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第8章

閑話 大司教の誤算

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 その日の午後、神聖教会の司教達を束ねる立場にある初老の男性――大司教ラモンは、自室で1人優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。
 ラモンが侯爵家の令息であった頃からの習慣である。

「ふう……。これで王都も王家も、そして協会も、完全に落ち着く事であろう……」

 ラモンは静かに独り言ちる。
 先だって、あの女狂いの大馬鹿者が民衆の前で絞首刑に処され、次代の王の即位にも一定の筋道がついた。
 そして、件の大馬鹿者の処断を行うに当たって、9年前に大罪系スキルの所有を理由に放逐した公爵令嬢と第2王子の件も、上手く有耶無耶にできている。

 もっとも、それは公爵令嬢と第2王子が王都への帰還や、本来の身分・地位と名誉の回復を望まず、片田舎での静かな暮らしを選んでくれたお陰でもあった。
 その点に関しては、ラモンとしても心から両人へ感謝を捧げたい所だ。

 何もない山中の村に引っ込んで、他の平民と混じって貧しい暮らしをする事の一体どこに、王位や公爵家の継承権を捨てるほどの価値があるのか、ラモンには全く理解できなかったが。

 なんにせよ、此度の聖女擁立の効果は大きかった。
 かの公爵令嬢が愚王の処断に多大な貢献をした事により、一時期落ち込んでいた貴族達からの支持も、今やすっかり元通りになりつつある。

 いや、上手くすれば、現状大きく落ち込んでいる他国からのレカニス王国の評価を飛躍的に上げ、更なる信仰を集める切っ掛けにもなるだろう。

 聖女の力の最たるものは、『慈善』のスキルがもたらす強力な治癒と加護の力だが、そんなものは魔法でどうとでも誤魔化しが効く。
 何より、今のレカニス王国には戦火の足音は聞こえず、大規模な災害の予兆もない。
 小手先の誤魔化しでも、十分聖女として立ち続ける事ができるはずだ。
 香り高い紅茶を口に含みながら、ラモンは満足気にうなづいた。

 今回聖女として立てたのは、ラモンの実家であるガナンシア侯爵家の親戚に当たる、アムリエ侯爵家の末娘・アミエーラ。
 無論、最初に聖女候補としてアミエーラを推したのはラモンである。

 ラモンがアミエーラを推薦したのは、水面下で聖女擁立の話を聞き付けたアムリエ侯爵から、密かに多額の献金を受け取っていた事が最たる理由だ。
 しかしながら、ただ金に目が眩んだだけで、アムリエ侯爵の差し出す手を取った訳ではない。
 一度アミエーラと対面し、聖女として、神聖教会の御印として相応しい資質があると、そう判断したからこその推薦でもあった。

 他者に軽んじられる事のない高貴な血筋、美貌。
 上位貴族の令嬢としての知識と優雅な所作。
 そして、他者を前にしても揺らがぬ意志の強さ、毅然とした態度。
 これこそ衆人環視の前へ出るに相応しい聖女であろうと、ラモンは確信していた。

 ただ――ラモンは知らない。
 アムリエ侯爵は、末娘を客観的に評価できない親バカな上、娘の言う事ばかりを何でもホイホイ鵜呑みにする、どうしようもないバカ親であるという事を。

 アミエーラが途轍もない猫被りであり、侯爵令嬢としての地位に相応しい振る舞いをするどころか、常日頃から傲慢で我が儘放題な言動を繰り返し、嫁のもらい手以前に婚約者探しにすら苦心している、ド級の事故物件娘であるという事を。


 世の人は言う。
 無知たる事は罪であるが、それと同時に幸福な事でもあり、世の移ろいを知らぬ者は神にも等しい余裕を持つ、と。


 今のラモンはまさに、上に記した言葉通りの状態にあった。
 しかし、そんな優雅で余裕のある状態が長く続くはずもない。

 ラモンが小さなスコーンに手を伸ばそうとしたその時、「大司教様! 大変です!」という切羽詰まった声と共に自室のドアが乱暴に開け放たれた。
 誰かと思えば、ラモン子飼いの神官長だ。

 ラモンは反射的に肩を大きく跳ねさせつつ、口から飛び出かけたみっともない悲鳴を、寸での所で飲み込んだ自分を褒めてやりたい、と心から思った。
 それから、余裕を取り繕う為にティーカップを手に取る。

「……っ!? な、なんだ騒々しい! 神の膝元に近しい、神聖な神殿内でそのような――」

「そ、そのような事を言っている場合ではありませんっ! せ、聖女様が、アミエーラ様が教会の許可なく神官達と側仕えのシスターを連れて、かの精霊の村へ押し掛けようとしたと……!」

「ブフッ!!」

 その言葉を聞いたラモンは、口に少量含んだ紅茶を反射的に噴き出した。

「だっ、大司教様!?」

「ゴホッ、よ、よい、気にするな。……して、聖女はどうした? 精霊の村から無事歓待を受けたのか?」

「い、いえ、それどころか、御山の周囲に張り巡らされた、悪意ある者を退ける結界に阻まれて入山できず、衆人環視の中酷い醜態を晒した挙句……つい先ほど、全身泥にまみれたお姿で、失神したままご帰還されたそうです……!」

 ラモンの顔から血の気が引く。
 ティーカップが手から滑り落ちて、白いテーブルクロスの上に赤茶色の染みをつけた。

「……。我らが……神聖教会が立てた聖女ともあろう者が、悪意ある者を退ける結界に阻まれ、村へ参じるどころか山にすら入れず……だと……?」

「……はい……。そのように、伝え聞いております……」

「……神官長。今しがた、聖女が酷い醜態を晒したと言ったな? 具体的には、どのような醜態だと聞いている……?」

「……同道した神官達が言うには、聖女様は結界に阻まれて入山できない事に、酷く激高されたそうで……。他の者達の入山を妨げたまま騒ぎ続け、お諫めしようとしたシスターに手を上げようとした、そうです。
 そして、自分でも知らぬまま、結界の中へ逃げ込んだシスターを追いかけようとして……ご自身は結界に強く拒絶され、その衝撃で失神されたとの事です。
 当然ながら、聖女様の振る舞いは入山を希望して集まっていた、多くの平民達に目撃され……。しかも悪い事に、その中には、お忍びで山へお出でになった、上位貴族のご夫妻のお姿もあったほか、精霊の巫女様と思しき女性の姿も――」

「…………」

「あ、あの、大司教様……?」

 おずおずと声をかけてくる神官長。
 しかし、その声はラモンの耳に届かない。

 ラモンは、自身の生家から持って来させた気に入りの椅子に座ったまま、後ろに倒れて気を失った。

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