万年筆をスカートのポケットに隠した。
振り向くと宿題を終えた弟が退屈そうな目をこちらへ向けている。
「なんでもないよ。宿題は終わったの?」
「終わったよ。一緒に遊ぼうよ!」
今日は弟も友達との約束がないようだ。
『いいよ』と返事をしかけてリナは自分の学生カバンを見下ろした。
カバンの中にはあの仮面が入っている。
もっとちゃんと、仮面の効果を確認しに行きたいと言う気持ちが強かった。
「ごめん。今日はこれから少し用事があるの。テレビを見ていていいから」
「なんだぁ、つまんないの」
弟はリナと遊べないことに唇を尖らせるが、大人しくテレビの前に座ってくれた。
ちょうどアニメ番組が放送されていてすぐにかじりつくように見始める。
リナは弟の様子を確認して、手早く着替えをした。
いつもみたいなオシャレな服じゃなく、少し地味で目立たないものを選んだ。
それから大きめのマスクをつけてできるだけ顔をかくした。
これで準備万端だ。
あとは家から出て仮面をつけるだけ。
片手に仮面を持って自分の部屋を出たとき、「僕これがほしい!」と、弟に大きな声で呼び止められた。
リナはビクリと体を震わせて立ち止まり、体の後ろで仮面を隠した。
見るとテレビ画面には人気アニメのロボットのおもちゃが映し出されている。
「これね、あっくんもりょうくんも持ってるんだよ!」
弟はテレビを見てはしゃぎながら言う。
「そうなんだ。みんな持ってるんだね」
「そうだよ! 持ってないの、僕だけなんだ」
途端に弟の声のトーンが下がる。
肩を落としてうなだれているのがわかって、リナの胸が痛んだ。
弟や妹には他の子たちと同じような生活をさせてやりたい。
でも、現状ではそれが難しかった。
家族4人で食いつないでいくのがやっと。
高価なおもちゃなんて、なかなか買うことができない。
リナは自分の手に持っている仮面へ視線を落とした。
でも、これがあれば……。
リナはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込むと、「わかった、お姉ちゃんが買ってきてあげる」と、約束をしたのだった。
☆☆☆
急遽おもちゃ売り場へ向かうことになったリナは自転車で少し離れたデパートへ向かうことにした。
そこには沢山の店舗が入っていて、弟がほしがっているおもちゃもきっと売っている。
10分ほど自転車を走らせて到着したデパートは金曜の夕方ということでお客さんの数も多かった。
並べられている商品を何気なく見ながら2階のおもちゃ売り場へと足を進める。
さすがに、おもちゃ売り場となると少し客足は少なくなっていた。
クリスマスなどでは大賑わいな売り場でも、平日ではこんなものだ。
親子のお客さんがポロポロといる店内を見て回っていると、弟が好きなロボットアニメのコーナーが設けられていた。
さすが人気アニメのようでグッズは沢山でている。
その中でひときわ目立っているのが、さっきテレビで見たばかりのあのおもちゃだ。
ためしに金額を確認してみると3000円する。
3000円あれば家族全員分の1日分の食費になる。
咄嗟にそんな計算をしてしまう自分に少しだけ悲しくなった。
でも、もうそんな計算だっていらなくなるんだ。
リナは覚悟を決めて最寄の女子トイレへと向かった。
トイレの中には幸いお客さんの姿はない。
リナは念のために個室に入ってからバッグの中の仮面を取り出した。
今盗もうとしているのは万年筆よりもずっと大きなものだ。
しかも店員やお客さんの視線もある。
そんな中で本当に盗むの?
自分自身に質問するが、答えはすでに決まっていた。
弟にあんな返事をしてしまってから、リナのやることはひとつしかなかったのだ。
リナはマスクを取ってバッグにしまうと、白い仮面をそっと自分の顔に近づけていく。
肌に当たる瞬間少しだけヒヤリとした冷たさを感じたが、すぐに吸い付いてきた。
仮面はリナの顔にピッタリと密着している。
もう両手を離しても大丈夫だった。
そしてリナの足は今日の放課後と同じように、リナの意志には関係なく動きだ明日のだった……。
☆☆☆
仮面をつけているリナの姿を見れば、きっと誰かが不振に感じるだろう。
けれどおもちゃを盗み終えたとき、そんな懸念もすでに吹き飛んでいた。
リナの動きは素早く、そして的確だった。
誰にもいないタイミングで売り場へ向かい、目的のものを躊躇なくバッグに入れる。
これが仮面をつけていないリナ自身だったら、とてもできなかったことだ。
お目当ての商品をもらったリナはその足で薬局の化粧品売り場へと向かった。
うつむいて足早に進んでいるものの、驚くほどにみんながリナを見ようとしない。
まるで自分が透明人間にでもなってしまったような感覚に陥る。
化粧品売り場に到着すると、リナの手はリップクリームへ手を伸ばしていた。
ピンク色のリップクリームは妹がほしがっていたものだ。
ほっておけばきっとまた万引きをしてしまう。
その前にリナが妹へプレゼントをしてあげるのだ。
そうすれば、もう妹の手を汚す必要はない。
次にバッグなどが売られている雑貨店へ向かうと、店頭に並んでいるネックレスを掴んでポケットに入れた。
弟へのお土産だけじゃダメだ。
妹も、母親もあんなに頑張って生活をしている。
そんな2人へも感謝の気持ちを伝えたかった。
「あぁ……っ」
デパートを出て近くの公園に入り、仮面を脱ぐとリナは思わず大きな声を上げた。
仮面をつけているときはまるで自分が自分じゃないような気分だった。
仮面の動きに身を任せていれば絶対に失敗することもない。
リナの持ってきたバッグの中は商品でパンパンに膨れ上がっていたが、どれひとつとして万引きしたことがバレてはいなかった。
絶対に無理だと思っていたものまで簡単に盗んでくることができてしまった。
リナの顔に満面の笑みが浮かぶ。
この力さえあれば、もうクルミにバカにされることもなくなる。
家計だって裕福になる。
どんどん盗みになれて行けば、現金を盗むこともできるようになるかもしれないのだ。
リナは輝く瞳で仮面を見つめた。
これは神様が私にくれたプレゼントに違いない!
「ふふっ」
自然と笑みがこぼれてくる。
そうだ。
これはお店だけじゃなくて、個人の家でだってきっと使える力だ。
教室でクルミの万年筆を盗んだときのように、個人の家に侵入して盗んでくればいい。
そっちのほうがずっとリスクが低いように感じられた。
「クルミの家はお金持ちよね……?」
リナはいつも嫌味を投げかけてくるクルミの顔を思い出し、呟く。
少しくらい家の中のものを盗んだって破産するわけじゃない。
それに比べてリナは体操着袋を買うお金も渋らないといけない生活だ。
こんな格差、許されるはずがない。
人間みんな平等にならなきゃ、ね?
リナは不適な笑みを浮かべ、それを大きなマスクで覆い隠したのだった。
炒められたタマネギが口の中に入るたびに妹がこれを万引きしていたときの光景がよみがえってくる。
思わず吐き出してしまいそうになり、急いで飲み込む。
「どう? おいしいでしょう? 隠し味はチョコレートなんだよ」
妹は自信満々に聞いてくる。
「う、うん。おいしいよ。料理上手になったね」
リナはぎこちなく笑って答える。
母親はまだ帰ってきていないから、今リナは母親代わりだ。
もっとも、本当の母親なら自分の娘が万引きしているのを目撃したときに注意しているかもしれない。
そんな勇気は今のリナにはまだなかった。
「ごちそうさま」
リナは丁寧に手をあわせて席を立った。
食べた後の片付けはリナの仕事だ。
シンクに向かって立っていると、妹と弟がキレイに平らげた空のお皿を持ってきた。
その後、妹が弟にテレビを見る前にお風呂に入るように促している。
弟は1度テレビを見始めたらずっと張り付いて離れないからだ。
弟はぶーぶー文句を言いながらも妹の言うことをちゃんと聞いている。
本当に、この家に妹がいなかったらもっとてんてこ舞いになっていたはずだ。
それがわかっているからこそ、リナは今日見てしまったことを妹に問いただすことができなかった。
考え事をしていたら手元が狂った。
泡だったグラスが音を立てて床に落ちる。
ハッとして視線を向けると幸い割れてはいない。
「お姉ちゃん大丈夫?」
グラスに手を伸ばしているとすぐに妹がかけつけてきて、リナは一瞬動きを止めた。
「うん。大丈夫」
笑顔を向けて返事をする。
本当は家では素のままでいたいのに、リナのその笑顔は作られたものになってしまったのだった。
☆☆☆
翌日も妹の様子はいつもどおりだった。
母親へ向けている笑顔も見慣れたもので変わりがない。
だからこそリナは恐ろしさを感じていた。
家族の前で普段どおり振舞うことができるくらいに、妹はもう何度も万引きを繰り返してきたに違いない。
重たい気持ちを引きずりながらリナは家を出た。
今日はいつものように姿身で念入りに自分の姿を確認することもなかった。
頭の中は妹のことで一杯で他のことが考えられない。
こんなことではダメだと思うが、ではどうすればいいのだろう?
このまま何も見なかったことにして忘れる?
そんなことをすれば妹はまた万引きをするだろう。
そして捕まったりしたらどうなる?
毎日懸命に働いている母親を傷つけることになってしまう。
いくら考えてもリナには解決策を見出すことできなかった。
ぼーっとしている間にまた学校に到着してしまった。
リナは慌てて手鏡を取り出して自分の顔を確認する。
少なくてもみんなを心配させるような顔はしちゃいけないと自分に言い聞かせて、教室へと向かう。
2年B組の教室へ入るといつものように数人の友人たちに取り囲まれた。
「リナちゃん仮面の噂って知ってる?」
席へ向かう途中、1人がそんな質問をしてきた。
「仮面?」
リナは首をかしげて聞き返す。
「そう! この学校の七不思議でね、放課後1人で屋上へ向かうと仮面が落ちているんだって! その仮面をつけると自分が一番なりたい犯罪のプロになれるっていう噂!」
クラスメートはオーバーな身振り手振りでリナに仮面の噂話を伝える。
リナはそれに耳を傾けながら自分の席に座った。
子供だましの噂話だ。
内心そう思ったが、目を輝かせて興味のあるフリをしてみせる。
「なにそれ。犯罪のプロ?」
「そうだよ。だけど仮面は本当に必要な人の前にしか現れないんだって!」
リナが興味を示したと思い、そのクラスメートの声は更に大きくなっていく。
「そんな仮面があったら怖いね。どんな人でも犯罪者になっちゃうってことでしょう?」
「だよねぇ! 実は私何度か放課後の屋上に行ったことがあるんだよね」
途端に声のトーンを落とす。
その表情はやけに真剣だ。
リナは内心冷めた気持ちでクラスメートを見つめた。
そんな噂を信じて放課後の屋上まで行ってしまうなんてどうかしているとしか思えない。
「でもダメだった」
「仮面はなかったの?」
「そうじゃなくて、そもそも屋上へ出る鍵は閉められているから、出られなかったんだよね」
心底落ち込んでいる様子で肩を落とす。
リナはそんなクラスメートを見て呆れたため息が出そうになってしまった。
屋上への鍵がかけられているなんてわかりきったことだ。
「そっか、残念だったね」
「ね、本当だよぉ」
自分はそこまでしてどんな犯罪者になりたかったの?
リナはその質問をグッと喉の奥に押し込めたのだった。
☆☆☆
「リナちゃん! 今日一緒にカラオケ行かない?」
放課後になり友人数人から誘いを受けたリナは今日が金曜日だと思い出した。
金曜日の放課後はみんな遊びたいようでよくリナに誘いをかけてくる。
リナも土曜日がイベントなどでなければ誘いに乗ることが多かった。
カラオケなら歌の練習にもなる。
そう思って誘いを受けようとしたとき、不意に今朝聞いた仮面の噂について思い出していた。
1人で放課後の屋上に向かうと、必要な人の前に仮面が落ちている。
その仮面をつけると犯罪のプロになれるという。
もしも自分が犯罪者になるとすると、なにになるだろう?
考えて、すぐに思い当たったのは妹の万引きの姿だった。
自分が万引きのプロになることができれば、もう妹にあんなことをさせなくても済む。
お金だって必要なくなる。
そう思うと途端に万引きという犯罪がとても魅力的なものに感じられてきた。
もちろん、悪いことだという認識もあるが、それ以上に家族の支えになるのではないかと思ってしまった。
「ごめん。今日はちょっと用事があるの。また今度誘ってくれる?」
リナは顔の前で両手をパンッと合わせて謝罪した。
「そっかぁ、それなら仕方ないね。また今度遊ぼうね!」
友人たちはリナに手を振り、教室を出て行く。
リナも友人たちに手を振り替えし、教室に誰もいなくなるのを待った。
そしてカバンを片手に持ち階段を上がり始める。
もうほとんどの生徒が帰宅したり部活動へ向かったようで、廊下や階段に生徒の姿は見られなかった。
自分の足音だけが聞こえてくる階段を登りきると屋上へと続く灰色のドアが見える。
どうせ鍵がかかっているはずだ。
そうわかっていながたも、どこかで期待しながらドアノブに手をかけた。
そしてそれをまわして見ると、ドアは予想に反してすんなりと開いてしまった。
リナは目を見開き、ドアノブを握り締めたままその場に立ち尽くしてしまった。
「開いちゃった……」
まさかドアが開くとは思っていなかったので混乱し、つい後方を確認したりする。
しかしそこには誰の姿もない。
リナはゴクリと唾を飲み込んで視線を戻し、屋上へと一歩踏み出した。
空は晴れ渡っていて、心地よい風が吹いている。
灰色のコンクリートとはげてきた白いフェンスに囲まれた屋上に人影はなかった。
先生や事務員さんがいるのかと思ったが、どうやらそれも違ったみたいだ。
不安を感じながら屋上を見回したとき、太陽光を跳ね返しているものがあることに気がついた。
それは眩しく輝いていて、リナを目を細めながら近づいていく。
「これ……仮面?」
近づくとそれが真っ白な仮面であることがわかった。
なんの絵も描かれていない、ただ真っ暗な穴が3つ空いているだけのものだ。
まさかこれが噂の仮面?
リナは眉間にシワを寄せ、仮面を手にとってまじまじと見つめた。
なんの変哲のない仮面だ。
これをつけて犯罪者になれるなんてきっと誰も信じないくらいにシンプルだ。
噂の仮面というのだからもっとおどろおどろしいものを想像していたリナは拍子抜けしてしまいそうだった。
とはいっても、これが本当に噂の仮面なのかどうかはわからない。
まずは使ってみないと。
そう考えたリナはなんの躊躇もなくその仮面を自分の顔に押し当てた。
仮面の表面はツルリとしていて心地よく、肌触りがいい。
肌に直接吸い付いてくるような感覚があり、リナは両手をそっと仮面から離した。
仮面は下に落下することなく、リナの顔に張り付いている。
一瞬恐怖心を感じたが、リナが仮面を外すより先に足が動いていた。
「え、なに!?」
突然動き出した自分の足に混乱する声が漏れる。
しかし、その声はリナの心の中だけで発せられたもので、実際には少しも声を出してはいなかった。
リナの足はリナの意思に関係なく2年B組の教室へと向かう。
誰もいなくなった教室へ足を踏み入れると、クルミの机の前で立ち止まった。
すると今度は素早く右手が動いていた。
クルミの椅子をどかせると机の中に手を差し入れる。
そして一本の万年筆を掴んで出てきた。
万年筆を持った右手はそれをリナのカバンの中に滑り込ませる。
そしてリナは何事もなかったかのように教室を出て行ったのだった。
すべての動作に無駄がなかった。
リナはなにひとつ自分で考えることもなく、最初の盗みが終わっていたのだった。
☆☆☆
帰宅してからリナは呆然と万年筆を見つめていた。
黒い万年筆の横にはブランドのロゴが書かれていて、それは誰でも知っているような有名なものだった。
もちろんリナがそのブランド品を持ったことなど1度もない。
この万年筆ひとつで数万円はすることだろう。
「お姉ちゃんなにしてるの?」
ふいに後ろから声をかけられて、リナは慌てて万年筆をスカートのポケットに隠した。
振り向くと宿題を終えた弟が退屈そうな目をこちらへ向けている。
「なんでもないよ。宿題は終わったの?」
「終わったよ。一緒に遊ぼうよ!」
今日は弟も友達との約束がないようだ。
『いいよ』と返事をしかけてリナは自分の学生カバンを見下ろした。
カバンの中にはあの仮面が入っている。
もっとちゃんと、仮面の効果を確認しに行きたいと言う気持ちが強かった。
「ごめん。今日はこれから少し用事があるの。テレビを見ていていいから」
「なんだぁ、つまんないの」
弟はリナと遊べないことに唇を尖らせるが、大人しくテレビの前に座ってくれた。
ちょうどアニメ番組が放送されていてすぐにかじりつくように見始める。
リナは弟の様子を確認して、手早く着替えをした。
いつもみたいなオシャレな服じゃなく、少し地味で目立たないものを選んだ。
それから大きめのマスクをつけてできるだけ顔をかくした。
これで準備万端だ。
あとは家から出て仮面をつけるだけ。
片手に仮面を持って自分の部屋を出たとき、「僕これがほしい!」と、弟に大きな声で呼び止められた。
リナはビクリと体を震わせて立ち止まり、体の後ろで仮面を隠した。
見るとテレビ画面には人気アニメのロボットのおもちゃが映し出されている。
「これね、あっくんもりょうくんも持ってるんだよ!」
弟はテレビを見てはしゃぎながら言う。
「そうなんだ。みんな持ってるんだね」
「そうだよ! 持ってないの、僕だけなんだ」
途端に弟の声のトーンが下がる。
肩を落としてうなだれているのがわかって、リナの胸が痛んだ。
弟や妹には他の子たちと同じような生活をさせてやりたい。
でも、現状ではそれが難しかった。
家族4人で食いつないでいくのがやっと。
高価なおもちゃなんて、なかなか買うことができない。
リナは自分の手に持っている仮面へ視線を落とした。
でも、これがあれば……。
リナはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込むと、「わかった、お姉ちゃんが買ってきてあげる」と、約束をしたのだった。
☆☆☆
急遽おもちゃ売り場へ向かうことになったリナは自転車で少し離れたデパートへ向かうことにした。
そこには沢山の店舗が入っていて、弟がほしがっているおもちゃもきっと売っている。
10分ほど自転車を走らせて到着したデパートは金曜の夕方ということでお客さんの数も多かった。
並べられている商品を何気なく見ながら2階のおもちゃ売り場へと足を進める。
さすがに、おもちゃ売り場となると少し客足は少なくなっていた。
クリスマスなどでは大賑わいな売り場でも、平日ではこんなものだ。
親子のお客さんがポロポロといる店内を見て回っていると、弟が好きなロボットアニメのコーナーが設けられていた。
さすが人気アニメのようでグッズは沢山でている。
その中でひときわ目立っているのが、さっきテレビで見たばかりのあのおもちゃだ。
ためしに金額を確認してみると3000円する。
3000円あれば家族全員分の1日分の食費になる。
咄嗟にそんな計算をしてしまう自分に少しだけ悲しくなった。
でも、もうそんな計算だっていらなくなるんだ。
リナは覚悟を決めて最寄の女子トイレへと向かった。
トイレの中には幸いお客さんの姿はない。
リナは念のために個室に入ってからバッグの中の仮面を取り出した。
今盗もうとしているのは万年筆よりもずっと大きなものだ。
しかも店員やお客さんの視線もある。
そんな中で本当に盗むの?
自分自身に質問するが、答えはすでに決まっていた。
弟にあんな返事をしてしまってから、リナのやることはひとつしかなかったのだ。
リナはマスクを取ってバッグにしまうと、白い仮面をそっと自分の顔に近づけていく。
肌に当たる瞬間少しだけヒヤリとした冷たさを感じたが、すぐに吸い付いてきた。
仮面はリナの顔にピッタリと密着している。
もう両手を離しても大丈夫だった。
そしてリナの足は今日の放課後と同じように、リナの意志には関係なく動きだ明日のだった……。
☆☆☆
仮面をつけているリナの姿を見れば、きっと誰かが不振に感じるだろう。
けれどおもちゃを盗み終えたとき、そんな懸念もすでに吹き飛んでいた。
リナの動きは素早く、そして的確だった。
誰にもいないタイミングで売り場へ向かい、目的のものを躊躇なくバッグに入れる。
これが仮面をつけていないリナ自身だったら、とてもできなかったことだ。
お目当ての商品をもらったリナはその足で薬局の化粧品売り場へと向かった。
うつむいて足早に進んでいるものの、驚くほどにみんながリナを見ようとしない。
まるで自分が透明人間にでもなってしまったような感覚に陥る。
化粧品売り場に到着すると、リナの手はリップクリームへ手を伸ばしていた。
ピンク色のリップクリームは妹がほしがっていたものだ。
ほっておけばきっとまた万引きをしてしまう。
その前にリナが妹へプレゼントをしてあげるのだ。
そうすれば、もう妹の手を汚す必要はない。
次にバッグなどが売られている雑貨店へ向かうと、店頭に並んでいるネックレスを掴んでポケットに入れた。
弟へのお土産だけじゃダメだ。
妹も、母親もあんなに頑張って生活をしている。
そんな2人へも感謝の気持ちを伝えたかった。
「あぁ……っ」
デパートを出て近くの公園に入り、仮面を脱ぐとリナは思わず大きな声を上げた。
仮面をつけているときはまるで自分が自分じゃないような気分だった。
仮面の動きに身を任せていれば絶対に失敗することもない。
リナの持ってきたバッグの中は商品でパンパンに膨れ上がっていたが、どれひとつとして万引きしたことがバレてはいなかった。
絶対に無理だと思っていたものまで簡単に盗んでくることができてしまった。
リナの顔に満面の笑みが浮かぶ。
この力さえあれば、もうクルミにバカにされることもなくなる。
家計だって裕福になる。
どんどん盗みになれて行けば、現金を盗むこともできるようになるかもしれないのだ。
リナは輝く瞳で仮面を見つめた。
これは神様が私にくれたプレゼントに違いない!
「ふふっ」
自然と笑みがこぼれてくる。
そうだ。
これはお店だけじゃなくて、個人の家でだってきっと使える力だ。
教室でクルミの万年筆を盗んだときのように、個人の家に侵入して盗んでくればいい。
そっちのほうがずっとリスクが低いように感じられた。
「クルミの家はお金持ちよね……?」
リナはいつも嫌味を投げかけてくるクルミの顔を思い出し、呟く。
少しくらい家の中のものを盗んだって破産するわけじゃない。
それに比べてリナは体操着袋を買うお金も渋らないといけない生活だ。
こんな格差、許されるはずがない。
人間みんな平等にならなきゃ、ね?
リナは不適な笑みを浮かべ、それを大きなマスクで覆い隠したのだった。
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