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 ようやく辺境伯領に入ることができた。少し状況も顔ぶれも変わってしまったけれど、これでやっと手詰まりだったイベントを発生させてストーリーを進められる。


 そう思い、長すぎると感じる時間を応接室で待った。
 城とは違い、質素とも感じるような部屋だけれど、辺境ではこういうものなのだろう。

 扉の前に立つ侍女は、最初にお茶を出したきり、とっくに冷めたお茶を淹れなおすこともなければ、気遣いをしてくることもない。気の利かないところも、城とは違う。



 神官長は、特段表情を変えることもなく黙って座っている。
 瘴気の浄化に関してきっちりと訓練をしようとする生真面目なこの人は苦手だけれど、真面目だからこそ扱いやすいところもある。最初から一貫して聖女の能力を疑わないからこその、あの面倒な訓練の時間だと思えば今は意味があると思える。





 やっと、扉が開き、全く接触できなかった竜騎士隊長にようやくと思い目を向けると、当然のようにあの女がいた。
 この世界で、当たり前のように黒髪黒目を隠すこともなく、本来であれば騎竜の機嫌を損ねるからと人との接触が家族とですらままならないはずの竜騎士にエスコートされて。

 思わず、「なんで」と声が出てしまい、先を飲み込んだ。
 あの女を庇護しているこの家で迂闊な発言はできない。
 けれどその言葉は隣の神官長とも重なり、そして彼はそのまま言葉を続けた。


 すっかり忘れていた毛玉のことを持ち出す。
 確かに、この世界で精霊は大事にされているし姿が見えたり声が聞こえたりする人は貴重だ。さらには周囲にも見えるようにできるとなればさらに。
 けれど、記憶している精霊は、確かにどういう設定で変化するのかは分からないけれど小鳥だったり、小動物だったり。人型は記憶していないけれど、同時に、あんな毛玉ではなかった。
 それでも、精霊を顕現させたと周囲の反応は大きかったけれど。
 竜騎士隊はあっても、精霊とはそれほど距離が近いわけではないらしいこの国ではあのような毛玉でも珍しいのかという程度だった。
 そんな毛玉程度でも、いまだに引きずるほどの大ごとなのかと神官長を横目に少し見た。
 実際はそのすべての力で悪役令嬢を断罪しようとした。彼女に害されるところを精霊が守ったのだと主張して、通るはずだった。先に毛玉から譲られた魅了の力だけを残して、消えた。その魅了のおかげで毛玉が消えたことをそれほど深く追及されなかったのは分かっていたけれど。

 まだ、引きずるの?


 確かにわたしは不便をしたけれど。それだけだ。他の方法ができたから、忘れていたほどのことなのに。

 この間、辺境伯領に入れないまま終わった後。城に戻って動ける場所が減った。
 体調不良を訴える人が続いたからと、居住区域以外は何かあるといけないからと入らないように言われ、遠ざけられた。
 嫌な感じがする。そう思って早くストーリーを進めようと、とって返してきたのだけれど。



 けれど、毛玉についてのそんな疑問は消えるくらいに、城で感じた嫌な感じを増すくらいに静かな声がその場の空気をひりつかせた。



「なるほど、教会ではこのように聖女様に礼儀作法を教えられているということですか」



 立ち上がったわたしたちに椅子をすすめることもなく、上座にゆったりと座った辺境伯…らしき人が言う。
 彼はそれほど出てくることはなかったから姿の印象がないのだ。そもそも印象にあるのは攻略対象中心で、他は役回りでしかない。


 辺境伯に続いて一緒に入ってきていた竜騎士隊長と、おそらくは辺境伯家の他の息子が父親に続いてそれぞれ腰を下ろす。
 その時に、当然のように竜騎士隊長にエスコートされ、音羽も座った。
 少し居心地悪そうにしているのが鼻につく。




「教会で教わっているのは、瘴気の浄化を中心とした聖女の仕事です」

 何を言われたのか、ぴんと来なかったけれど、印象が悪くならないように無邪気な笑顔を作る。
 目が合えば魅了をかけようと思ったけれど、目が合っても反応がない。手応えがない。
 そもそも、客より先に座っておいて礼儀だなんだと言えるのか。


「だとすれば、王太子殿下の次の婚約者候補とされているのですから、城の作法の教官がきちんと教えていないのでしょう」

 竜騎士隊長の兄がにこやかに言うけれど、内容はカチンとくる。
 あちこちに棘がある。まだ婚約者に正式にされていないのも予定が狂っている。この家の娘についていた教師たちはうるさくて敵わない。何かにつけて、比べてくる。口には出さなくても、比べているのがわかる。伝わってくる。


「こちらから招いたわけでもなければ、事前に連絡があったわけでもない。突然押しかけてきて、さらに顔を合わせるなり揃って立ち上がって悪口を向けてくる。それが教会の作法ということですか、と言わなければ伝わらないということは、我が家とは作法が異なるようですね」



 意味がわからないでいるのを馬鹿にしたように、さらに言われる。
 そもそもの心証が悪いのは分かったが、きっと強制力か何かで軌道修正されるはずだ。とにかく、竜騎士隊長と親しくなって竜に乗せてもらい、竜に受け入れられた聖女を周囲に見せなければいけない。
 そのために、この家にくる理由を作るために、城の竜たちに騒いでもらったのだ。そのようなことになった詫びとしてでも、乗せてもらえればそれでもいい。とにかく話を進めたい。
 良いエンディングならばこの世界にいてもいい。元の世界も、嫌なことばかりだ。
 けれど、今の流れでいつエンディングをミスするか不安で仕方ないなら、適当にストーリーを進めて終わりに持っていって、帰りたい。帰る、という選択もあったはずだ。どっちも満足のいく生活ができないのなら、確かに贅沢はできるけれどストーリー終了後の予測がつかない世界で生きるよりも、元の世界の方がマシに思える。


「こちらにはお願いがあってお邪魔したのです。確かに、わたしはこちらのお嬢様が婚約破棄をされる原因を作ってしまったかもしれません。ですが、わたしには聖女としての勤めがあります。以前竜騎士隊長にも護衛いただきましたが、今後も、竜騎士隊を含めた皆様にお世話になるのです」


 横で神官長が頷いている。
 最も頼るべき護衛の竜騎士隊が動かないのは困ると教会でも問題になっていたところの騒ぎだったのだ。隊長がいつまでも王都に戻らないことは社交界でも話題になっている。



「お嬢様に謝罪をさせてください。そしてお許しをいただき、竜騎士隊がわたしの護衛の任務に支障なく就けるようにして差し上げたいのです。竜騎士隊長の帰任も、お許しいただきたいのです」








 恐ろしい間が続く。

 視線を逸らさず、邪気のない、国のために働こうとしているという顔で辺境伯をじっと見つめる。
 目は合っているのに、魅了は届かない。跳ね返される感覚すらない。




「聖女様」



 低い声で、辺境伯がようやく応じた。



「仰っている意味が分かりかねますが、言えることはこれだけです。我が家の子供たちは聖女様に遺恨はありませんし、これまでの行動は、すべて陛下の承認のもとのことです。また、王都の竜舎で何か騒ぎがあったことは伝え聞いていますが、騎士と絆を結び訓練を受けた竜は、自身と騎士に危害が加えられなければ、騒ぎ暴れることはありません。だから、城の敷地内に竜舎を建て、そこで生活させていられるのです」





 言葉が出てこない。

 わかるのは、真っ向からすべてを否定され、そしてどこまでかはわからないけれど見透かされている。



 救いを求め、神官長を見上げた。
 戸惑いの眼差しを向け、同情して助け舟を期待したけれど、こちらに向けられた眼差しの厳しさにぎくり、と体が震えた。




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