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第6章
6話 恋愛初心者夫婦の街歩き ~公爵夫人の場合~
しおりを挟む新緑月も半ばを過ぎれば、周囲は一気に春めいた様相へと変化する。
農家が各々仕事に忙殺される中、空気や吹き渡る風はほんのりと暖かくなり始め、それに釣られたように、あちらこちらから若葉が芽吹いては、すくすくと成長していく。
それはまさしく、新たな生命の息吹と希望に満ち満ちた時期だと言えよう。
ニアージュは、そんな爽やかな時期に相応しい、若草色に染め抜かれたくるぶし丈のシンプルなドレスを身にまとい、それと同系色の淡い翠色をしたスラウチハット――日本でいう所の女優帽に当たる帽子だ――をかぶった格好で、アドラシオンが差し出してきた手に自らの手を重ね、馬車から外に降り立った。
今日ニアージュは、アドラシオンに誘われるまま領内で最も大きな街へ繰り出し、買い物に来たのである。
無論、買う物はニアージュの誕生日プレゼント。
世間様が言う所の『お買い物デート』というヤツであった。
本当は、遠慮すべきと思っていたのだ。
公爵夫人として恥じ入る事がないだけの、ドレスや靴、アクセサリーなどは十分に持っているし、月に1、2度ほど行っている、経済を回す為の『大口発注』も、今月は既に終わっている。
つまり今現在ニアージュは、貴族女性が欲しがるような類のものは、別段欲しいと思っていないのだ。
となれば、後は菓子類などの高級スイーツを始めとした、食べる系の消え物が候補に挙がる訳だが、できれば今は、これも除外しておきたかった。
最近ちょっと、腰回りの肉付きが気になり始めていたので。
それ以外のものと言えば、最も定番なのは花束だが、これもわざわざ街へ出て買わずとも、公爵家の庭にこれでもかと咲いているし、自室にはニーネやアナが定期的に花を活けてくれている。
ついでに言うなら、こちらの世界で言う入浴剤に当たるバスソルトや石鹸、香水などもたんまり在庫があった。
それに、アドラシオンはようやっと余裕のあるスケジュールで仕事を行い、ゆったり過ごせるようになったのだから、自分1人の為に遠出などせず、きちんと身体を休めて欲しいとも思う。
だから、本当ならば固辞するべきだと思っていた。
しかし――しかしだ。
せめて誕生日のプレゼントだけでも贈りたいから、一緒に街へ出かけよう――
密かに想いを寄せている相手からそんな言葉をかけられて、固辞できる女がこの世のどこにいようか。
いや、いない。
少なくともニアージュには無理だ。
そんなこんなで、想い人からの優しい言葉に反射で首を縦に振ってしまったニアージュは、こうしてアドラシオンと2人、街に出てきているのだった。
ちなみに、アドラシオンと並んで歩いているその顔は、表面的には穏やかに微笑んでいるものの、内心では大いにド緊張している。
なんだか手汗もヤバいような気がしてきた。
ドレスに合わせてチョイスした、ペールグリーンの手袋に手汗が染みて、手袋の色味がえらい事になりはしないかと、ひやひやして仕方ない。
(だって仕方ないじゃない! こんなっ、デデ、デートなんて、前世でだって経験した事ないんだから!
私は前世じゃ非モテオタクだったのよ! 喪女だったのよ! 誰にも見向きされなかったのよお! モテる努力をしなかった私にも非はあるんだろうけど!)
ニアージュは心の中でシャウトした。
(それがまさか……ああ、デートってこんな感じなんだ……。いや、分かってるわよ? 旦那様はそんな風には思ってないんだろうし、盛り上がってるのは私だけだって。
ちゃんと分かってるん、だけど……それでもめっちゃ嬉しくてめっちゃ緊張するううう! ていうか、旦那様のご尊顔が美し過ぎて召されそうなんですけど!
なんでこんなキラキラして見えるのよ……! 脳みそも目ん玉もバグってるんじゃない? 私!)
顔は引き続き微笑んでいるし、身体は淑女らしくしずしずと歩いているのだが、内心はもう大荒れだ。
仮の夫の横顔が素敵過ぎて、のたうち回りまくりの七転八倒である。
完全に、『惚れた欲目』という名のフィルターが付随した、分厚いビン底眼鏡が両目にかかって外れなくなっている事は明白なのだが、分かった所でどうしようもない。
(ていうか、この程度でここまで舞い上がっちゃうなんて、どんだけ単純なのよ私。正直もう、その辺の道端に咲いてるペンペン草を摘んで差し出されても、心底喜んじゃう自信があるわ……。
恋の病はどこぞの温泉でも治らないって言うし、馬鹿に付ける薬はないとも言うけれど……それにしたって頭が悪いにも程がある……っ!)
「どうした、ニア」
「へっ?」
思わず天を仰いだニアージュに、怪訝な顔をしたアドラシオンが横から声をかけてくる。
まあ、隣を歩いている仮の妻が、なんの前触れもなくやおら空を仰いだりしたら、不思議に思うのも当然だろう。
「い、いえ、なんでもありません。ただ、今日は本当にいい陽気で、いい天気だなあって」
「? ああ、確かにそうだな。しばらく前まで曇りが続いたり、思い出したように雨が降ったりの繰り返しで、ずっと天気がすぐついていたからな。久々に気持ちいい陽気だと俺も思うよ」
「ええ、本当にそうですよね! ――あ、旦那様、あそこにある雑貨屋さんを覗いてみてもいいですか? 色々な小物がたくさん置いてあるみたいです」
「ああ、勿論だ。木彫りの装飾品もあるみたいだぞ? そういう物を見てみるのも、悪くないかも知れない」
「あ、成程、そうですね。木彫りの髪留めとかブローチとか、素敵な物が見付かるかも知れません」
アドラシオンの提案に一も二もなく飛び付いたニアージュは、内心思い切りホッとしつつ、軽い足取りで雑貨屋へ向かった。
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