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イヴさんとロラン
しおりを挟む入学式を終え、入寮式を終え、すでに精神を擦り減らしていたタケオは、ひとり、部屋に備え付けられている二段ベッドの上の段で、仰向けに寝転がって天井を眺めていた。
エトワール・ブリエの学生寮は一年生、二年生、三年生とそれぞれの建物で分かれており、三年生が卒業すれば、そこへ新一年生が入寮してくる、という入れ替わり制になっていた。
したがって、タケオが今いる寮も、この春卒業した三年生が使用していたものだが、その部屋は新築のように綺麗に清掃されていた。これはタケオだけが特別な待遇だから、というわけではなく、エトワール・ブリエの〝立つ鳥跡を濁さず〟という教えからきた、おもてなしの精神である。部屋は基本的に二人一組の共同となっており、トイレも風呂も部屋の中に併設されていた。
「……とりあえず、生徒や先生にバレるようなことはなかったけど、こんな感じで三年間やっていけるのか……」
独り。誰もいない部屋で、自身の腕で顔を覆い、嘆くタケオ。彼の言う通り、実際この学院で彼の事を男だと知っているのは、校長とクリスチアーヌの二人のみであった。クリスチアーヌが強引に推し進めたという、男子を女子高へ入学させるという試みは、今のところは成功していたのだ。
「今日のところは部屋で休んでなさいって言われたけど……明日からの事を考えると色々と心配だ」
電気もつけず、薄暗い部屋で泣き言を吐き続けるタケオは、その気分を紛らわせる為に、ゴロゴロとベッドの上で転がっていたが、やがてその動きをピタッと止めると、再び天井を見て呟いた。
「──あ、やばい。急にしんどくなってきた。帰りたい」
人生初めての懐郷病に戸惑うタケオ。
実際、大半の生徒が箱入り娘のため、山に囲まれた生活に耐え切れなくなって、休学や退学をするという生徒は少なくはなかった。が、この敷地内で、男子が懐郷病に罹るというのは、エトワール・ブリエ創設以来初めての事だった。
「……とりあえず、風呂に入って寝よう」
ここから逃げ出す事よりも、自分を誤魔化して寝かしつけるのを選んだタケオは、ベッドから降りると、そのまま学校指定のブレザーとスカートを乱雑に脱ぎ捨て、ウィッグと白黒チェック柄のトランクスだけを身につけた状態になった。
──ドガン!!
部屋の扉が、まるで爆発でもしたような勢いで開け放たれる。風に揺られて靡く鯉のぼりのように、パタパタと揺れていた扉がその動きを止めると、外からニュッと白いスニーカーを履いた脚が部屋の中に入り込んできた。
「っかー! 軽く蹴っただけなのにブッ壊れるかね、フツー!」
活発そうな女子の声。その声に少しだけ遅れて、黒と黄色の派手なアワードジャケットに白いプリーツのスカートをはいた、白人の女子が現れた。髪は目も覚めるような金髪で、両手でキャスターのついた真っ赤なキャリーバッグを抱えていた。
「いやあ、ごめんね同居人さん。入学早々、ちょーっと寝坊しちゃって。私はイヴ。まあ、外見はこんなだけど、日本語は問題ないから。これから……よろし……く……」
いままでのまくし立てるような会話から一転、クリスチアーヌの孫、イヴ・ロランが急に口を閉ざす。そんなイヴの視線の先には、半裸で、ウィッグをかぶったままのタケオが、自分の胸と股間をおさえながら立っていた。
イヴはアルコール依存症患者のようにブルブルと震える手で、人差し指でタケオの股間を指さすと、かすれた声で「へ……?」と発した。
混乱しているのはタケオも同様で、タケオもイヴの顔を指さすと「は……?」と放屁のような声を口から、漏らした。
「男……?」
「女……?」
なぜか互いに互いの性別を確認し合う。
そして──沈黙。
当人同士にとっては、永遠ともとれるほど長い、永い時間の中、先に口を開けたのはイヴのほうだった。
「ほんぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ゾウとクマの声を足して二で割ったような声が、私立エトワール・ブリエ学院高等学校、一年生の寮に響き渡る。しばらくしてから、タケオも自身の置かれている境遇を理解したのか、脱ぎ散らかしていた制服を急いで拾い上げ、なんとかして着替えを完了させた。が、どうしていいかわからず、タケオはなぜか、部屋の中を右往左往、忙しなく走り回っている。
それからしばらくして、同じ一年生の寮にいた同級生たちが、タケオたちの部屋を見に来た。
皆、何事かと思い、二人の様子を見に来るも、そこには派手なジャケットを着て、絶叫している白人の少女と、乱れた服装のままパタパタと慌てふためく黒髪の女生徒。
あまりの混沌さに何をしていいのかもわからず、後に、この時の出来事をタケオと同じ一年生である細川玲子は「そのうち、どちらかが死ぬかと思った」と語っている。
◇
私立エトワール・ブリエ学院高等学校、研究棟、クリスチアーヌ研究室。
そこの来客用のソファにはタケオを睨みつけるイヴと、その視線から逃れるべく、明後日の方向を向いているタケオがいた。
あの後──結局、教師を呼ばれたタケオとイヴのふたりは、ふたりの保護者兼担任として名乗りを上げていたクリスチアーヌの研究室に連れてこられていた。
「ちょっとおばあちゃん! なんでこれから三年間過ごす〝女子高〟で、男子と同じ部屋に住まないとダメなのよ!」
「面白いから?」
「なんで逆に私に訊いてるの!? 面白くないよ!? 全然! 笑えないもん私。それにはじめて見たし、男の人の裸!」
「まあ……! イロハさん、入寮早々、自室で、全裸で過ごすどころか、イヴに股間をさらけ出すなんて、大胆ね。とっても面白いわ」
「いや、ギリギリパンツは穿いてましたけど……」
「え、ウソ、もしかしてあんた……裸族ってやつ? 家では裸で暮らすとかいう……?」
「いやいや、誤解だって! 俺はただ風呂に入ろうとしてただけで……」
「ふん、どうだか。ほんとは女子高で、男子一人だから興奮のあまり脱衣しただけなんでしょう? この、変態!」
「くそ、なんて痛快な誤解なんだ。ていうか、クリスチアーヌ先生も、『あなたがこれから暮らす部屋は、あなた専用の部屋だから、気づかれないでゆっくりできますよ』って言ってたじゃないですか! お陰で変態扱いされているんですけど!?」
「あれは嘘です」
「やめてくださいよ! そんな嘘! 誰が得するんですか!」
「わたくしですが?」
「なぜ疑問形?」
「お陰で久しぶりにケタケタと笑わせて頂きました」
「笑ったんですね……しかも、ケタケタと……」
「とにかく、今更言うのもあれですが、これから二人には、共同生活をしていただきます」
〝共同生活〟
その単語がクリスチアーヌの口から出た途端、タケオとイヴは互いに顔を見合わせると、再びクリスチアーヌに向き合って、声をそろえて言った。
「こいつと!?」
「イヴさんと!?」
「ええ。なにか問題が?」
「問題しかないっての! 何考えてるの、おばあちゃん! こんな変な事して遊ぶんだったら、私、家に帰るよ!?」
「はたして帰れるかしら? この山道を」
「いや、別に今日じゃなくても明日帰ればいいし」
「まあ、そんなつれない事言って。いいじゃない、イヴ。たまにはおばあちゃんと一緒に遊びましょうよ」
「ヤだよ。なんで大事な高校三年間を、おばあちゃんに捧げないといけないワケ?」
「……でも、女子高で、男の子と三年間過ごすのって面白くない?」
クリスチアーヌの、そのあまりのノー天気ぶりにしびれを切らしたタケオが口を開いた。
「クリスチアーヌ先生、お言葉ですけど、それはさすがにイヴさんが可哀そ──」
「面白い……とは思うけど」
「あれれぇ?」
「……でも、やっぱりあり得ないよ。傍から見てる分には面白いけど、三年もずっと男子と同じ部屋で過ごすのはちょっと……ううん、かなり抵抗がある。でも、あんたもそうなんでしょ? えっと……名前なんだっけ」
「イロハ、ですよイヴ」
「イロハ……なんか女の子ぽい名前ね」
タケオは横目でクリスチアーヌに助けを求めるように視線を送ったが、クリスチアーヌは目を閉じ、静かに首を横に振った。一気に突き放されてしまったと感じたタケオは、失意の中、項垂れたまま、口を開けた。
「は、春風彩華……です。昔から、女の子ぽい名前だねってよく言われます……」
「春風彩華ね。覚えたわ。……改めて訊くけど、あなたも嫌でしょ? 私なんかと一緒の部屋で住むのは?」
「俺……あたしは……その……ええっと……クリスチアーヌ先生には、逆らえませんし」
「それってつまり、イヤって事でしょう?」
イヴの切り込んだ質問により、完全に黙り込んでしまうタケオ。そして、さきほどよりもより鋭い視線でタケオを見るイヴ。やがて、そんなタケオを見かねてか、今度はクリスチアーヌが口を開いた。
「まあ、とにかく何も知らされて無いイヴからすると、なにがなんだかわからないのも無理はないでしょうね。……いろはさん、イヴにもあなたの事、話していいかしら?」
そうクリスチアーヌに言われたタケオは、黙ったまま、ちょこんと頷いてみせた。それを〝承認〟だと受け取ったクリスチアーヌは、タケオがなぜエトワール・ブリエに入学したのか、そしてなぜ女装しているのかを一から、丁寧に話して聞かせた。
イヴはクリスチアーヌが話している最中、何も訊かず、立ち上がらず、真剣にその言葉に耳を傾け、そしてクリスチアーヌの話が終わった頃、もうすでに陽は傾き、月が上空に照らし出されていた。
「……なるほど。ミヤビがそんな事を、ね」
一通りクリスチアーヌから話を聞いたイヴは、同情するような視線をタケオに送った。
「……はい。あの子の奔放さにも困ったものです」
「いや、おばあちゃんが一番楽しんでるよね?」
「そうでもありませんよ。いろはさんをこの学校へ入学させるのは、思いのほかホネが折れました」
「ならせめてニヤケるの止めよう? ……まあ、でも、ミヤビがそういう条件をつき付けてきたのなら、無理だってわかっても、それに乗るしかない……のかなぁ」
「わたくしも色々とミヤビを説得しようと思いましたが、結局条件を変える事は叶いませんでした」
「……説得したの?」
「いいえ? 説得しようと思いましたが、と言ったはずですが」
「ねえ、一番悪いのおばあちゃんじゃない?」
「いいえ。一番悪いのはタイミングです」
「いや、それっぽく言って誤魔化さないでよ。……うーん、でも、さ。改めて、聞けば聞くほど、こう言っちゃなんだけど、私、関係なくない? とばっちりだよね、これ?」
「ですね」
「いや、あんたが元凶だから! ……まあ、たしかに、こうなっちゃったいろはには同情する箇所はあるかもしれないけどさ、私、関係ないじゃん」
「……そういえば、なんでイヴ……さんはエトワール・ブリエに入学してきたんですか?」
俯いていたタケオが、思いついたように口を開いた。
「理由、かぁ……特にないかな」
「……え?」
「私、ぶっちゃけ、共学でも女子高でもどっちでもよかったんだよ。おばあちゃんみたいに、すごいデザイナーになりたいってわけでもないし、別に服が好きってわけでもないし」
「じゃあ、なんでここに……?」
「だから理由なんてないんだって。……あー、まあ、イロハにだったら言ってもオッケーかな? 私がエトワール・ブリエに入学したのは、おばあちゃんがいたから。いざって時に、助けてくれるかなって。まあ、なんというか、とりあえず高卒認定はとっておきたいかなって」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「で、でも……この学校に入学出来たんだから、それなりに勉強はしたんだよね?」
「ううん? この学校には推薦で来たよ?」
「まじ?」
「うん。だって、無駄に偏差値高いじゃん、ここ。私ってば勉強好きじゃないし、おばあちゃん、ここの偉い人だし」
あっけらかんと言い放つイヴに対して、タケオは唇を噛んで少しだけ俯いてみせると、すぐにバッと顔を上げてクリスチアーヌの顔を見た。
「……あの、クリスチアーヌ先生……!」
「あら、どうかした? イロハさん?」
「俺、こんなヤツと一緒の部屋、イヤです!」
────
すみません、〝いろは〟を〝イロハ〟と表記しているのは滑り止めです。ひらがなだとすこし流れが止まりそうだったので、カタカナで表記しています。ややこしくてすみません。
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