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アルバイターガレイト
元最強騎士と吹っ切れる料理長
しおりを挟む「はぁ……ッ! はぁ……ッ! はぁ……ッ! はぁ……ッ!!」
相変わらず薄暗い山中にて、顔面蒼白。
ブリギットは切り分けられた鴨肉を前に、失神寸前まで追い込まれていた。
その手には、近くにあった、比較的頑丈な石を削り出して作った石包丁。
ブリギットは、使い慣れていない感触を確かめるように、何度も、ぐっ、ぐっ、握るが、結局、なかなか踏ん切りがつかないのか、その刃で肉に触れようとしない。
やがて、ブリギットは満天の星空を仰ぎ、ふぅっと短く息を吐くと「今日は終わりにしましょう」と言った。
「ダメです」
それを見ていたガレイトがぴしゃりと告げる。
「だってだって……」
「だってじゃありません」
「でもでも……」
「でも、でもありません」
「なんか動いてるし……」
「動きません」
「動きそうだし……」
「動きません」
優しく諭すようにガレイトが続ける。
鴨肉を目の当たりにして、若干鈍くなっているのか、ブリギットはごく普通にガレイトと会話をしていた。
「いいですか、ブリギットさん。あなたはオステリカ・オスタリカ・フランチェスカの、謂わば一国一城の主です」
「わ、私が……?」
「そう、あなたが。ですから、なるべく自覚を持って──」
「でも、モニモニのほうが……それっぽくない……かな?」
「………………」
核心を突かれ、押し黙るガレイト。
「ガレイトさん?」
「……ああ、すみません。気絶していました」
「が、ガレイトさんでも気絶することってあるの……?」
「ええ。しょっちゅうです。話を戻しますが……ブリギットさん、以前のトラウマが頭をよぎるのもわかります。事実、団にもそういった兵は多数いました。ですが結局、やらなければやられるだけなのです」
「やらなければ……やられる……」
「はい。戦場の鉄則です」
「でも、お店は戦場じゃ……」
「同じです。飛び交っているのが武器か料理かの違いです」
「料理は飛び交いませんけど……」
「飛び交います」
「えぇ……」
「それに、この場合のやられるというのは、人の死ではなく、店の死です」
「お店の……」
「先日の火山牛フェアを思い出してください。人々が求めているのは、やはり肉なのですよ」
「お肉……」
「野菜もうまいですが、やはり食べた後の充足感、食後の満足度などは肉のほうが強いと思うのです」
「それ、ただ単に、ガレイトさんがお肉が好きなだけなんじゃ……」
「………………」
ガレイトが開いていた口をパクッと閉じると、静かにブリギットを見た。
「……が、ガレイトさん?」
「ああ、すみません。気絶していました」
「ほ、本当によく気絶するんですね……すごい……」
「ええ。困ったものです。……ですが、やはり使える武器を増やす、というのも手だと思うのです」
「武器……?」
「はい。大衆の好みが肉食なのか菜食なのか、はたまた虫食なのかは置いておいて、どの要望にも手広く対応できるのは大きな武器となります。逆に言えば、いまのブリギットさんは、自分からそれを縛っておられる状態。もったいないです」
「でも、お肉はモニモニが捌いてくれるし……」
「え?」
「味付けも、言った通りきちんとしてくれるよ……?」
「……いえ、しかし、モニカさんの本業はウェイターですし。そこまで手が回らないのでは」
「今はガレイトさんもいるんじゃ……」
「………………」
「……が、ガレイトさん?」
「ああ、すみません」
「どうかしましたか? もしかして、また気ぜ……?」
「いえ、これからの事について考えていました」
「これからの事……ですか?」
「はい。これから、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの売上が軌道に乗って、また全盛期のような──いえ、それ以上に盛り上がるようなことになれば、モニカさんもこれまで通り、ブリギットさんを助けてくれなくなってしまうかもしれません」
「そう……かも、ですね。はい」
「でしょう? そうなってしまうと、今度こそブリギットさんおひとりで、肉を捌いたり、調理したりしなければなりません。そうなった場合は──」
「雇います」
「……え?」
「そうなったらお金もいっぱい入ってくるだろうし、肉の調理を専門にしてくれる人を雇います。レイチェルさんとか」
「………………」
「が、ガレイトさん? なんで、私をじっと見──」
ガレイトは静かに、それでいてゆっくりと、ブリギットの包丁を持っているほうの手を掴んだ。
「動かないでください」
「……へ? ガレイトさん、な、何を? いや、ちょ……」
ブリギットが疑問を口にする余地もなく、ガレイトはその鴨肉を即座に、一口サイズに切っていった。
「ほ、ほんでゅらーーーーーーーーーーーーーーーーす!!」
一刀、また一刀。
鴨肉が切り分けられるたびに、ブリギットの逞しい叫び声が、夜の湖畔にこだまする。
その声に呼応するように、うつぶせのまま動かなくなっていたグラトニーの体が、ビクンと跳ねた。
「うぅ……ぐすっ、ずずず……〇✕◇▲※……◆〇……ッ!」
ブリギットは涙やら鼻水やらにまみれながら、意味不明な言葉を、のべつ幕無しにまくし立てている。
「ほら、切れた」
にこやかな顔でブリギットに語り掛けるガレイト。
ブリギットは喚くのをピタッと止めると、ゆっくりとガレイトを見上げた。
「ほんまや」
「……まだ息苦しかったり、視界がかすんだり、トラウマがよぎったりしますか?」
「しません……しません!」
「それはよかった」
「やったー! やったよー! ありがとうガレイトさん!」
「………………」
それを聞いていたグラトニーは、最後の力を振り絞ると、自身の手の甲を思い切り地面に叩きつけた。
◇
ぐつぐつと煮えたぎる鍋。
そこには先ほどとは全く違った、澄んだスープと一口大に切られた鴨肉が入っていた。
ガレイトはいそいそと、その中の具とスープをバランスよく三人分取り分ける。
「いただきます」
やがてガレイト、ブリギット、そして、相変わらずうつ伏せのままのグラトニーが声を揃える。
ガレイトは逸る気持ちを抑え、まずは鴨肉の脂が染み出したスープに口をつけた。
「ずずず……」
ゆっくりと、味を確かめるように、琥珀色の澄んだスープを口に含むガレイト。
「う、うまい……!」
ガレイトが目を見開く。
「鴨肉が持っている本来の旨味……でしょうか? 調味料を一切使っていないのに、この香りが鼻から抜けていく感じ……たまりません」
ガレイトは次にスプーンを使って、あつあつの鴨肉を一口頬張った。
もぐもぐもぐ……、
味を、食感を楽しむように目を閉じて咀嚼するガレイト。
そして、ゆっくりと、惜しむように肉を飲み込んだ。
「肉もうまい……体が大きかったので、肉の味も大雑把に、ぼやけると思っていましたが、むしろそのぶん、適度に身が引き締まっていて、噛み応えもよく、雑味がない」
ガレイトはそう呟くと、すかさず肉を口へと運んだ。
「ふむ、やはりすこし臭みもありますが……これはこれで、好みの方もいらっしゃるはず。俺もこのくらいなら全然……これは十分、お店で出せますよ! ブリギットさん!」
ガレイトはそう言いながらブリギットのほうを向く。
「はぐはぐ……まむまむ……」
ブリギットも一心不乱に、口元に手を当てながら鴨肉を食していた。
ほどなくして、噛みしめるように肉を飲み込んだブリギットが、驚いたようにガレイトを見つめる。
「お、おいしい……久しぶりにお肉食べたけど、やっぱりおいしい」
「そうでしょう? お肉は美味しいのです。だからこそ、我々は食材に感謝しなければいけないのです」
「うん。……やっとその意味が分かった気がする。鴨さんは今、私の中で私を生かしてくれているんだね」
「はい。きっとそうです。間違いありません」
「あ、ありがとう、ガレイトさん……」
ブリギットはそう言うと、目を伏せながら、照れくさそうに小さく微笑んだ。
「……しっかし、こんな妾を放置して、おぬしらよくそんな堂々とイチャコラできるの」
相変わらずうつ伏せのグラトニーが、その体勢のまま声を出す。
グラトニーの前には、椀に入った鍋の具材が供え物のように置かれていた。
「い、イチャコラなんて……もう! グラトニーちゃん、何言ってるの!」
バシバシ!
ブリギットが恥ずかしそうにグラトニーを叩く。
「……ですが、よかったです。無事、意識を取り戻されて」
「いや、無事じゃないが。明らかに致死量の猛毒だったんじゃが……じっさい、口は動くが、体は動かせんし」
「グラトニーさん、俺たちの間では、死んでいなければ、死んだことにはなりま……いえ、このような目出度い祝いの席で、そのような話題は相応しくありませんね」
「いや、めでたくないが」
「グラトニーさんも召し上がってください。ブリギットさんの作った鴨鍋は絶品ですよ」
「いや、食べられんが」
「グラトニーちゃん、あとで私が、あーんしてあげるね」
「おう、ありがとう。……まあ、小娘の腕もあるかもしれんが、そこまで美味いとなると、やはり、この鴨に作用しておる物も関係あるじゃろうな」
「作用してある物……竜の血ですか?」
「うむ。竜の血がもたらす効能というのは他所多様での。妾のように怪我をした者が摂取すれば怪我も治す万能薬に。元気な者が摂取すれば、その者が内に秘めておる力を何倍にも増幅してくれると聞く」
「そのような効能が……」
「……つまり、今回の場合は、鴨本来の〝旨味〟も増幅されたということじゃな」
「なるほど……ではなおさら、グラトニーさんに食べていただかなければいけませんね」
「いや、だからこの体勢じゃ食えんが」
「さすがグラトニーちゃん、物知りなんだね」
「くくく……おめでたい娘じゃ。まだおぬしらが置かれている立ち場を理解しておらんようじゃの」
「ど、どういうこと……?」
「要するに、じゃ。その鴨の血肉を喰ろうた貴様らも同様に、旨味が増幅されておるという事。今の貴様らの血肉はさぞうまかろうの……くく、くくく……」
「そういえばブリギットさん」
ガレイトが思い出したように、ブリギットのほうを見る。
「は、はい、なんでしょぉ……?」
「いや、聞けよ」
グラトニーがすかさずツッコミを入れるが、ガレイトは構わず続ける。
「グラトニーさんとの会話で思い出したのですが、体のほうは大丈夫ですか?」
「体……? どうして……?」
「ああ、いえ、べつに変な意味ではなく、この鍋……というかこの肉、竜の血が入っているので、その副作用とかが出ていないのかな、と」
「あ、全然、大丈夫……です……?」
「なんじゃ、疑問形じゃの」
「えっと、でも、ちょっとだけ、体があったかくなってきた……かも? 鍋だから……かな?」
ブリギットはそう言うと、その小さな手で、パタパタと若干赤くなっている顔を扇いだ。
「吐き気や、どこか痛かったりとかは……?」
「はい、とくには。そんな、鴨さんみたいに体が大きくなったとかは……ないかな……」
「よかった。ということは、この鴨肉、お店で出せますね」
「あ、そうですね……!」
ガレイトに言われて気づいたのか、ブリギットもニコッと笑ってみせた。
「モニモニも喜びます……! 私もうれしいです!」
「やはり味見しておいて正解でした」
「妾は無駄にダメージを負っただけなんじゃがな」
「……ということで、グラトニーさん。明日は荷物運びよろしくお願いしますね」
「いや、鬼か!」
こうして、ガレイトたちは予定外の野宿を余儀なくされることになったが、その日、山にはガレイトとブリギットの楽しそうな声が響いた。
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