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第1章
7話 因果応報、ダメ王子
しおりを挟む何ともいやぁ~な笑みを浮かべたまんま、名乗りを上げてふんぞり返っているクソ……もとい、王子様が、もう一度「ほら、早く這いつくばれ」とのたまってくる。
うっわぁ~~!! ムッカつくぅ!!
けど、何がどうしてこういう事になったのか、全く状況が分からないのも確か。
人見知りで大人しいうちのシアが、初対面の人間に無礼なんて働けるはずもないと分かってるけど、ここは一応姉として、状況確認くらいはしておくべきだろう。
しかし、怒鳴り付けないよう自制するだけでも結構大変だ。
「ねえ、いきなり這いつくばれとか言われても困るんだけど。一体うちの妹が何をしたってのよ」
「貴様、何だその口の利き方は! 身分と立場に相応しい喋り方をしろ!」
ああ、はいはいはい。分かりました。
敬語を使えばいいんですね、敬語を。
「……。いきなり這いつくばれと言われても、事情が分からないので困ります。うちの妹が何かしましたか?」
仕方がないので適当な敬語に言い直すと、ちょっと満足気な顔になって、「よし、分かればいいんだ」などと言い出す王子様。
よし、じゃねーよ。
態度と口調を目の当たりにしても、相手が自分に敬意を払ってるかどうかすら分かんねえのか、こいつは。様づけして呼ぶのも馬鹿らしくなってくる。
「いいか、貴様の妹は無礼にも、この俺の横を挨拶もなしに通り過ぎたばかりか、注意をした途端逃げ出したのだ!」
「……ち、違うもん。ちゃんと、こんにちはって、言ったもん……っ」
王子……えーと、エドガーだったっけ? の言いざまに、流石に納得いかなくなったのか、シアがか細い声ながら反論する。
しかしエドガーは、細い眉を一層キリキリ吊り上げてシアを怒鳴りつけた。
「バカか貴様は! あんなものは挨拶とは言わん! 腰を直角に曲げてへりくだり、俺の姿が見えなくなるまでそのままでいるのが正しい挨拶だ! 城にいる俺の臣下は、どんな時でも全員そうしている!」
ンな訳ねーだろ。ウソつくんじゃねーよ。
てめーが気まぐれに廊下を通り過ぎるたびに、いちいちそんな挨拶してたら仕事にならんわ。
「全く、どこまでも無礼な女だ。本来ならば、問答無用で牢屋に放り込んでやる所だぞ。寛容なこの俺が、直々に襟首掴んで部屋に連れて行き、説教する程度で済ませてやっていたというのに。もっと感謝したらどうなんだ!」
……。ねえ。こいつぶん殴っていい?
て言うか――
言動に突っ込みどころが多過ぎてどこから突っ込んでいいのか全然分かんねえじゃねーかこの腐れ王子! 今すぐ屋上連れてって、来世に向かってワンチャンダイブさせたろかい!?
――はっ! 心の中でとはいえ、思わずほとんどノーブレスでシャウトしちまった。ダメだ、落ち着け。
たとえどれだけ性根が腐っていようと王子は王子。
ここで勢い任せに喧嘩を売るような真似をしては、ここの人達に迷惑がかかってしまう! それだけは阻止せねば!
……と言うより、そもそも相手はガキンチョでした。
流石に熱くなり過ぎた。反省。
つーか、這いつくばれって事は、要するに土下座しろって事だよな。
仕方ない、それで気が済むってんならそうしてやるかね。あー、めんどくせぇ。
ったく、めんどくせぇのは身分だけにしてくれませんかねえ、この(放送禁止用語)で(発禁用語)な(差別用語)さんはよぉ。
心の中でエドガーを口汚く罵りつつ、「這いつくばればいいんですね?」と低い声で訊き返す。そしたら途端にいい気になって、「その通りだ!」とか抜かしやがるエドガー。
……。ホントもうこいつはさぁ……。
土下座から立ち上がる時に足が滑った振りして、どてっ腹目がけてパチギってもいいですか? ダメですか。そうですか。ああ、分かってるよそんな事!
未だに涙を流したまま、お姉ちゃんごめんなさい、とひたすら謝り続けるシアの頭をそっと撫で、エドガーに向き直って膝を折る。
大丈夫。シアはなんにも悪くない。
ついでに言うなら私もなんも悪くない。
とりま、サクッと土下座して終わりにすっかね。
心がこもってようがいまいが、外面を取り繕えば満足する系のバカみたいだし。
中小企業の下っ端として社会に生きて10数年。
形だけの謝罪なら十八番です。
「申し訳ありませんでした」
適当極まりない棒読み台詞を吐き出しつつ、その場で適当に土下座する。
幾ら絨毯の上だとはいえ、借り物のワンピース(シルク製)を着たまま土下座する事だけは、本気でディア様に申し訳なく思う。
ごめんなさい、ディア様。
――あ、この青い絨毯すっごく綺麗。
質のいい素材を使って織ってるんだろうな。
手触りも最高だ。手入れも行き届いてる。
きっとインテリアがあんまりない分、こういう所にお金かけてんだろうなぁ。
絨毯の鑑賞がてら、土下座する事たっぷり数秒。
あー終わった終わった、と思って上体を起こしたら――ん? なんか、エドガーが横向いて固まってるんですけど。
エドガーに釣られて横を見てみれば、そこには側仕えの人2人と一緒になって、顔面蒼白で立ち尽くしてるディア様と、侍女さんみたいな人を数人連れてる、豪華なティアラ着けて綺麗なドレスを着た、銀髪に翠の目のすんごい美人なお姉さんの姿が。
ついでに言うならお姉さんの顔がどんどん怖くなってくし、エドガーもちょっと戸惑った顔してるぞ?
「…………。エドガー。お前は……一体聖女様に、何をさせているのですか……」
「は、母上……」
なぬ!? 母上ぇ!?
…って事は、このお姉さん女王様かよ! 若っ!
「べ、別に大した事ではありません。俺……私は王子として、この礼儀のなっていない馬鹿な女共を躾けて、教育してやっていただけです! 仕事をしていたのです!」
母親である女王様の様子に戸惑っていたのは初めだけ。
エドガーは女王様に向き直ると、堂々と胸を張って頭の悪い事を言い放った。
よその子供の躾と教育なんてモンはね、王子様のお仕事じゃねえんですよ。バカたれ。
「……。そう……ですか……。この……この大馬鹿者!! 礼儀がなっていないのも、躾と教育が必要なのもお前ですッ!!」
はいキタ、女王様大爆発。だいぶお怒りな模様です。
ああでも、よくよく考えたら私は聖女。
天より遣わされしアンタッチャブルの爆弾でした。
その爆弾女に対して、言いたい放題のやりたい放題なんてアホな事かましたら、そりゃ女王様も怒るわな。
つか、細身のお身体に似合わないこの声量よ。
うちの妹までビビっちゃってるんですが。
「そっ、そんな! だってこいつら……!」
「お黙りなさい!! ミーナ、逃げ出せないようエドガーを取り押さえなさい!
リザ、お前は城から衛兵を……いえ、かくなる上は神殿より僧兵をお呼び下さい、教皇猊下! これは聖女様に仇を成す不届き者でございます! 今すぐに捕縛を!」
「母上!? どうしてですか! 母上!」
「黙りなさいと言っています! ――ああシエラ、ミランダ! 早く聖女様の御身を相応しき御座へ! 聖女様をいつまでも床に座したままでいさせてはいけません!
お身体を清めて、お召し代えをさせて頂く事も忘れないで!」
「はっ、はいっ! かしこまりました! 誰か、誰か5階のお部屋から椅子を! 私は布とお着替えを持って参ります!」
途端に室内がバタバタし始めた。
状況の急変についていけずポカンとしてる間にも、エドガーが侍女さんっぽい人に取り押さえられ、その他の数人が室外へ飛び出していく。
そしてディア様はショックで貧血でも起こしたか、立っていられなくなってへたり込んだ所を、側仕えの人達に介抱されているご様子。大丈夫かな……。
て言うか、ディア様の具合が悪くなったのって、ひょっとして私が土下座したせいですか……?
目の前の光景を座り込んだまま見ていると、私とシアの所にも赤毛の侍女さんが駆け寄って来た。
「聖女様、失礼致します! お傍にいらっしゃるのは妹君でございますか?」
「へっ!? あっ、はい、そうですけど」
「さようでございますか、では妹君もご一緒にお召し代えを! さ、こちらへ!」
「えっ? えっ? あの、ちょっ……」
こうして私とシアは、めっちゃ押しの強い侍女さんに連れられて、お隣の部屋で似たようなデザインの別の服に着替えさせられましたとさ。
どうしよう、なんかとんでもない大騒ぎになってるんですけど!?
◆◆◆
予期せぬドタバタ騒ぎが続く事、約1時間。
今私とシアは、5階にある間借り中の部屋から持って来た立派な椅子に座らされ、僧兵さんに引っ立てられたエドガーを正面に見据えている状態です。
縛るのは勘弁してもらえたみたいだけど、代わりに両脇を僧兵さんに掴まれてて、もはや王子様というより罪人みたいな扱いをされている。
女王様はエドガーから少し離れた右隣に立ち、ディア様は、私の左隣に持って来た椅子に座っていた。
まだちょっと顔色悪いけど、横にならなくても平気なんだろうか。
あと、今のエドガーの顔色も相当悪い。
青いの通り越して白くなってるよ? あの子の顔。
どうやら、私とシアが隣の部屋で着替えさせられている間に、エドガーは直接女王様から、自分が一体何をしでかしたのかたっぷり教えられたようだ。
部屋の壁が厚かったからだろう。母子が交わしていた会話の内容までは分からないが、時々話に怒号が混じってたみたいだから、相当物分かりのよろしくない反応をしたのだと思われる。
ちなみに、私もちょっとだけ注意された。
聖女が生まれながらに身に宿す髪と瞳の黒い色は、聖女のみに許された聖なる色であり、ノイヤール王国において唯一絶対の禁色とされているのです、と。
ああ成程。それで魔動車のタイヤを紺に染めてたのか。納得の理由だわ。
つまり、エドガーがやった事は、聖女に対して傍若無人な振る舞いをした、という事のみに留まらず、神聖なる禁色を土足で歩く場所につけさせるという、言語道断のご法度行為でもあった訳だ。
確かにあの時、私の髪は絨毯にガッツリついてたっけ。
なので、もう決してあのような事はなさらないで下さいと、ディア様の側仕えをしている人に泣きの入った顔で言われてしまい、申し訳ない気分になった。
でもまさか、自分の髪の色が禁色指定されてるなんて、夢にも思ってなかったんですよ私は……!
誰も口を開かない室内には、まるで葬式みたいな酷く重っ苦しい空気が充満していて、一応被害者であるはずの私まで、大変な居心地の悪さを味わっている。
あまりに空気が重過ぎて、安易に口を開けません。
えーと、あの。私、目の前で10歳児がガタイのいい男性に両脇固められて、白い顔でガクブルってる所なんて見せられても、全く気が晴れないんで、そろそろお開きにしてもらっていいですか?
児童虐待の現場に居合わせてるみたいで、ホントしんどい。
そりゃあ、確かにあの時は物凄くムカつきましたよ?
このクソガキシバいたろか、とか思いました。
でも、流石にこんな状況望んでませんがな。
まるで公開処刑の直前みたいなんですけど。この部屋の空気。
ああもう! 誰かこの空気を変えてくれ!
妹の情操教育にもよくない事請け合いだよ!
救いを求めて、隣に座るディア様の方をちら、と横目に見ると、ディア様も物悲しそうな瞳でこっちを見ていた。と、言うか……。なんか、ものすごーく、悲愴な面持ちしてらっしゃるんですが。ディア様。
ねえ何? 今から何が始まるの?
もう断罪イベントもざまぁイベントもいらないんで、部屋に戻らせて下さいよ!
コイツの事も、一発脳天にゲンコツぶちかまして、後は離宮かどっかにGO!
って事でいいじゃん! ねえ!?
そんな願いも虚しく、誰もなんにも言ってくれない状況があまりに長く続くものだから、やむなく自分から口を開こうとしたその時。
「失礼致します」
両開きのドアを全開にしていた貴賓室に、くすんだ青い色の膝丈コートを着た、いかにも貴族っぽい身なりの男性が1人、静かに入室してきた。
男性が両手で支えるようにして持っている銀のトレイの上には、ぶどうジュースっぽい色の液体が入った中くらいのサイズの瓶と、小さめのゴブレットが1つ。見た感じ、真鍮製か何かか?
……ん? あれ? なんかこのシチュエーション、どっかで見た事があるような気が……。
粛々と歩く男性が、女王様の傍らまで移動すると、女王様も男性の方へ無言で向き直る。そして男性が女王様の前に跪き、再び口を開いた。
「毒杯の準備が整いました」
やっぱりかーーーいッ!!
待て待て待てッ! 頼むから待ってくれッ!
いや確かに黒が禁色だってのは訊いたけど、ここまでしなきゃならんほど深刻な重罪なんですか!? てか、こんな事で10歳児をあの世へGOさせないで!?
あああ、白い顔した半泣きエドガーが、バイブ機能オンにしたスマホばりに震え始めたんですけど!? それでも誰も止めに入らないという狂気!
「ま、待って! 待って下さいっ!」
これ以上黙って見ていたら、本気で取り返しのつかない事になる、と判断した私は、やむなく座っていた椅子から飛び降りて声を張り上げた。
室内にいる人達の視線が一斉にこちらへ向けられて、一瞬身体が竦みかけるが、気合で耐える。
「あのっ、確かに王子という身分で色々とやらかしたのは、深刻な事だと思います。ですが、命を奪わねばならないほどの重罪なのですか? もし、私に対する配慮としてなさっているのなら、どうかやめて下さい!」
「……聖女様……。ありがとうございます」
私の言葉に真っ先に反応したのは、女王様だった。
女王様も、今にも泣きそうな顔をしている。
そりゃあね。幾ら馬鹿でも血を分けた我が子だもんね。
幾ら一国の主としてけじめをつける為とは言え、まだ10歳の息子を処刑するなんて、ホントは嫌に決まってる。
私、もう怒ってなんてないですよ。これまでの言動で、母親の方はちゃんと常識的な人だと分かったし、毅然とした振る舞いで、王族だからと甘やかさず、我が子に対しても厳しい態度を取れる、女王の気概を見せて頂けただけで充分。
そもそも私は身分的には平民だし、そこまでキッツい処罰は不要です。
だから、もうそろそろ自分に正直になって下さいな。お母さん。
「このような……至らぬ所しかない愚息に対し、斯様なお慈悲を賜りました事、心より感謝致します。ですが、本当によろしいのですか……?」
「はい、勿論です。今後このような事がないよう、きちんと再教育して頂ければ、それでもう十分ですので」
私の言葉に、女王様は無言で小さくうなづいて、深々と頭を下げてきた。礼を言いたくても、声が出なかったのかも知れない。
一瞬、一国の主がそう軽々しく頭を下げるってのは、と思ったりもしたが、私の立場を考えれば、そんなにおかしい事でもないのだろう。
実際、私に頭を下げてる女王様の姿を見ても、誰も何も言ってないし。
ふう、やれやれ……。何とか上手くいったか。室内の空気も、さっきまでと比べて格段に緩んだぞ。
て言うか、たかだか私1人の言葉でここまで上手く事が運ぶんなら、もっと早く口出しすればよかった。まあ、何はともあれホッとしたわ。
安堵の息を吐き、これにて一件落着――なんて思っていたら。
「……っく……。うぐっ……うっ……! うわあああああああああッ!!」
突然エドガーが絶叫し、緩んでいた拘束を振り切って室外へ駆け出した。
「エドガー!?」
「殿下っ!」
あまりに突然の事で驚いて、面食らって一瞬動きが止まっていた女王様と僧兵さん達が、慌ててエドガーの後を追う。
あの状態のエドガーを放置するのは危険だ。私も急いで後を追いかける。
「くそっ! くそぉっ! なんで! なんで俺が! くそおおおおッ!」
走りながら喚き散らすエドガー。
あー、要するに、今の今まで見下していた奴に情けをかけられた挙句、そのお陰で命拾いしたっていう事実を認められなくて、頭パーンしちゃったのか。
あいつアホのくせに、プライドだけはエベレスト並に高いみたいだからなぁ。
これが普通のガキンチョだったら、居場所の確認だけして後は放っといて、落ち着くまで黙って待ってる所なんだけど、あいつは腐っても王子様。
ここで下手に放置して行方をくらまされたり、身なりのよさから目ぇつけられて、誘拐なんぞされたりした日には、色んな意味で困った事になる。
不敬かも知れないが、ここは襟首引っ掴んで、引きずってでも連れ戻さなければ。
そう思い、本気で全力疾走すべく利き足に力を入れた直後。
「わっ、うわっ!? うぎゃあああああああっ!?」
「きゃああああ!! エドガーッ!」
「殿下ああああっ!?」
その肝心の王子様は、私達の目の前で階段を踏み外し、階下に転げ落ちるという間抜けっぷりを披露してくれました。女王様と僧兵さんも絶叫モンです。
いやはや、時々バウンドしながらめっちゃゴロゴロ転がっちゃって、何とも派手な落ちっぷり。蒲田行進曲も真っ青だね! いや、これはもはやエンドレスショック!
――なんて言ってる場合じゃねえ!
あれ左足首が曲がっちゃいけない方向に曲がってないか!?
階段下に力なく転がって、鼻血垂らしながら白目剥いてる姿はちょっと笑えるが、状況的には笑い事じゃねえわこれ!
私達は文字通り、血相変えてエドガーに駆け寄った。
2階から、「魔法医を呼べ!」とか叫んでる声が聞こえる。
えーと、取り敢えずあんまり頭は動かさないようにして、脈を確認。
……。よし! 生きてる!
ぱっと見、鼻血以外に目立った出血はなさそうだし、多分大丈夫だ。
上でも魔法医呼べ、なんて言ってたので、この世界の医療には魔法もガッツリ絡んでると見て間違いない。もしなんか目に見えない異常があったとしても、きっと魔法でパパッと直せるはず。
全く、悪運の強い奴め。よかった……!
元々大聖堂には、教皇の身体を診る為の医者が常駐しているのだろう。
ここから斜め向かいにある、2階へ続く別の階段から、白衣を着たお姉さんがこっちに駆け下りて来るのが見えた。
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