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第8章

閑話 大司教の醜態と聖女の謀略

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 一見重厚そうでいて、その実大した厚みのない応接室のドア。
 教会が擁立した聖女アミエーラは、そのドアにベッタリと張り付いて室内の話を盗み聞いていた。
 侯爵令嬢とは思えぬ不作法ぶりである。



――こ、これはヘリング公爵閣下、ようこそお出で下さいました。しかし、貴い御身であらせられるというのに先触れを出さず、突然お1人で来訪されては、こちらとしても少々困るのですが――

――これはまた異な事を。神聖教会は、一切の身分や立場の垣根を除外し、あまねく民をいつ何時も受け入れる、と経典にて明言されているというのに。まるで、私に今ここへ来られた事が迷惑だと言わんばかりだ。

――いっ、いえっ! 決してそのような事は! た、ただ私は、上位貴族という責任あるお立場のお方が、貴族としての作法をお守りにならぬというのは、いささか問題なのではないかと……。

――おや。おかしな事を仰いますね。我々貴族の間でも、公的な理由や職務に関わりのない、完全な私用である場合は、先触れを出さずに大聖堂や教会の支部を来訪しても不作法には当たらない、とされているではありませんか。
 もしや……元はご自身も上位貴族であり、今や大司教という責任あるお立場にある方が、そのような基本的な事すらご存じないので?

――いっ……!? あ、い、いいえっ! 存じております! 存じておりますとも! わわ、私はただ、ヘリング公爵閣下の御身を案じておりましただけでっ!
 んん、ゴホンっ! そ、それより、困りますぞ公爵閣下! よく知りもせぬのに、本日我が教会がお招きしたお客人を勝手に連れ出し、何時間も拘束なされては。
 閣下のようなご身分の方からの申しつけでは、お客人も逆らえなかった事でしょう。

――いいえ、ザルツ村の方々と私は、決して知らぬ仲などではありませんよ? なにせ我がヘリング公爵家も、当時の国主が引き起こした問題の解決に動き出された、ザルツ村の方々の為、多少貢献させて頂きましたので。
 特にプリムとリトスの2人とは、それなりによい関係を築かせて頂いていると自負しております。

――そうですね。私も、ヘリング公爵閣下には当時とてもよくして頂いた、とリトス達から聞いております。御身の危険も顧みず、国主が放った者共の魔手から守り、匿って頂いたと。
 その節は本当にありがとうございました、閣下。私を含め村の者一同、当時の閣下の勇気とご英断に、心から謝意を感じております。

――そうですか、そこまで持ち上げられてしまうと少々面映ゆいですが、ここは素直にあなたの言葉を受け取るべきでしょうね。私としても、あなた方の助けになれた事を誇りに思いますよ。

――それより……私個人としては、謝罪の場を設けるという理由で、相手の都合もなにも考慮せず、一方的に来訪の日時などの予定を決め、半ば強引にお連れした客人を、職務の多忙を理由に一切のもてなしの用意もなく、2時間も応接室に放置しようとした方の、厚顔無恥ぶりの方がとても気にかかるのですが。

――挙句、実際に客人の応対に当たった神官は、客人に対してもてなしの心を持つどころか、まるで無為に押しかけて来た酔客でもあしらうかのような、それは酷い態度だったと聞いておりますし、そちらにおられるドロシー嬢に対しても、大変不遜な言動を取っていたとも聞き及んでいますよ。

――幾ら教会内部にシスターとして身を置いているのだとしても、出家していない以上彼女は子爵令嬢だ。教会内での教義などもありますから、へりくだれなどというつもりは毛頭ありませんが、必要最低限の礼節を以て接するべきなのでは?

――あ、あ、そ、それ、それは……。

――おや? 何を驚いていらっしゃるのですか、大司教。ここへ客人を招いた者が犯した非礼は、それだけではないのですよ?
 通常、目的はなんであれ、会食を伴わぬ場に客人を招く際には、客人の移動時間などを逆算し、客人が途中で空腹を抱えたり、睡魔に襲われたりせぬよう十二分に配慮するのが、ホスト側が払って当然の気遣いであり、礼節です。

――だというのに、ここへ客人を招いた者は、客人の到着時間になんら頓着をせず、昼時に到着して内心空腹を抱えておられるであろう方々を、何もない部屋の中に茶の1杯すら出す事なく、身勝手な都合で押し込め続けようとした。
 来訪される方々の身分が平民であるという事を理由に、客人を見下しておられたのでしょうか。

――大司教。身分は大きく異なれど、私も妻も、プリムとリトスを友人にも等しい存在だと思っております。その2人を粗雑に扱われた事に、私は大変な不快感を覚えているのですよ。
 此度の予定を汲んだ責任者を、ここへ呼んで頂きたい。私自らその者と、此度の件をしかと話し合い、プリムとリトスに誠心誠意謝罪させねば気が済まないのです。

――せ、責任者、ですか。それ、それについては、後でしっかりと、関係者の洗い出しを……。

――なぜ後になるのです。此度の件に関係する者が、複数名に及ぶとでも仰るのですか? このような杜撰な計画を立てた者が、教会内には何十人といると。
 今日び、デビュタントが済んだばかりの小さなレディでも、ここまでの醜態は晒さないというのに、なんという体たらくでしょう。

――重ねて申し上げます。此度の予定を汲んだ責任者を、ここへ呼んで頂きたい。そして、可及的速やかに相応の対応を成される事を強くお勧めします。このままでは最悪、御身の破滅を招きかねませんよ。それをお分かりになっておられないのか。

――は……あ、い、いえ……。そ、それは……そのぅ……。



 応接室内の会話をずっと聞いていたアミエーラは、大して厚みのないドアに耳を密着させたまま顔をしかめ、内心で(あの役立たず! 年若い公爵相手にあっさり押し切られてるんじゃないわよ!)と、大司教を罵りながら舌打ちした。

(全くもう! これだから、お金儲けしか能がない家の甘ちゃん坊やは! こうなった以上、やっぱり私が出るしかなさそうね!)

 アミエーラは張り付いていたドアから離れ、背後を振り返る。
 そこには、教会のシスター達を半ば恫喝するようにして用意させた、ティーセットと茶菓子が乗せてあるワゴンが一台置いてあった。
 当然このワゴンも、アミエーラがシスターに言いつけてここまで持って来させたものだ。

(ふん。安心なさい、役立たずのおじさま。謝罪がどうのなんて話し合い、すぐにできなくしてやるから……!)

 ニヤリと笑うアミエーラの手には、無色透明の液体が入った小瓶がひとつ、握られていた。

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