異世界帰りの最強勇者、久しぶりに会ったいじめっ子を泣かせる

明けの明星 傲慢の神

　ぱちりと目が覚める。一切の余韻も、倦怠感もなく頭が覚醒する。
　目の前に広がるのは青い空、白い雲、そしてそれらを遮る木々の枝葉。
　背後から感じるのはワサワサとした草の感覚、青臭い香り、そしてずしっと引っ張られるような重力。どうやら俺はいま野外で、仰向けになって寝ているようだ。
　とりあえず起きるか。
　俺は上体を起こして、現状の把握に努めようとするが──


「ぐ……っ！？」


　突然の頭痛。
　なんだ……！？
　以前ローゼスに無理やり強い酒を飲まされ、翌日に感じたのと同じくらい頭が痛い。

　……ローゼス？
　そうだ。頭は相変わらずガンガンと痛むけど、だんだんと前後の事を思い出してきた。俺は元の世界に戻ろうとしていた。あの送別会の後、目を閉じて──
　だとすれば、ここは元いた世界なのだろうか……？
　俺は急いで立ち上がると、頭痛を我慢したまま周りを見渡した。

　──ピチャピチャ……。

　水音。それも足元から。
　俺は視線を自分の目線から徐々に下へと落としていった。
　俺の足元に血液による水たまりが出来ている。
　それも、いま俺が立っている場所は、草と土の上だから……かなりの出血量だ。赤黒く変色していないことからまだ新しいという事もわかる。

　なぜこんなものが……？

　混乱し、頭に触れると、手のひらに生ぬるい液体の感触。


「……まさか」


　見ると、案の定大量の血液が俺の手のひらにべっとりと付着していた。


「ぐ……っ！？」


　ドクン、と一際大きな心音と頭痛が俺の体を揺らす。
　すべて思い出した。
　ここは俺が死んだ場所。俺という人間の行き着いた場所。


「だったら……」


　俺は恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはやはりというか、見上げるほどの高さの切り立った崖があった。高さにしておよそビル四階くらい。あの高さから落ちたら運が良くて骨折。そして最悪の場合、俺のように死んでしまう。
　この頭痛はそれによるもの。
　そして俺はこの崖の上から飛び降りるよう命じられ・・・・、飛び降りたんだ。……改めて考えてみても、まともな精神状態じゃなかったのだろう。

　真新しい血液。すこし暮れた陽。崖の下。
　なるほど、ブレンダが時系列的には大丈夫だと言っていたのは、こういう事だったのか。
　俺は、俺が死んだ直後に飛ばされていた。
　なんて納得している暇はない。さっさと血を止めないとせっかく生き返ったのにまた死んでしまう。俺は周辺に人の気配がない事を確かめると、傷の治療に取り掛かろうとした。
　……取り掛かろうとして、俺の手が止まる。

　人の気配がない・・・・・・・。

　それはすなわち、俺をイジメていたやつらもいないという事。おそらく、俺の死を目の当たりにして怖くなって逃げだしたとか、理由はそこらへんなんだろうけど……。


「考えるのはやめよう」


　虚しくなるだけだ。
　とりあえず、今は治療が先決。俺は魔法が使える事を確認すると、手のひらに魔力を集中し、患部に当てがった。


　◇


「おーい！　マコトー！」


　しばらく草の上でボケー……としていると、不意に聞き覚えのある声で呼ばれた。声のするほうを見ると、ローゼスが大きく手を振りながら歩いてきていた。


「いやー、よかったよかった。どこ探しても見つかんねーから、心配してた……て、なんだおまえ、その血！？」

「血？　……ああ、そこの血だまりの事か？　もうほとんど地面に吸われて無くなってると思うけど……」

「いやいや、おまえ、顔中血まみれだぞ！」

「え？　マジで？」


　全部拭いたと思ってたけど、まだ残ってたのか。


「どうしたんだ！？　敵か！？」

「いや、違う。敵じゃない……と思う」

「そうか？　あー……、いや、でももう乾いてんな」


　ローゼスはそう言って、俺の顔をペタペタと触ってきた。ザリザリと音がするところから、もう俺の血はカピカピに乾いているらしい。


「気分はどうだ。気持ち悪かったり、目が霞んでたりは……」

「大丈夫。問題ないよ。ありがとう」

「なら問題ねェな」


　俺がそう言うと、ローゼスはホッと胸をなでおろした。


「んで、どうなんだよ」

「どうって？」

「ここはおまえのいた世界なのかって事だよ。姫様の転移は成功してるのか、失敗してるのか」

「まあ、成功……だとは思う」

「ンだよ、煮え切らねェな」

「そりゃそうだよ。まだこの場所しか見てないから、本当にここが俺の世界かどうかまだ断定はできない」

「なるほど。……じゃ、そろそろ移動すっか」

「だな。もし本当にここが俺の世界なら、いまは放課後だろうし、さっさと帰らないと親も心配する」

「ホウカゴ……？　なんだそりゃ」

「帰宅する時間帯って意味だよ」

「へえ、よくわかんねーや」

「……てか、ローゼス。おまえ普通に日本語喋ってるよな」

「ニホンゴ……？　なんだそりゃ」


　ローゼスはそう言って、眉をひそめた。
　おそらく、ここら辺の言語の調整もブレンダがうまい事やってくれているんだろう。俺がカイゼルフィールにいた時も、自然に向こうの言葉を話せるようにしてくれたからな。


「……まあ、いいか」

「んじゃ、今度こそ行くか。……こっちか？」


　ローゼスが俺に進む方向を訊いてくる。けど、俺にはそれよりも気になることがあって──


「ローゼス、その格好はちょっと目立つかも」

「そうか？　普通だろ」


　ローゼスはそう言って、自分の体を見回した。
　ローゼスが着ているのは、本当に急所だけを隠した機動力重視の軽鎧ライトアーマーだ。いままで気にならなかった……のは嘘だけど、肩は出てるしヘソは出てるし、太股も出てるから、もしかしたら警察のお世話になってしまうかもしれない。
　だからといって、この状況じゃどうすることもできない。幸い俺も鎧プレートアーマーを着てるから、コスプレ同好会みたいな言い訳で通すしか──


「あれ？」

「なんだマコト、どうした」

「制服に戻ってる。鎧を着てない」

「セーフク？　なんだそりゃ」

「いや、制服ぐらいは知ってるだろ」

「はは、バレたか……」

「ややこしいからボケるのやめろ」

「ワリィワリィ……てことは、今マコトが着てるその変な服が、おまえの世界での正装ってことか」

「学生のな」

「学生。へェ……おまえ、結構いい身分なんだな」

「身分？　ああ、違う違う。俺の世界……ていうか国は誰でも学生になれるっていうか、無料で教育を受けられるんだよ。だから貴族だけじゃなくてだれでも学生になれるんだ」

「なるほどな。その代わり、その変な制服を着なきゃならないってワケか」

「まあ、そういう事だな」

「で、その制服がどうしたよ」

「いや、いつの間に着替えたのか気になって……でもそうか、流血もしてたし、当時のまま再現されてるって事なんだろうな……」

「……何ブツブツ言ってんだ？」

「ああ、ごめん。何でもない。……で、いまから家に帰るけど、出来ればその……他の人には見られないようにしてほしい」

「この格好だからか？」

「そう。あまり変な騒ぎは起こしてほしくないんだ。これからの事にも差し支えるかもしれないし」

「……ん、わかった。問題ないぜ。付いていきたいって言ったのはこっちだからな。……でもよマコト、さっきから誰か──」


　ローゼスは口を噤むと、その場で短剣を取り出し、逆手に持った。


「マコト」

「ああ、急に来たな。でも一体何だ……？」


　魔の気配。
　それもかなり強力な。
　どういう事だ。本当にここは、俺が元いた世界とは違う世界なのだろうか？
　それとも、いままで俺が感知できなかっただけで、この世界にも魔物が存在していたのか。……どのみち、そんな事を考える余裕もない。この思わず身震いしてしまうほどの緊張感……間違いない、これは魔王と同等かそれ以上だ。
　今の俺は武器を所持していない。魔法に関しては……少なくとも治療系の魔法は使えた。
　つまり、コンディションは最悪といっても差し支えない。
　短期決戦。敵が仕掛けてくる前にこちらから──

　ガサガサ……！

　突然、頭上の木の枝が不自然に揺れる。
　上だと！？　いつの間に──


「違う！　フェイクだ！　マコト！」


　ローゼスの声。
　しかし、俺がその声に反応した時にはすでに──


「動くな」


　女の声……？
　そして、喉元に刃物を突き付けられている。……いや、正確には刃物ではないかもしれないが、それに近い圧迫感と冷たい空気感。
　それが何か断定できないのは、俺の視線が上を向いたままだからで、下を向かないのは、コイツが問答無用で攻撃してこなかったから。
　問答無用で攻撃してこなかったという事は、コイツなりに俺と何らかの取引ややり取りをしたいがため。
　したがって、ここで下手に動くことは下策。
　だけど、なんだ……？
　なにか、懐かしい匂いがするような……。


「マコト！」


　ローゼスの逼迫ひっぱくした声。
　このままだと、俺の正面にいるコイツに攻撃を加えかねない。とにかく俺はローゼスに落ち着くよう、そのままの体勢で二度瞬きをしてみせた。


「く……っ」

「そうだ。それでいいそれ以上動くと……勇者クンの命が危ないからね」


　勇者・・とコイツは口にした。という事は、この世界での俺ではなく、カイゼルフィールの俺を知っている人物。
　声の感じからして、パーティの誰とも違う。聞き覚えもない。けど、間違いなくここへは転移でやってきている。つまり、かなり魔法が使える者。
　誰だ？　全く思い当たらない。

　何が何だかわからず混乱していると、俺の口内に固形物が侵入してきた。
　先刻さっきまで喉元にあった圧迫感が消えていることから、十中八九、突き付けられていたモノ。
　俺はそれが何かと考えるよりも先に口を閉じた。まずはこの得体の知れないモノの侵入を防ぐ。それが最善の策だと感じた・・・からだ。
　しかし──
　ザクッ！
　という、大きな音が脳内に響き渡る。
　気が付くと俺は──

　サクサクと、スナック菓子のようなものを咀嚼していた。


「美味しいかい？　私の美味メイウェイ棒は」


　美味メイウェイ棒。十円くらいで買える駄菓子の代名詞のようなスナック菓子。
　そうだ。この味は美味メイウェイ棒タコ焼き味。
　という事は、喉元に突き付けられていたのも美味メイウェイ棒タコ焼き味。
　けど一体、誰がこんなくだらない事を──


「やあやあ、ひさしぶりだね、勇者クンと盗賊クン。こんにちは……魔王ルシファーです」