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第4章
6話 食えない王子の本音と真実
しおりを挟む困った事になった。
応接室の立派なソファに腰を落ち着けながらも、私は、ただただ綺麗な作り笑いを浮かべている王子様に、どう答えたモンかと思案する。
なんでも用意します、ねえ。
急にンな事言われてもなぁ。
ホント、どうしたもんだろう。
今現在、人に買ってもらってまで欲しい物なんて特にないし、仮にあったとしても、ソイツを王子様に強請るなんてアホな真似、死んでもできん。
えーと、えーーと……。
あっ、そうだ!
よっしゃ、いい事思い付いたぜ!
「では――私に、あなたの本音を頂けますでしょうか」
熟考が招いた数秒間の沈黙ののち、私は目の前の王子様にそう頼んでみた。
「はい?」
私の発言が想定外だったのか、ティグリス王子が分かりやすいキョトン顔をする。
「その……申し訳ございません、聖女様。ご発言の意図を図りかねるのですが……」
「要するに、あなたがこの国へお出でになった本当の理由などを、是非ともお伺いしたいな、と思いまして。詰まる所、腹を割った開いた話し合いがしたいと考えた、でも申しましょうか。
失礼ですが、ここへお出でになって私達を話をしている間、あなたはずっと感情や表情を取り繕っていらっしゃるでしょう? できたらそれを取り払って頂いて、ありのままの素顔をお出しになった殿下とお話がしたいのです。その方が、私としても安心できますから」
ティグリス王子は私の言葉を聞いた途端、あからさまに目を見開いて驚き、それから、ふっ、と小さく笑う。
今までの作り笑いとは違う、自然な笑みだった。
それから、ティグリス王子が突然真顔になる。
いや、これはちょっと落ち込んでるのかな?
「やはり、聖女様はとても聡明な方でいらっしゃる。――ええ、仰る通りです。私はずっとあなたの前で、感情も表情も取り繕い続けていました。
お恥ずかしい話なのですが、実は私は、昔から笑うのが苦手なのです。社交用の、綺麗な笑みを浮かべるのが」
渋い顔で、ふう、とため息を零すティグリス王子。
あぁ~……。成程ねえ……。
そういう事情がございましたか……。
うん、よく分かりました。そらしんどいわ。
誰にでも向き不向きはあるけど、それを言い訳や免罪符にできない身分だもんね。
周囲の王侯貴族が彼をどう評価してるのかまでは知らんけど、個人的には、こうして逃げずに努力して頑張ってるってだけでも、褒めてあげたい気持ちになってくる。偉いぞ、王子様。
つか、こういうまともな思考回路した身分の高い男性、久々に見たよ。
「無論、私とて一国の王子……公人です。笑うのが苦手だからと言って、いつまでもそれを厭い、避けて通っている訳にはいきません。
周囲の者から教えを受けた末、しっかりとした笑顔を作れるようになり、内心で自信を得ておりましたが、誰にでも通じるレベルのものではないようですね。奇しくもそれを、あなた様に証明されてしまいました。
未熟な身でありながら、さながら外交官のような振る舞いをし、あなた様に不安を抱かせてしまった事、改めて謝罪させて下さい。申し訳ございませんでした」
その上、わざわざソファから立ち上がり、深々と頭を下げてくるティグリス王子に、私は慌てて「どうか頭を上げてお座り下さい」と声をかけた。どんだけ真面目なのか。
ノロノロと顔を上げたティグリス王子は本当に申し訳なさそうな表情をしていて、こっちこそ勘ぐっちゃってごめんね、と謝りたくなる。
いやはや。この分だと、キツネ王子だという評価すら誤解である可能性が出てきたぞ。
もしホントにキツネじゃなかったらマジゴメン。
「そうだったのですか。自国で苦労なされているのですね。どうかお気になさらず。自らの立場を慮った殿下の行動、ご立派だと思います」
「暖かなお心遣い、ありがとうございます。いや、自国の貴族令嬢や令息にはきちんと通用するので、ここでも問題ないと思っていましたが、ものの見事にダメでしたね。本当にお恥ずかしい限りです」
ティグリス王子が苦笑いする。
ああまあ、そうだろうなあ。
めっちゃイケメンだもん。ティグリス王子。
特に人生経験の浅い小娘……もとい、純粋培養なお嬢様方なんかは、ニッコリ笑いかけられただけでコロッといっちゃうだろうよ。
顔だけじゃなくて頭も性格もいいし、変な勘違いをする子が出て来ても、なんら不思議じゃないくらいのイケメンっぷりだからねえ、この王子様。
私は笑いかけられてもなんも感じないし、「あー、イケメンだなあ」くらいにしか思わないけど。
……あれ? もしかして、女としてなんか色々と間違ってんのかな。私。
「――さて、聖女様は私の本音をご所望との事ですので、早速それにお応えしたく思います。ただ、私の立場上、何もかもを包み隠さず話すという事は、流石にできかねますが……」
「勿論です。私は王子殿下の頭の中を覗きたい訳ではありません。あなたという個人と、わだかまりなく話をしたいだけですから」
「……! それは……とても光栄です、聖女様……!」
私の発言を聞いた途端、ティグリス王子が、パアア、という擬音が聞こえてきそうなくらい、目と表情を輝かせた。
え、何その反応。解せぬ。
つか、なにゆえ?
そこまで感激されちゃうと、逆に腰が引けるんですが。
「そういう事でしたら、是非とも今晩、夕食をご一緒して頂けませんか? 使徒様もご一緒に」
「えっ?」
話がひと段落したと思った矢先、ティグリス王子がまたもやとんでもない事を言い出す。
おいおいおい! ちょい待て!
私もシアも平民なんですけど!
なのに王族と一緒にメシ食えって!?
無茶振りが過ぎるだろ!
「諸々の問題が起きないよう、場所は大聖堂の内部でいかがでしょうか。勿論、そちらへご迷惑やお手数をおかけしないよう、私の使用人達や大使館の料理人を連れて参りますし、食材も持って行かせます」
「は、はあ。そこまで言って頂けるのなら、お言葉に甘えたい所なのですが……。ただ、エドガーはまだしも、私と妹はただの平民ですので、王族の方と一緒にテーブルを囲めるだけのマナーは……」
「ああ、その事でしたら気にしません。聖女様方が平民である事は元より存じておりますから、マナーに目くじらを立てる方が愚かというものでしょう。……ダメでしょうか?」
……。あのですね。そんな、飼い主に置いてけぼりにされた犬みたいな目ぇするの、やめてくれませんか。王子様。
思わず視線だけで、ちら、とエドガーの方を見遣るが、エドガーは呆れ半分困惑半分といった表情で肩を竦めるばかり。
しょうがねえから、ここは大人しく一緒にメシ食っておこうぜ。……と言いたいようだ。
公人としてではなく、あくまで個人的なお願いというのも相まって、流石のエドガーも、角を立てずに上手く断る理由が思い浮かばないんだろう。
マナーは気にしませんよ、って、先んじて言われてしまったし、どうやら、首を縦に振る以外の選択肢はなさそうだ。
「……分かりました。ただ、こちらとしても殿下のご厚意に甘え切って、諸々の準備を全てそちらへ押し付けてしまう訳にはいきませんから、多少時間を頂きたく思います。その辺りを加味して……夜の8時頃でいかがでしょうか?」
「はい、それは勿論! 私の我が儘を聞き入れて下さり、本当にありがとうございます、聖女様! 今晩、お三方と胸襟を開いた話ができる事を、心から楽しみにしております!」
ティグリス王子が満面の笑みを浮かべながら、再びこちらへ頭を下げてくる。
作り笑いはなんかちょっと胡散臭い感じだけど、今目の前で見た笑顔は、どことなく幼さが残る無邪気なものに見えた。
◆◆◆
夜の8時を少し過ぎた頃合い。
テーブルに料理を先置きしてもらい、使用人と給仕を下がらせた夕食――と言うか、どっちかというと非公式の会食に近い――は、和やかな雰囲気の中で始まった。
ティグリス王子曰く、ノイヤール王国からの歓待を受けられない事を承知の上で、強行的日程でここへ来たのは、リーディクルス王子を前にして一歩も引かなかった、私という個人に興味が湧き、個人的に話をしてみたいと、強く思ったからだそうだ。
実は、ティグリス王子の腹違いの弟であるリーディクルス王子は、確かに昔から父王とその寵愛を笠に着た実母、ディエタ妃に甘やかされまくって育ったが、武芸の腕を磨く事は厭わなかったそうで、結構な剣の使い手なのだという。
しかしながら、リーディクルス王子はその見事な剣の腕を、弱きを助ける為でなく、己の我を通し、欲を満たす事にばかり使っていた為、下の身分の者が面と向かって逆らう事など、全くできなかったのだそうな。
まあ要するに、典型的な迷惑系脳筋野郎って訳ね。あの的外れ王子は。
道理で人の話聞こうとしねえ奴だなと思ったら、そういう事だったのか。
とにかく、リーディクルス王子はそういう野郎なので、一部の貴族達からは水面下で鼻つまみ者として扱われ、貴族のご令嬢からも思くそ距離を取られていたようだ。
当然、婚約者もいない。
ぶっちゃけ、婚約を申し出る家がないのだという。
だろうね。
これが立太子されてる王子や、王位継承権の優先順位が高い王子とかだったら、王命で婚約者を決めてしまう事もあるんだろうけど、将来的に臣籍降下がほぼ内定してる第6王子では、それも無理筋。
上位貴族の目線で見ても、上記のような条件では婚姻を結んだ所で旨味が薄い。
挙句、問題の第6王子が絵に描いたような脳筋素行不良野郎じゃねえ。
もう視野に入れるまでもなくアウトだろ。そんな奴。
親としても貴族家の当主としても、ンな奴に大事な家の娘を嫁がせたくねえわな。
つか、幾ら貧乏くじの押し付け合いとたらい回しの末とはいえ、よくもまあそんなアンポンタンをよその国に留学させようなんて思ったもんだよ、南の国の王様は。
ともあれ、ティグリス王子が供してくれた美味しい料理と上質なワインのお陰で話は弾み、徐々に酔いが回って気分がよくなっていく。
そんな中、真っ先にアルコールにやられて口が軽くなったのは、ティグリス王子その人だった。
と言うか――
「だから、俺は父上に言ったんですよ! 兄上のやりようをこのまま放置していたら! そのうち本当に、無実の罪で刑を執行される者が出てくると!」
ティグリス王子が赤ら顔で声を上げ、粗方料理の片付いたテーブルを、バン、と両手で叩く。
いやはや、なんと申しますか。
どうもティグリス王子は、あんまり酒癖がよろしくない人のようだ。
まあ話を聞く限り、甘っちょろくて日和見な親父さんと、天上天下唯我独尊野郎な兄貴から被ってる迷惑が元で、ストレス溜まりまくってるせいでもありそうだけど。
そんなこんなで、すっかり酔っ払ったティグリス王子のシャウトは続く。
「なのに父上ときたら、「あれもまだ立太子から日が浅く、経験が足りないだけだ。そのうち適切な振る舞いができるようになるだろうから、それまで陰から助け、見守っておれ」などと言うんです!
なにが「立太子から日が浅い」だ! 兄上が立太子されたのはもう1年以上前の話だというのに! 一体いつになったら昔の気楽な王子様気分が抜けるんだあの人は! いい加減にしろ! 俺の胃に穴を開ける気か!!」
あーあーあー。半泣き入ってんじゃん、ティグリス王子。
ちなみに今現在、酔いが回ってタガが外れた途端、魂の叫びを喉から迸らせ始めたティグリス王子の声を聞き付け、すわ何事かと血相を変えた数名の使用人さんが、室内に入って来ている。
だが、案の定というかなんと言うか、ティグリス王子をなだめにかかる人はあれど、黙らせる事ができる人は誰もいないようで、ティグリス王子は、さっきからもうずっとこの調子だ。
無論、私とシア、エドガーも、時々やんわりティグリス王子に声をかけているが、まともなリアクションは一度として返ってきていない。
つか、こっちの声が聞こえてるかどうかも怪しい。
どちらにせよ、部外者である私達にできる事などたかが知れていて、後はただ、何とも言い難い気分でティグリス王子と困っている使用人さん達を見ているばかり。
気付けば文句と泣き言を言いながら、本当にべそべそ泣き始めているティグリス王子。
どうやら泣き上戸なようだ。
そのうち使用人さんの1人が私の側に、すすす、と近づいて来て、「皆様、大変申し訳ございませんが……ここでお聞きになった事は、なにとぞお忘れ下さいませ。何分その、いわゆる王家の醜聞にも等しいお話ですので……」と、非常にばつの悪そうな顔で仰ってくる。お疲れ様です。
そんな使用人さんに対して、私も神妙な顔で「ご心配なく。心得ております」と短く答えておいた。
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