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第1章
11話 お茶会騒動 狂想曲
しおりを挟む明け方から晴れ間を見せる様子が一向にない曇天の午後、ついにその賓客はやって来た。
クロワール王国王妃マルグリットと、同王国の王太子妃グレイシアの両名である。
その背後には、各人の専属の侍女とおぼしき女性が1人ずつ。
更にその少し後ろには、精悍な面立ちをした鎧姿の男性――護衛の騎士4人が、隙のない立ち姿で控えていた。
マルグリットはアドラシオンと同じ金髪碧眼、グレイシアは銀髪碧眼。
双方共、王家に名を連ねるに相応しい、気品と知性を感じさせる美女であり、特に王妃マルグリットは、既に四十路を越えているとは思えぬ若々しさだ。まさに美魔女である。
この王国の中で、最も高貴な女性とそれに次ぐ女性、押しも押されもせぬ2トップたる女性達と、直に対面する事になったニアージュは、表面上は品のいい淑女の笑みを浮かべつつも、内心ではだいぶ浮足立っていた。
(うわあ……。なんかもう、女としてというより、生き物としての格が違うって言うか、存在感とオーラが凄い……。私、ここにいていいのかなって気になってくる……!)
ニアージュの内心での慌てぶりをよそに、マルグリットがアドラシオンへ声をかけてくる。
「久しぶりね、アドラ。元気そうでよかったわ」
「はい。母上もお元気そうで何よりです。それに、王太子妃殿下も……」
「お気遣いありがとうございます、エフォール公爵。けれど、ここは公式の場ではございませんし、友人として名前で呼んで頂いて構いませんわ。堅苦しい事は抜きに致しましょう。
第一、お茶会の場でなにか話を振るたび「王太子妃殿下」と呼ぶなんて、面倒でしょうし。勿論、あなたが私を名前で呼ぶ事に、あなたの奥様が不快感を覚えておられなければ、ですが」
「問題ございません。妻は私などより、よほど懐深い女性ですので。この場では例外的に、グレイシア様、と呼ばせて頂きます。私の事も、爵位抜きでお呼び頂ければ幸いです。……妻を紹介してもよろしいでしょうか」
「ええ勿論。わたくし達、あなたの伴侶と顔を合わせるのを、とても楽しみにしていたから」
「さようでございますか。――こちらが、このたび私の妻となってくれた女性、ニアージュです」
(きたっ!)
紹介の言葉と共に、アドラシオンからちらりと視線を向けられたニアージュは、改めて背筋を伸ばし、半年もの間仮の実家でずっと叩き込まれ続けたカーテシーを披露する。
腹と腰回りを、かつてないほどギッチギチに締め上げられた格好で行う、カーテシーの体勢の想像を超えるキツさと緊張のあまり、今にも口から出てはいけないものが出てしまいそうな錯覚に襲われつつ、ニアージュは笑顔で口を開いた。
声が震えてしまわぬよう、必死に気合を入れながら。
「お初にお目にかかります。ラトレイア侯爵家より嫁いで参りました、ニアージュと申します。このたびは、王妃殿下と王太子妃殿下ご両名と直接お会いするばかりか、お茶会を共にできる誉れまで頂けました事、恐悦至極に存じます」
「初めまして。聡明そうなお嬢様ね。既にご存じの事でしょうけど、わたくしはクロワール王国王妃、マルグリット・レクス・クロワリアよ」
「初めまして。洗練された、とても美しいカーテシーですわね。私はクロワール王国王太子妃、グレイシア・レクス・クロワリアと申します」
ニアージュに続くように、マルグリットとグレイシアがカーテシーをしながら挨拶を述べてくる。
グレイシアはニアージュのカーテシーを褒めてくれたが、正直ニアージュは、自分のカーテシーよりこの2人のカーテシーの方が、ずっと美しく自然であり、ある種の流麗さがあるように感じた。
きっとこれが、半年という決して長くない期間で身に付けた、付け焼き刃の域を出ないカーテシーと、物心ついた時から淑女としての教育を受けてきた、生粋の令嬢のカーテシーとの違いであり、年季の差というものなのだろう。
「ニアージュ、わたしくは本当に、こうしてあなたと直接会いできてとても嬉しいの。アドラの所へ来てくれた事について、直接お礼とお詫びを言いたかったから」
「お礼とお詫び……でございますか?」
「ええ。実は――」
「母上、このような場所で長々と立ち話をするのもなんですから、邸の中へお入り下さい。茶会の準備も既に整っております」
「……それもそうね。では、案内してくれる?」
「はい。――アルマソン」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
アドラシオンが発した言外の命に応えたアルマソンは、マルグリット達に恭しい一礼をしたのち、玄関の扉を押し開ける。
かくして、ニアージュにとって生涯初となる社交――しかも王族相手の茶会という、あまりにハードルの高い初戦が、今ここに始まろうとしていた。
正直、いささかどころか、相当に身構えながら始まった茶会だったが、いざ蓋を開けてみれば、マルグリットもグレイシアも、実に話しやすい相手だった。
会食や茶会のマナーも、ラトレイア侯爵家での生活のお陰で、完全に身体が覚えるに至っていた為、特に苦心していない。
しかも、アドラシオンと相談の上、念の為に用意していた米粉使用の一口サイズに整えた茶菓子――米粉マフィン、米粉のパンケーキ、米粉パンのオープンサンドの話を持ち出した所、早々に興味を示してもらえたばかりか、実際に口にして、大絶賛までしてもらえたのだ。
生まれいずる以前からの農耕民族であり、米の使徒たるニアージュにとって、その喜びたるや筆舌に尽くし難く、茶会が始まって30分も経過する頃には、ニアージュはすっかりマルグリット、グレイシアの両名と打ち解けていた。
それこそ、邸の主にして夫(仮)であるアドラシオンが、半分以上空気になるような勢いで話が弾んでいる。
あまりに打ち解け過ぎて、うっかり偽装結婚の話が口をついて出そうになりかけたくらいだ。
そこについては、大変危なかったと内心猛省するしかない。
しかしながら、王妃や王太子妃とこれほど気が合うとは、いい意味で想定外である。
そして、それ以降の会話の内容たるや――
「……という訳で、あの人が勝手にラトレイア侯爵に、話を持って行ってしまったの。兄君である大公閣下の所には、王位継承権を持つ男子が4人もいるというのに」
「仕方ありませんわ。陛下は妙なこだわりをお持ちなのですもの。自らの血を引く子にこそ王位を引き継がせたいと、そんな風に固執しておられるのです。現状では大公閣下のお子も、クロワール王家の直系の血筋であらせられますのにね」
「そうだったのですか……」
「昨今では、国内でも多種多様な考え方が出てくるようになったけれど、肝心の国家の頂点に立たれている方が、あのように意固地になっているのでは、あまり意味がないわね。本当にごめんなさい、ニアージュ。今回のあなたの嫁入りは、陛下の固執のとばっちりも同然だわ。
もしアドラに愛想が尽きて一緒にいるのが嫌になったら、すぐにわたくしに手紙で知らせて頂戴ね? 流石に、即座に離縁というのは難しいでしょうけど、別居の手伝いなら即座にさせてもらうわ」
「そうですわね。エフォール様は温和でいらっしゃいますけど、煮え切らない部分も多い方ですから。場合によっては、甲斐性なしの烙印を捺される可能性もあると思っていますわ。
今後そのような時が来たなら、私がお父様に話をして、実家の別荘をお貸ししてもよくてよ、ニアージュ」
「母上っ! グレイシア様っ! ニアが俺に愛想を尽かすのを前提にして話を進めるのはやめて下さい!」
……とまあ、終始こんな状態である。
生まれた時から陰に日向に見守られ、自分のよい部分も悪い部分も知り尽くしている実母と、かつての自分のやらかしに温情をかけ、今も友人の立ち位置に収まってくれている元婚約者という、どうあがいても頭の上がらない存在に挟まれているのだ。四苦八苦してしまうのもやむを得ない事であろう。
そんなアドラシオンに申し訳なく思う一方、ニアージュはこの茶会が楽しくて仕方ない。
ただ――
コルセットがキツ過ぎて、思うさま紅茶とお茶菓子を楽しめない事だけが、大変惜しまれてならなかった。
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