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第7章

2話 波乱の後

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 ニアージュが目を覚ますと、自室のベッドの上だった。

「……んん、ん……? あれ……? ……つっ、いたた……」

「……!? あっ! お、奥様っ! ああ、よかった! お目覚めになられたのですね!」

 右後ろの肩から感じる痛みを堪えつつ起き上がると、室内中央にあるテーブルの拭き掃除をしていたニーネが、ニアージュの目覚めに気付いて駆け寄ってくる。

「――あ……。ニーネ。私……」

「奥様、ご無理をなさらないで下さい! お怪我に障ります! お身体を起こす準備ならすぐに致しますから!」

 ベッドから起き上がった流れのまま、普通に起き出そうとするニアージュを、ニーネが血相を変えて押し止めた。それから、ベッドの脇に積んであった幾つものクッションを持ち出し、ニアージュの背もたれを作ってくれる。

「ありがとう、ニーネ。そうよね。よく考えたら私、これでも一応怪我人なんだものね。取り敢えずは安静にしてないとダメよね……」

「何を他人事のように仰っているんですか、もうっ!」

「ごっ、ごめんなさい。私が悪かったわ、だから泣かないで……!」

 形のいい細い眉を吊り上げ、叱り付けてくるニーネの目が潤んでいる事に気付き、ニアージュは慌ててニーネに謝罪した。

「べ、別に泣いてなんておりません! ……ぐすっ、下位とはいえ、私とて貴族家に生まれた、淑女の端くれなのですからっ、そう簡単に、人前で泣いたりなんて、しないものなのですっ……!」

「ほ、本当にごめん……。……でもあの、私、あれからどうしたの? なんか、外が妙に明るい気がするけど……今って一体何時?」

「……。い、今は、奥様が邸へ運び込まれて処置を終えてから、一晩と少し経った所でございます。奥様の感覚に沿ってお伝えするなら、翌日の昼前といった所でしょうか」

 誤魔化すように問いかけてくるニアージュに、指先で目頭を拭ったニーネが背筋を伸ばし、文句ひとつ言わずに答える。
 正直、余計申し訳ない気分になった。

「あー……。それはまた、随分寝こけちゃったわね……。弓矢を肩に一発喰らっただけだし、大した怪我じゃないと思ってたんだけど……。まさか、次の日の昼前まで目が覚めないなんて思わなかったわ」

「確かに、奥様がお受けになられた矢傷はさして深いものではなく、出血も酷くはありませんでしたが……。
 お医者様が仰るには、疲労と極度の緊張から解放された安堵感とが重なって、深く眠っておいでなのだろう、と。ご無理がたたられたのです」

「ああ……。確かにそうかもね。今になってじわじわ思い出してきたけど、あの時、お邸からこっちに駆け付けてくれてる人がいる、って気づいた時の安堵感ったらなかったもの。心底、よかったもう大丈夫、これで助かった、って思ったし」

「そうですね。エフォール公爵家に仕えておられる兵士や騎士の皆様は、頼もしい方ばかりですものね。
 ――なんにしても、傷口が開かないようしばらくは安静に、というのがお医者様のお言い付けです。くれぐれも、無理に動き回ったりなさいませんよう」

「大丈夫よ、分かってるから。これ以上、旦那様やみんなに心配をかける訳にはいかないもの。大人しくしてるわ」

「是非ともそうなさって下さい。ではまず、旦那様とレーヴェリア様をこちらへお呼びして参ります。
 旦那様もレーヴェリア様も、とても奥様の事を心配なさっておいででした。奥様がお目覚めになられた事を、早くお知らせしなければ」

「ええ。よろしくお願いするわ。旦那様に対してもそうだけど、何よりまずはレーヴェリア様に謝罪しないと。勝手に1人で安心してぱったり倒れて、後の説明も何もかも、レーヴェリア様に丸投げする格好になっちゃったものね」

「その件については既にレーヴェリア様から、「状況の説明は当事者である自身の責任なので、夫人はどうか気に病まれぬように」と、仰せつかっておりますわ。謝罪も不要であると。――では、お2人をお呼びして参ります。少々お待ち下さいませ」

 ニーネはニアージュに対して丁寧な礼の姿勢を取ると、踵を返して部屋を出て行った。



「ニア! 目が覚めたんだな、よかった!」

 アドラシオンがニアージュの部屋に駆け込んで来たのは、ニーネが室外へ出て行ってから10分と経たないうちの事だった。
 しかし、そこにレーヴェリアの姿はない。

「旦那様……。すみません、ご心配をおかけしました。……あれ? あの、レーヴェリア様は? ニーネは一緒に呼んでくると言っていましたが」

「レーヴェリア様は、俺に気を遣って下さったんだ。……。その、夫婦なのだから、2人きりで話したい事も色々とあるだろう、と仰られて……」

「! ……そ、そうでしたか。え、ええと、後でお礼を申し上げるべき、ですよね」

「あ、ああ。本当にな。……。最初に君が暴漢に襲われて負傷した、と聞かされた時は、目の前が真っ暗になった。自分の判断の甘さを心底後悔したんだ。……命に別状がなくてよかった。無事に目覚めてくれて、本当によかった……」

「旦那様……」

「……あ、ああ、そうだ。確認事項があるんだ。今、体調はどうだろうか。幾らか顔が赤いようだが、やはり医者が言った通り、怪我が原因で熱が出ているんだろうか?」

「えっ? ……えー、えーと……。言われてみれば、ちょっと熱っぽいような気がするような、そうでもないような……?」

「こらニア。自分の身体の事だろう、曖昧な事を言わないでくれ」

「す、すみません。でも、頭がくらくらするとか身体が重いとか、そういう症状はありませんから。多分あったとしても微熱くらいだと思います」

「そうか。だが、例え微熱だろうが発熱は発熱だ。君の体調がある程度回復するまで、長話をするのは控える事にしよう。大事を取った方が怪我も早くよくなる。
 今、ニーネから話を聞いたアナが厨房に行って、君の分の食事を作るよう、料理人達に言いつけているはずだ。食欲はあるか?」

「そうですね、多分普通に食べられるかと。目が覚めてしばらく経ったからか、結構お腹が空いてきました。この様子ならお肉もイケそうな気がします」

「それはよかった。食事を取れば、医者から処方された痛み止めを飲む事もできるからな。だが、ワインは当分お預けだぞ?」

「言われなくても分かってますっ! 人を呑んだくれみたいに言わないで下さいっ」

「はははっ、すまない。君があまりにいつも通りな様子だから、つい嬉しくなって軽口を叩いてしまった」

「もう……。そんなに心配なさらずとも、私はこの程度の怪我で精神的に参って縮こまるような、ヤワな女じゃありません。安心して下さい」

 ようやく本当に安心したのか、心からの笑みを浮かべるアドラシオンに、ニアージュも心からの笑みを浮かべてそう答えた。

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