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魔物の影
しおりを挟む武闘家。
それがアーニャの選んだ職業だった。
てっきり魔法使い系の職業になるのかと思いきや、アーニャは自分に合っているから、という理由で武闘家になったのだ。
なんと健気な女の子なんだろう。
俺は一生、アーニャを養っていこうと決めたのでしたまる。
「――なんて考えてるけど、ホントに良かったのか? いまならまだ魔法使いに変えれるんだよ?」
「いいのです、ユウトさん、それにみんな。わたしは『どの職業になりたいか』、より『どの職業ならみんなの力になれるのか』、を選び取ったにすぎません。たしかに心残りがないか、と訊かれれば……なくはないのですが、もし、魔法使いになったとしてもそれは同じ。ですからわたしは、武闘家を選んだに過ぎません」
正直、魔法を使えない魔法使いでもアーニャの潜在能力なら十分戦える。
……なんて、口が裂けても言えないな。
とはいえ、これで武闘家を極めたら、完全に手が付けられなくってしまうな。
それはそれで、見てみたくはある。
「よう」
一通りの転職を終えたのか、クリムトが俺たちの輪に加わってきた。
気がつくと、日はとっぷりと暮れていた。その間、ずっと働き詰めだったクリムトの顔には、若干疲労の色が見えていた。
「おう、おつかれ」
「ああ、疲れた。ったく、何人魔物に変えてたんだよ。アークデーモンのやつ……」
「そういえば、おまえ、これからどうするんだ?」
「……そうだな、とりあえずは勇者の酒場本部を目指す」
「なんだ、もうここで神官やらねえのか?」
「アホか。見てみろ、この有様を。続けたくても続けらんねえだろうが」
そう言ってクリムトは周りを見渡す。
さっきまで掃いて捨てるほどあった瓦礫が、いまではもう全て、ヴィクトーリアの錬金術により、小道具へと変わっていた。
辺りは転職の間を残して、更地と化していた。
いやはや、飲み込みが早いというかなんというか……、ヴィクトーリアは熱中すると、周りが見えなくなってしまうタイプ、だということがわかった。
「す、すまない、クリムト殿。ついはりきってしまって、この有様だ」
「いやいや、いいんですよ。存分に使っちゃってください。ヴィクトーリアさんに使ってもらえるなら、神殿も本望です」
「適当なこと言ってんじゃねーよ。どうすんだよ」
「……とりあえず本部に行って、必要な神官の補充と、神殿再建の進言でもしてくるさ」
「そうか。てことは、正式におっさんの跡を継ぐことにしたんだな」
「まあな。あーあ、本音をいえば、もっとぶらぶらしたかったんだがな。おまえみたいに」
「誰がぶらぶらしてんだよ、誰が。俺たちには立派な使命があるんだよ」
「へえ……魔王退治か。だけど、それは最終目標だろ? こっから次はどうするんだよ?」
「まあ、こっからだと……どうだろうな。ポセミトールが近いから、その近くにあるキバト村だな」
「キバト村か……」
「……どうかしたのか?」
「いや、風の噂で聞いたんだが……、そこって美味いトマトが取れるって知ってたか?」
「トマト!?」
ヴィクトーリアが大袈裟に反応してみせる。
好きなのはトマトソースだけじゃなくて、トマトもなのね。
「そう。トマトが有名なんだが……、最近そのトマトが不作で、ポセミトールのトマトの単価が高騰してるんだよ」
「不作? それは別に、俺らが気にすることじゃないだろ」
「いや、それが天災や飢饉による影響だったら、俺もこんなことは言わねえよ。けどな、どうやら、そうじゃないみたいなんだ」
「……どういうことだ?」
「魔物の影響だとよ。ある日ふらっと、どこからともなく、バカみたいに強い魔物が現れたんだと」
「周辺の村や、もちろん卸先のポセミトールなんかが、討伐隊を編成したんだが、返り討ちにあった」
「はあ? おまえ、ポセミトールっていや、かなりデカい街だろ? そこにいる冒険者っていやかなりのもんじゃねえか。……どうせ、適当な冒険者だけで編成したんじゃねえのか?」
「いや、そうじゃない。ポセミトール市民は無類のトマト好きなんだ」
「おお、親近感……!」
「……だから?」
「だから傍から見たら、大袈裟なんじゃないか、てくらいの小隊で討伐に当たったらしいんだ」
「……それで、返り討ちにあったのか?」
「そうだ。ただ、奇妙なのは、その魔物はただ、畑のトマトを食い荒らすだけで、人的な被害は出していないそうだ。討伐隊も、ケガを負ったものの、誰一人として死んでいないらしい。身ぐるみは剥がれたらしいがな」
「なんだそれ……」
「だから忠告してんだよ。色々と気をつけろってな」
「はあ、まじかよ。……じゃあ、ここはキバト村は迂回して――」
「助けよう!」
「へ?」
ハッキリとした声で、ヴィクトーリアが俺の発言を遮ってきた。
あなた、なんか目がトマトになってませんか?
危険だよ。危ないよ。この子。
トマトのために、ともすればパーティ潰す気だよ。
「わたしたちで、困っているキバト村の人たちを助けるんだ!」
「いや、でもさ――」
「助けようじゃないか!」
「いや――」
「れっつ、どぅーいっと!」
「で――」
「助けちゃおう!」
「ゆ、ユウトさん、残念ですが、こうなってしまった以上、ヴィッキーは止められません……」
「……はい。見ればわかります」
「あ、で、でも、それにっ! 困っている人がいるのでしたら、それを助けるのもまた、めぐりあわせです。大丈夫、いざとなれば、わたしがユウトさんをお守りしますよ」
「あ、アーニャちゃん……!」
「大丈夫、いざとなったら、あたしがおにいちゃんを守るよ!」
「ゆ、ユウ……! ……おまえはいいや」
「では、とりあえず次の目的地はキバト村、ということでいいのだな!? あとから変更は聞かないぞ? 聞きたくないぞ?」
「うん、もうそれでいいよ」
「やたー! トマト! トマト!」
「……その魔物、直接こっちから手を出さない限り、向こうから攻撃してくることはないんだろ?」
「ああ、噂ではな」
「……あくまで噂ってとこ強調するなよ。不安になってくるだろ」
「知らねえよ、噂なんだから」
「……とりあえず、今日はもう遅い。明日からキバト村に向かう」
「おっと、そうだ。ユウト、おまえに渡すもんがある」
「なんだ?」
「これだ。有難く受け取れ」
そう言ってクリムトが差し出してきたのは、紅い、小さな文字列が縁に描かれている灰色の布切れ。
……隠者の布だった。
「……いいのか、これ?」
「持って行け。それ、もう使えねえだろ?」
クリムトは俺の腕に巻かれている、隠者の布を指さした。
たしかに、もうズタボロになっている。たぶん、アークデーモンに蹴飛ばされたときにやられたな。
これではもう、この布の機能は使えないだろう。
「……助かる。もらっておくよ」
「ああ、約束だからな。っと、そうだ、ヴィクトーリアさん、ちょっと質問があるんですけど……、いいですか?」
「無論だ。何でも聞くがいいぞ」
「……まあ、なんだ。変なことを聞くかもしれないんですけど、転職の間に行く前――アークデーモンに会う前に、なにか口にしていませんでしたか?」
「え?」
「なんだ、それ? そんなこと訊いてどうすんだよ」
「いや、転職が効かなかった。って言ったろ? でも、いまのヴィクトーリアさんは紛れもなく、錬金術師なわけだ。つまり、転職できている」
「……たしかに」
「で、俺なりにその原因を考えてみたんだよ。……それで、なにか思い当たりませんか?」
「うーん……」
「あ、そういうやヴィクトーリア、食ってたじゃん。饅頭。アムダ名物の」
「ああ、あの美味しかったものか! うんうん、確かに食べたな。もう一度食べたいものだ。……それで、それがどうしたのだ?」
「やっぱり……。こっからは俺の推論になるんだけど、たぶん食べた饅頭の中に、転職妨害物質のなんらかが入ってたんだろうな」
「なんでそんなものを……?」
「すでに人間に変わっていた魔物が間違って、戻らないように、だろうな」
「いや、でもあの饅頭、アムダの神殿内で普通に売ってるし、買おうと思えば誰でも買えるやつだぞ?」
「……ならおまえ、アムダの饅頭なんて食うか?」
「……食わないけど」
「そういうことだ」
「いやいや、どういうことだよ」
「あれは基本的に魔物と観光客用のものだって意味だよ。冒険者は転職に、観光客は観光に来てんだ。それに、アムダの大神殿は回転が早い。なおさら買って食うやつはいないんだ。よほどの食いしん坊……おほん、食べることが好きな人以外はな」
「な、なるほどな。そういうカラクリだったのか……てことは、今回、アーニャたちはヴィクトーリアの食い意地に救われたってことか……」
「な、なんだそれは! 嬉しくないんだが!」
「ありがとう、ヴィッキー!」
「ありがとうございます。ヴィクトーリアさん」
「うう……こ、今度から食べる量を減らす……」
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