上 下
116 / 123
第8章

11話 何があっても、あなたはあなた 後編

しおりを挟む


 その日の夜、ニアージュがアドラシオンの夕飯として用意させたのは、小さめのスープカップに入れられた重湯と呼ばれるものだった。ニアージュ曰く、米を長時間煮て作った白粥という療養食を、更に潰して湯で伸ばし、塩で味を調えたものらしい。

「どうですか旦那様。食べられますか? 食べていてお腹が痛くなったり、吐き気がしたりはしませんか?」

「ああ、大丈夫だ。この食感はなんとも言い難いが、味は悪くない。米本来の風味が活きているし、塩が米の甘みを引き立てている。うん……。むしろ物足りないくらいだ」

「そうですか。よかった、ちゃんと食べられるのはとてもいい事です。重湯を食べてしばらく様子を見て、なんともないようでしたら、今度は粒が残ったお粥を持って来ますね。旦那様は味覚が繊細ですから、きっと重湯以上においしく感じますよ」

「そうか、それは楽しみだ。所で、君はもう何か食べたのか?」

「ええ。ここへ来る前に、おにぎりを」

「おにぎり? とは?」

「炊いた米を、丸い形や三角の形に成型したものです。手で軽く握るようにして作るので、『おにぎり』というんです。
 おにぎりは持ち運びに便利なので、私が住んでいた田舎では、野良仕事などをする際にみんなよく外へ持って行っていました。中に塩漬けにした魚や肉を入れる事もあるんですよ」

「成程、持ち運んで野外で食べる、という事か。サンドイッチのようなものだな」

「そうですね、材料や製法は根本的に違いますが、コンセプトはほぼ同じですね。そのうち旦那様にもお出ししましょうか?」

「ああ、それはいいな。興味があるからぜひ頼みたい」

 ベッドの脇に置いた椅子に座り、嬉しそうな顔でニコニコ笑って話すニアージュに、アドラシオンも微笑みながら答えた。

 食べる物は幾分味気ないが、大切な人と取り留めのない事を話しながら、ゆったりと食事をするひと時。
 この一瞬一瞬が、何にも代えがたいものに感じる。
 どことなく、生きている実感が湧いてくるようだ。


 その後、食事は出来るだけゆっくり腹に納めるように、とニアージュに言われたアドラシオンは、その言に従って、カップの中身を30分近くかけて空にした。

 重湯を完食しても、特に腹具合などに異常がない事から、今度はお代わりとして重湯と同量の白粥をもらい、それも綺麗に完食する。
 自分の胃の頑強さに心から感謝しつつ、アドラシオンは空になったカップをサイドボードに置き、改めてニアージュに今後の話を切り出した。

「ニア。今後の仕事の件について、色々と相談したい事があるんだが、いいだろうか」

「え? ……もしかして、字を書くにも不自由がありそうですか?」

「そうだな。今後どうなるか分からないが、現状少し痺れがあってな。多少不安が残る所だ。もしその時は君かアルマソンに、代筆を頼む事になるかも知れない」

「分かりました。その時は、頑張って綺麗な字を書くよう努めますね」

「ああ。手間をかけてしまうが、そうなったらよろしく頼む。それから……領地の視察の事なんだが、それも今後は、君に頼みたいんだ」

「領地の視察を、ですか? 分かりました。お引き受けします。でもそれは、旦那様の心身が落ち着くまでの間だけですよ? だって、エフォール公爵領は旦那様の領地なんですから」

「あ、いや、しかし……」

「しかしも案山子かかしもありません。身体や足がしっかり動くなら、領地の事は領主である旦那様が、ちゃんと自分の目で確かめていかないと。
 ……大丈夫ですよ。最初は領民達も、顔に包帯を巻いた旦那様の姿を見て、痛ましそうな顔をしたり、酷く心配したりするでしょうけど、見ているうちにみんな慣れますから」

「そう、だろうか。だが……みなは俺のこんな姿を見て、恐ろしく思ったりはしないだろうか。奇異なものと思ったりはしないだろうか……」

「それはないと思います。包帯姿って、最初は目にするととても驚きますけど、事情を聞いて、包帯巻いてる理由が分かれば、案外すぐに「ああそうなんだ」って納得するものですからね。
 私の故郷にだって、火傷を隠す為に腕に包帯巻いてる人がいましたが、みんな全然気にしてませんでした。だから旦那様も大丈夫です」

「…………」

「旦那様。よく聞いて下さい。領地の人達は、みんなとても旦那様を慕っています。顔やら手やらに包帯巻いてる姿になったって、それは変わりません。だからどうか、もっと自分に自信を持って下さい。何があっても、あなたはあなたです。あなたは、誰の目から見ても立派な領主で、立派な上位貴族家の当主なんです。

 あなたがこれから先も今まで通り、領民達や使用人達の暮らし向きを思い、心を砕く人で居続けてくれるのなら、私もアルマソンも、邸の使用人達も侍女達も、領地に住まう領民達も、みんなみんなあなたの味方です。

 ちょっと見てくれが変わった程度で、掌を返すような薄情者なんていませんし、仮にいたとしても、そんな人、私達が絶対に旦那様の傍には近づかせません」

 ニアージュは、今だ包帯に包まれたままのアドラシオンの右手を、自分の両手で包むように握り締め、アドラシオンの目を真っ直ぐに見据える。

「……。ニア。ニア……。俺は……」

 一方のアドラシオンは、突如ニアージュが取った言動に戸惑いつつも、心に押し寄せて来た筆舌に尽くし難い感情に、ただただ心と声を震わせた。

 アドラシオンはこの感情の名を知っている。
 今この心に溢れているのは、安堵や歓喜と呼ばれる類の感情だと。

「……でも、今みたいな話は、もっとちゃんと落ち着いてから、改めて話した方がいいですね。今はまだ、旦那様も体調が万全ではないですし、そんな時に先の話をした所で、前向きな意見や建設的な話なんて出てこないものです」

 ニアージュは、アドラシオンの手を包み持ったまま笑って言う。

「領地の事や仕事の事は、旦那様がもっと元気になって、普通にご飯を食べられるようになってから、アルマソンも交えて3人で相談する事にしましょう。

 つまり! 今の旦那様の一番の仕事は、よく食べてよく寝てよく休んで、早く元気になる事です! アルマソンにも言い付けて、ちゃんと本調子になるまで、書類には触らせないようにしますから、そのつもりでいて下さい」

「……はは、そうか……そうだな、確かに君の言う通りだ。確かに今の俺には、気力も体力も欠けている。そんなざまで仕事や未来の話を持ち出した所で、領地や民の為になる、よりよい意見など出るはずもないな……。

 分かった。ここは君の言う通り、しばらくゆっくり休ませてもらう事にするよ。……ニア、ありがとう。君がいてくれて、本当によかった……」

 アドラシオンもまた、自分の手を包み込んでくれているニアージュの手を包むように握り返し、笑って答える。
 ほんの少しではあるが、なんだか心が軽くなったような気がした。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~

イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」   どごおおおぉっ!! 5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略) ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。 …だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。 それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。 泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ… 旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは? 更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!? ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか? 困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語! ※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください… ※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください… ※小説家になろう様でも掲載しております ※イラストは湶リク様に描いていただきました

多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?

あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」 結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。 それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。 不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました) ※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。 ※小説家になろうにも掲載しております

悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!

ペトラ
恋愛
   ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。  戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。  前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。  悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。  他サイトに連載中の話の改訂版になります。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

公爵令嬢 メアリの逆襲 ~魔の森に作った湯船が 王子 で溢れて困ってます~

薄味メロン
恋愛
 HOTランキング 1位 (2019.9.18)  お気に入り4000人突破しました。  次世代の王妃と言われていたメアリは、その日、すべての地位を奪われた。  だが、誰も知らなかった。 「荷物よし。魔力よし。決意、よし!」 「出発するわ! 目指すは源泉掛け流し!」  メアリが、追放の準備を整えていたことに。

悪役令嬢は二度も断罪されたくない!~あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?~

イトカワジンカイ
恋愛
(あれって…もしや断罪イベントだった?) グランディアス王国の貴族令嬢で王子の婚約者だったアドリアーヌは、国外追放になり敵国に送られる馬車の中で不意に前世の記憶を思い出した。 「あー、小説とかでよく似たパターンがあったような」 そう、これは前世でプレイした乙女ゲームの世界。だが、元社畜だった社畜パワーを活かしアドリアーヌは逆にこの世界を満喫することを決意する。 (これで憧れのスローライフが楽しめる。ターシャ・デューダのような自給自足ののんびり生活をするぞ!) と公爵令嬢という貴族社会から離れた”平穏な暮らし”を夢見ながら敵国での生活をはじめるのだが、そこはアドリアーヌが断罪されたゲームの続編の世界だった。 続編の世界でも断罪されることを思い出したアドリアーヌだったが、悲しいかな攻略対象たちと必然のように関わることになってしまう。 さぁ…アドリアーヌは2度目の断罪イベントを受けることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができるのか!? 「あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?」 ※ファンタジーなので細かいご都合設定は多めに見てください(´・ω・`) ※小説家になろう、ノベルバにも掲載

処理中です...