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第5章

6話 農業視察の開始と王都の事件

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 帝国到着の翌日、ニアージュはいつも通りアナに起こされた。
 ニーネに手伝ってもらいながら身支度を整え、貴賓室を出たのち隣室のアドラシオンと合流し、指定の食堂へ移動して、視察団に参加した人々と全員で朝食を取る。

 当然ながら供された朝食はどれも美味で、朝から気分が上向くようだった。
 窓の外に見える空は、雲が少ないからりと晴れたいい天気で、まさに絶好の視察日和である。

 今回ニアージュ達農業視察団が宿泊したのは、1代前の皇帝の命で離宮を改装して作られたという、国外からの来賓の為の宿泊施設だ。

 ニアージュもアドラシオンも当初は、夫婦である事を理由に同室にされてしまったらどうしようか、と気を揉んでいたのだが、帝国側が用意した宿泊施設自体、元より1人1部屋という形で設計されていた為、ニアージュ達も別々の部屋に泊まる事となり、両者は内心で盛大な安堵の息を吐いていた。

 もし同室に泊まる事になっていた日には、緊張と気恥ずかしさで一晩丸々寝付けずに過ごす所だった、と。

 ともあれ、今日は皇帝の命で視察の案内役を務める、ロクトーア子爵の先導で帝都郊外へ移動し、開墾現場を実際に見て回る事になっている。
 視察団には専属の書記官が数名ついてくれており、自力でメモを取る必要はないので、その分しっかり現場を見学するつもりだ。

「ニア、今日はお互い、しっかり開墾の様子を見学していこう」

「はい、勿論です旦那様」

 アドラシオンが改めて口にした言葉に、ニアージュも真剣な面持ちでうなづき返す。
 なにせ、自領を栄えさせ、領民達を富ませる為のヒントは、どこに転がっているか分からない。ニアージュとしては、目を皿のようにして隅々まで観察し、最後には目薬の世話になる事も辞さない覚悟であった。

 移動の為の馬車に乗り込む順番を待つ間、背後に控えたアナから「気合が入ってるのはいいけど、お上りさんよろしくあっちこっちキョロキョロするのはダメだからね」とこっそり忠告され、ニアージュもそれに「分かってるわよ」とこっそり返答する。

 視察用に用意された、簡素な淡いピンクのドレスのスカート部分をちょっとだけ摘みつつ、ニアージュは(あと、移動先でうっかりすっ転んだりしないように、ちゃんと気を付けなくちゃね)と自分に言い聞かせていた。



 一方その頃。
 クロワール王国の王都フィークスでは、大きな事件が起こっていた。
 レトリー侯爵家の本邸が、何者かによって放火されたのである。

 本邸が放火されたのは、丁度レトリー侯爵と長男、次男が王宮に出仕した1時間後の事。レトリー侯爵夫人と、夫人の実子である3男と4男は、いつも通り本邸で過ごしていた。

 火を点けられたのは本邸の玄関、裏手にある庭へ出る出入口の前、それから屋敷の周囲にある、窓が点在している地点と多数に亘っており、そのやり口を見るだけでも、非常に強い悪意と殺意が伺える。

 当時、複数箇所からの出火に気付いた邸の使用人や、警備の為に雇われている騎士などが、消火の為に井戸から汲み上げた水をかけた所、却って酷く炎上させてしまった、と証言した所から察するに、どうやら今回の放火には、昨今貴族達の間で普及し始めた、精製によってより着火しやすくなった燃料油が、多量に使用されていると見て間違いなさそうだった。


 王城へ出仕していたレトリー侯爵が、本邸放火の急報を耳にし、長男と次男を伴って大急ぎで邸へ戻った時には、広大な敷地を有するレトリー侯爵邸はそのほぼ全てが炎に包まれ、膨大な量の黒煙を上空へ立ち昇らせていた。
 悪夢のようなその光景を目の当たりにしたレトリー侯爵は、思わず呆然とその場に立ち尽くす。

「……な……っ!? そ、そんな……。なんという事だ……。わ、私の邸が……!」

「父上! しっかりなさって下さい! 呆けている場合ではありません!」

「兄上の仰る通りです! 今は一刻も早く母上とステルト、ニーゼンの安否を確認せねば!」

「……っ、わ、分かっておる! ケイル、アルム、お前達は邸の周囲を見て回れ! 私は使用人や騎士達から状況を聞く!」

「分かりました! 行くぞアルム! もしかしたら母上達は既に避難して、庭に出てきているやも知れん!」

「はい! ――父上、先に申し上げておきますが、母上達の身を案じるあまり邸の中へ足を踏み入れるような、無謀な事はなさらないで下さいよ!」

「やかましい! 言われるまでもないわ! 余計な気を揉んでおらんで早く行け! 家令を見付けたら、すぐにこちらへ来るよう申し付けろ!」

「それこそ、言われるまでもなく理解している事です! 兄上、急ぎましょう!」

「ああ!」

 レトリー侯爵とその息子達は、必死に平静を保ちながらそれぞれ動き出した。
 しかし、彼らの願いとは裏腹に、レトリー侯爵夫人と3男のステルト、4男のニーゼンの行方は分からぬまま時間が過ぎていく。

 そして10数時間後。
 深夜に近しい時間帯に差しかかった頃、ようやく邸を包んでいた炎は鎮火したが、やはりレトリー侯爵夫人母子の行方は未だ分からぬまま、という状態が続き――

 更にそれから翌日の昼前。
 邸の焼け跡からレトリー侯爵夫人母子とおぼしき、3人の遺体が発見された。

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