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第6章
5話 新緑月のコールドケース
しおりを挟むひとまず、話の続きを口に出す前に、アドラシオンにお茶のお代わりを勧めてみると、「頼む」と言われたので、そっと椅子から立ち上がり、保温カバーをかけてあるポットを手に取る。
ほぼ空になっている、アドラシオンのカップの中にポットの中身を注げば、湯気と共に紅茶の華やかな香気が立ち昇った。
ついでに自分のカップにも紅茶を注ぎ、椅子に座り直してからシュガーポットに手を伸ばす。
今度はミルクティーにして飲むのも悪くなさそうだ。
「――まあ、息子さん達の気持ちも分からなくはありませんよ。今旦那様も仰っていましたけど、捜査にはなんだかんだお金がかかるじゃありませんか。
しかも、世間様から鼻つまみ者扱いされている父親と弟の死の真相を探る為に、よその家や国庫にまで影響を及ぼしているとなれば、尚更でしょう」
シュガーポットに続き、ミルクが入っている小さなポットに手を伸ばしつつ、再び口を開くニアージュに、アドラシオンも神妙な顔でうなづいた。
「それに、ニーネが言ってましたけど、前レトリー侯爵は、下位貴族の人達にいつ後ろから刺されてもおかしくないくらい、それはもう恨まれてたって事らしいですし。今の侯爵様も、居た堪れない気分になっていらっしゃるのでは?」
「ああ。それに、前妻の子である上2人の息子に対しても、随分キツく当たっていたと聞く。そんな父親の為に、いつまでも領民達からもたらされた税金や、商売で得た身銭を切り続けるというのは、業腹に思える事かも知れない。
事情は違えど、父親の言動に悩まされ、煩わされてきた人間の気持ちは痛いほどよく分かる。捜査打ち切りの話を出された時にも、彼に対してかける言葉など、ろくに思い浮かばなかったよ」
「成程。そういった事情を理解しているからこそ、王家もその方向で納得されたのですね」
「……聞こえのいい話ではないがな。確かに、自国の臣下が謀殺されたとあっては王家も黙っていられないし、国家の威信にかけて、犯人を特定するべく動くのは当然と言える。しかしそれ以上に、謀殺された当事者の、常日頃の行いに問題や過失があり過ぎた」
ティーカップを傾け、その中身に口をつけるアドラシオンの表情が、目に見えて渋いものになる。
「今後捜査を進めていく過程で、前レトリー侯爵の問題行動があれもこれもと掘り起こされ、事件捜査の名目で白日の下に晒された挙句、それらの話が他国へ漏れ聞こえでもした日には、前侯爵の手綱をきちんと握って御せなかった王家にまで、他国から白い目や失笑が向けられる事は必至。
現クロワール王室は、犯人を挙げられなかった事よりも、前レトリー侯爵の行いの件で恥を掻く羽目になるだろう。それこそ、恥の上塗りと言ってもいい。だから……言い方は悪いが、そうなる前に――」
「国王陛下は、もういっその事、今回の件を未解決事件という形で処理して、臭い物に蓋をする方式で行った方が、後々傷が浅くて済みそうだ、と、そう判断された訳ですか。
一応、王家主導での捜査も何度か行われていて、最低限の義理は果たしていますし、対外的に見ても、捜査を打ち切った所で特に問題はないですよね。
一部の人間から、ちょっと失望の目は向けられるかも知れませんが、どうせそれも長くは続かないでしょうから」
内心で、無念を晴らしてもらえるどころか、捜査自体を嫌がられた挙句、国家主導で事件がお宮入り決定だなんて、被害者のレトリー侯爵とアルセン子息にとって、ある意味これ以上ないほどのざまぁ展開よね、とうそぶきつつ、ニアージュはため息交じりに言う。
もっとも、最後の最後までとばっちりを受ける格好になった、レトリー侯爵の護衛騎士2人にとっては、いい迷惑としか言いようがないだろうが。
「ああ。そういう事だ。もし前レトリー侯爵がバラト侯爵のような方であったなら、また幾らか話は変わっていたかも知れないが――いや、それはないな。そもそも謀殺される可能性自体、限りなく低いものになっていただろう」
「でしょうねえ。バラト侯爵は本当に良い方ですから。人の感情の中に『逆恨み』なんてモノがある以上、どんな聖人君子でも、全く誰の恨みも買わずに生きていくなんて無理だと思いますが、それでも、ああまで手の込んだ方法で謀殺されるなんて事は、まずなかったと私も思います」
「全く持ってその通りだ。――まあ、そういう訳だから、当然我が公爵領における捜査も全て終了となる。念の為、捜査資料は十数年単位で保管する事になるが、正式に資料の処分が決まる頃には死蔵が過ぎて、半分以上忘れられていそうだ」
「あー、それ分かります。使わないで奥の方にしまい込んだ物って、下手すると以前使ってた事まで忘れちゃったりしますからね。平民の間でもよくある話ですよ」
「そうなのか。やはり同じ人間だな。なんにしても記録をしっかり残して、しまった場所が分からなくなる事だけは、避けねばならないと思っているが……」
「ええ、それがいいでしょうね」
「ああ。アルマソンに頼んでおけば間違いないだろう。……あー、その、所で、話が変わるんだが……。俺も煩わしい仕事が片付いて、これ以降は通常業務にも余裕ができるだろうから、空いた時間を使って、一緒に街に出ないか?
君は、誕生日の件は自分も忘れていたから、今年は何もしなくていいと言っていたが、やはりそれでは俺の気が済まなくてだな。なにか、君に贈り物をしたいんだ」
「――え?」
なぜかひどく緊張した面持ちで、急にそんな事を言い出すアドラシオンに、ニアージュは思わず目を丸くした。
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