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第2章

閑話 崩壊の序曲

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 ケントルム公爵家の家紋を戴いた豪華な馬車が、軽やかな音を立てて朝靄あさもやに煙る道を行く。
 互いに対面に座っていながら、まるで口をなくしてしまったかのように黙り込み、一切言葉を交わそうとしない父母の姿を尻目に見ながら、エフィーメラは元から小さな身体を一層小さく縮こまらせていた。

 エフィーメラは考える。
 どうしてこんな事になったのだろうか、と。

 思えばあの日……腹違いの姉が追放されたあの日から、色々な物事が急速に狂い始めたように思う。
 姉の代わりに婚約を結んだはずの美しい王子は、その実暴力的で恐ろしい人だったし、婚約者に暴力を振るわれて泣きながら戻った家では、その日のうちに母が体調を崩して寝込み、数日後には父が倒れた。

 使用人が言うには、風邪を引いた、という事らしいが、その割に何日も熱が下がらず、病床を見舞う事も許されない。
 それから1週間以上経った頃になって、ようやく父母は姿を見せたが、どちらも顔やら腕やらに包帯を巻いていた。感情どころか表情さえも伺えないほど、分厚く巻き付けられた包帯の隙間から見えるのは瞳だけだ。

 包帯の隙間から覗く双眸に見据えられた途端、エフィーメラは思わずその場から逃げ出した。
 白い布の間からこちらを凝視してくる父母の眼差しが、酷く恐ろしかったのだ。



 そして、異様な姿となった父母と顔を合わせた数日後。
 突如父から「領地の外れにある別荘へ行く」と聞かされたエフィーメラが、身支度もそこそこに室内から引っ張り出され、4頭立ての大きな馬車の車内へ押し込まれたのは、まだ夜が明けて間もない早朝の事だった。

 寝ぼけまなこを擦りながら父と馬車に乗り込めば、そこには既に、外出用の簡素なドレスを身に着けた母が身を置いていた。
 馬車の床には、大小さまざまな大きさのトランク、カバンなどの荷が積み込まれ、足の踏み場がほとんどない。

 なぜ、こんな時間に領地の外れへ出発するのか。
 なぜ、馬車の中にこんな大荷物を積み込んでいるのか。
 なぜ、父も母も顔や手に包帯など巻いて肌を隠しているのか。

 エフィーメラの頭の中は疑問で溢れていたが、なにも問えなかった。
 馬車が出る直前、父が発した「お前はいい子だから、口答えしないでくれるね?」という一言が、恐ろしかったから。
 口調はいつものように柔らかかったが、酷く低く、奇妙にしわがれているその声色に、言いようのない圧を感じたのである。


 一切会話のない、重苦しい空気にひたすら耐えながら、どれほどの時間馬車に揺られていただろうか。
 早朝からの移動で眠くなり、うつらうつらし始めていたエフィーメラは、不意に襲ってきた大きな揺れと、複数の馬のいななきによって叩き起こされた。

「どうした! 何が起きた!」

 馬車の椅子から腰を浮かせた父が、御者に向けて鋭く問うが、返答はない。
 返事の代わりとばかりに聞こえてきたのは、馬車のドアが外側から硬い何かで殴り付けられる音。次いで、ドアが大きくひしゃげてメキメキと恐ろし気な音を立て、馬車の外が一気に騒がしくなった。

 ヒステリックな甲高い声や、ガラの悪い低い声が幾つも折り重なって入り交じっている。もはや誰が何を言っているのかほとんど聞き取れないが、小さな耳が辛うじて拾った声は、父への悪意と憎悪に満ちていた。

 ――出て来いケントルム公爵! このクズ野郎!

 ――俺らが食うにも困ってるってのに、なにしてやがった!

 ――自分達だけ逃げる気か! ふざけるな!

 ――お前ら貴族のせいで、街はもう滅茶苦茶だ!

 ――責任を取れ! 見て見ぬ振りなんて許さねえぞ!

(この人達、なにを言ってるの? 逃げるって? 責任ってなに? お父様がなにをしたって言うのよ!)

 理不尽な罵声に憤って身を乗り出しかけたエフィーメラを、母が「やめなさい!」と叱責して腕の中に抱き込む。

「だってお母様!」

「外にいるのはみんな野蛮人なのよ! 危ないから大人しくしていなさい! きっと、すぐに警備の兵が来てくれるわ! そうよ、すぐに……っ」

 母の腕の中、訳も分からないまま身を固くしていたエフィーメラの眼前で、ついに馬車のドアが叩き壊され、蝶番ごと馬車の車体から剥ぎ取られる。
 それと同時に、外から伸びてきた幾つもの手に身体を掴まれ、父が馬車の外に引きずり出された。

 衝撃的な光景に目を見開いたのも束の間、次の瞬間には、エフィーメラも母諸共馬車の外へ引きずり出される。しかし、力づくで外へ出されたせいで力が緩んだのか、エフィーメラは母の手から離れ、地面に転げ落ちた。

(い、痛いっ! お、お父様! お母様……っ!)

 期せずして転がる羽目になった、硬い地面から見上げた外。
 そこに数え切れないほどの平民達の姿がある事と、平民達の誰もが自分達を酷く睨んでいる事に気付いたエフィーメラは、思わず「ヒッ!」と短い悲鳴を上げた。

「あなた! どこなのあなた! 助けて! このっ、離しなさい無礼者! 私を誰だと思って……きゃあっ! 痛っ、痛いっ! 離せ! はなっ……いぎゃああッ!」

 そう遠くない場所から、母の悲鳴が聞こえる。
 やがて、地面に落とされた痛みと恐怖で震え上がり、その場にうずくまっていたエフィーメラの眼前に、大きな足がぬっと現れたかと思うと、その足がエフィーメラの身体を蹴り飛ばしてきた。

「あぐッ!」

 力任せに蹴られた小さな身体が、まるで木っ端のように吹き飛ぶ。
 そのまま地面をゴロゴロと転がったエフィーメラは、路地の壁に叩き付けられた。半分意識が飛んで、ついに指の一本も動かせなくなったその耳に、話し声が聞こえてくる。

 ――おい見ろよ。ガキの方はザクロ風邪に罹ってねえみたいだぞ?

 ――へえ。公爵が大事に匿ってたからなのかねえ?

 ――ツラが無事だってんなら、身ぐるみ剥いで売り飛ばそうぜ。

 ――お、いいねえ。親の罪滅ぼしとして、当面の酒代に化けてもらうか

 ――貴族のガキは見た目がいいからなぁ。きっと高く売れるぜ?

 複数の男達の下卑た笑い声が耳朶を打つ。
 その記憶を最後に、エフィーメラの意識は闇に沈んだ。


 陽が昇り切った同日の朝。
 王城に、ケントルム公爵一家が早朝、馬車での移動中に暴徒の襲撃を受けた事と、襲撃によって公爵夫妻が死亡した事。そして、公爵の娘であり、王太子の暫定的な婚約者でもあった令嬢が行方不明になった、という一報が届けられ、報告を受けた王は、即日行方不明になった令嬢の捜索を行うよう命じた。
 だが、それはあくまで形だけの対外的な振る舞いでしかなく、令嬢の捜索が本腰を入れて行われる事は、ついぞなかったらしい。

 その後王は王太子に勅命を下し、事件を起こした平民の捕縛と、ケントルム公爵家の屋敷の封鎖、警備巡回を行わせた。
 王太子が指揮する兵に捕らえられた平民の多くは、王の名の元、状況証拠だけで有罪とされた挙句、王都の広場で見せしめとして処刑され、その様は多くの民の胸中に、現王への強い不満と反発心を植え付けたという。

 そして、警備巡回が始まった数日後。
 ケントルム公爵家の屋敷から、後に残されていた公爵家の資財を、夜陰に紛れて密かに持ち出す人間が複数名いたのだが――なぜかその事実を知る者は、どこにもいなかった。
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