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懐かしのヴィルヘルム
閑話 グロース・アルティヒ
しおりを挟む「──こちらが、本日のメイン。〝ヴィルヘルム風シュニッツェル〟でございます」
オイゲンが手に持った皿をひとりひとり、静かに丁寧に配膳していく。
楕円形の白い皿に盛られているのは、豚カツのようなもの。
その上には、白いソースのようなものがかかっていた。
「びる……」
「しゆに……つえる……?」
サキガケとカミールの二人が、その料理を見て首を傾げる。
「こちら、シュニッツェルをヴィルヘルム風にアレンジした……という意味でございます」
オイゲンは全員分の料理を配膳し終えると、料理の解説を始めた。
「あの、そもそも……しゆに……とはなんなのでござる? きつね色の衣を見るに……なにやら、豚かつのようにも見えるでござるが……」
「はい。その認識で間違いありません。要するに、ヴィルヘルム式の豚カツでございます」
「ああ、なるほど……これがびるへるむの……」
「しかし、シュニッツェルとは本来、仔牛の肉を使うもの。ですが、ヴィルヘルムでは一般的に、豚肉を使用しているのです」
「だから、びるへるむ式の豚かつなのでござるな」
「左様でございます。一般的な豚カツとは違い、肉を薄く叩き、食べやすくしておりますので、お子様やお年を召した方でも、気軽に食べられるようになっております」
「うまい……! うまい……!」
もぐもぐもぐ……!
サキガケのすぐ横。
カミールが、口いっぱいにその料理を頬張っている。
「あ、あはは……たしかに、食べやすそうでござるな……」
サキガケはそんなカミールを尻目に、ナイフとフォークとで一口サイズに切り分けると、それを口へ運んだ。
サキガケはそれをゆっくりと咀嚼すると、そのまま嚥下した。
「……めっちゃ美味しい……!」
目を見開いて、嬉しそうにオイゲンの顔を見るサキガケ。
「ありがとうございます」
「なんというか、千都の豚かつに比べてあっさりしていて、これは是非とも熱々のご飯と、味噌汁と一緒に食したいところ……なのでござるが……」
そう言いかけて、サキガケの表情が一瞬曇る。
「……如何なさいましたか?」
「おいしくないの?」
カミールがもぐもぐと口を動かしながら、サキガケに尋ねる。
「いや、間違いなく美味しいでござる。美味しいのでござるが……」
「でも、あんまりおいしくなさそうだよね」
「え? そんなことは……」
じぃ……。
カミールがサキガケのシュニッツェルをじっと見つめる。
「……いや、あげないでござるよ!?」
「ちぇ~……」
「そもそもかみぃる殿、まだ全部食べてないでござるし。どうせ欲しがるなら、全部食べてから、でござるよ」
「はーい……」
サキガケにそう諭されると、カミールはまた料理を頬張った。
「あの、サキガケさん。もしかして豚肉、苦手なんですか?」
ブリギットが口を手で覆いながら、サキガケに話しかける。
「ああ、なるほど。そういうことでしたか。誠に申し訳ございません。いますぐ、お取替えを……」
「い、いや、その必要はないでござる。拙者、豚は普通に大好きでござるし……」
「おや、左様でございますか。……では……?」
「ああ……いや、なにか、妙なことを言って申し訳ない。さっきのは忘れてほしいでござる」
「──先ほどから出ている料理が、まるで大衆食堂のよう、ですか?」
向かいにいたアクレイドが、突然、口を開く。
それを聞いたサキガケは目を見開くと、ぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そのようなことは……!」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか……」
オイゲンが納得したようにうなずく。
「え?」
「大丈夫ですよ、サキガケ様。そう思われるお客様は少なくはありません。特に、外国からお越しの方には……」
「ど、どういうことでござる……?」
「……ご存じのとおり、当店はニーベルンブルク……いえ、ヴィルヘルムでも随一の美味しさと格式を誇るレストランなのですが──」
「それ、自分で言っちゃうのでござるな……」
「当店でお出ししている料理はヴィルヘルムの伝統的な、所謂家庭料理とよばれているものが大半なのです」
「家庭料理。……なるほど、だから──」
「あ、やっぱり、そうだったんですね」
話を聞いていたブリギットが、声をあげる。
「ぶりぎっと殿も?」
「はい。……ああ、すみません。ヴィルヘルムの料理についてはあまり詳しくはないですけど、これまでに出てきた、おいものスープや、ソーセージ、きゃべつの漬物、お魚の酢漬けって、料理自体はそこまで手間じゃないんです」
「……そうなのでござるか? おいげん殿?」
「はい。ブリギット様のおっしゃる通りでございます。わたくしどもが提供する料理は、どの家庭でも手軽に作れるものがほとんどです」
「ははあ、だから拙者もここの料理を大衆食堂っぽ……じゃなくて、すごく身近に感じてしまったのでござるな」
「……でも、それは料理自体の話で、味付けや、材料にはすごくこだわってるるんですよ」
「そうなのでござる?」
「はい。たとえば、この……シュニッツェルでしたよね?」
「はい」
オイゲンがブリギットの問いに対してゆっくりとうなずく。
「出来てからすこし時間が経ってるのに、衣がぜんぜん油ぽくなくて、サクサクしてるんです。普通、高温で大量の油を使って揚げると、ちょっと時間が経っただけで、衣がしんなりしちゃうんですけど、それがない……」
「え? もしかしてこれ、出来立てじゃないのでござる?」
「……はい。口の中を火傷せぬよう、揚げてから多少の時間をいただいております」
「あ、だから、かみぃる殿がいきなり食べられたのでござるか……」
サキガケが小さい声でつぶやく。
「それと、お肉自体にも適度な下味がついてて……オイゲンさん」
「はい?」
「これ、一般的な……普通の胡椒じゃないですよね?」
「え?」
その話を聞いたサキガケが、オイゲンの顔を見る。
「……さすがでございますこちらは、昔から当店が贔屓にしている業者から仕入れたものでございます。ヴィルヘルムの料理によく合うよう、様々な品種を掛け合わせているのですよ」
「やっぱり。……胡椒の香りはあるけど、そこまで辛くないから、料理そのものの風味の邪魔をしていない。それに、この上にかかってあるソース……キノコとたまねぎを……?」
「はい。この付近で採れたニーベルンマッシュというキノコを刻み、たまねぎと生クリームと酢で和えた特性のソースでございます」
「お肉とそのふたつの食感の対比が、噛んでいてすごく楽しいです。そもそもお肉自体がさっぱりはしているんですけど、油で揚げたものだから、そこに酸味とまろやかさが加わって、食べ終わった後も嫌な後味には……って……」
ブリギットは目を丸くすると、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「ご、ごめんなさい……なんか、上から目線みたいになってしまって……」
「いえいえ、そこまで言っていただけて、うちのシェフたちも喜んでいると思います」
「ほえー……さすがぶりぎっと殿でござる。拙者、いまいち料理についてよくわからんでござるから、そこまで分析できるのは憧れるでござる……」
「ううん。すごいのは私じゃなくって、ここの料理を作ってる人たちだよ、サキガケさん」
「……ありがとうございます。ブリギット様」
オイゲンはにっこりと微笑むと、ブリギットに深々と頭を下げた。
「ブリギット様にお褒め頂いたとおり、当店では味付けや食材はこだわり抜いておりますが、それでも料理だけ見てみれば、一般家庭でも出てくるような料理ばかりなのです」
「……つまり、この国の人にとっては、ここの料理は、普段よりもすこし特別なものを提供している……ということでござるな」
「はい。……ですので、お客様の中には、もっと豪華ぽいものや、高そうなものをご所望される方がいらっしゃいますが──」
「そもそもここは、そういう店じゃない……ということだ」
料理を食べ終えたイルザードが口を開く。
「まぁ、そいつらの肩を持つわけじゃないが……ここは予約して、それなりの時間を待って、やっと食べられる店だからな。何も知らずに来れば、驚くのも無理はない。……だろう? サキガケ殿?」
「も、申し訳ないでござる。……そうとも知らずに知ったような口を……」
サキガケはナイフとフォークをテーブルに置くと、シュンと肩を落とした。
「いえいえ、お気になさらないでくださいサキガケ様。……イルザード様、本日の料理は、いかがでしたでしょうか?」
「ああ、美味かった。いまからデザートが楽しみだ」
「……本当にわかっとるのか、おまえは」
ガレイトがため息まじりにツッコミを入れる。
「ありがとうございます。……このように、わたくし共の根本にあるのは、美味しい料理を作り、それを食べたお客様に満足してもらうこと。……そして、それを、ヴィルヘルムの料理で出来るのなら、これ以上の喜びはありません」
「ヴィルヘルムの……」
「料理……でござるか」
ブリギットとサキガケが、オイゲンの言葉を口に出して反芻する。
「はい。もうお気づきとは思いますが、ヴィルヘルムの料理とは、本来、あまり豪華なものではないのです」
サキガケはなにも言わず、ただ黙ってオイゲンの顔を見る。
「我々が昔から食べてきたのは、酢漬けや塩漬けといった、保存に適したものです。近年は外国との交流も盛んになり、色々な食文化も流入し、ヴィルヘルムの料理も変わりました。……しかし、それでも、我々はヴィルヘルムの料理が劣っているなんて思ってはいません。たしかに見た目は地味で、味もシンプルなの物が多いですが、ヴィルヘルム料理には、ヴィルヘルム料理の良さがある。そのことがほんのすこしでも伝われば……と、わたくしどもは常々、そう思っているのです」
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