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第8章

6話 魔女の降臨

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 王命によって出陣した、クリダリア大公率いる5千のクロワール王国軍と合流したアドラシオンは、一路ピスティス辺境伯領を目指して進軍を続け、1週間ほどの時間をかけて目的地へ到着した。

 進軍準備を含め、ここへ至るまでに要した時間はおよそ3週間。
 ここでパルミア王国軍が横紙破りの行動を起こさなければ、本格的な侵攻が始まるまで、あと1週間ほどの時間的余裕が残されている事になる。

 やがて、ピスティス辺境伯軍とも合流を果たし、その総数を約8千にまで増やしたクロワール王国軍は、その時間的余裕を存分に活用し、パルミア王国軍が進軍してくるであろう方角を中心として、防衛ラインの構築を開始。
 対広域魔法用防御結界の設置・展開なども併せて行い、2日をかけて迎撃態勢を整えた。

 敵軍に魔女の影が見え隠れしている以上、苛烈な魔法攻撃が自軍を襲う可能性が高い。
 アドラシオン含めた指揮官達やピスティス辺境伯公、そして総指揮官であるクリダリア大公は、そう判断していたのである。

 こうして、敵軍からの攻撃を十分に想定した布陣を敷き、警戒を密にしている間にも、パルミア王国軍の迎撃に加わりたいと、一般の義勇兵が多く名乗りを上げた事により、開戦予定日時3日前には、クロワール王国軍はその総数を、約8千から9千弱にまで増やしていた。

 ひとえに現地を治める領主、ピスティス辺境伯公の信望の篤さの恩恵である。
 その後も、クロワール王国軍の士気は至って高いまま維持され、迎撃に対する不安要素はほとんどないものと思われていた。

 しかし、開戦予定日。
 アドラシオンが身を置いていた天幕にやって来た、青い顔で息も絶え絶えな様子の1人の兵士によって、その異変の知らせはもたらされた。

「え……エフォール公爵、閣下……!」

「……! 貴殿は確か、ピスティス辺境伯公麾下きかの兵だったな。一体どうした、顔が真っ青ではないか!」

「……じ、自分の事には、どうかお構いなく。それより大変なのです……! 恐れ入りますが、クリダリア大公閣下に、至急お取次ぎを……。た、大公閣下は、どちらにおわしますか……! くっ……」

「大丈夫か!?」

「おい、しっかりしろ!」

 天幕の中に足を踏み入れ、数歩進んだ所で突然その場に膝を折ってへたり込んだ兵士に、アドラシオンとその側に控えていた騎士3名が駆け寄る。

「だい、じょうぶ、です。虚脱感があって、上手く身体が動かない、だけですので……。しかし、この症状に襲われているのは、自分だけではない、のです。お、多くの兵達が、自分と同じように……。いえ、中には、武器を手にする事さえ、できない者も……」

「なんだと!? 分かった、大公閣下の元には私が行く! 他の者達は、より詳しい状況が分かるよう、早急に確認を進めてくれ!」

「わっ、分かりました! 早急に確認を進めます!」

「了解! 我々のように、満足に動ける者達も併せて招集しておきます!」

「エフォール公爵閣下、万が一の時は大公閣下をお願い申し上げます!」

「ああ。心配するな、心得ている。それと、貴殿はここで待機だ。ここで一度症状が落ち着くかどうか、待って確認してみてくれ。
 だが、これ以降も症状の改善が見られず、戦闘行動が取れそうにないと判断した時には、貴殿と同じ症状を訴える者達と共に、前線から後方へ下がってもらう。これは命令だ、いいな?」

「は、はい……。了解、致しました……!」

「よし。――行くぞ!」

「はっ! ……だが、なんだって急にこんな事に! 流行り病か何かかよ!」

「知るか! しかし、こんな状態になった所を襲撃された日には……!」

「ああ、我が軍はまともな交戦もできぬまま、総崩れになってしまう!」

 アドラシオンの命に従う形で天幕を飛び出した、3人の騎士達からやや遅れる格好でアドラシオンも天幕を出た。軽く周囲を見回せば、周囲にいる兵の様子にも差があるように見受けられる。
 立っている事もできずに座り込んでいる兵と、そうでない兵とが混在している様子だ。

「これは……やはり病の類か……? いや、毒物を撒かれた可能性も考えられる! 大公閣下へ急ぎ奏上申し上げねば!」

 アドラシオンが緩くかぶりを振り、クリダリア大公がいる天幕へ向かって走り出したその時。

「――ちょっと、何よこれ! あたしの魅了魔法がほとんど効いてないじゃない! これじゃあ計画が狂っちゃうわ! こっちは大した数連れて来てないんだからね!」

「……っ! 今の声は……!? まさか、件の魔女か!?」

 少し離れた場所から、不機嫌そうな若い女の声が聞こえてきて、アドラシオンは慌てて足を止めた。強く眉根を寄せていた剣を鞘から抜き放ち、声が聞こえた方へ改めて駆け出す。

「大丈夫です、あなた様のお蔭で、敵兵の多くは無力化されたも同然です!」

「ええ、ええ、見事な手腕でございますとも!」

「ご覧下さい! 奴らめ、こちらを睨むだけで精いっぱいな様子です!」

「流石は、グロースマウル王太子殿下が見初めたお方!」

「あらそう? ふふっ、おだててもなんにも出ないんだからね? でも、やっぱり面倒だわ。本当なら、ここの連中全員あたしの魅了魔法で寝返らせて、パルミア王国軍の代わりに王都まで攻め上らせるはずだったのに」


 声の主はすぐに見つかった。
 パルミア王国軍の兵とおぼしき、数名の兵士と言葉を交わしているのは、戦場に似つかわしくない、ひらひらとしたローズピンクのドレスとリボン、それらと同系色の豪華な宝飾品を身に付けている、長い栗色の髪を持つ女。
 恐らくあれが魔女なのだろう。

 パルミアの兵士達は、ろくに身体が動かないものが大半とはいえ、クロワール兵に周囲を取り囲まれているにも関わらず、臨戦態勢にも入らず女の前に跪き、うっとりした様子で女を見上げている。
 およそ、まともな精神状態にあるようには思えない。

 そして――

「……なっ……!? そ、そんな……。馬鹿な、なぜお前が……っ!」

「ん? ――あっ、久しぶりねアドラ様。嬉しい、あたしの事が分かるのね? もうあれから7年……いえ、8年経って、あたしもちょっぴり成長したから、一目では分かってもらえないかも、なんて思ってたけど! これってやっぱり運命なのかしら?」

 思わずその場に足を止め、呻くような言葉を発するアドラシオンに気付いた魔女は、アドラシオンに軽く手を振りながら満面の笑みを浮かべる。

「…………」

 アドラシオンはその言葉には答えず、抜き身の剣を正眼に構え、歯を食いしばった。
 確かに、アドラシオンには魔女の名とその身の上に心当たりがある。

 魔女の名はココナ。
 今から約8年前、一方的に想いを寄せていたアドラシオンに禁呪である魅了魔法をかけ、運命の恋を演出した末に国家転覆罪に問われ、両親共々処刑されたはずの娘だった。

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