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豊穣の神 暴食の蠅
しおりを挟む「あ、あたし……?」
魔王に指さされたローゼスは驚いたように首を傾げている。
「どういう意味だ。ローゼスがどうかしたのか」
ここに居るローゼスは間違いなく彼女本人のはずだ。
俺が何者かに幻覚を見せられていたり、本人にうまく化けていたりしない限りはあり得ないし、そもそも俺もローゼスもそんな手に引っかかるほどマヌケじゃない。たぶん。
それか、考えられるとすれば、これは魔王の口から出まかせで、単に揺さぶりをかけて俺たちの仲間割れを狙っているかだ。もしそうならこれは冗談じゃ済ま──
「いやあ、じつは盗賊クンとはあまり面識がないからさ、簡単に自己紹介してくれないかなあって」
そう照れくさそうに頭を掻きながら言う魔王。
かたや盛大に肩透かしを食った俺は、そのままうなだれてしまう。
「……おまえ、他人の反応を楽しむのはいいけど、せめて内容は吟味しろ」
「いやあ、ごめんね。まだ色々と慣れていなくてね。とはいえ、これから仲間になる人のことについては私も知っておきたくてね」
「は? ……おい、いつあたしたちが仲間になるって言ったよ」
「あれあれ? 違ったっけ?」
「ちょっと待った、俺たちの関係ってそういうのじゃないだろ」
「え、同じ目標を追う同士、共同戦線を張る仲間でしょ? 私たち?」
まさかその言葉が魔王からまろび出るとは思わず、俺はその無機質な仮面をただ茫然と見つめる。
「おい、どうすんだよマコト。こいつなんかマジっぽいぞ」
「まじかよ……」
「マジもマジ。大マジさ。なんせ私たちの最終的な目的は、もう話したとは思うけど、人族と魔族との共存だ。それを成すには、まずはその人族の総大将である勇者クンたちと仲良くならなければ、到底かないっこないって思ってる」
「いや、べつに俺が総大将ってわけじゃないけど……」
「変わんないよ。どのみちキミは多くのカイゼルフィール人から慕われている。だから、私としてはここでキミたちの仲間として、あるいは友として、共通の目標のために手を組んだ。という実績が欲しいんだ」
「……まぁ、たしかに言いたいことはわかるけど」
「それに、べつに私たちだけじゃなく、勇者クンたちにも私たちと手を組むメリットはあると思うよ」
「たとえば?」
「彼の居場所がわかる」
「彼って……サターンか!?」
「もちろん、そうだね」
「わかるって、ほ、本当か!?」
……でも、ちょっと待てよ。
居場所がわかるんだとすれば、なんでこいつはまだこんな場所でくすぶっているんだ。
いくら俺たちと手を組んだという実績がほしいのだとしても、わざわざ泳がせる口実にはならない。なんならこの件に関しては、早期に解決すればするほど俺たちの心象もよくなるはずだ。
それともまさか、場所自体はわかっているものの、何か手を出せないような状況に陥っていて、だからこうして俺たちが来るのを待って――
「彼の居場所がわかる。……時がいずれ来るかもしれない」
「共同戦線の提案は、この時を以て破棄とする」
「あー! ごめんごめん! 駄菓子あげるから!」
「あのな、駄菓子なんかで釣られるわけ――」
「なぁマコト。魔王のやつもこう言ってるしよ、とりあえず話だけでも聞いてみねえか?」
「ローゼス、おまえはまずそのよだれを拭いてくれ」
「……ふむ」
魔王が意味深に腕を組み、俺たちを交互に見る。
「マコト、か」
「な、なんだよ……」
「……そこはかとなく勇者クンとの間に壁を感じていたんだよね」
「そ、そりゃあな」
「そう。でもその正体がいまわかった。〝魔王〟と〝勇者〟なんて、他人行儀な名前で呼び合っていたからだよ」
「魔王と勇者なんて他人行儀でいいだろ」
「いいや、ダメだね。そんなところに気を配れないようじゃ人族との共存なんて、夢のまた夢」
「なんかよくわからんが……結局おまえはどうしたいんだ」
「おたがいの呼び名、ニックネームを決めよう」
「は? なんでそうなるんだ」
「……そうだな、ダーリンなんてどうだい? 親愛なる人族の大将の呼び名に相応しいんじゃないかい?」
「あ、アホか!」
なぜか俺より先に否定するローゼス。
その口の周りにはスナックのクズがついている。
「うん? なんでダーリンが否定するんだい?」
「あたしもかよ! 見境ねェな!」
「うん、我ながらナイスアイディア! ホレボレするひらめき!」
「いや、俺も普通に嫌なんだけど……」
「おや、そうかい? ならしょうがない。勇者クンのことはマコトクンと呼ぼうじゃないか」
「それならまぁ……ていうか、それって詐欺師の常套手段じゃねえか。はじめに無茶な要求を提示して、そのあとに通したい本当の要求を提示するってやつ」
「おや、バレてしまったようだね。さすがマコトクン」
「いや、いきなりダーリンはないだろ。万が一俺が承諾してたらどうしてたんだよ」
「呼んでたよ? ちゃんとダーリン、てね」
「その猫なで声やめろ」
「いやね、どうやらこの国では親しくない間柄だと苗字のほうで呼び合うのが普通みたいじゃないか。でも、それだと仲間って感じしないでしょ?」
「おい、いつ仲間になった」
「かといって、マコトクンも私に急に名前で呼ばれるのは抵抗あるでしょ?」
「無視かよ。……でもまぁ、最初に提示されたのがマコトだと抵抗あったかもな。ていうか、今でも若干おまえからマコトって呼ばれるのは抵抗あるけどな」
「けど、承諾してくれた。だから私は、これからは勇者クンのことをマコトクンって呼ばせてもらうよ。ていうかもう呼んでるけどね」
「……俺はいつも通りでいいか?」
「え? いやいや……っぷぷ、マコトクンねぇ、笑わせないでくれたまへよ」
「ム」
なんだこいつムカつくな。
「キミは街中や、人のいるところで私のことを魔王と呼称する気かい? いくら固有名詞を呼ぶのが恥ずかしくってもそれはないよキミィ」
「じゃあなんて呼ぶんだよ」
「不破」
「は?」
「ふ~わ。私のことは不破とでも呼んでくれ。不破サンでも不破クンでも構わない。なんなら不破ちゃ――」
「いろいろ訊きたいことはあるけど、なんで不破?」
「もじってみたのさ。この世界風にね。ルシファー……るしふぁ……しふぁ……ふあ……不破」
「駄洒落かよ」
「そう、駄菓子屋の店主のわりに洒落てるでしょ?」
「くだらない……」
「それに〝ルシファー〟だとさっきのマコトクンの提案みたいに浮いちゃうからね。どうかな」
「まぁ、べつにいいんじゃないか、それで」
「なら決定だね」
魔王はそう言うと、何かを期待しているようにもじもじと指をいじりだした。
「……不破」
「ふふ、よろしくねマコトクン」
あの仮面の下を容易に想像できそうな声で魔王は……不破は答える。
それにしてもなんで俺は魔王とこんな甘酸っぱいやりとりをしているのだろう。
「で、結局うやむやになった仲間の件はどうすんだ?」
ローゼスが真顔でそう切り出す。
そんな彼女の前、ちゃぶ台の上にもう駄菓子はない。
なんて厚かましいやつだ。
ほんのすこしだが不破を不憫に思ってしまった。
とはいえ、ローゼスの言うとおり、このまま仲間の件をうやむやにしていれば、ずるずるやっているうちに本当に仲間認定されてしまいかねない。
いま一度、不破たちが仲間になったときのメリットとデメリットを検討しておく必要がありそう……なのだが、話している限りこちらに大したデメリットもなさそうだ。
不破たちを監視するためにも、表向き協力しているフリだけしておいたほうがいいのだろうか。
「ストップ!」
すこし考え込んでいる俺に不破が手のひらを向ける。
「なにも今、ここで結論を出す必要はないよ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ。さっきは冗談ぽく協力の報酬は駄菓子だなんて言ってたけど……」
「冗談だったのか」
「こっちだって、駄菓子のひとつやふたつでマコトクンたちを馬車馬の如く働かせようなんて思ってないさ。それに、魔族は通貨をもたない。基本的に等価交換なのさ。だから労働には労働で応えようと考えている」
「労働……?」
「しばらくは私たちが勝手に協力させてもらう。そのうえで私たちが使えるかどうかをマコトクンたちが判断してほしい」
「……仮に使えないと俺たちが判断すれば?」
「そうだね。最終的にはこの仮面を――」
「その仮面を取って、魅了かなんかの魔法で俺たちを洗脳するってか?」
「いや、この仮面をあげようかなって」
「いらねえよ!」
「レアものだよ? 売れば結構値がつくよ?」
「うそつけ。普通に縁日かなにかの景品だろ」
「あちゃあ、よく知ってるね、マコトクン」
……それにしてもこいつ、話をさくさく進めてくるな。
たしかに早期解決するに越したことはないが、なにか事情があるのだろうか。
余裕があるように振舞っているだけで、じつは焦っているようにも見える。
「……とりあえずいまは、答えを先延ばしにしてもいいんだな?」
「うん。私たちがマコトクンたちと敵対していないという事実が確定しただけでも満足さ。それに……」
不破が顎に手をやり、のぞき穴からまっすぐに俺の顔を見る。
「それに?」
「いささか強引に話を進め過ぎた感もあるしね」
「そこらへんの自覚はあったんだな」
「まあね」
「でもま、それくらい不破も焦ってるって事だろ。……何に焦ってるかはわからないけどな」
「そりゃ焦るさ。さっきも言ったけど、はやくこの件を解決してみんなに楽させてあげたいからね」
軽く揺さぶってみたが動揺は見せず。
他にも目的があるのではないかと勘ぐってしまうが、本当に魔族のことを考えたうえで行動しているのかもしれないし、そもそもこうやって悩ませるだけ悩ませてドツボにハマらせ、正常な判断力を奪い、結果、俺たちの行動が後手後手に回らざるを得ない状況を作っている可能性も否定できない。
要するに、現時点で不破たちと事を構えない限り、あれこれと考えるのは無駄ということ。
そのうえで結論の先送りを由としてくれているのだから、この話に乗らない理由はない。
たしかに不破の思い通りに事が進んでいる感じは気になるが、これが、今の俺が採れる最善の策だろう。それに──
「慣れない転移、転生だ。体や精神への負担もそう少なくはないはず。マコトクンたちの体は、マコトクンたちが思っている以上に疲労を蓄積しているんだよ」
やはり不破には見透かされていたようだ。
たしかに体は重いし、なんか眠たい。
俺が向こうへ行った時もこんな感じだったな。
「なにより、さっき私がじゃれついた時、軽く受け流せなかったのが証拠だね」
どうやら敵意剥き出しで襲撃することを魔族間ではじゃれ合いと呼ぶらしい。
「思考力も判断力も体力も衰えているキミたちにこれ以上無理強いをするつもりはない。だから今日のところはお家に帰って、美味しいご飯を食べて、懐かしのベッドでぐっすり寝てよ」
「……わかった。そうさせてもら――」
〝ガチャガチャ〟
〝ガラッ〟
不意に締めきっていた駄菓子屋の扉が開く。
来客かと思ったが、そうじゃない事を即座に理解する。
〝悪寒〟
不破との会話で弛みきっていた脳が、体が、一気に緊張するほどの禍々しい魔力。
俺たちを襲撃した時の不破が放っていたものと同等のもの。
だが、それを感じたのも一瞬だった。
「鈴ー! こっちおいでー!」
不破の間の抜けた声が、その禍々しかった魔力を霧散させる。
やがて、パタパタという音とともに俺たちがいる部屋に現れたのは、見慣れた制服を着た見慣れない女子だった。
黒髪でサイドテールで愛想の良さそうな女子。
俺はその女子の背後、駄菓子屋の玄関のほうをちらりと見るが、何もない。
「まさか、さっきの魔力って……」
ふたたび俺は女子を見ると、彼女は柔らかい笑みを浮かべながらペコリと頭を下げてきた。
「……って、あれ?」
よく見ると、見慣れるもなにも、彼女は俺と同じ学校の女子の制服を着ていた。
しかし、その顔や名前にはまったく見覚えがない。
いやべつに学校の生徒全員の顔と名前を判別できるほど記憶力が良いわけじゃないが、こんなに顔の整った女子がいるなら、少なくとも噂にはなっていたはずだ。
それに、何よりも気になっているのが、さっきの魔力が彼女によるものだったのかどうかだ。
わけがわからなくなった俺は、不破に説明するよう視線を送った。
「紹介しよう、蠅村鈴クンだよ。いちおうマコトクンと同じ学校、同じクラスなんだけど……覚えてないかな?」
「同じクラス……?」
さきほども言ったが、俺の記憶力は良いほうではない。
けど、さすがにクラスメイトの名前や顔くらいならぼんやりと思い出せる。
なにより〝蠅村〟なんて珍しい名前を忘れるだろうか。
──いや、さすがにそれはない。
同じクラスの生徒のはずがない。
不破は間違いなく嘘をついている。
だとすればこの蠅村という女子は一体……ちょっと待てよ。
蠅村鈴……蠅……ハエ……もしかして――
「おまえ、ベルゼブブか?」
「正解!」
不破が楽しそうに俺を指さす。
「いや、正解じゃねえよ。なにやってんだおまえ。部下に変なコスプレさせんな」
「ん? コスプレじゃないよ? 鈴はこう見えて花も恥じらう女子高生だからね」
「はあ?」
「ということで、改めて紹介しよう。こちらベルゼブブ改め蠅村鈴。キミたちもご存知の通り、私の部下のひとりだ」
蠅の王ベルゼブブ。
魔王ルシファーの側近にして、魔王軍の中ではルシファー、サターンに次いで三番目の実力を持つ魔物。
魔力だけなら不破のそれとなんら遜色はない。
いちおう互いに面識自体はあるが、あの時のベルゼブブの姿って確か──
「かなりデケぇ蠅……だったよな……?」
ローゼスがそう指摘すると、ベルゼブブは顔を真っ赤にしてコクリと頷いた。
「……なんで照れてんだ?」
「ちょっとダイエットしたんだよね?」
「ンなワケあるか!」
ローゼスがそうツッコむとベルゼブブは両手で顔を覆った。
どうやらベルゼブブは……いや、彼女はかなりシャイのようだ。
さきほどからひと言も発していない。
「とまあ、冗談はこのくらいにしておいて……鈴、おふたりをマコトクンの家まで送ってくれるかい?」
「(こくこく)」
不破に言われるとベルゼブブは、はにかみながら二度うなずいた。
「お、おい待てよ。さすがに説明が足りなさすぎるだろ」
「今日の話は終わり。まあ、マコトクンにはいい返事を期待しておくよ」
「いや、でも──」
不破が俺の話を遮るようにして、自身の人差し指を仮面の口元にくっつける。
「私の言う通り、今日のところは早く帰ったほうがいい。最近はこの辺りも物騒になってきたからね」
「物騒?」
「なぜ私があの場所に居たのか、今ならもうわかるんじゃないかい?」
「……まさか、サターンも俺が来たことに?」
つまり不破があの場所に居たのは、疲弊した俺たちをサターンから――
「ふふ……ではマコトクンにローゼスクン。また、明日」
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