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第3章
10話 新年祝賀会~彼女は愛されし者
しおりを挟む急に声が出なくなった王を見て、王妃や王太子妃夫妻、護衛役の騎士や位の高い文官達は、全員揃って血相を変えた。
眼前で起きた王の変事だ。当然の反応だろう。
ニアージュとアドラシオンの表情にも、つい不安が出る。
自分達の挨拶の番になってから、こんな風に急に体調を崩されては流石に心配になるし、下手をすれば自分達が、王に何かしたのかと疑われかねない。
無論の事、挨拶の場の近くにいたがゆえ、王の異変に気付いた他の上位貴族達も大なり小なり動揺を見せていたが、当事者である王は、自らの身に起きた異変に眉根を寄せつつも、平然と玉座に座っていた。
どうやら、声が出せない以外の体調不良や、それに伴う痛苦は感じていないようだ。
不幸中の幸いだと言えた。
どうしても話の続きを口にしたいのか、王は自分で自分の喉を軽く押さえてみたり、侍従から毒見を済ませたワインをもらって飲んでみたりと、どうにか再び声を出す為、独自の工夫を何度も繰り返す。
だが、何をどうやっても、結局声は戻らずじまい。
王との会話が成立しないのではやむを得ない。
ニアージュとアドラシオンはそう判断し、持ち時間を半分以上残した状態ながら、丁寧な見舞いの言葉だけを残して、早めにその場を辞す事にした。
声を発せない王の前で、自分達だけが一方的にベラベラと喋り続けた所で、さしたる意味はないからだ。
表向きには、王の喉の具合を慮る格好となった為か、状況的に見ても常識的で妥当な判断だとみなされ、ニアージュとアドラシオンの行動を不敬と咎め立てする者は、誰もいなかった。ニアージュとしても一安心である。
なお、これ以降挨拶に来る貴族達には、王の現状を侍従に説明させたのち、貴族側からの挨拶だけを受け取って終わらせる事にしたようだ。
これもまた、やむを得ない判断であろう。
「国王陛下、大丈夫でしょうか。やっぱり軽度とは言っても、風邪を引いているのを押して公務に出たせいで、身体に障ってしまったのかしら……」
「ああ、そうだな。その可能性は高いだろう。父上は昔から大病を患うどころか、熱を出して寝込む事さえなかった人なんだが……そろそろそうもいかなくなってきた、という事かも知れない。歳を重ねた弊害というものは、誰にでも出るものだからな」
「……。すぐに快復されるといいんですが」
「大丈夫。あそこから一気に体調が悪化するほど、お身体が弱っているようには見えなかった。きっと明日か明後日辺りには、元通り声が出るようになるさ」
王の御前から離れ、華やいだ賑わいに満ちたパーティーの輪の中へ戻りながら、どことなく心配そうなニアージュに、アドラシオンが柔らかく微笑みながら言う。
「ええ、そうですね。そうに決まっています。あんなにお元気そうな様子だったんですから。
――さて。折角のパーティーですから、気持ちを切り替えましょう。私も今回は、エンパイアタイプのドレスのお陰でお腹周りに余裕がありますし、ご馳走を堪能するつもりです」
「そうか。では、ひとまずダンスは後回しにして、俺も君に倣って飲食を楽しむとしようかな」
「ふふっ、お気遣いをありがとうございます、旦那様。ダンスを踊る時、動きにキレがなくならないよう、腹八分目に抑えておきますね」
「はは、そうしてくれるとありがたい」
そんな風に、ニアージュと笑い合いながら話しているうち、アドラシオンはふと思った。
もしかしたら王は先程の会話の中、ニアージュに暴言を吐きかけた事で精霊の不興を買い、罰が当たって声を封じられたのではないか、と。
(……あの時の、父上の言葉の文脈から察するに、父上はニアージュと会話している最中、ニアージュを『田舎娘』、もしくは『田舎者』と呼んで、悪意なく貶めようとしてたんじゃないだろうか。
だとしたら……精霊の不興を買い、罰を当てられたという考えも、決しておかしなものじゃない。大いにあり得る話だ)
明確な証拠はないが、恐らくニアージュは出身地の謂れと相まって、精霊に見守られ、愛されている。
だから、最初にエフォール公爵家を公式訪問する予定を勝手に立て、ニアージュを困らせた王は、邸を訪ねようと考えるたび地味な不運に見舞われ、最終的には来訪を諦める所まで追い込まれた。
その後、王の訪問が潰れ、今度は余った食材の運搬で困っているニアージュを助ける為、氷室の氷を山と増やし、ニアージュが暑さに参って疲れ始めれば、それを励ます為、貯蔵庫の卵やミルクの量まで増やして、アイスクリームを作れるようにした。
そして。
勝手な思い込みで邸に押しかけ、ニアージュを害しようとしたバラト侯爵家の令嬢、エーゼルは、乗って来た馬車に閉じ込められた挙句、アドラシオンが偶然、視察の途中で再会したバラト侯爵を連れて邸へ戻った途端、心身共に大変痛い目に遭った。
いや、もしかしたらあの日、アドラシオンが視察先で、知己であるバラト侯爵と再会した事も、もしかしたら精霊の力や導きが働いた結果、起きた出来事だったのではないのか。
そんな風にさえ思えくる。
(まあ、今そんな事を考えた所で、何がどうなる訳でもない。今は――)
アドラシオンは思考を中断し、傍らに視線を向ける。
そこでは丁度ニアージュが、嬉々として自分の取り皿にローストビーフを取り分けている所だった。まだ少女の域を出ていない年若い仮の妻の目は、多種多様なご馳走を前にキラキラと輝いている。
(そう。今は、この笑顔を見ていられるだけで十分だ)
アドラシオンは目を細めつつ、心からそう思った。
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