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 辺境伯邸まではフォスに乗って向かう。
 ラウルも彼の竜に乗って一緒に向かうけれど、出る時に「聖女様には嫌われているので、顔を見せない方が良いかもしれないですが」と苦笑いをしていた。
 前回辺境伯領に入るのを断ったのがラウルだからということだけれど。
 否定はできない。誰に言われるまでもないはずのことを言わせてしまっただけなのだけれど、すべてが非をラウルにあると思っている可能性はかなり高い。

「大丈夫。わたしほどじゃないから」

 思わず返した言葉に、ヴィクターとラウルが一瞬ぽかんとしてから吹き出した。
 こんなふうに笑う2人はなかなか見られない。

 おかしなことを言ったかな、と首を傾げるけれど、それには応えずに高く空に飛び立った。
 この巨体でよくこれほど周囲に影響なく助走もなく飛び立てるものだと思う間もなくあっという間に景色が変わっていく。上空の強い風や冷たい空気、強すぎる日差しは全てヴィクターが防御魔法をかけてくれている。そうでなければこんなに呑気に周囲を見回している余裕などあるはずもない。


 竜にかかればすぐに着いてしまう辺境伯邸は、本当に「スープの冷めない距離」に感じる。実際は上空で一瞬で冷めてしまうけど。
 竜囲いにフォスが降り立ち、ヴィクターに降ろしてもらいながら、周囲を見回す。
 降りる時から感じていた違和感の正体に気づく。
 竜がいないのだ。
 普段、谷から入れ替わり遊びに来ているような竜たちはもちろん、辺境伯家の竜もいない。

「ヴィクター様、これは…」

「フォス、お前たちも谷に行っていろ」

 答える前にフォスに指示を出している。ほんの少し不満げに鳴いたけれど、すぐに2体の竜は飛び立ち小さく見えなくなっていく。


 それを見送ると、邸の中に向かいながらヴィクターが説明してくれた。

「竜たちは聖女が近づくのを嫌がっている。それでもここまで来ることを許したのは、神官が一緒だからじゃない。これ以上おかしな言いがかりをつけさせないため、関わらせないため。王都の竜舎で聖女がしたのと同じことをここでもやってみせる可能性がある。だから、竜には近づけさせない」


 賢く強い竜たちが我慢しきれずに騒ぎ立てるほどの何か。
 そんなものに曝さないというしっかりとした意志を込めてヴィクターが言うのに、納得する。どう言うつもりなのかは分からないけれど、きっと、まだ小さな光の精霊だった頃のタイちゃんにしたのと同じように、何の躊躇いもなく傷つけ切り捨てるんだろう。



 邸内に入ると先に辺境伯に会うとヴィクターに連れられて奥の方に向かう。
 手前の客間に待たせているらしいけれど、そこは素通りどころか近くを通りもしない。


 家宰のバルトさんが途中から先導してくれて通された部屋には辺境伯夫妻とイルク様が揃っていて、立ち上がって迎えてくれた。

「来たか」

 イルク様に声をかけられ、ヴィクターが小さく頷いて彼らが座っていた方へ足を向ける。腰に手を回されて促され、並んで腰掛ける形になったけれど、少し、だいぶ居心地が悪い。どうにも場違いに感じてしまう。
 腹が立った勢いで一緒に行くと着いてきてしまったけれど、あきらかに足手まといだ。


「先に報告がある。トワを伴侶に決めた」


「……んえ!?」


 取り繕う余裕もなく、変な声が出た。


 確かに番だなんだという話が飛び交った途中で出てきたけれど。
 辺境伯たちも驚いた顔をしている。貴族でしかも竜騎士隊長。結婚もそんな自由に決められるものではないだろう。娘を王家の婚約者に出すような家柄だ。
 当然咎められ反対されるだろうと思っていたが、夫人の目がこちらに向けられ、それからその目が呆れたようにヴィクターに向けられる。


「ヴィクター、あなた、私たちに報告する前に了承を得る相手がいるのではない?そんな横暴は許されませんよ」

 母親の視線を追ったヴィクターが視線を下げ、目が合う。
 完全に狼狽えたままのわたしの顔を見て、不思議そうな顔をする。最初はあまり表情が動かない人だと思ったけれど、懐に入ってしまうとそんなことはないと分かる。

「さっきそう言う話だっただろう」
 声が出ず、とりあえず首を横に振る。
「番になるとはそういうことだ」
「そんなに簡単に決めることではありません」
 やっと声が出て反論をすると、ヴィクターが目を細める。
「簡単に決めたつもりはない。…俺ではいやか」
「そう言う事ではなくてっ」
 最後は哀しそうに言われると、こちらが悪いことをしている気分になる。
 でも、今回はヴィクターが悪い。夫人の言う通り、何の断りもなくどころか、きちんと話してもいないことを決定事項として家族に報告するのはおかしい。

 埒が開かない、と感じたのはわたしだけではなかったらしい。
 ものすごく大きなため息で辺境伯が割って入ってくれた。

「ヴィクター、私たちはトワさえ良いのなら大歓迎の話だが。まずは、トワとしっかり話して決めなさい。それからもう一度、報告するんだ。いいな」

「……」

 ヴィクター的には、しっかり話した後、なのだろう。不服そうに返事をしないのは不貞腐れた子供のようで、普段の隙のない竜騎士隊長の姿からは想像つかない。

 やれやれ、と兄の顔でイルクがだめ押しをする。

「求婚して受け入れてもらってから出直してこい。それより、あの面倒なのをさっさと片付けよう」

 さっさと、話を本来の目的に戻す。
 いや、ヴィクターにとってはそっちがむしろついでだったようにも感じられる。イルクの少しからかうような調子にさらにだんまりがひどくなった。

「…ヴィクター様、今さらですが神官長というのはどのような方なんですか?」

 辺境伯家に乗り込んで来るような身分の方、なのだろうとは想像できてもそれ以上がわからない。立場も、国の中での立ち位置も。

「…あえて言うなら、お前がこの世界に来た瞬間に放り出したのが神官長だ」


 とてもわかりやすい。
 あの場にいた人、ということだ。そして、なぜかたった一言で何を確証にしたのか一方を放逐した人。




 辺境伯とイルクに続き、相変わらずヴィクターにエスコートされ、来客の待つ部屋に入った。夫人は先ほどの部屋で待っている。


 入った瞬間、二つの声が重なる。

「なんで…」

 あんたまで、と続くのを飲み込んだのであろう聖女の声。
 そして。

「お前は、聖女様の精霊を消した娘か…よく顔を見せられたな」

 挨拶もなく、そのような言葉を向けたのが、神官長なのだろう。思ったより遥かに若い。神官長という職位がどのくらいなのかも分からないが、もしかしたら貴族の子弟が神殿に入れば最初から職位が上とかそういうこともあり、この人は辺境伯以上の爵位の人なのかもしれない。
 が、約束もなく押しかけてきた客人の態度としては、ひどい。



 二重の悪意ある言葉を一身に受け、呆れて驚いて言葉が出てこないでいると、ヴィクターの手に力がこもっているのに気づいた。怒りを堪えている横顔を見上げる。
 この場で、最初に口を開くのはヴィクターではない。父や兄の先を越すことは礼を失している。ただそれだけの理由の我慢。


 それを一瞥して、辺境伯が立ち上がった2人に椅子をすすめることもなく、1人上座に腰を下ろした。


「なるほど、教会ではこのように聖女様に礼儀作法を教えられているということですか」



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