上 下
61 / 147
アルバイターガレイト

元最強騎士とグランティ・ベア

しおりを挟む

 こげ茶色で、たわしのように太く尖った体毛。
 そして、象のように重厚感のある巨大な熊が、サキガケに襲い掛かる。
 熊の体長は約五メートル。
 身長一五〇センチほどしかないサキガケの、およそ三倍以上はある巨大な熊だった。

 ──ブォン、ブォン!
 熊の手が素早く、何度も空を裂く。
 サキガケもそれをすんでのところで躱し、手裏剣や小刀で反撃しているが、熊には全くといっていいほど、効いている様子がない。


「……相性が悪いですね」


 遠くからその戦いを見ていたガレイトが呟く。


「相性?」


 それを聞いていたグラトニーが首を傾げる。


「はい。さきほどから行っているサキガケさんの攻撃が、あの熊には全く効いていません」

「そのようじゃな。どう見てもあの武器、対人間用じゃろうし。魔物殺しが聞いて呆れるわ」

「はい。あの熊の、強靭な体毛が、刃が皮膚に届くのを邪魔しているのでしょう。それに、たとえ届いたとしても、かすり傷程度のダメージしか与えられません。サキガケさんの体捌きや、武器の扱いは並み以上ですが……やはり、モーセさんの言っていたことが正しかったようです」

「なんか言うとったっけ?」

「『千都には魔物は出ない』これは、明らかな経験不足です。俺が見た限りですと、おそらく、実戦はこれが初めてなのではないかと」

「マジか。でも、容赦なく妾に斬りかかってきよったぞ、あやつ」

「内心ではどうだったかわかりませんよ」

「つーことは、あの時は平静を装っておったが、心臓はバクバクじゃったということか」

「はじめは誰でもそうなります」

「なるほどの。……こりゃ時間がかかりそうじゃ」

「……帰らないのですか、グラトニーさん」

「いや、あやつ、魔物殺しを名乗っておるが、まだガキじゃぞ?」

「心配だから、見に来たのですか?」

「し、心配などしとらん! ……ただ、あのまま放っておくと死ぬかもしれんし、そうなってくると妾たちも寝覚めが悪くなるじゃろ」

「おそらく、勝てないまでも命を落とすことはないと思いますよ」

「ほんまか?」

「あの身のこなしなら、問題なく追ってくる熊から逃げられるでしょう」

「そうかのぅ……」

「それになにより、あの熊はサキガケさんの獲物です」

「それはそうじゃが……」

「協力してくれと頼まれたのでしたら別ですが、サキガケさんには要らないとハッキリ言われていますので」

「う~むむむ……」


 グラトニーが自身の額を、人差し指の腹でぐりぐりと押す。


「助けに行くのですか?」

「なんでよ!? 妾、そんなお人好しに見える?」

「お人好しかどうかは置いといて、ここで貸しを作っておくのも悪くはない選択肢だと思いますよ」

「まあ、たしかに。……でも、それなら、パパがやればよかろう」

「俺は……貸し借りにあまり興味がないので」

「でも、もし協力したらあの熊、食べられるかもしれんぞ」

「……いえ、大丈夫です。熊肉にはあまり興味はないので」

「なら、その口の端の涎はなんじゃ。……というか、そもそも勝てると思っとるんか? この幼女があの化物熊に」

「そうですね。肉弾戦なら無理でしょうが、地下で俺に放ったあの黒い球を使えば、間違いなく致命傷を与えられるかと」

「いや、あれは妾の生命エネルギーを使うと言ったじゃろ! せっかく戻った魔力を、なんであの小娘の為に……」

「なら、ここにいるだけ時間の無駄では……?」

「……なんか、パパってば、冷たいときはすんごい冷たいんじゃな」

「──ゴワアアアアアアアアアアアアア……ッ!!」


 山中にひときわ大きい、熊の雄たけびが轟く。
 見ると、熊の目に魁の短刀が刺さっていた。


「おお、どうやら一矢報いてやったようじゃな……! 形勢逆転じゃ!」


 グラトニーが、まるで自分の事のようにガッツポーズをする。


「いえ、ただ片目を潰しただけです。あれでは逆に熊を怒らせてしまうだけ……」

「う、うむ。たしかに『苦しい、痛い』という感情よりも、怒りの感情のほうが高まってきて──」

「ガァアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 咆哮。
 熊の体が揺れ、サキガケの体を抱え込むようにして、その全体重をかける。
 安心してしまったのか、気を抜いてしまったのか、サキガケはそれを避けることが出来ず、そのまま押しつぶされてしまった。
 ズズゥン……!
 まるで大木が切り倒されるような音が、辺りに響き渡ると──


「チッ、あのガキ……!」


 グラトニーが舌打ちをし、一目散に熊の元へと向かっていった。


「おい! 貴様! 今すぐそこを退け! そやつは妾の獲物じゃ! おまえ如きに殺させはせぬぞ!」


 突然のグラトニーの登場に、熊もすぐさま巨体を揺らして立ち上がった。
 身長の低いサキガケよりも、さらに一回り身長の低いグラトニーと熊が対峙する。
 まさに象と蟻。
 しかし、熊はそんなグラトニーと対峙するや否や、天に向かって口を開けた。


「ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 森全体を揺らす程の、サキガケと対峙した時以上の雄たけび。
 木々は騒めき、周囲にいた鳥たちが鳴き声を上げながら、一斉にバサバサと飛び立つ。


「ほう、妾とやり合う気か」


 グラトニーはそう言うと、後方へ跳んで距離を取り、両手のひらを前へ突き出した。


「最初から全力でいかせてもらうぞ……!」


 ズズズ……!
 グラトニーの手のひらから、まるで渦潮のような黒い、魔力の奔流がほとばしる。
 やがて渦はひとつの固体を形成すると、やがて黒く、丸い塊となった。
 それが尋常ではないものだと理解したのか、熊はものすごい勢いでグラトニーに突進するが──


「遅い! くらえ! 妾、必殺の──」

「──いけません、グラトニーさん!」


 発射直前でガレイトの声が響く。


「……え?」


 ぱくん。
 グラトニーは言葉を発する間もなく、熊に丸呑みにされてしまった。


「大丈夫ですか、グラトニーさん!」

『なんで止めた!?』


 熊の口内からグラトニーの籠った声が響く。


「グラトニーさん、さきほどの黒い球、どこへ向かって放とうとしていましたか?」

『そりゃ、もちろん心臓じゃが……』

「熊は、心臓が一番美味だと聞きます。しかも、あの技はどちらかというと、くり抜く・・・・タイプの技。もしあのまま、心臓をくり抜いてしまったら……ああ、考えるだけでも勿体ない」

『結局食いたいんかい!!』

「すみません。食欲にはどうしても……」

『いや、妾の命のほうを優先しようよ……』

「グラトニーさんは不死身じゃないですか」

『痛覚と恐怖心は備わっておるがの!!』

「問題ありません。お詫びとして、いますぐこの熊を両断したすけますので」

『……は? いやいや! パパよ、なんか今、変なこと言わんかった!?』

「え? ですから、熊を一刀両断おたすけしますと」

『変なルビ振っとる!! ……ちょちょ、ちょい待つのじゃ! 両断したら妾ごとパックリいくんじゃないの!?』

「問題ありません。グラトニーさんは不死身です」

『ぶっ飛ばすぞ!?』

「覚悟の上です」

『そんな覚悟などいらん! ていうか、ようじょにぶっ飛ばされる覚悟って何?』

「グラトニーさん、妙なルビを振らないでください。混乱してしまいます」

『やかましいわ! ……そもそも両断したら、どのみち心臓も斬れちゃうんじゃないの? いいの?』

「問題ありません。くり抜いてしまったらもう食べられませんが、切ってしまってもなくならないので食べられます」

『本気で言っとる? 斬られた妾の事も考えようよ』

「問題ありま──」

『問題しかないわ! あほ! ばか! まぬけ! その包丁振ったら一生許さんからな!』

「その状態で、俺が何をしているか見えているのですか?」

『いや、パパのやることは大体わかる……って、本当に包丁取り出しとるんかい! しまえ! 今すぐ!』

「いきますよ……!」

『え? 耳ないの? 妾の声、聞こえない? マジで?』

「ア……ガ……グァ……ッ!?」


 突然、熊の動きが鈍くなる。
 熊は悲痛なうめき声をあげると、ズゥンと前のめりに地面に倒れた。

 ぶくぶくぶく……。
 倒れた熊の口から蟹のような泡とともに、グラトニーがでてくる。
 それを見たガレイトは、熊の体液にまみれて、不機嫌になっているグラトニーを助け起こした。


「これは一体……? グラトニーさん、中で何を……?」

「ぺっ、ぺっ、ぺっ。……妾は何もしとらん。急にぐらりと倒れて、口内にボコボコと泡が出てきて、一緒に洗い流されただけじゃ」


 熊は突然ビクビクと痙攣すると、そのままパタリと動くのを止めた。


「──毒にござるよ」


 地面に開いた大きなくぼみ。
 熊が最初に倒れた場所から、サキガケが這いずり出た。


「無事じゃったんか、おぬし」

「まあ、ぐらとにぃよりは全然無事でござる」

「サキガケさん、さきほど毒と仰っていましたが、あの熊が動かなくなったのは……?」

「ニン。拙者の毒でござる」

「毒……なるほど。どうりで……」

「拙者は影を往き、闇を忍ぶ者。故に、邪道。……まあ、効くかどうか心配でござったが、どうやら、このような大型の化生にも通用するみたいござるな。……おっと、毒の配合は企業秘密にござる」

「なるほど。だから、あえて熊を挑発して、動き回らせることを……」

「然り。動けば動くほど、毒の回りも早くなっていくでござる。……まあ、体が大きい分、回るのにも時間がかかったでござるが……がれいと殿、さっきこの熊を食べると言っていたでござるな?」

「ええ。サキガケさんが撤退したのなら、代わりに肉をいただこうかと……」

「ニン。変異種を討伐した証……頭骨さえもらえるのなら、肉はそちらで使っても問題ないでござる」

「ですが、毒は……」

「きちんと加熱処理すれば、分解されるタイプの毒でござる。生で食べようとしない限り、問題ないでござるよ」

「おお、それはありがたい。ですが、いいのですか……?」

「拙者としても、これほどの肉はさすがに持て余すでござるからな。それに……」


 サキガケはグラトニーの顔を一瞥すると、プイッと顔を逸らした。
 グラトニーは怪訝そうな顔で首を傾げる。


「それに……なんですか?」

「い、いや、なんでもないでござる」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、肉はいただいていきますね。……ちなみに、毒は何を使っているのですか?」

「ああ、それは千都にのみ生えている、鮐草ふぐくさ……って、なんでナチュラルに訊き出そうとしとんねん!?」

「便利な毒だから、他にも使えないかなと」

「こわいわー……外国の人こわいわー……」

「──はぁ、やれやれじゃ。結局、妾が助太刀する意味はなかったの。ベトベトになり損じゃ」


 グラトニーはそう言うと、犬のように体を震わせ、体についた熊の液体を落とした。。


「……そんなことはないと思うけど」

「え?」


 サキガケはすこしだけ頬を赤くすると、もう一度そっぽを向いた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

異世界転生は、0歳からがいいよね

八時
ファンタジー
転生小説好きの少年が神様のおっちょこちょいで異世界転生してしまった。 神様からのギフト(チート能力)で無双します。 初めてなので誤字があったらすいません。 自由気ままに投稿していきます。

幼女と執事が異世界で

天界
ファンタジー
宝くじを握り締めオレは死んだ。 当選金額は約3億。だがオレが死んだのは神の過失だった! 謝罪と称して3億分の贈り物を貰って転生したら異世界!? おまけで貰った執事と共に異世界を満喫することを決めるオレ。 オレの人生はまだ始まったばかりだ!

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

幻術士って何ですか?〜世界で唯一の激レアスキルでのし上がります〜

犬尾猫目
ファンタジー
貧民窟で盗みをはたらいて生きるしかなかった孤児の少女。貧民窟から逃げ出して自分の運命を切り開くために12歳の誕生日を機に冒険者ギルドに登録したが、かつて一人しか存在しなかった幻術士の能力が発現してしまった。幻術士の記録はほとんど残されていないし、何ができるのか全くわからない。意気込みむなしく、いきなり壁にぶち当たってしまう。他の冒険者からは敬遠されてパーティー加入もままならない? くよくよしてても腹はへるのでコツコツ作戦に切り替えるかと思いきや、謎に満ちた幻術士のスキルで勝利を手にしていくライジングストーリー。

捨てられた転生幼女は無自重無双する

紅 蓮也
ファンタジー
スクラルド王国の筆頭公爵家の次女として生を受けた三歳になるアイリス・フォン・アリステラは、次期当主である年の離れた兄以外の家族と兄がつけたアイリスの専属メイドとアイリスに拾われ恩義のある専属騎士以外の使用人から疎まれていた。 アイリスを疎ましく思っている者たちや一部の者以外は知らないがアイリスは転生者でもあった。 ある日、寝ているとアイリスの部屋に誰かが入ってきて、アイリスは連れ去られた。 アイリスは、肌寒さを感じ目を覚ますと近くにその場から去ろうとしている人の声が聞こえた。 去ろうとしている人物は父と母だった。 ここで声を出し、起きていることがバレると最悪、殺されてしまう可能性があるので、寝たふりをして二人が去るのを待っていたが、そのまま本当に寝てしまい二人が去った後に近づいて来た者に気づくことが出来ず、また何処かに連れていかれた。 朝になり起こしに来た専属メイドが、アイリスがいない事を当主に報告し、疎ましく思っていたくせに当主と夫人は騒ぎたて、当主はアイリスを探そうともせずに、その場でアイリスが誘拐された責任として、専属メイドと専属騎士にクビを言い渡した。 クビを言い渡された専属メイドと専属騎士は、何も言わず食堂を出て行き身支度をして、公爵家から出ていった。 しばらく歩いていると、次期当主であるカイルが後を追ってきて、カイルの腕にはいなくなったはずのアイリスが抱かれていた。 アイリスの無事に安心した二人は、カイルの話を聞き、三人は王城に向かった。 王城で、カイルから話を聞いた国王から広大なアイリス公爵家の領地の端にあり、昔の公爵家本邸があった場所の管理と魔の森の開拓をカイルは、国王から命られる。 アイリスは、公爵家の目がなくなったので、無自重でチートし続け管理と開拓を命じられた兄カイルに協力し、辺境の村々の発展や魔の森の開拓をしていった。 ※諸事情によりしばらく連載休止致します。 ※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載しております。

処理中です...