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第2章

13話 精霊の加護を受ける者

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 昼間の騒動から数時間が経過した。今では夜の帳が下り、空には星が瞬いている。
 夕食が済み、邸の侍女や使用人達の大半が寝静まった頃、ニアージュは静かに自室を抜け出した。
 昼間色々とあったせいか、妙に目が冴えて寝付けないからだ。

 要するに、身体の為にはあまりよくない事だと分かっているが、ここはもう寝酒を口にして、勢いで眠ってしまおうと考えたのである。

 季節は夏を越えて秋となり、日を追うごとに過ごしやすくなってきているが、それでもまだ時折、思い出したように夏の暑さが顔を出す。

 無論時節は秋である為、夜間は相応に涼しくなるが、昼間の気温がグッと上がった日には、夜間との気温差で身体に負荷がかかって、結構堪える。
 無理矢理にでも眠って体力の回復に努めなければ、体調を崩してしまうだろう。

 そんな訳で、目指すは厨房。
 食事中、いつでもテーブルに追加で供せるよう、予めワインセラーから出してあるワインが何本か、厨房の冷暗所に保管されているはず。
 寝酒なんて飲み方をするのだし、できるだけ安酒の方がいいのだが――

(公爵家にそんなものある訳ないか。つか、身体にもよろしくないけど、公爵夫人としてもあんまりよくない事よね、こういうのは。寝酒欲しさに、夜中にこっそり厨房に行くなんて)

 そんな事を思いつつ、カンテラを下げてそろそろと廊下を歩き、1階に下りてすぐ、ニアージュは意外な人物と顔を合わせる事になった。

「あら……? 旦那様? どうされたのですか、こんな所で」

「ニア? 俺は……実の所寝付けなくてな、寝酒でも飲もうかと思って。そういう君はなぜここに?」

「旦那様もですか? 実は私も寝付けなくて……」

「はは、そうか、成程。君も寝酒を欲して忍んで来たクチという訳か。……折角だし、2人でワインを分けないか? 庭にでも出て、星空を眺めながらゆっくり飲もう」

「いいですね、それ。流石に丸1本は飲み過ぎかな、と思っていたので、渡りに船です。それに、星空を肴にお酒を飲むなんて、普段はなかなかできない贅沢ですよね」

 ニアージュとアドラシオンはこっそりと笑い合い、厨房から適当に、口当たりの軽そうな白ワインを1本選び取ると、ワイングラスと共に持ち出して、庭先にあるテーブルに着いた。
 ワインのコルク栓を抜き、互いのグラスにワインを注ぎ合って口をつければ、自然と笑みが零れる。

「うん、美味い。しかし……思っていたよりだいぶ甘口だな。デザートワインだったか。君の口に合うだろうか?」

「はい。とても美味しいです。甘口のお酒も辛口のお酒も、どっちも相応の味わいがあって好きですよ。でも、ここまでしっかりした果実味と甘さがあるものなら、スノーワインにして飲んでみたいです」

「スノーワイン?」

「家の近くに小さな雪山を作って、その中にワインボトルを埋めておいて後で掘り出して飲む、キンキンに冷えたワインの事です。
 私が住んでいた田舎に伝わる風習で、年に一度年明けの頃、一番風味や甘みが強いワインをそうして冷やして飲むんですよ。勿論、暖かい室内で。私も一度だけ飲んだ事があるんですが、とても美味しいんです」

「君が住んでいた村には、そんな風習があるのか」

「ええ。冬場の厳しい季節にも、精霊がもたらす自然の恵みはちゃんとありますから。それに感謝する為にやるんです。
 お伽話で聞いた所によれば、今から数えて千年を超えるほどの、ずっとずっと遠い昔、私達の村の近くには、精霊に愛された巫女が住まう村を中腹に抱えた、実り豊かなお山があったそうで……。
 残念ながら、そのお山は何百年も前に天災でなくなってしまったそうですが、当時の風習は、今でも私達の村に受け継がれているんです」

 ニアージュは、グラスのワインを少量口に含み、穏やかに微笑みながら言葉を紡ぐ。

「村の人達は、みんな口を揃えて言うんですよ。「私達はみな、精霊の巫女の血とその思いを受け継いでいる、末裔すえの民とも言える存在なんだ。だから私達は、常に精霊様に感謝を捧げながら生きていくのが当たり前だし、逆に、巫女の血脈に恥じるような行いは、厳に慎まなければならない」と」

「そうなのか……。君の故郷の村では、時に厳しくあろうとも、通年恵みをもたらしてくれる自然と精霊の恵みに、誰もが感謝を捧げながら生きているのだな」

「はい。スノーワインは、そんな厳しい環境の中で生きる私達に与えられる、自然の恵みのひとつと言えますね。
 ただ……スノーワインは味もいいですが喉越しもとてもいいので、ペース配分や飲む量に気を付けないと、ベロベロに泥酔してしまうんですけど」

「ははは、それは怖いな。俺みたいにあまり酒に強くない奴は、そのまま酒の席で倒れてしまいそうだ。だが……そうか。そこまで強烈に冷えたワインは飲んだ事がないから、興味はあるな」

「では、今年の冬、雪が積もるほど降ったら、ここでもやってみましょうか。興味がおありなら、ぜひともあの爽快な喉越しを、一度体感して頂きたいです。
 そうですね……この間夕食で頂いたロゼなんてどうでしょう? あれならキンキンに冷やしても、味がぼやける事はないと思います」

「そうだな。この周辺も毎年よく雪が降るから、やろうと思えばできるだろう。
 ……もしその日が来たら、俺達だけじゃなく邸の人間全員で、君の言うスノーワインを味わおう。君の村に倣って、精霊の恵みに感謝しながら」

 グラスの中に半分ほど残ったワインを一息に呷り、アドラシオンは晴れやかな笑みを浮かべた。
 あまり酒に強くないアドラシオンの事だ、早々に酔い始めているのかも知れない。

「父上の来訪が未遂に終わった事といい、夏場に作ったアイスクリームの事といい……きっと俺もそうと気付かないうちに、精霊の恵みを溢れんばかりに頂いている。きっと君が、この邸に精霊を連れて来てくれたんだ。
 もしかしたら今日、エーゼル嬢が痛い目に遭って邸にとんぼ返りする事になったのは、精霊の加護を受けている君に、悪意を持って接しようとしたからかも知れない」

「ふふっ、旦那様ってば。私も母も、元からあの村の出身という訳ではありませんから、流石にそれはないと思いますけど。でも……もし見守ってもらえているんだとしたら、嬉しいですね」

 ニアージュがくすくすと笑いながらワインを口にすれば、ほんのひと時、その場に沈黙が落ちる。耳に届くのは、微風が木々をそよがせる涼やかな音と、秋の虫達が歌い奏でる美しい合唱だけだ。

 ニアージュもアドラシオンも、ただ心の中で思う。
 こんなにも心地いい沈黙が、世にあるものなのかと。

「……ワインもすっかり1本、空け切ってしまったな。君は先に部屋へ戻って休め。身体を冷やすといけない。ボトルとグラスは俺が片付けておくから」

「……分かりました。お言葉に甘えて、先に戻らせて頂きますね。おやすみなさいませ、旦那様」

「ああ。おやすみ」

 ニアージュは、アドラシオンに促されるまま椅子から立ち上がり、アドラシオンに小さく一礼をしてから、踵を返して歩き出す。
 後ろ髪を引かれてやまないような名残惜しさと、形のはっきりしない思いを胸の中に燻らせたまま。

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