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第2章
閑話 不遜の愚王と公爵家の不穏
しおりを挟むその日、王都は朝から雨が降り続いていた。
秋の初めとは思えぬ高温も相まって、住人達の不快指数は上がるばかり。
それは平民のみならず王侯貴族も同様であり、レカニス王も湿気にまみれた執務室で、イライラしながら机仕事をしていた。
しかも、自身が王太子であった頃より仕事の補佐に就いている、数人の側近達から決済の書類に難癖をつけられた挙句、書類の処理について横から逐一口出しされるという状態であった為、尚更イラつきが募る。
しかし、側近達から仕事のダメ出しを喰らうのも、執務室の机に張り付かれ、横から口出しされるのもいつもの事。
今から十数年前、前王が崩御した直後、王位継承を待つばかりであった当時の王太子――自身の兄王子に冤罪を被せ、それに異を唱える者達諸共、兄王子を王都から追放し、自身が王となってからというもの、ずっとこの調子だ。
なぜなら現レカニス王は、大層仕事ができない男だったからである。
書類の文章を読み間違えたり、誤字脱字を含めた書き損じを出すのは日常茶飯事。酷い時には、文章の内容をきちんと理解していない事さえあるほどだ。
それでも最初は、むきになって1人で仕事をしていたが、長くは続かなかった。
年末の決済時、度重なるミスと勘違いから国庫に酷い赤字を出していた事が判明し、財務管理官を卒倒させて以降、王の傍には必ず補佐官が付くようになったのだ。
その醜態には、かつて現レカニス王の甘言に乗り、兄王子の追放に加担した文官達ですら、「あのザマでよくも、自身が王になろうだなどと画策したものだ」と陰口を叩いたほどである。
だが、そんな男でも王は王。
国が存続している以上、仕事や報告は絶えず舞い込んでくる。
そして今もまた、外からの報告を携えた文官が王の執務室を訪れていた。
「奏上申し上げます。貴族街第3区画と、そこに隣接している平民街第1区画にて、ザクロ風邪の流行が確認されました。つきましてはその対策に――」
「ああその事か。捨て置け」
「……は? な、なにを仰るのですか、陛下。ザクロ風邪は厄介な病で、特に子供や老人にとっては死病も同然の……」
「くどい。アレの事なら私も多少知っておる。体力のある若い者ならば、罹った所で別に死にはせんのだろう? 死病とは大袈裟な。
そもそも、ザクロ風邪で無駄飯食らいの年寄りが死んでいなくなるなら、それに越した事はなし。子供が死んで数が減るのなら、また女共に産ませればよい。病が外に漏れんよう、隔離と封鎖だけ徹底しておけ。さすればそのうち静まるであろう」
「な、なんという……っ! その、む、無理でございます! 感染者が確認された区画は、貴族街、平民街共に、王都の主要産業が集中している場所にございます! 特に平民街の方を封鎖しては、食料の流通に深刻な打撃が」
「そのような事にはならぬ。なぜなら我が息子シュレインには、神の加護があるからだ。王侯貴族であっても、数世代に一度の割合でしか賜る事が叶わぬ、至高にして至上のスキル……美徳系スキル『謙虚』の加護がな!
美徳系スキルの保有とはそれすなわち、天上の神々から寵愛を受けているという証左に他ならぬ! シュレインは神の愛し子なのだ! その我が息子を、ひいてはその所有物である王都を、神々がお見捨てになる訳がなかろう!
分かったなら下がれ。私は忙しいのだ。これ以上些事で私を煩わせれば、貴様にも天の裁きが下ろうぞ。神の愛し子たる王太子の実父、すなわち私の事も、天はお守り下さっているのだからな!」
「……。御意のままに。貴族街第3区画、並びに平民街第1区画の案件に関しましては、こちらで相応の処理、処置を致します……。失礼致しました……」
「ふん。下らん話で人の手を止めさせおって」
とぼとぼと去っていく文官の背中を睨み、不愉快そうに鼻を鳴らしながら、レカニス王は手元の書類に視線を落とす。
傍らに立つ側近の、氷のように冷え冷えとした眼差しにも気付かないまま。
◆
同刻。
貴族街第1区画にあるケントルム公爵家には、つい先ほど王城から戻って来たばかりの、幼い少女の金切り声が響いていた。
「ねえお母様聞いて! シュレイン殿下が酷いの! 私が折角仲よくしてあげようと思って、一生懸命話しかけてあげてたのに、「うるさい」って! それでっ、私の事ぶったのよ! あんまりだわ!」
エフィーメラは駆け込んだ母の部屋で、椅子に座った母の膝に取りすがって泣き喚く。
その左頬は、分かりやすく赤く腫れていた。
常識的に考えるならば、幾ら未来の王であろうとも、公爵家の令嬢に手を上げるなど許されぬ暴挙。
そのような事があったなら、通常即座に王へ報告が成され、その日のうちに王太子に対して、王、もしくは王妃が直接叱責を与える事になる――はずなのだが、残念ながらこの国では、そうはならない。
小物の王は、至上のスキルを天から賜った息子を妄信し、息子を溺愛している王妃は、息子の不祥事を他人のせいと決め付け、息子を無駄に庇ってばかりいる。
そんな両親の言動を受けた王太子は日ごとに増長し、周囲の者達へ暴言を吐き、暴力を振るうようになり始めた。やがて王太子付き使用人や侍女、側近候補達も、自分が被害を被らないよう、王太子の言動から目を背けるようになっていく。
王太子の増長は止まる所を知らず、今や下手に王太子の機嫌を損ねれば、物理的に首が飛ぶ事さえ考えられるこの状況下。主人に対して苦言を申し立てられる者など、もはやこの国の王宮には存在しない。
心ある貴族達からの信頼は既に地に落ち、筆頭公爵家を始めとした有力貴族や諸侯も、水面下で王家を見限る算段を始めていた。
「周りの使用人や侍女も、全然殿下のやる事に口を出さないの! 殿下が私をぶっても、見てない振りをするのよ! 最低だと思わない!? ねえ、お母様、聞いてるの!?」
「……まあ、そうなの……。それは酷いわね……」
エフィーメラは必死に訴えるが、母アナトラの反応は薄い。
「ごめんなさい、エフィ。お母様……今日は何だか頭が痛くて……。その話は、お父様がお戻りになってから、もう一度しましょうね……。そこのお前、エフィを部屋に戻してちょうだい」
「かしこまりました」
「えっ、なんで? お母様? 私――」
「お嬢様、お部屋へ戻りましょう。奥様はお身体の具合がよろしくないそうです」
「……。お父様が戻ったら、ちゃんとお話ししてね……? 約束よ……?」
エフィーメラは侍女に促されるがまま、渋々アナトラの部屋を出ていく。
しかしこれ以降、エフィーメラが父母とまともに言葉を交わす機会は訪れなかった。
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