上 下
66 / 123
第5章

8話 届けられた凶報

しおりを挟む


 レトリー侯爵の本邸が何者かによって放火され、レトリー侯爵夫人と、その実子である3男及び4男が焼死した――

 突如皇太子からもたらされた凶報は、視察団に参加していた貴族達全員に衝撃を与えた。
 レトリー侯爵家は、12ある侯爵家の中でも家格が高い名家のひとつであり、数世代前から帝国との交易事業で多大な成果を上げてきた、実業家の家系でもある。

 昨今は、素行の悪い子息のせいで社交界での評判を落としているが、それでもレトリー侯爵家と事業提携を行う貴族家は多い。
 現に、現在視察団に参加している上位貴族のうち、約3分の1ほどの家が、レトリー侯爵家と大なり小なり仕事上の関わりを持っている。

 そのレトリー侯爵家が本邸を焼かれ、更には当主の妻子が落命したとなれば、彼らや彼女らも形ばかりの哀悼の意を表し、「このたびはお気の毒な事で」…などとうそぶいてばかりではいられないだろう。

 そういう訳で、大変急な話ではあるが、農業視察は即時中止された。
 視察団を取り仕切っているバラト侯爵も、国内有数の有力貴族がそのような憂き目に遭った状況で、のんびり視察を続けてなどいられない、と判断したようだ。

 こうして視察団一行は、帰国の途に就く為の準備を早急に整え、皇帝の名代である皇太子に挨拶を述べたのち、慌ただしく帝国を後にしたのである。

 そんな中ニアージュは、もたらされた凶報に動揺する者はいても、なぜか腹の底から驚いている者はいないように感じていた。


「……ニア」

 乗り込んだ馬車に揺られながら物思いにふけるニアージュに、アドラシオンが控えめに声をかけてくる。

「……? あ、はい。なんですか? 旦那様」

「いや、用と言うほどの事でもないんだが、さっきからずっと、なにやら難しい顔をしているように見えて、少し心配になった」

「すみません旦那様、変な気を遣わせてしまって。別に誰かに相談するほどの事ではないんですが、ちょっと引っかかっている事が幾つかあったので、つい」

「幾つか引っかかっている事?」

「はい。まず、先程皇太子殿下からレトリー侯爵家の件を聞いた事です。
 どうしてその件を、わざわざ皇太子殿下が自ら伝えに来て下さったのか、なんだか気になるなあって」

 ニアージュは眉尻を下げ、顎に手をやりながら言う。

「さっき私達がいた醸造所って、皇太子殿下がお住まいになってる本宮とは、だいぶ距離がありますよね。それこそ私達が使わせてもらっていた宿泊施設からだって、馬車で1時間くらいかかりました。

 帝都中央にある本宮からあの醸造所に行くとなると、最低でも2時間はかかるんじゃありませんか? 帰路の事も考えれば往復で約4時間を越えます。皇太子ともなれば相当忙しい身でしょうに、どうしてそこまでして、自らメッセンジャーの役を買って出たのか……」

「確かに、普通は侍従に任せるものだな。言伝を伝える相手が遠方にいるなら尚更そうする。仮に、侍従に聞かせたくない話であれば、手短な手紙をしたためて、それを侍従に運ばせれば済む話だからな。
 しかし、今回のレトリー侯爵家の件は、帝国側……皇室としてもあまり他人事ではないから、不自然な話だとまでは思わないよ」

「そうなんですか?」

「ああ、君はまだ、他家の交易の話についてはあまり知らないか。……帝国の皇室は数代前から、レトリー侯爵領で産出されるピンクパールを、直接買い付けているんだ。帝国では公式行事の場において、皇妃や皇女がピンクパールを使った装飾品を身につけるのが習わしになっているからな。

 ホワイトパールなら、帝国領や他の貴族領からも出るんだが、希少なピンクパールはそうもいかない。俺も詳しい内情までは知らないが、ピンクパールが一定量安定して産出されるのは、レトリー侯爵領くらいしかないと聞いている」

「あ、成程。レトリー侯爵家はある意味、皇室としても個人的な取引がある家なんですね。それも、早々代わりが見付からないくらいに重要な。
 だから、皇室も今回の件に関して心を砕いてるんですよ、って事を内外にきっちりアピールする為に、わざわざ皇太子殿下自らが件の話を直接お伝え下さったと」

「俺はそういう事だと思っている。ただ……君とはまた違う理由で、少々不思議だと思ってはいたんだが。
 現在の当主に代替わりしてから、ピンクパールを売買する際の値段交渉で、レトリー侯爵が不遜にも、皇室側の足元を見るような値段交渉をしているようだ、という噂を、しばらく前の会合の場で聞いたんだ」

 少々難しい顔で腕組みしながら言うアドラシオンの言葉に、ニアージュも真剣に耳を傾ける。

「もしその噂が事実なら、皇室としてもレトリー侯爵や侯爵家に対して、いい感情は持っていないはずだ。
 だから正直俺も、今回の皇室の対応にはなにか含みがあるんじゃないか、と内心勘ぐってたんだが……そこの点に関しては、多分俺が深読みし過ぎているんだと思う。

 現レトリー侯爵は、子息の件を除いても評判があまりよくない上、方々から恨みを買っているという話も聞いたからな。今君と話しているうちに気付いたが、よくない先入観に引っ張られていたように思うよ」

「でも、レトリー侯爵が仕事の面でもプライベートの面でも、敵を作りがちな方だというのは事実なんですよね」

「ああ。皇室との件はあくまで噂だが、敵が多い方なのは間違いないようだ。会合で聞いた話の中には、不確かなものも混ざっていたから、例を出すのはやめておくが」

「そうでしたか。旦那様、話を聞かせて下さってありがとうございます。お陰で2つ目の引っかかりも解消されました。
 ……だから試飲会のサロンで皇太子殿下からレトリー侯爵家の話が出た時、動揺してる人達はいても、驚いてる素振りを見せる人達は誰もいなかったのね。
 みんな、レトリー侯爵がいずれ誰かから報復を受けるんじゃないか、って、頭のどこかで予想してたんだわ……」

「……。どちらにせよ俺は、今回のレトリー侯爵家の案件には、外部から助力を求められない限り、自ら腰を上げたりはせず、状況を静観するつもりでいる。
 俺は、エフォール公爵領の領主だ。自領とそこに住まう領民、俺に仕えてくれている使用人達を優先して守る義務がある。……それに何より、君の事も守り抜かねば……」

「! 旦那様……」

「と、とにかく、件の話に関しては、領地に戻るまで棚上げにしよう。万一の場合は、君に助けてもらう事もあるかも知れない。君はまだ年若いが、聡明で思慮深いからな。――よろしく頼む」

「……はい! もしその時が来たなら、お力になれるよう頑張りますね!」

 アドラシオンの言葉に、ニアージュはしっかりとうなづきながら力強く答えた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~

イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」   どごおおおぉっ!! 5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略) ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。 …だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。 それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。 泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ… 旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは? 更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!? ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか? 困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語! ※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください… ※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください… ※小説家になろう様でも掲載しております ※イラストは湶リク様に描いていただきました

多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?

あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」 結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。 それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。 不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました) ※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。 ※小説家になろうにも掲載しております

悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!

ペトラ
恋愛
   ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。  戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。  前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。  悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。  他サイトに連載中の話の改訂版になります。

公爵令嬢 メアリの逆襲 ~魔の森に作った湯船が 王子 で溢れて困ってます~

薄味メロン
恋愛
 HOTランキング 1位 (2019.9.18)  お気に入り4000人突破しました。  次世代の王妃と言われていたメアリは、その日、すべての地位を奪われた。  だが、誰も知らなかった。 「荷物よし。魔力よし。決意、よし!」 「出発するわ! 目指すは源泉掛け流し!」  メアリが、追放の準備を整えていたことに。

悪役令嬢は二度も断罪されたくない!~あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?~

イトカワジンカイ
恋愛
(あれって…もしや断罪イベントだった?) グランディアス王国の貴族令嬢で王子の婚約者だったアドリアーヌは、国外追放になり敵国に送られる馬車の中で不意に前世の記憶を思い出した。 「あー、小説とかでよく似たパターンがあったような」 そう、これは前世でプレイした乙女ゲームの世界。だが、元社畜だった社畜パワーを活かしアドリアーヌは逆にこの世界を満喫することを決意する。 (これで憧れのスローライフが楽しめる。ターシャ・デューダのような自給自足ののんびり生活をするぞ!) と公爵令嬢という貴族社会から離れた”平穏な暮らし”を夢見ながら敵国での生活をはじめるのだが、そこはアドリアーヌが断罪されたゲームの続編の世界だった。 続編の世界でも断罪されることを思い出したアドリアーヌだったが、悲しいかな攻略対象たちと必然のように関わることになってしまう。 さぁ…アドリアーヌは2度目の断罪イベントを受けることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができるのか!? 「あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?」 ※ファンタジーなので細かいご都合設定は多めに見てください(´・ω・`) ※小説家になろう、ノベルバにも掲載

処理中です...