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しおりを挟むノルが先を続けようとした時、控え目に扉がノックされた。部屋にみんないると思っていたけれど、いつの間に外に出ていたのか扉を開けて入ってきたのはラウルで、ヴィクターが頷くのを見て近づいてきて耳打ちをする。
近くにいる分、その声が漏れ聞こえた。聖女、という言葉を拾い、ヴィクターを見上げる。
視線に気づいたヴィクターが眼差しをこちらに向け、ため息をついた。
「聖女が辺境伯邸に来ているらしい」
え、と思わず声が出る。辺境伯領に入ることもできず、場所を変えてアメリアと共に話をしてまだ日が経っていない。王都からとんぼ返りして来たのではないかと思うような。
「領内に入れたのですね」
思いの外冷静にアメリアが返す。話の腰を折られた格好になっているが、みんな気にする様子もない。
「今回は教会が同行しているそうです」
ラウルが少し呆れたような声色で答える。教会、とは聖女に瘴気を浄化する訓練を施していると聞く。王家の馬車を使い、王家の護衛では領内に入ることもできないと、今度は教会を頼ったということか。
それにしても、話は終わっているはずなのだ。少し時間をおくと、また自身の理屈に舞い戻ってしまうのだろうか。それともまた別の話をしに来たのか。
王都に呼びつけるのではないのがまだ良しとすべきなのかとふと思ったが、そうではないとふと頭の片隅で思う。この間もそうだった。執拗に辺境伯の領内に入りたがっていた。
彼女のいう「イベント」があるのかもしれない。
「王都の神官長が同行しており、ヴィクター様との面会を求めているそうです」
神官長、という響きに目をあげる。
この世界のことはわからない。教会の立ち位置もわからない。ただ、聖女に訓練を施すということは、不在の場合に教会が瘴気の浄化にあたるということなのだろうか。
わたしの疑問に気づいたかのように、ヴィクターがどうした、と促してくれる。
「教会も、瘴気の浄化ができるのですか?また、ヴィクター様たちが護衛で動かなければならないようなお話でしょうか」
いくら遠征後の休暇といってもヴィクターはずいぶん長く領地に留まっている。いつ呼び戻されてもおかしくないとは思っていても、不安はある。前回の遠征の際には王都から辺境伯領に移動して守ってもらった。今となってはその辺境伯領に家を構えている。不安はないはずなのに。赤ん坊の分離不安のようだ。
「瘴気の浄化は聖女にしかできない。方法は伝えられているが、そのための魔法を使う素地がないんだ」
それだけ特化した魔法ということなのだろう。浄化ができないということは、瘴気に侵された人を治癒することもできないということだ。
僅かなりと聖女は浄化ができていると聞く。となればやはり、間違いなく、聖女、なのだろう。
「用件は聞いているか?」
「王城の竜舎に聖女が近づいた際、先日辺境伯領に近づいた際と同じような騒ぎになったそうです。竜騎士隊長の長期間の不在と今回のことを繋げ、疑念を抱かれたようです」
「陛下がか?」
「教会が、です」
少し間をおいて、今の言葉の意味が飲み込めた。ヴィクターが竜たちに聖女を拒絶させていると言い出したということか。
「そんなことをっ」
ヴィクターがするはずがない。そもそも、関わる気がないのだ。わざわざそんな労力を払うとも思えない。
どういうことか、ヒソクに問いかけようとすると、その前にそれまで黙っていたノルが口を開いた。
「もともと、竜たちは白竜が拾ってきた娘を害した聖女をよく思ってはいなかった。ただ、竜騎士と絆を結び訓練を受けた竜たちは、理性でそれを飲み込んだ。だが、その娘は神龍の器となった。それに加え、その聖女、竜舎で害をなしたようだ」
「がい?」
そこだけを拾ってしまった。
フォスのおかげで、竜たちに好意的に迎えられているのはありがたい限りだ。竜の中にも序列があり、フォスがかなり上位なのだというのはわかる。
けれど、それよりも。
そんなことをする意味がわからない。しかも、そんなことをして、よく領地に入れたものだと思う。
「竜舎に瘴気を持ち込んだ」
持ち込む?
そんなことができるのかという疑問と一緒に何のために、と思う。
「魔素には影響を受けないが、瘴気は竜にとっても毒だ。ヒトほどではないが、量によっては魔物化してしまう」
ヴィクターが察して教えてくれるが、その声は怒りを孕んでいる。魔物化してしまえば、倒すしかなくなる。竜ほどの大きさが魔物化したとなれば浄化は困難だ。大きなもの、知能の高いものほど浄化は難しくなると。
「神官を同行させて竜舎を訪ね、竜を騒がせた。…婚約破棄を受け入れないアメリア様が兄君にお願いしたと、噂になっているようだ」
噂をそのまま口にした様子のノルの言葉に唖然とする。
受け入れないも何も、というのが第一だが、どこからどうしてそんな噂が今さら流れるのか。どこで流れているというのか。
「ヴィクター様、わたしも一緒に行きます」
思わず、口をついて出る言葉に自分でも驚いたが、取り消す気にはならない。
おかしな噂を、被害者のような顔で。悪役令嬢、と言った声を思い出す。
元いた世界で、そんな小説や漫画は目にした。けれど、それは物語の主役から見た「悪役」でしかない。実際は悪いことをしているように見えないこともある。実際に、傍若無人だったり、悪いところがあることもある。けれど、それは「悪役」を割り振られた「令嬢」でしかない。物語の主軸から見たらなだけだ。見方を変えれば、婚約者を奪う方が悪役ではないのか。
かつて、恋人の気持ちが離れたときに、恨み言は出てこなかった。気持ちを繋ぎ止められなかった自分も悪いと思った。心変わりは、仕方ない。そう言い聞かせるしかなかった。
でも。それでも。
納得なんて、訪れることはなかった。
「アメリア様を悪くいう必要が、どこにあるというんです。何をしにきたか知りませんが、一緒にいきます」
頭に血が上っている自覚はある。
諦めたようなヴィクターのため息の向こうで、ノルが少し、目を細めた。
初めて見る、穏やかな表情のような気がする。
「魔力を流したことでわかることだが。お前たちは番だ。面倒を片付けたら、続きを話そう」
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