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緊急事態発生
しおりを挟むいつもの、もはや見飽きた玄関灯が視界に入ってくる。
──やっと家の前まで帰って来れた。
道中、出来るだけ人に遭わないように、背中にいるブレンダを起こさないように、ゆっくりと回り道をしていたら、もうすっかり遅い時間になってしまっていた。両手が塞がっているため、正確な時間を知ることは出来ないけど、体感時間はおそらく夜の十時をまわっている頃だろう。
また姉ちゃんに色々とどやされる未来が見える。
昨日の今日で、何を言われるか想像したくないが、今回は問題ない……と思う。俺だって、考え無しに回り道をしていたわけではない。今回はきちんと〝言い訳〟を用意してあるのだ。
『山を歩いていたら、外国人の女の子が倒れていたから助けた』
完璧だ。完璧じゃないか。一部の隙さえない、パーフェクトな言い訳だ。これにはさすがの姉ちゃんも納得せざるを得ないだろう。
俺はいつの間にか軽やかになっていた足取りで、家のインターホンまで歩いていくと、無理やり頭突きでチャイムを押した。
──ピン……ポー……ン……。
いつ聞いてもマヌケなチャイム音だ。子供の頃はもうすこしハッキリと聞こえていたはずだが、いつの間にやら、現在のようなセミの断末魔のような音になっていた。
──ドタドタドタ!
チャイムが鳴り、そこからすぐに足音が聞こえてくる。古い木造建築だからか、こんなところまで音が届いてくるのだろうけど、姉ちゃんの足音にしては妙に大きい気がする。
「カナデか!?」
玄関を開けて飛び出してきたのは父さんだった。居間から玄関まで全く距離などないのに、なぜか息を切らせている。
「……なんだ、マコトか」
まさかのため息。この父親、息子の顔を見てため息をついてきた。
「その反応、地味に傷つくからやめてよ」
「いや、すまん。お帰りマコト」
「ただいま……て、さっき〝カナデ〟って叫んでたけど、姉ちゃんまだ帰ってないの?」
「そう。そうなんだよ。今日は職員室でみーちんぐが終わり次第、帰ってくると言ってたんだが……」
「……ミーティングって、そんなに時間がかかるもんでもないよな」
「数分で終わると言っていたんだが……」
「じゃあ、もう帰ってもおかしくない頃だよな……。それから連絡は?」
「ないんだよそれが。さっき父さんも学校まで見に行ったんだけど、真っ暗で誰もいなかったし」
それで息が切れてたのか。
「たぶん教師に誘われたとか、教育実習生同士と打ち上げしてるとかじゃない?」
「いや、それだと連絡があるはずなんだ。少なくとも、サークルで飲み会がある時なんかは必ず事前に連絡があったし」
「……心配し過ぎなんじゃない? 姉ちゃんももういい年なんだし、そこまで縛られたくないんじゃないかな」
「そうかなぁ……そうだとしたら悲しいなぁ……て、そういえばマコト、どこへ行ってたんだ。こんな遅くまで」
「山」
「……とりあえず、そんなところにいないで、中に入ってきなさ……て、その背中にいるのはどなたさん!?」
「どなたって……えっと、山を歩いていたら、外国人の女の子が倒れていたから助けた」
「なるほど。さすが父さんの息子だ。見上げた博愛心だな」
「だ、だろ?」
よし。やっぱりこの言い訳、使えるな。
俺は確かな手ごたえを感じつつ、家の中へと入っていった。
「でも、病院に連れて行かなくて大丈夫なのか?」
「あー……ただの過労だから、寝てれば直るよ」
「ただの過労って……それこそ、病院に連れて行かなくちゃダメだろ。過労をアマく見たら危険だぞ。最悪の場合──」
「す、擦りむいただけだから、本当は。擦りむいて……急にパタッと……」
「……なるほどな。父さん、異国の人の体の事は良くわからんからな。そういう事もあるのだろう。知らんけど。でもどのみち、病院には連れてったほうがいいんじゃないか?」
「うん……、まあ……、でも……、海外ではこれが日常茶飯事なんだって。この子が言ってた」
「なにそれ、こわいな海外。絶対旅行とか行きたくないわ。……とりあえず、救急箱から絆創膏と消毒スプレーを──」
──ピン……ポー……ン……ピンポピンポピンポ……ピンポーン!
何者かが家の、マヌケなインターホンを連打してくる。インターホンも連打されてるうちに覚醒したのか、途中から在りし日のチャイム音を雑音無しで垂れ流している。
「我が従者よっ!!」
玄関扉の外から、家の中にまで響くほどの大声。聞き覚えのある声で、身に覚えのある呼び方だけど、俺が記憶しているあいつはこんな近所迷惑な大声を出さない。そんなことを考えていると──
ガラリ。
父さんがおもむろに玄関扉を開けた。
「あ、我が従……マコトくんのお父さんですか?」
「はい。私がマコトの父ですが」
「……あの、マコトくんはいらっしゃいますか? その、すごく、急ぎの内容でして……」
「なあマコト、あの和装の女の子、マコトの事を呼んでるみたいだけど……?」
女の子……?
怪訝に思い、父さんが指さす先を見てみると、そこにはこの間と同じ衣装を着て立っている藤原の姿があった。
「父さん、あいつ男だぞ」
「え? そうなの?」
「まあいいや。害はなさそうだし、俺ちょっと行ってくる」
俺はそう断ると、ブレンダを背負ったまま、藤原のところまで歩いていった。藤原はなにやら興奮しているのか焦っているのか、汗をかきながら、その場で駆け足をしていた。
……それにしても、たしかに学校の制服を着てないと、女子にしか見えないな。
「た、大変だよ! 大変なんだって、我が従者!」
「落ち着け藤原。口調がバラバラだ。……それに、一体どうしたんだ、こんな時間に。そこまで常識のないやつじゃなかっただろ」
「お姉さんが……マコトくんのお姉さんの、カナデさんが攫われちゃったんだ!」
「……は?」
一瞬、目の前が真っ白になる。時間が止まったような感覚に陥る。
そのはずみで、ブレンダが背中からずり落ちた。
「ま、マコトくん!? その女の人……だいじょう……ていうか、誰!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺はとりあえず冷静になると、足元に転がっていたブレンダを抱え上げ、父さんの元へと走っていった。
「父さん、こいつ……ブレンダって言うんだけど、俺の部屋で寝かしといて!」
俺はそう言うと、ブレンダを父さんに押し付けた。父さんは戸惑いながらも、ブレンダを受け取ってくれると──
「お、おう……なんか物みたいだけど……わかった。けど……あの和装の子、なんて言ってたんだ? ちらっとカナデの名前が聞こえたような気がしたんだが……」
「大丈夫、あいつは同じ学校の友達で……ちょっと、今から姉ちゃんを迎えに行くから」
「父さん、ついていかなくて平気か?」
「うん、学校の中の事だから、逆についてこられると面倒になる」
「わかった。あまり遅くならないようにな」
「わかってる」
俺はそれだけ言うと、玄関から出て扉を閉めた。つぎに俺は家の敷地から出ると、アスファルトに手をついて魔力を集中させた。
──ブゥン!
薄い円形の膜が家全体を覆う。これである程度の魔物なら、触れただけで蒸発する。
「す、すごいよ、マコトくん! ここまでの結界術……見たことがないよ!」
「いや、それよりも……」
「そ、そうだったね! えっと……とにかく、ついて来て! 走りながら話すから!」
「ああ」
藤原はそう言うと、そのまま走り出した。
──嫌な予感がする。
藤原が警察ではなく、俺のところに来たという事は犯人は……いや、まだ断定するのは早い。俺は少し遅れで、藤原の後についていった。
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